多少回復しつつあるUp主です。
福島香織氏が、「端午の節句って来月ですよねぇ?」と指摘されているのを見て、ドルナホぉ~(成程ぉ)と目から鱗状態でした。
旧暦なので、確かに来月ですよね、何で日本だと今月になってるんでしょう?
嘘をついていはいけません。
きっと明治時代に太陽暦に切り替えて、その時に捻じ曲げてしまったんでしょう。
ま、それは兎も角前回投稿した時よりは各段に状態が良くなりました。
何しろ、家事をするし牛乳パックをスーパーに棄てに行きますしねw
やはり、珈琲にバスソルトがダメだった模様。
あと、パスタのソースに謎の文字を見つけましてね・・・
レトルトの、ミートソースとかカルボナーラなんですけれど。
勿論、添加物とか化学調味料とかもありますが・・・
「二人前」の文字が大変気になりましてね・・・(爆)
どうりで体重が増えてしまった訳ですw
正直、未だに税理士も農作物の件もiDecoの申し込みも終わっていないのはショックなんですが。
このような撃沈期間が非常に短くなっているのは事実。
これを0に近づけることが目標でございます。
その日の気温、湿度、天候、気圧、あるいは前日までの行動や睡眠時間、食べ物などから、何をどうすれば100%に近い状態で動き続けられます、に出来るか?
それがシステム屋的な回答でございます。
うつが再発するとか仰る方々がいらっしゃいますが、それは単にデバッグが生ぬるいだけです。
極力100%に近い原因の洗い出しが終われば、後は対応策だけ考えて実行すれば良いんです。
ま、それが難しいんですけれどね。
本当、今年のメルセデスはドツボにハマってますね。
正に、「100%に近い原因の洗い出し」どころか、何が起きてるのかすら、まだ把握出来ていないようです。
昨日トップタイプ叩き出したのに、翌日は一転して6位と12位。
ここまでハマるとはだれも思わなかったでしょう。
また、フェラーリは1-2でフロントロー独占ですが、サインツの方がちょっと首が危なくなってきた感じです。
つい先日2年契約を結んだサインツですが、ここ4戦で3回位クラッシュしてます。
今年のF1は予算制限があるので、クラッシュすると修理代は開発費から横領されるのですw
つまり、開発が出来なくなる!
ちょっとチーム代表のマッティア・ビノットとの関係も冷え始めているとか言われていて、危ない空気が出てきました。
オジサン組のハミルトン、リカルド、ベッテルも若手に後れを取っていて、そろそろちょっとやバゲな感じがw
この3人は決して遅い訳が無いんですが、どうも新しいマシン、リカルドはその前からノリスに太刀打ち出来てません。
一方で40歳のアロンソは度々トップを伺う活躍をしているので、一概に年齢のせいとも言えないと思いますが。
前回までの「織田信長は天才か」!
Previously Is Nobunaga Oda Awesome? After Occupated Owari (Hawaii Five-OはSeason8に突入。ワールドトリガーで玉狛支部が何度聴いても「カマコナ支部」と聞こえてしまった原因の、カマコナがかなりのピンチになりましたが、その時の悪役がウー警部(Grimm)なのも吹いてしまいました。王子も出てましたね。Numbersのコルビー、エジャートン、Law&Orderのセリーナ、BlindSpotのシェパード、まあその他色々出演してます。中々素晴らしい)
1. 再開のまとめ
2. 織田家の組織について-1
3. 織田家の組織について-2
4. 織田家の組織について-3
5. 織田家の組織について-4
6. 織田家の組織について-5
7. 織田弾正忠家とは-1
8. 織田弾正忠家とは-2
9. 織田弾正忠家とは-3
10. 織田弾正忠家とは-4
11. 織田弾正忠家とは-5
12. 織田弾正忠家とは-6(前回)
13. 織田弾正忠家とは-7(今回)
前回は織田弾正忠家が居城を勝幡城(しょばた)に定めたところまででした。
当主は信定で長良川(上の地図の左側を上下に流れている川)の流域、津島、そして清州城への陸路を抑える位置に築いています。
そして、後の信長が参考にしたであろう、方面軍団制の原型、前進制圧のための拠点移動、などはこの時点で既に出ていたことをご紹介しました。
今回はその続き、津島攻略戦がメインになります。
主な出典は、下記になります(敬称略)。
氏戸佳香: 那古野今川氏の謎
菊池浩之:織田家臣団の謎
呉座勇一:応仁の乱
芝裕之: 織田信長(中世から近世へ)
武田知弘:織田信長のマネー改革
谷口克広:天下人の父-織田信秀
中川太古: 現代語訳 信長公記
Wkipedia
1. 勝幡譜代
2. 津島攻略戦
3. 思わぬ強敵
1. 勝幡譜代
前回の織田弾正忠家の与力衆について、もう少しおさらいです。
この時、織田大和守家から弾正忠家に与力されたのが、林、平手、青山、内藤と言った国人衆であることを書きました。
彼らは菊池浩之氏によれは「勝幡譜代」と呼ばれ、織田弾正忠家の最古参の連中になります。
しかし、与力衆とは?を考えると、前の柴田勝家の例で言えば、前田利家や金森長近、不破光治などが与力衆になります。
利家や長近は、信長から命じられて勝家のお目付け役をかねて戦力として与えられています。
この場合、彼らが忠誠を誓うのは信長であって勝家ではありません。
恐らく、弾正忠家の場合も初めは同じであったと思われます。
それがどうして主従関係に変化していったのか?
は恐らく弾正忠家の勢力拡大故でしょうが、それでも完全な主従関係とは言い難いです。
恐らく、完全な主従関係になるのは信長の代になってからですが、実はこの時点で既にかなり奇怪な事実があります。
良くドラマとか書籍とかでは、林秀貞や柴田勝家などが「我々重代の譜代をなんと心得ますか!」などと言って、信長に詰め寄るシーンがあったりしますが。
実はその言葉を言う資格があるのは、この勝幡譜代だけです。
だって信秀が誕生した1511(永正8)年の時点で、織田弾正忠家の居城は勝幡城、そして津島攻略戦は1521年頃です。
そして佐久間や柴田などの那古野 or 末森譜代と呼ばれる国人衆は、直接信秀の傘下に入ったのであり、かつ当時信長は恐らく実質的に分家されていたと考えられますので、信長からすると「お前ら誰?」とまでは行きませんが、那古野城を居城とする信長にはそこまで濃密な関係がある国人衆とは言い難かったでしょう。
「そもそも代替わりしてねーじゃん」のツッコミすらあるかもしれませんw
(佐久間盛重や柴田勝家が信秀→信勝→信長と仕えたので、代替わりはしていない)
ですので、信長に対して色々言える資格があるのは、そもそも勝幡譜代以外に初めから居ないのです。
この回で佐久間信盛をNo2に持ってきたのは、
1) 信長と佐久間氏は上記の通り殆ど縁が無かったのに、
2) 盛重、信盛が信勝を裏切ってまで信長を応援したこと、
3) そのお陰で信長は信勝との争いに勝利することが出来たこと、
4) それなのに桶狭間の戦いで盛重を見殺しにしてしまったこと
があるためです。
ぶっちゃけ、このくそ長い織田弾正忠家編で(長いのは斯波氏のせいですがw)一番書きたかったのはここです。
信長に物を言う資格を持った国人衆自体が、そもそも非常に少なかったのです。
それはつまり、味方が少なかった、と言う事でもありますが。
2. 津島攻略戦
話を津島に戻して、当時津島は尾張最大級の港町。
長良川沿いであり、かつ河口にも近い。
前回書きました通り、当時の物流の大半は水路ですので、この街が挙げる利益と言いますか、それは凄いものがあります。
武田知弘氏によれば、例えば上杉謙信は柏崎と直江津の関税収入だけで年間4万貫あったそうです。
これを石高にする場合、税収が4公6民だったとして、10万石程度だそうです。
当時の弾正忠家の石高は、尾張の1/10などにも達していないでしょう、2万石程度でしょうか?
武田知弘氏によれば、津島の税収は謙信の抑えていた両港と同等以上、とされていますので、最低10万石のUp、とんでもない飛躍になります。
因みにですが、信秀の代に熱田を納めた後、信秀は大体3,000人を超える軍勢を動かしています。
当時が1万石辺り300人立てとしても、10万石程度の実力があったことになります。
ただし、信秀はこれを4,000貫の献上とか、伊勢神宮の遷宮費用捻出(700貫)、熱田神宮への寄進などやりながらやっていますので、10万石程度じゃなくて12~15万石程度でしょうか?
但し、恐らくですが織田弾正忠家の場合は石高で考えるとアベシになると思っています。
それは更に後の「信長驚異の政治力」編で。
弾正忠家と津島の激突は、先に書きました通り1521~1528(大永)年間とされています。
結論としましては、津島は完全に信定の支配下に入った訳ではなく、一定の自治と言うか、独自性は残されていたようです。
前にご紹介しましたこの回で、信長に仕える国人衆の筆頭回に池田や佐久間と並んで津島衆が居ることを見ても、津島衆はきっちり弾正忠家のために働いていることが分かります。
今川義元に一番槍を付けた服部一忠は、膝を切られてしまったので、以後は延々と扶持を貰って生活していましたが、本能寺の変が勃発したときに二条城に駆けつけて、信忠と共に討ち死にした。
筈なんですが、Wikiですと秀吉の馬周りになった?となっていますね・・・
膝切られて、歳も取ってるのに、秀吉の馬周り???
津島衆が織田弾正忠家の重要な戦力であったことを言いたかっただけなのですが、この織田弾正忠家が津島衆を取り込む下りはあまり資料が無いのか、詳細に描かれた書籍が見つかりませんでした。
ただ、どういう経過を辿ったかはおおよそ推察できます。
この信定による津島取り込みは、恐らく弾正忠家の飛躍の原動力です。
弾正忠家では、当然一大事件として語り継がれているでしょう。
ですので、信長も当然信秀か秀貞か政秀か分かりませんが、耳にタコが出来るほど聞いていたでしょう。
前回ご紹介しました通り、信長は0→1の天才じゃなくて、パクリ&ブラッシュアップによる革命の天才です。
当然、この話を聞いて利用しない筈がありません。
つまり、これは私の推察になってしまいますが、後の堺攻略戦で大々的に利用されたと思います。
恐らく、流れとしては殆ど同じだったのではないでしょうか?
話の落としどころ、そこへもっていくまでの経緯、外交と兵の動かし方、等々。
ほぼほぼ信定の事例をパクッて、ブラッシュアップしたのだと思われます。
信定→津島 ≒ 信長→堺
と言う訳です。
3. 思わぬ強敵
大永年間末期、信定は家督を嫡子の信秀に譲ります。
信秀は信長の父親ですね。
それから数年後の1532(天文元)年、思わぬ強敵が登場します。
それは織田大和守家と織田藤左ヱ門家ですw
パルドォン?
と思われるでしょうが、忘れてはいけません、当時は戦国とは言え元は室町時代です。
そう、ムロマティなのです。
全員ジャイアンなのですw
大和:こらぁ、のび太ぁ(核爆)!津島寄越せー!(火爆)
藤左:そうだそうだ、のび太のくせに生意気だぞぉ!
弾正:何言ってんだお前ら、僕はジャイアンのためにやったんだろう?
大和:だから寄越せって言ってるんだよ、俺の物は俺の物、お前の物も俺の物!
藤左:そうだそうだ!
素晴らしい、このムロマティズムw
徹頭徹尾室町ですw
弾正:ぬうう、なめんじゃないよ、確かにのび太なら危ういかもしれないが、あたしゃドロンジョだよ!(核爆)ボヤッキー、トンズラー、あんたらであたしに勝てるとお思いかい?
大和:げげー、確かに俺はトンズラー(核爆)
藤左:お、俺は関係ないよ・・・
弾正:おだまり!そこに直りなー!
のび太=ドロンジョ
ジャイアン=トンズラー
のネタは、昭和の人しか分かりませんが、同じ声優さんなんですw
スネ夫=ボヤッキーなら、完璧なんですがねぇ・・・
結局、この信じがたい衝突の結果は講和と言う形で終わりましたが、以降大和守家、藤左ヱ門家共に衰退を始めます。
信秀は一応最後まで大和守家の顔を立てていましたが、劣勢は覆うべくもなかったのでしょう。
ここから織田弾正忠家の拡大時期が始まります。
最後はBjorkでVenus as a Boyです。
しかし、凄い髪型ですね・・・
この人はいつになったら年を取るんだろう?と昔は思ったものです。