きのう、霊魂の問題については、公正と公平を維持しながら、逃げることなく取り組むべきだ、と申しました。しかし、私たち人間にとって、霊魂は存在するか否かについて、万人が共有認識を持てるかどうか、これは難問中の難問であるようです。人間にとって、霊魂は尽きることのない探求課題であるようです。
ところで、人間に心はあるかないかという問いに対しては、ない、と答える人は、多くはないでしょう。むしろ、ない、と答える人はごく少ないのではないでしょうか。実は、私は、そういう統計資料があるかどうか、知りもしませんが。
心の存在することは認めるが、霊魂が存在するかどうかわからない、というような見解を持つ人もいるだろうと思います。難しいです。
霊魂と心の関係はどうなのでしょうか。「霊こそは心の主であり、いのちの根源である」という見解があります。これは手島右卿氏のことばだそうです。
心と魂は別個の存在なのでしょうか。
鹿児島県鹿児島市にある示現流兵法所資料館には、「示現流兵法切紙 元和七年 重位著」という資料が展示されています。そのなかに、「空ヨリ一ツノ心ト
云物カヤトリテ我身ト成然ハ我人トナラントテ父母ニ宿ヲカリタル也」とあります。重位とは示現流兵法の開祖東郷重位のことと、資料解説文にあります。
母の胎内に宿ることを託胎というのだそうですが、道元のことばに、「父母のほとりにちかづかんときも、あいかまひて、正智ありて託胎せん」とあります(『正法眼蔵』)。
心、霊、正智と、人によりそれぞれの用語であることがわかります。私たちは、こうした先人の探求の歴史から、学ぶこと、教えられることが多いように思います。
霊魂についての学問は、本能、理性、知性、意志、気、神経、電気などとの関係性も、どのように理解すべきなのか、まさに私たちの日々の生活、諸活動そのものに、直結していることではないでしょうか。