國學院と皇学館合同の、神道史研究の会。
木曜日。
午後2時から5時すぎまで、國學院大學研究開発推進センターと神道宗教学会による合同研究会にオンラインで参加しました。
テーマは「伊勢神宮古代・中世移行期論の射程」
國學院と皇学館の神道史研究の「本流」の会なので、
どんなことが話題になるのか、興味津々でした。
以下、僕の勝手な感想です。
國學院の比企貴之さん「古文書学からみた伊勢神宮の中世的変容」の発表、
皇学館の小林 郁さんの「中世における神宮御師形成の視点から」のコメント。
ちょっと意外に感じたのは、全体の議論が、いわゆる「歴史学」のなかの「社会経済史」的な方向になっていたことでした。それって、戦後歴史学のセオリー?。
しかし、議論の展開は、講座派以来の「イデオロギー」は脱色されたかたちで、
社会経済史の「実証的」な話題に。
でも、質疑のときに藤森さんが指摘していたように、伊勢神宮の神官たち、祭主や宮司は、けっしてたんなる事務役人ではなく、あくまでも祭祀の執行者である、という視点が欠けているというのは、僕なども納得するところです。
もうひとりの発表は、國學院の出身で、現在は皇学館大学の先生をしている
塩川哲朗さんの「神宮に関する由緒の変化とその背景」。
塩川さんは信仰史としての視野を提示されていました。
天皇と伊勢神宮の繋がりが古代後半で強調されてくる、という指摘は、興味深い。
『諸雑事記』につたわる「祟り」の記事も、院政期あたりに強調されてきた、とも。
ただ質疑で、水谷さんが指摘していたように「中世神話」「中世日本紀」の研究がきちんと踏まえられていないのでは、という批判は、たしかにそうだな、と僕なども思いました。
オンライン参加者は、チャットで質問、とあったので、調子にのって質問しました。
中世の伊勢神道が「神を心に宿す」と「神」を内在化していく信仰への変化にかかわって、11世紀の『更級日記』の「わが念じもうす天照御神」のこと、また後朱雀天皇の「祟り」の認識が、内在化していくなどは、どうでしょうか…、みたいなことを質問しました。
オンライン参加者の質問は「匿名」だったので、顔出しすることもなく議論はできなかったのですが、まぁ、ちょっと「神道史研究」の本流の場で議論するのは、緊張するので、まぁ、これはこれでよかったです(笑)
会場には、岡田莊司先生も参加されていて、藤森さんの発言のときに、うれしそうにうなづいているところが、映像で見えました(笑)。
最後の「まとめ」のところで、「國學院の神道史研究を受け継いでほしい…」みたいなことを発言されていたのは、とても印象的でした。
最近は、大学のなかでの「学問の継承性」は厳しくなっているように思いますが、
さすがに國學院では、それが可能である、というのは、ちょっと羨ましい感じも。
とはいっても、僕なんかは別に「大学」の外で、自分の研究の連続性や共同性があればいいや、と思ったりしますが。
ということで、久しぶりに「真面目」な話題でした。