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湘南リメンバー、笑顔リメンバー♪

英語と手話と笑顔で、人とコミュニケーション、海ともコミュニケーションしちゃう日記

なかなか日記を書けませんでした(泣)


先週の木曜日と今週日曜日~火曜日まで体調を崩していました(風邪ではないのですが)


それでも、ロキソニンと胃薬を飲んで、なんとか仕事を休まずに済んでラッキーでした(言い方が変かな?)


ここ毎日、何件もの英文契約書と格闘し残業しているのですから、夜には「今日はもう英語を読む気になんてなれない!」と思っても当然なのに…


実際には、帰りの電車の中で心を躍らせながらペーパーバックのミステリーを読んでいます。


Stieg Larssonの”The Girl Who Kicked The Hornet’s Nest” (翻訳版題名「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」)というミレニアムシリーズの第3作目なんですが、とにかくこのシリーズ、面白いんです。


どんなに疲れていても、面白くて刺激的であれば人はワクワクしながら向かって行くものなんですね~。


何もしないでボーーーっとしているよりも、よっぽど元気が湧いてきます。


そんな中、先週の土曜日に友人主催の手話勉強会に参加しました。


貴重な休日の午後3時にわざわざ都合をつけて参加したほどの方々ですから、とても熱心に手話の勉強に打ち込んでいて、こちらも楽しくなりました。


みなさんが、手話の勉強をワクワクするくらい面白くて刺激的だと感じて頂けるように、自分ももっともっと頑張らないと!と思いました。


みなさんの熱意が伝わってきて、すごく元気をもらいました♪


とは言え、翌日の午後からまた体調を崩してしまいましたが…(^ ^;


でも、回復途中の水曜日に、ある友人からとっても嬉しい提案があり、また元気をもらいました。


お金や食べ物と違って、元気はいくらもらっても相手の元気は減りませんから、遠慮なくもらって構わないワケですね。


逆に自分だけが元気でも意味がないので、ケチケチしないでドンドン元気を人に分けてあげたいです。

元気のありがたみを痛感したせいかな、そんなことを考えています。


週末です♪


この土日も、みなさん元気に過ごしましょう!

三日前の日曜日、ある検定試験の試験監督をしました。

毎回のことですが、小学生くらいの子供からお年寄り、車椅子や難聴などの障害者などいろいろな方々が受けに来ます。

目を輝かせて真剣に試験に取り組んでいる姿を見ていて、表情には出しませんが、こちらも心の中で「頑張って!」と励ましています。

それに、目の前の受験者ほど自分が真剣に勉強しているだろうか?と我が身を振り返って、内心恥ずかしくなります。

答案を受け取るときに、受験者にさりげなく「お疲れさまでした!」と声をかけると、疲れて脱力しきっている人を除き、皆さん「ありがとうございました」といったように言葉を返してくれます。

僕の「お疲れさま」には、単なる労いだけでなく、「試験の結果に関係なく、これからも元気に頑張り続けて下さい。」というような思いを込めているつもりです。

それに対する受験者の「ありがとう」には、どのような気持ちが込められているのでしょうか?

単なる挨拶かな?言葉通りの感謝でしょうか?

どちらにしても、最後に言葉を交わすことで、爽やかな余韻を感じています。

できれば受験者の皆さんにも同様に気持ちのゆとりを持って頂きたいですね~♪


ところで、「ありがとう」という言葉、ただ挨拶や感謝の気持ちだけで言われることも多いでしょう。

でも、場合によって、その人の喜び、苦しみ、悲しみなど…いろいろな思いが込められていることがあるように思いますが、いかがでしょう?

「ありがとう」という言葉の中にどんな体験、どんな思いが込められているのか?
そんな事を考えさせられた詩があります。

たとえば、下の詩です。

↓これは、東日本大震災後に、仙台を拠点にする地方新聞の河北新報社が「ありがとうの詩」というテーマで集めた作品の中の一つです。
書いたのは、気仙沼市に住む小学生だそうです。


「ありがとう」

文房具ありがとう
えんぴつ、分度器、コンパス大切にします。
花のなえありがとう
お母さんとはちに植えました。
花が咲くのがたのしみです。

うちわありがとう
あつい時うちわであおいでいます。

くつをありがとう
サッカーの時とってもけりやすくて、いっしょうけんめい走っています。

クッキーありがとう
家でおいしくたべました。

さんこう書ありがとう
勉強これからもがんばります。

図書カードありがとう
本をたくさん買いました。

やきそば作ってくれてありがとう
おいしくいっぱい食べました。

教室にせん風機ありがとう
これで勉強はかどります。

応えんの言葉ありがとう
心が元気になりました。

最後に
おじいちゃん見つけてくれてありがとう
さよならすることができました。


この詩を書いた子のおじいさんは、震災で行方不明になり、数ヶ月後に遺体で発見されたそうです。

ありがとうの言葉、しっかりかみ締めないといけないな。

昨年、この詩を読んでから、そう思うようになりました。
もっと早く気づけよ!って?(^ ^;

去年の3月11日、大地震の時には会社で会議をしていました。


オフィスにはいろいろな国から来て滞在している社員が居て、地震に慣れている我々日本人とは違い、とても不安な表情を見せていました。


ビルの緊急館内放送やテレビのニュースは全部日本語でしたから、近くにいる日本人がそれぞれ英語で説明していました。


「『情報保障』ということは、聴覚障害者向けだけの問題ではないな」と改めて感じた経験でもあります。

そして、日本人社員と一緒に自宅やホテルまで歩いて帰る人あり、ビルに泊まる人あり…。


ちなみに、僕は、夕方6時前に会社を出て歩き、夜中の1時過ぎに家に辿り着きました。


そんな折、テレビの津波のニュースを見た海外の本社、兄弟会社の知人たちから続々と安否確認や励ましのメールが届きました。


とても感激しましたし、その後食糧が不足し、計画停電を経験していく中で、友人たちのメールを思い出しては、心が温かくなり勇気づけられる気がしました。


なんて言うか、大げさに言うと、「日本はいま大変な状況だけど、でも世界の人たちとつながっている。」ということを初めて実感した気がします。



先日、アメリカを超大型ハリケーンSandyが襲い、沢山の人が亡くなり、大変な被害をもたらしました。


そこで、去年受け取ったメールとちょうど同じように、世話になっていたボストンのオフィスの友人に、本人や家族の安否を問い、励ます内容のメールを送りました。


その返事が木曜日の夜届きました。


幸いボストンは被害が少なかったが、ニューヨークやニュージャージーのオフィスや工場はやっと電気が点きそうな状態で、住宅が軒並み損壊しているので、会社に出て来れない人も多くて心配、という話でした。


メールの行間に彼が受けた衝撃の強さを読み取れました…


それでも、こちらが遠い日本から祈っていることは伝わったようで、喜んでくれました。


言葉だけでは足りない、でも先ず言葉を伝えることでつながりを確かめられたりするかもしれません。


自分の身辺から振り返りたいです。

昨日は、会社で社員研修の講師をしました。


テーマは「知的財産権」


受講者からの質問やコメントも活発でしたし、無事に終わってホッとしました。



どんなに知識があっても、好きなことでも、人に話して教えるというのは大変ですね~。


責任も感じますし…。


でも、大変ではあっても、人に何かを教えるということは、楽しみや、やり甲斐を感じます。


自分が学んだり身につけた知識・スキルを、自分ひとりだけのために使うというのでは、なんか物足りない。


他の人たちと共有してこそ、自分が学んだ甲斐があったように感じます(もちろん秘密保持義務のある事は教えませんが)。



とはいえ、何かしら経験を積んできている社会人に対して、個々人のレベルとかニーズに合わせて教えるということは、教育のプロではない僕にとって簡単ではないです。



ですから、講師をする時には、一方的に語るのではなく、相手と対話したり受講者同士で意見交換したりしながら、進めるようなやり方をとるようにしています。


そうすると、こちらが気づかされる事も多くて、お互いの勉強になります。


やっぱり、ここでも双方向のコミュニケーションがポイントなんですね。



そういえば、1017日(水)の日記に書いたとおり、1016日(火)に僕自身が受講した講演会の講師Lori(アメリカ人の手話通訳者)にメールを送っていました。



講演会の感想とともに、講演会で使ったパワーポイント資料を送ってもらえないか、というお願いをしたのです。


一昨日の夜、Loriから返事のメールが来て、パワーポイント資料を添付してくれました。

優しい人だなぁ~♪


これをきっかけに、資料の内容についての質問などLoriと何度かメールで話をしています。



彼女は、いまオーストラリアのマッコーリー大学の大学院に留学中ですが、やっぱり自分が学んだことを人に教えるのが好きなようです。


僕も、彼女から教えてもらった情報を、日本語になおして他の手話通訳仲間に伝えていくつもりです。



一つのつながりから輪が広がっていく…ワクワクします(^-^)

今日(あ、もう昨日か)の日記には、すごく堅苦しいことを書いてしまったので、気分転換にソフトな事を書きたくなりました(^ ^)


ある方がブログに相田みつをさんの言葉について書いているのを、いま読みました。


相田みつをさんの言葉というと、すぐに思い浮かぶものが一つあります。


数年前に転職していった職場の後輩の女性が、ある時相田みつをさんのカードをくれました。


そのカードには、


「美しいものを見て美しいと思う あなたの心が美しい」


という言葉が書いてありました。


どうして後輩がその言葉を僕にくれたのかは分からなかったのですが、とても嬉しくなったのを覚えています。


カード1枚でウキウキになるんですから、単純で安上がりな男です(笑)


そのカードは、職場の自分の机の上の書棚に立てていたので、毎日顔をあげると見えます。


そうしていつも眺めていたら、不思議なことに、この言葉を誰かに贈ってあげたくなってきました。


「美しいものを見て美しいと思う あなたの心が美しい」


受け取ってくださいね、この言葉


土曜日に、ある市での総合防災訓練で手話通訳をしました。

市役所主催で消防、警察、医療機関など多くの公的機関、民間団体と市民が毎年一緒に行っている大規模な訓練です。

特に昨年の東日本大震災をきっかけに、全国各地でこれまで以上に熱心に防災計画の見直しと、防災訓練が行われていることでしょうね。

僕自身も、熱意ある訓練風景を目の当たりしながら、一生懸命通訳をしました。

ただ…、お役所主催の大きな行事にありがちな、関係機関のデモンストレーションでしかないような場面が幾つか見られたのが残念でした。

本来、参加した市民は、実際の災害時には被災者や避難者になるのです。

でも、その人たちの立場、目線で訓練プログラムが考えられていない面があるように感じます。

まちがっても、お役所の人たちが机の上や会議室で、自分たち主催者の都合で上手にまとめるだけのプログラムであってはならないですよね~。

実際の災害が起きたときには、誰もが予定通りに行動できない要素が沢山あるでしょう。

ですから、せめて訓練段階では「何が市民にとって重要なことなのか」という観点が一番大事だと、救助や救援に当たる皆さんで再確認しておいて欲しいものです。

すみません、苦情みたいな話になってしまいました…たらーっ(汗)


さて、防災のこととして、ここからはもっと気が重い話なんですが、ぜひ一人でも多くの皆さんに知って頂きたい事があります。

昨年途中の統計でお話します。

岩手県、宮城県、福島県の沿岸地域合計27市町村だけで、東日本大震災で亡くなった方の総数は、12853人(人口比1.03%)です。実数はもっと多いです。

そのうち、陸前高田市、大槌町、仙台市、気仙沼市、名取市の5市だけで合計500人の障害者関連手帳を持った障害者(分類の公開なし)の方が亡くなっています。

特に、大槌町では、障害者住民の10人に1人が亡くなっています!

それ以外の22市町村で、手帳を持っている身体障害者1243人(2.30%)が亡くなり、その内、視覚障害者74人(1.97%)、聴覚障害者75人(2.00%)、肢体不自由者552人(2.00%)、その他です。

また、手帳を持っている知的障害者80人(0.96%)、精神障害者79人(1.44%)となっています。

少なくとも50人に1人の障害者の方が亡くなっているのです。
これは、健常者と手帳を持たないの軽度障害の方の亡くなった率の2倍強です。

多くの障害者の方々は、自力で避難したり身の安全を確保することは困難です。

災害が発生したら、先ず自分や家族の安全を確保することは当然です。

で、その次には、周囲にお年寄りや障害者が居ないか確認するとか、相互に注意し、助け合う、といった事を日頃から頭に置いていきたいものですね。

防災訓練に参加して、残念ながら、そういった練習が見逃されがちだなぁ~と感じたものですから。

読書が好きな方、多いですね。


僕が読書を通じてしみじみ思うことは、本についても、縁とか出会いみたいなものがあるなぁ~、ということです。


8年ほど前から、通勤電車の中では英語のペーパーバックを読む習慣になっています。


身長に比例して手が大きい、というか指が長い(手話が分かりやすいと言われます)ので、厚いペーパーバックも片手で読めるのです。


会社には、ペーパーバックをよく読んでいる人が沢山居て、例えばハリーポッターが流行っていた時には、新作が出ると、翻訳本の出版前に英語で読んでしまって感想を話し合っている光景がオフィスのあちこちで見られました。


そんな環境ですから、僕もよく読み終えたペーパーバックで面白かった物は、他の社員の人にあげています。


そうしていると、時々お返しに本をプレゼントしてくれたり、貸してくれる人が出てきます。


中には、僕自身では決して選ばないだろうと思われる本もありますが、せっかくなので読んでみると、予想外に楽しめて新たな発見をすることもしばしばあります。


人との楽しい交流でもあり、本との出会いにもなるわけですね。


そんな出会いの中で一番思い出深いのは、梅原猛の「湖の伝説」(新潮文庫)という本です。


これは、三橋節子という35歳で亡くなった画家の伝記です。


三橋さんは、腫瘍の治療のために画家の命とも言える右腕を手術で切断され、その後も2年間、残る左手で懸命に絵を描き続けながら闘病し、非常に情感にあふれる作品を残しました。


特に、死に立ち向かいながら、残して行く幼い二人の子供のために絵本「湖の伝説-雷の落ちない村」を創作したというエピソードには、胸が締めつけられます。


この本の存在は、ある時、新聞のコラムで知り、それからは大きな本屋をあちこち探し回った末に、すでに絶版になっていることに気づきました。


それからだいぶ後のこと、仕事で外出している時に突然ものすごい勢いでにわか雨が降りだし、思わず近くにあった小さな書店に逃げ込みました。


雨がおさまるまで、見るともなしに少ない書棚を眺めていると、ナントあったのです!


探していたその本が、新刊のまま何年もの間売られずに!


まるで、僕が買いに来るのを待っていたかのようであり、にわか雨が導いてくれたようにも感じました。


これには本との不思議な縁を感じましたね~♪


さっそく買って読みましたが、期待以上にとっても感動しました。


スゴイ本でした。


その当時、僕にはつき合っていた恋人がいました。


彼女はアメリカで美術の勉強をした経歴があるので、その本を貸してあげると、夢中で何度も読み返しては、同様に感動しているようでした。


その後、事情があって彼女と別れることになった時にも、本は彼女の部屋に残したまま…。


数ヵ月後に彼女は結婚してしまったので、彼女とも本とも再会の機会はなくなってしまいましたハートブレイク


もちろん、彼女に対しても本に対しても、残念な気持ちが湧きましたが、それが運命であり、縁というものなのでしょうね。


本との出会いと縁…それは不思議と人との縁とも関わっていると感じています。


そういうことって、ありませんか?

来週、自分の会社の社員向け講習会の講師を担当します(^ ^;


テーマは、知的財産権です。


会社の仕事のことですから、詳しくお話することはできませんが、知的財産権に関係する話題をひとつ。


ご存知の方も多いと思いますが、知的財産権というのは、特許権とか著作権のように人が知恵を絞って創作した物について与えられる権利です。


例えば、アメリカ映画を勝手にDVDにコピーしたり、日本語翻訳の字幕を付けたりできません。


事前に、その映画について著作権を持っている人や会社に対して、お金を払って許可してもらわなければいけません。


これは著作権を持つ人の利益を考えると当然のことなのですが、反面では、こうした著作権の存在が社会的なバリアにもなっています。


というのは、著作権者から許可を受けるためのお金と時間、その他の制作費が余計にかかるので、基本的に商売として成り立つ範囲でしか、作品の字幕付きDVDは作られないからです。


一般の外国語学習者にとって、これは大きな不満となっています。



その上に、日本語の作品に日本語字幕が付くDVD商品は、一般のニーズが少ないので殆どありません。

しかし、映画やテレビドラマなどを耳で聴いて楽しむことのできないろう者、難聴者の人たちにとしては、字幕や手話翻訳を付けたコピーを欲しいと思うのは当然です。



そうでなければ、聴覚障害者の皆さんはいろいろな作品を楽しむという機会を奪われ、文化的な生活をいとなむことができませんから、不公平です。

現に、映画が好きという聴覚障害者の方々は、実際には字幕の付く洋画だけを楽しむしかない状況です。


同様に、視覚障害者の皆さんにとっては、本などを朗読した録音図書や点字に訳した資料が必要になるわけです。


こうした要望はずっと以前から叫ばれていましたが、つい最近の2009年以降になって、やっと著作権法が改正されました。


今では、公共図書館や特定の法人・団体などでは、著作権者の許可を受けなくても点字や手話に翻訳したり、字幕を付けたり、それらをコピーしたDVDを作成して貸し出すことが、一定の公益目的の範囲で認められるようになっています。



まだまだ、望ましい状況には程遠いですが、少しバリアが低くなったかな。



著作権というものは、遠い世界のことではないんですね。


手話や点字への翻訳、字幕を付けること、といった身近な生活にかかわる面があるわけですね。


ちょっと堅い話になりました(>o<)



が、これからより望ましい状況に変えていくために、現状についての理解は必要ではないでしょうか。

昨日は、会社の仕事を定時で終えて、手話通訳者の研修会に出ました。

幾つかの具体的なケースを題材にして、手話通訳者としてのあり方について改めて考える内容でした。

ケーススタディからの結論的なポイントとして、昨日導きだされたのは、主に次の点です。

①手話通訳者は、ただ「言葉」を伝えるのではない。通訳対象となる方に正しく理解できる形で内容を伝えなければならない。
そのためには、相手の方について、(手話を含めた)コミュニケーションの能力、知識、その場に来ている目的などを把握して、それらに適切に応じた通訳のしかたを工夫しなければならない。

②手話通訳者は、聴覚障害者の方々を手取り足取りお世話すれば良いのではない。
聴覚障害者の方々自身が主体となって社会参加することを尊重し、そのサポートをするに過ぎないことを自覚する。

これらは、手話通訳者を志す段階で当然繰り返し学んでいるポイントです。


なのに、通訳者になってからも課題として学ぶということは、通訳の現場でしっかり出来ていない場合がある、ということです。


でも、よく考えると、この①と②は手話通訳者に限って当てはまることではないですね。

どちらも人間同士のコミュニケーションの基本として大事な心がけのような気がします。

そして、自分自身のコミュニケーションをしっかりできない人間だとしたら、人と人とのコミュニケーションの通訳など出来るワケがありません。

なるほど、これは大事な基本なのですね。

そんなこと当然のことじゃないか!と油断していると、このような基本的な心がけを怠ったコミュニケーションとなって、人間関係に摩擦が生じたり、トラブルが起きたりしがちかも。

そう、僕なんか、そういった至らなさで恋愛関係を壊してしまい、後で後悔したことも…。

おかげで今は近くに居てくれる人もなく…(涙)

あ、そんな事はどうでもいい話です!(^ ^;

ところで、ある建築家が言った次の言葉を、たびたび思い出すことがあります。

「土台以上の広さのものは建てられない。」

という言葉です。

建物だけでなく、人間も、土台としてもっている構えの大きさ、深さ以上には向上できないのではないでしょうか。

そうであれば、基礎をしっかり身につけて、少しでも強く大きな土台を備えて生きていかなければ、ですね。

今週会社でもらった健保組合の季刊誌にちょっと目を惹く言葉が書いてありました。


ある人の生き様を題材にした記事なのですが、


…「楽」と「楽しい」は、文字にすれば同じでも、その本質は違う。


という言葉です。


人としての生き様がしっかり決まっていないと、楽な道と苦しみを伴う道の分岐点に立ったときに、人は楽な方をつい選んでしまいがちだ、と。


しかし、そうした「楽」のつまみぐいは、その時々の負担は少ないかもしれないけど、本当の意味で人生の楽しみを味わえず、ただ生きているだけになってしまう、というのです。


う~ん、確かにそのとおりだなぁ~。


楽ではなくて苦労も多かったけど、一生懸命頑張ったことで楽しみや喜びも味わえていることってありますよね。


人生って、そういう経験の積み重ねなんだと考えると、目の前に苦しい現実が見えていても、ちょっと励まされるかもしれません。


でも、そうかと言って、やみ雲に苦しい道を選べば良いというものでもないでしょうね。


じゃあ、生き様ってどうすればいいんだい!?


これはかんたんに答えは出ません。


昨夜、会社の残業の後でジムに行きトレーニングをしながら、そんな事を考えたりしました。。。