万教一源の探求(その73)・「全国戦没者追悼式」 | げんきにたのしくのブログ

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全身全霊という言い方、あるいは、人間は万物の霊長であるという言い方、大和魂や平成魂(平成魂については、本ブログ・その23で話題にしました)という言い方には、やはりどこかで、霊と魂の意味の違いが意識されて、使い分けられているようだ、という印象を受けますが、どうでしょうか。

詳しくみれば、もともと、霊と魂それぞれ独自の意味があるはずです。また、漢字の霊と魂は日本語の何に対応するか、そういうことについて細かく検討をする必要があると思います。しかし、その問題は、別の機会のための宿題としておきます(一度本ブログ・その26で少し検討しましたが)。

ここでは、日本人と霊魂の問題として、別の角度から、一つの事例を考えておきたいと思います。

それは、毎年8月15日に行われる政府主催の全国戦没者追悼式に関わります。

日本国は、昭和26(1951)年9月8日、米国サンフランシスコで対日平和条約に調印し、翌昭和27年4月28日、日本対連合国間の平和条約は発効し、国家としての主権を回復しました。

昭和27年4月8日、政府は「全国戦没者追悼式の実施に関する件」を閣議決定しました。そのなかに、「平和条約の発効による独立に際し、国をあげて戦没者を追悼するため左記により式典を実施する。」とあります。

そして、この決定に沿って、政府主催の第1回追悼式は、その年5月2日、新宿御苑で行われました。

式場中央には「全国戦没者追悼之標」と墨書された白木の標柱が立てられました。なぜこの文字が撰ばれたのか。この追悼式を実施するまでには、さまざまな角度から検討、準備がなされたと思いますが、この件の閣議決定文書の内容5項目のなかに、その三として、「本式典は、宗教的儀式を伴わないものとする。」とあります。

慎重を期してこの一項目を入れたのだと思います。しかし、戦没者を追悼する国家としての儀式を「宗教的儀式を伴わないものとする」としたことは、当時の政治や世論の状況から、また、とりわけ、連合国軍総司令部の占領統治下で、昭和21年11月3日に公布され、翌年5月3日に施行された日本国憲法の規定への配慮からだと思われますが、いつまでも放置しておくべきではない問題を残したように思います。

そのことについて、次回、検討します。