和布刈神社 | この美しき瑞穂の国

和布刈神社

2008年5月3日、下関から関門海峡対岸の福岡県北九州市門司(もじ)区の和布刈(めかり)神社に行った。


最寄り駅である門司港駅の駅舎はハイカラな木造建築で重要文化財に指定されており一見の価値ありだ。
(残念ながら写真無し。)


駅の周りにはレンガ造りのロマンチックな建物が並び、散策しながら歩くと楽しい。



門司港駅から和布刈神社まではバスで15分ほどである。


和布刈神社本殿。

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和布刈神社は仲哀天皇9年(西暦200年)創建とされる古社である。別名速戸社(はやとのみや)、早鞆(はやとも)明神という。


関門橋の真下にあり、目の前には壇ノ浦を眺めることが出来る。


ちなみに和布刈神社は対岸の下関からよく見える。


和布刈神社の御祭神は


比売大神(ひめのおおかみ)

日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと:山幸彦)

豊玉姫命(とよたまひめのみこと:山幸彦の妻)

鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと:山幸彦の御子)

阿曇磯良神(あずみのいそらのかみ)


の五柱である。


阿曇磯良とは海人族の阿曇氏の祖神である。


神功皇后は三韓出兵に際して諸々の神々を招いたが、海底に住む阿曇磯良だけは牡蠣(かき)や鮑(あわび)が付いた醜い顔を恥じて現れなかった。


そこで住吉神が海中に舞台を作り、磯良の好きな舞を奏しておびき出すと、磯良がやってきたという。


磯良は龍宮(わたつみのみや)より潮の満ち引きを自在に操ることが出来る潮盈珠(しおみちのたま)、潮乾珠(しおひのたま)を借り受けて神功皇后に献上した。

神功皇后は潮盈珠と潮乾珠をうまく使って三韓征伐を果たしたという。



神功皇后は凱旋帰国後、阿曇磯良の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を速戸に鎮めたという。これが和布刈神社の始まりだとされている。



壇ノ浦の戦い前夜、背水の陣の平家は和布刈神社で戦勝祈願の祝詞を奏上し、最期の酒盛りをしたという。



和布刈神社では毎年旧正月の未明に三人の神職が松明、手桶、鎌を持って社前の関門海峡に入り、若布を刈り取って神前に供える和布刈(めかり)神事が行なわれる。


若布は万物に先んじて芽を出し、自然に繁茂するため幸福を招くとされ、新年の予祝行事として古より重んじられて来たという。


この神事は神功皇后が自ら始められたといわれている。



和布刈神社本殿前にて海神祓(わだつみのはらい)、大祓詞、龍神祝詞を奏上した後、般若心経、観音経を唱えて壇ノ浦の泡と消えた兵(つわもの)達の御魂がことごとく救われて成仏するように願った。



この日の壇ノ浦は、潮の流れは速いものの大波も立たず穏やかだった。


源平の時代に劇的な戦いがあったこの海をしばらく眺めて脳裏に焼き付けた。



和布刈神社をお参りした後、帰路は徒歩で門司港駅に向かった。


(つづく)