神社参りと事象 その4 | この美しき瑞穂の国

神社参りと事象 その4

今日はホットメールに保存していた旅の記録を読み返してふと思い出した話を書こうと思う。


2006年2月4日、神戸の神社を廻った。全部神功皇后ゆかりの神社を廻ったのである。


神功皇后が稚日女命(わかひるめのみこと)を祀った三ノ宮の生田神社、同じく事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀った長田神社、そして天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)の荒御魂を祀った廣田大社(ひろたたいしゃ)であった。

このうち写真が残っていたのは生田神社のみであった。

生田神社といえば、後に陣内智則と藤原紀香の結婚式で有名になった神社である。
この美しき瑞穂の国-D1000041_M.JPG

長田神社も写真を撮ったはずなのだが残っていなかった。


ちなみに廣田大社は写真を撮れなかった。
それはあまりにも境内の雰囲気が厳めしくて写真撮影を赦されない気がしたのだ。

廣田大社には神功皇后が海の中より発見したという『如意珠(こころのままのたま)』という宝珠が御神宝として伝わる。

神功皇后はこの如意珠を使っていろいろなものを観たようである。

神社の方に聞いた話によると、この珠はかつて氏子さん限定で公開していたそうだが現在は非公開だ(ネットで見られるページがあるので興味のある方は検索してみると良い。)


この神社の帰りのバス停で不思議な老人と出会った。
この方は本殿前でずっと神様に語りかけていた人だった。


杖を突いてやっとの思いでバス停に辿り着いた老人は『帰りのバスはこちらですか?』と尋ねてこられたので『はい。そうですよ。』と答えた。

それからしばらく神社のよもやま話をした。

その老人曰わく、自分は第七代天皇である孝霊天皇の子孫で、宮内庁管轄の皇族しか入れない場所にも入れて頂けるという話をしていた。



そして本日は廣田大社本殿にて世界平和を祈っていたら天照坐皇大御神が降りてこられた、とのことだった。
話していて気づいたのだが、この老人はしょっちゅう廣田大社に来ているようだったので、本当はバス停のことを僕に尋ねる必要はなかったのだ。

でも面白いお話をいろいろ聞かせて頂いてありがたかった。


翌日2月5日も廣田大社を訪れたのだが、やはり写真は撮れなかった。
天照坐皇大御神の荒御魂またの御名は撞賢木厳之御魂天疎向津姫命(つきさかきいづのみたまあまざかるむかつひめのみこと)はあまりにも厳めしいのであった。


この日、想うところあって淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮へ訪れた。
この美しき瑞穂の国-D1000042_M.JPG

この前年2005年の後半あたり、自民党が女系天皇容認のために皇室典範の改正を匂わせていた。

このことに大変危機を感じたため、皇祖神である天照坐皇大御神の父の伊弉諾尊に、皇孫が男系で保たれますようにと重ね重ね祈願したのだった。

祓詞、大祓詞を奏上し、とりあえず天命を待つことにしようと思った。


この神社境内には八角形の石があり、この神社からの各方角にある神社が記されていた。

真北 但馬国一宮 出石神社
夏至の日の出 諏訪大社
真東 伊勢神宮 飛鳥藤原京
冬至の日の出 熊野那智大社
南 諭鶴羽神社
冬至の日没 高千穂神社 天岩戸神社
真西 対馬国一宮 海神神社
夏至の日没 出雲大社 日御碕神社


・・・この中で行ったことがないのは対馬国一宮海神神社と諭鶴羽神社だけである。


伊弉諾神宮をお参りした後三ノ宮に戻り、生田神社に再訪してから帰路についた。



その二日後2006年2月7日・・・紀子様男子御懐妊のニュースが流れた!

この吉報は本当に嬉しかった!
僕の伊弉諾神宮参りが少しでも関係あるのかどうかは分からない。
だが御礼参りをしなければならないと思っている。


未だに果たさずにいるが・・・今年こそは御礼参りをしよう!