今日たまたまテレビで栗城史多(くりきのぶかず)の特集を見た。
栗城さんは、北海道今金町出身の登山家である。
世界の七大陸最高峰のうち6つを無酸素で単独登頂。
今年ついにエベレストに挑む姿が放映された。
当たり前であるが、その様子は凄まじい過酷さ。
栗城さんは、体当たりで、感情を剥き出しにしながら登頂していく。
その姿は格闘そのものに見える。
しかしその一方で、栗城さんは「ありがとう」いう言葉を何度となく繰り返す。
そこにある山は、敵でも味方でもない。ただの山だ。
しかし、相手が大きくなればなるほど、自分を隠せなくなる。
どんな気持ちもストレートになってしまう。
エベレスト登頂に挑む栗城さんの姿はまさにそんな感じであった。
結局栗城さんは目標地点まであと50m、登頂まであと900mというところで断念する。
「生きていればまたチャンスがある」「生きて帰る」という決断。
決断するときに絞り出すように泣き崩れる栗城さん。
仲間の元に返ったときにもまた怺えきれず涙を流す。
人は極限状態の中で、どんな自分に出会うのか。
僕はその時の自分が、すごくかっこいいものだとは思えない。
しかし、泣きながら断念する決断を下した栗城さんは凄まじくかっこよかった。
そして、僕はロックもそういうものなんじゃないかと思った。
なすすべのない自分が出てしまうもの、それがロックではないかと。
かっこつけることもできず、もったいぶる余裕もない。
そんな中から生まれるものに僕は感動させられる。