自動車学校の思い出 | 落ち葉のブログ

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日々の出来事で、感じた事、思い出、たまにスピ系の話等テーマなく気まぐれに明るく喋ります。

私が車の免許を取得したのは今から約35年ぐらい前で岡山の短大に居た時です。
(年齢がバレますが)

高知は田舎だし、都会と違って交通の便も悪い。
だから車の免許がないと不便だし就職にも響く。
早く車の免許を取らなくてはと思ってたら、ある教習所の社長さん自ら、私たち短大生のアパートや下宿先に勧誘に来たのです。
友達が一緒に免許取りに行こうよと言うから、その教習所に行く事にしました。
でも、そこは公認の自動車学校ではなく、ただの教習所でした。
私たちは、その違いを知らずに入ったのです。
試験の学科、実地試験は岡山県警の試験会場まで行かないといけないのです。
ま、いいかと思って、そこに通いました。

そこは、小さな小さな教習所。
コースも狭くて小さいのです。
先生は4人ぐらいだったかな?
でも先生は、みんな優しくて感じいいの。

車だけは立派でセドリック、ローレル、グロリアでした。
若い人は知らない車種でしょうが。

当時はAT車などまだ無くて、MT車でした。
おまけにギアはハンドルの所にあるのです。
若い人は知らないよね?(笑)
それで習ってる途中にサイドギアーに車が変わったのです。
両方、習いました。
学科は初日に数時間習っただけで、後は全て実地でした。
私は運動神経なくて、どんくさいけど先生が、みんなにこやかで優しい。
その中で田島先生は、メチャクチャ、リラックスして緊張感0の先生。
私が高知出身と分かると
「高知の人?うちの女房も高知の吾北村」とか話しかけてきます。
なんか、めんどくさそうに教える先生だけど私が危ない運転をすると
「おっと~!危ない~!」と言って、すぐに横からハンドルに手を掛けます。
他の先生は、簡単に手を出さないのに、田島先生は、すぐに手を出すのです。
でも田島先生の雰囲気が一番好きでした。

一番、真面目で真剣に教えるのが柚木先生。
目が笑ってません。
でもリラックスさせる為に冗談を言うのです。
「後ろに置いてあるポールを家族と思って下さい。」
私がバッグして後ろのポールに当たると

柚木先生が

あ、今、お父さん死にました。

また別のポールに当てると

あ、次はお母さん死にました。

と言うのです。

指示器をつけ忘れると

あれ?今日は停電かな?

と言われます。
冗談なのか嫌味なのか?
目は笑ってません。(笑)

柚木先生が一番、緊張するけど優しい先生なんです。みんな。

路上運転練習中は、他の公認の自動車学校の車とすれ違ったりします。
そこは公認だから生徒数も多い。
でも車がやや小さい。

ライバル意識があるのか、一番穏やかでニコニコ顔の小松先生は、その自動車学校の車を見ると

あの車はカッコ悪いわ~!
うちの車の方がずっといいわ。

とか呟いてました。
なんか、可笑しかった。

40代のおばさんも生徒に居て、どこかの銀行の支店長さんも来てました。
支店長さんは免許の更新を忘れて免許取り消しになってたのです。

みんな仲良く、和気あいあいでした。

でも私は免許取得にかなり手こずったのです。

続きはまた後日、記事にします。



まりさんが飾ってくれました。
紅葉とニラの花