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するめの部屋

徒然なるままに、心のままに。
飲むほどに、酔うほどに。

 

今日は79回目の広島、原爆の日です。

(0時を過ぎたので昨日になってしまいましたが)

 

戦争はやったらいけないよ。

 

 

僕は親戚が広島に多いので、子供の頃から平和公園、原爆ドーム、原爆資料館などへは何度も行きました。

幼少の頃に原爆資料館で曲がりくねった一升瓶を見た時は、ガラスがあのような形になることに理解できませんでした。

ガラスって壊れる時は割れるしかないものだと思っていたから。

 

現在、広島にいる伯父や叔母はその戦争を経験していますが、当時は僕の亡くなった父も含め、家族で山口県の光市という所に住んでいたらしいので、原爆からは免れたようです。

 

光市には海軍工廠(日本海軍の工場)があって、そこでは主に火砲や爆弾、爆雷などを製造していたそうです。

また、光市は海に面しているので、特攻兵器の人間魚雷『回天』の基地もあったとか。

そのため、光市への米軍の爆撃は激しく相当狙われたようで、父からは降ってくる爆弾から逃げ回ったと聞いています。

 

僕が小学生の頃に光へ行くと、大きな塀が所々で丸くえぐれているのを目にしました。大きいのはバレーボールぐらいの大きさだったかな。

それは爆弾の破片が当たってできたものだと父が話すのを聞いて「戦争ってホントにあったんだ」と思いましたね。

40~50年前はそのような塀がたくさん残っていましたよ。

 

広島の伯父の話では、戦争中は食べるものがなく、海岸で魚を拾って食べた…なんて言っていましたが、ある時、波打ち際に肌色をした珍しい魚(?)が見えたんで、嬉しくなってそれを手に取ってみると人の腕だったかびっくり

伯父はその頃、小学生だったと思います。

 

また、ある時は、空襲警報のサイレンが鳴ったので伯父はどこに逃げようかと思っていたら、橋の下から誰かが「ここにおいで!!」と声をかけてくれたとか。

でも、橋は爆撃で狙われると聞いていたから他の所に逃げたそうです。

その数十分後に橋は爆撃されて落ち、そこにいた数十人は全員亡くなったらしい。

 

話はいきなり現代に飛びますが、、思うに、ウクライナって今、そんな状況かもしれませんね。

とにかく、戦争したらダメだよ。

人の命って、そんなに軽いものじゃないよね。

 

 

それは置いといて、父たちは光市の生まれではないのに、、山口県のド田舎で生まれたのに、戦時中はなんでそんな危険な所にいたのかな。

それは聞いてなかった。

 

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今日のお酒は、今、書いた広島の伯父の娘さん(=僕の従姉)が送ってくれた広島の酒で『白牡丹』。

白牡丹は普通、甘口なんだけど、今日飲んだこれはスッキリした味で、あまり甘さを感じません。

 

 

前々回のブログに書いた広島の酒『千福』も基本的に甘いのに、その時飲んだ千福はそんなに甘くなかったな。

 

僕の頭の中では『広島の酒=甘口』という観念があるので、やや意外です。

でも、それが日本酒の面白いところウインク

 

広島の酒『千福』は、広島県の呉市にあります。

戦時中は呉市にも海軍工廠や軍港があったんで、かなりの爆撃を受けて千福酒造も全焼したようです。

あ、千福は呉の造船所で誕生した戦艦大和の乗組員にも献上されたそうですね。

 

 

何度も言うけど、戦争したらダメだよ。

 

原爆資料館の異様に曲がったガラス瓶は見たくないです。

ガラス瓶はこの白牡丹の瓶のようでないと。