寒い、余りにも寒すぎる!

雪が降るとか言ってましたね。

冬ですので、当然と言えば当然ですけれど。

 

昨日は整体に行ってましたので、午後が丸々潰れてしまいましたが。

今日はせっせと旧宅からレンタル倉庫にガンプラを運んでおりました。

後、120箱位でしょうかね?

押し入れの下の段と、風呂場の浴槽を残すのみとなりました。

我ながら、凄い物量ですね。

後5日程の休日で、全て消えると思いますが、そこからがやっと物海との戦い!

丁度先日、別の引っ越しの現場の段ボールを見て思いました、「なんてことだ、旧宅の1/7もないじゃないか!」と。。。

あれだけ減らしたので、相当ましな空間になったとは思いますが・・・

隣が葬儀屋だから無理だとは承知してますがね・・・

 

もー、どーにでもなっちまえ!

って感じですが、まだ越前は無事のようですね。

竹眼鏡買えに行けるかな?

あ、神奈川県が既にアウトか、神奈川県と言うか、武蔵ですね。。。

武蔵の人口凄そうですね、2.500万位居そうです、全人口の1/5ですか・・・

 

それにしても、既に実効再生産率は1/9に記録した、Max5.82から2.29にまで急落しているのに、まだ自粛が必要なんですかね?

しかも重症化率が今までよりはるかに低いのに・・・

 

そもそもの疑問ですけれど、これどうやって取材してますかね?

Teams?Line?Zoom?

感染した人に、まさか直接会ってる訳じゃないでしょうけれど・・・

 

10時くらいから朝5時くらいまで、ずっと歌舞伎町でいろんな店をハシゴしていた」って、それ全然普通じゃないと思いますが?

しかも女性がですよね・・・?

このオミクロン禍で?

まぁ良いでしょう。

で、症状の方が

 

熱は高くなくて37度くらいの微熱だったんですけど、倦怠感と、少し気持ち悪いなという感じがあって、月曜日(17日)には頭痛と嘔吐がひどくて。今回はのどの痛みが現れて、あとせき、くしゃみが出始めて。嗅覚とか味覚の異常は全くなかったです

 

。。。

正に風邪と思われますが???

上記の症状は風邪じゃないんですか?

じゃあ何の病気???

 

ヒトに感染するコロナウイルスは、風邪の病原体として人類に広く蔓延している4種類と、動物から感染した重症肺炎ウイルス2種類が知られている。

そもそも、コロナウイルス自体が、風邪の病原体の筈なんですが・・・

ま、良いか、どうせ地上波でしょうしw(爆)

 

 

前回までの「織田信長は天才か」!

Previously Is Nobunaga Oda Awesome? After Occupated Owari (Expansが、終わってしまいました。Final Seasonの筈なのに、あんな終わり方して良いんでしょうか?ネット上でも大炎上ですw今まさに、一つの決着がついて、本番開始!の所で終了。続編と言っても、Final Seasonとしてましたしねぇ・・・進撃の巨人みたいに、Final Season Part2とか、斜め上の戦法で来ますかね?第二のGame of Thronesのような、Time of WheelもSeason1は見終わってしまいました。調子が悪いと、あっという間にドラマが消化されてしまいます・・・リゾーリ&アイルズも終わってしまったし・・・)

 

 

1. 再開のまとめ

2. 織田家の組織について-1

3. 織田家の組織について-2

4. 織田家の組織について-3 (前回)

5. 織田家の組織について-4 (今回)

 

 

前回の続きになります。

今回は国人衆(尾張)の二回目です。

 

主な出典は、前回同様下記になります(敬称略)。

菊池浩之: 織田家臣団の謎

桐野作人: 織田信長 戦国最強の軍事カリスマ

谷口克広: 信長の親衛隊 戦国覇者の多彩な人材

中川太古: 現代語訳 信長公記

 

順番は前回同様になります。

前回は主に津島衆、熱田衆でしたが、今回は那古野衆、末森衆(主に愛知郡と言うべきでしょうか)となります。

 

 

1. 林秀貞

2. 柴田勝家

3. 塙直政

4. 梁田政綱・広正

5. 中川重政

6. 水野信元

7. 丹羽氏勝

8. 前田利久

 

 

1. 林秀貞

尾張の中でも屈指の勢力を持つ国人衆林一族の長で、林一族織田弾正忠家発足の時から与力として活躍していたそうです。

秀貞信秀、信長、信忠と三代に渡り織田弾正忠家を補佐することになります。

信長に二回も楯突いておきながら、尾張統一時点では筆頭家老の地位に居ます。

能吏であり、内政の達人と言えると思います。

既に吏僚の所で書きましたので、詳細は割愛します。

 

 

2. 柴田勝家

愛知郡上社村の出身とされています。

本当?春日井郡下社城描いちゃったんですが・・・(核爆)

柴田一族はあんまり良く分かっていないそうで、ただし勝家の姉は佐久間一族に嫁いでいるそうなので、それなりの家格はあったようです。

 

信秀の代に織田弾正忠家に参画したようで、その後信勝付きとなります。

しかし、信長に挑んで敗北し、その後は徐々に信長の方に心を移すようになります。

かかれ柴田」と謳われるように、織田家の中では屈指の猛将です。

最後は軍団長を任されたほどですので、それなりに軍司令官としても優秀だったと思われます。

謙信が相手の時は・・・まぁ、信玄ですら手玉に取られてましたので、勝家ではちょっと荷が勝ちすぎでしたでしょうか。

信長も別に謙信への敗戦に関しては何も言ってませんしね。

 

信勝の死後以降から本格的に信長の武将として働き始めますが、実は暫く稲生の戦いの責を負って謹慎させられていた説もあります。

この辺りはちょっと分かりませんが、桶狭間の合戦の時はそれどころではなかったでしょうし、謹慎したとしたらそれ以降かと思われます。

信長からすれば、佐久間と柴田が兵の動力因数、また指揮官としての才能からして、最も安心して軍を任せられる国人衆だったかと思われます。

 

 

3. 塙直政

「はなわ」なのか、「ばん」なのか、常に議論になる人です。

春日井郡比良の出身で、信長の馬周り衆から始まって徐々に出世し、天正年間には3か国に渡って知行を受け、後に信長が朝廷から家臣一同に官位や九州の名族の苗字を貰った際に「原田」を授かっています。

鉄砲奉行にも挙げられ、佐々成政と殆ど似たような感じでしょうか?

ただ、成政は「あまが池」事件でやらかしてしまったのですが、直政は特にそう言うことは無く、実直に信長に仕え続けました。

ので、信長の評価は成政より上です。

 

天正年間本願寺の強襲を受けて討ち死にしてしまいます。

因みに、確か正に「あまが池」事件だったと思いますが、信長が大蛇の話を聞いて信じなかったときに、「塙直政の父親も見ている」と言われて、「ならば余自ら確かめてやる」となったとか・・・

 

 

4. 梁田政綱・広正

春日井郡九坪の出身で、政綱の方は清州攻め辺りから名前が出てきますが、政綱なのか別人なのか、今一分かっていません。

現在は多分別人で、政綱自身は信秀の代から織田弾正忠家に仕えていたとされています。

そのまま信長に仕えるようになったようですが、この経緯も今一良く分かりません。

桶狭間の合戦の後、沓掛城と周辺の3,000貫の土地を拝領したのは間違いないようです。

 

子供は広正とされている場合もありますが、それは政綱自身のことで、子供は正次だともされています。

広正の方はこちらも各地で活躍したようで、後に塙直政が「原田」を貰ったように、「別喜(べっき)」を貰っています。

その後に加賀を切り取り次第で与えられますが、当時は一向一揆が最盛期でしたので、歯が立たずに柴田勝家と交代させられました。

その後は織田信忠の配下として活躍したようです。

 

 

5. 中川重政

織田一族のようですが、今一その辺りがはっきりせず、扱いは馬周り衆のまま、上洛戦の後になってようやく部将として取り立てられたようです。

丹羽長秀塙直政と比べると出世の方は今一です。

かつ、南近江時代(ここまでは塙直政より出世していたw)に隣に所領をもつ柴田勝家と領地を巡って部下が衝突し、信長に改易させられています。

そのまま家康送りになりました。

最終的には、織田信雄に仕え、小牧・長久手の合戦の際に、犬山城を守って池田恒興に攻められて、その後は不明です。

 

 

6. 水野信元

尾張知多郡の一部、三河碧海郡(へきかいぐん)を地盤とし、緒川城を拠点とする水野一族の長です。

水野一族は幾つかに別れており、常滑の利権を持つのも別の水野氏ですが、信元は家督相続後に織田信秀に近づき、勢力を徐々に拡大。

そのまま信長にも仕え、桶狭間の合戦に突入します。

桶狭間の合戦で、実は敵前逃亡をやらかしたともされていて、信長はこれを生涯許さずに一度水野家を改易してしまいます。

信元もその際に切腹させられています。

 

ただそれは後の話で、この際は信長の後ろ盾と、妹のお大の方徳川家康の生母と言う事もあって、知多半島西三河に強大な勢力を築き上げます。

最盛期は10万石~20万石とも言われ、当時は信長であっても簡単には手が出せなかったようです。

水野氏は改易後はまた再興され、本能寺の変の後に徳川家康の配下になります。

 

 

7. 丹羽氏勝

愛知郡岩崎城主。

元は守山城付きだったようですが、信次事件の頃から信長の直臣になったそうです。

丹羽長秀の一族とは関係がない、とされています。

 

信長に従って、各地を転戦し、武功を上げて部将になりましたが、天正8年に突然信長の不興を買って、佐久間、林、安藤共々追放されています。

通説ですと、広大な領土を持って無能 or 裏切りの臣は必要ない、という理由で信長は追放したそうですが、丹羽氏勝はそこまで無能とも思えませんし、広大な領土があった訳でもないですし、実は信忠付きだったんでしょうか(佐久間、林、安藤は信忠付きでした)?

 

 

8. 前田利久

愛知郡荒子城城主。

前田一族林一族の与力として参画していたようです。

身体があまり頑健ではなかったようで、後に信長から弟の利家に家督を譲るよう言われて引退します。

この時に一悶着あったようですが、利家の代になってもそのまま前田家の将として残り、北陸にも一緒に移ったようです。

 

 

と言う事で、国人衆(尾張国)那古野衆、末森衆でした。

他にも国人衆は居ますが、後々まで名前が出てくる有名どころは大体こんな感じでしょうか?

次回は国人衆(尾張以外)になります。

外様ですね。

しかし寒いですね・・・