小春日和 -100ページ目

今日の風景。。

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桜☆
ちょっとしおれてる。。


だんだん目に映る色が緑になって、そんなこんなで夏がくるんでしょう♪



今日もイィ天気で、眠くなります(ρ_-)ノ

そして私。。

実家に到着したら、もぅ通夜が始まる前で、叔母の顔を見る間もなく通夜に加わった。

一体、誰の通夜だかわからなかった。

涙も出ないし、悲しくもないし。

そのまま終わって、叔母の顔を見ようと棺に近づいたら、傍にいた叔父と目が合った。
そのとたんに、涙が出た。
叔父にしがみついて、
「なんで、なんで、、、」って、それ以上言葉にならなくて、棺の前で叔父と泣いた。
いい歳して子供みたいに泣いた。
人の目とか、気にする余裕はなく、我慢とか、もぅ頭で何か考える余裕はなく、泣けて泣けて仕方なかった。
叔父が言った。
「おじいさんもすぐ逝くからな。」
この一言がまた近いうちに本当になるのかと思いまた泣けた。
つらいとか、悲しいとか、そんな感情も、もぅわからなかった。

余命一年もないと言われてる叔父。本人には告げられてないが、自分の命がそう長くないことを叔父は感ずいている。
そんな叔父を残して叔母は逝ってしまった。
残された叔父が、ただただ哀れに思えてならなかった。

おばちゃん、ひどいよ。なんで自殺。なんでこんなひどい仕打ち。

どうにもやるせない気持ちで対面した叔母の顔は、ため息が出るほど綺麗で安らかで、それがまた泣けた。
人の死顔はたくさん見てる。
だけど、今まで見た中の誰よりも叔母は安らかでいい顔をしてた。
自分で命を絶って、それでこんないい顔されたら、責められない。
死ぬことでしか安らげなかったのかと思うと、死だけが心安らぐ唯一の方法だったのかと思うと、叔母もまた哀れでならなかった。
そこまで追い詰められてた叔母を、生きてるうちに誰も救えなかったのが何より悔やまれた。

1ヶ月ほど前から、叔母は明らかにそれまでと違っていたらしい。
毎日会いに行ってた近所のおばさんの家に一切行かなくなり、毎日自分からかけてた娘への電話もかけなくなり、娘である従姉の姉ちゃんが言うには、叔母は誰にも会いたくないし、話をするのもいやだと言ってたらしい。
それからは姉ちゃんから毎日電話するようになったらしい。
自殺したその日、姉ちゃんは叔母に病院へ行くよう言うつもりだったらしい。
自殺したその日、すでに叔父は受診の予約を取り、この日、受診予定になっていたらしい。

いろんなことが手遅れだった。


私が近くにいたら、私が状況を知っていたら、間違いなくもっと早くにどうにかしてた。
叔母の話を聞けば聞くほど、叔母の症状はうつだった。


姉ちゃんが叔母の書いた遺書を見せてくれた。

新聞の折り込みチラシの裏に書かれた遺書。
黒のマジックで書かれた文章が叔母の精神状態を表していた。
とても叔母の字とは思えない幼稚園児が書いたような字。
どうにか単語が連なって文にはなってたけど、明らかに文字を間違えてたり、文字を書こうとしてただの横線一本だったり。

解読して出来た文は、

みんな世話になった
この世がいやになった
わがままゆるしてくれ


まだ他にも書かれてたけど、覚えてない。
たった5行ほどの書きなぐった文。
遺書ひとつ、まともに書いて残せなかった精神状態。
いつ家族に気づかれて止められてもおかしくなかった自殺までの行動。

叔母はもはや正気ではなく、計画性のない突発的な自殺だったと痛感した。


なのに携帯電話はちゃんと持って家を出てた。
誰かにかけるつもりだったのか、助けを求めるつもりだったのか。
いつものクセでいつも通りの行動を取っただけだったのか。


家を出て川に入るその間、何考えてたんやろ。
何思って川まで歩いたんやろ。
最後に何を思ったんやろ。

そんなこと考えたって、結局、私にはわからない。



自殺は許せない。
だけど、もうおかしくなってた叔母のこと、責めるなんてできない。
哀れで哀れで、どうしようもなく哀れでならない。




息子である従兄の兄ちゃんは、俺が悪かったと自分を責めてる。遺書を書いてた叔母を見たのに、そのまま寝室に上がってしまった。
叔父もまた自分を責めてる。余命短いことで叔母を苦しめた。同じ布団で寝てたのに、叔母が家を出たことに気づかなかった。
娘である従姉の姉ちゃんは、もっと早く病院を勧めればよかったと後悔してる。
母さんも、近くにいながらこんなに叔母が追い詰められてたことに気づけなかったと後悔してる。

私は、知識もあり対処方法もそれなりに知りながら、大事な身内のために何一つ役立てることが出来ず、後悔してる。


だけど、本当になにもかも手遅れ。
自分を責めたって悔やんだって今さら遅い。


私は叔母と姪って関係だけど、子供の頃からとても可愛がられていた。
小学校入学時に勉強机を買ってもらい、7段飾りの立派なひな人形も叔母が買ってくれたらしい。

実家を出てからも、帰省すると叔母は私に絶対に会いに来た。
帰省する時はいつも、姉ちゃんに私が帰ってくると電話で報告してたらしい。


叔母の夫である叔父やいとこや母さんの前で、たかが姪の私が号泣なんて出来ないと、通夜で泣いた後は、ほとんど泣かなかった。
私は、一緒にいる間、少しでも母さんの傷を癒したいとそればかりだった。


だけど、つらくてたまらなかった。
家に帰って1人になって、考えることは叔母のことばかり。
何をしてても心から消えない。


だけどそれを誰にも言えなかった。
叔母が死んで5日目、叔母の夢を見た。夢の中でも叔母はもう生きてないんだけど、叔母の家の台所で私は叔母となんでもない話をしてた。
私が席を立ったら、叔母は消えていなくなっちゃう。
そんなこと思いながら話してた。
夢の中で叔母は、台所から居間を見つめてた。


目が覚めて、悲しかった。
夢で死んでた叔母が現実でももう死んでる事実が悲しかった。
夢でよかったと思えないことが悲しかった。


叔母は、恐怖でいっぱいだったんだろうと思う。
愛する叔父を失う恐怖。
その後、一人残されて生きていく恐怖。
息子がいたって、誰がいたって、長年連れ添った伴侶を失う恐怖を和らげることはできなかったんだろう。
叔父は明日死ぬかも、そんなこと毎日毎日考えながら生きてたのかなと思う。
夜もまともに眠れなかったんじゃないかと思う。

叔父とは別に寝てたのに、ある日突然、一緒に寝ようと言って、叔父の布団に入ってきたと叔父が言っていた。それから毎日、一緒に寝てたらしい。


叔母は最後まで、心の内を誰にも打ち明けることなく逝ってしまった。


涙を見せることが出来た母さんの存在が唯一救いだったのかなと思う。
その母さんにも具体的な感情や状況などは話さなかった。



私は、友達からのメールと電話でやっと泣けた。
苦しかった気持ちを吐き出した。

昨日会った友達にも慰められ、素直に気持ちを口に出してとても癒された。


やっと、心が落ち着いた。

心が少し軽くなった。


つらい時、苦しい時、
救ってくれるのは心許せる人。

ブログ書いてれば、一人でいろんな感情を整理できるかと思ったけど、結局、一人ではどうにも出来なかった。


私は一人で生きていけない。
誰かと繋がり、誰かに支えられて生きてる。

心からそう思った。


一人で生きていける人間が強いんじゃないと思う。
人は、一人になって孤独と絶望に支配されるとどうしようもなく弱くなって、逃げたくなるんだろうと思う。

逃げ出す先に自殺ってニ文字があるんだろうと思う。

私は、大事な誰かを孤独になどしたくない。
いつだって誰かと繋がってたい。


大事な誰かに関心を持ってたい。


大事な誰かを心から大事にしたい。


誰も自殺に追い込みたくない。


こんなつらい思いは
もうこれっきりで十分。


大事な誰かが傷つくのも
もうこれっきりで十分。

母さん。。

もぅおばちゃんダメやったゎ。
お母さんショックでショックで。



母さんの第一声。

電話でそう言った。


母さんは叔母と姉妹じゃない。
母さんは叔母の夫の叔父と兄妹。叔母と血は繋がってない。
母さんと叔父は歳が離れてて、母さんが小学生の時、叔母が嫁いできた。
母さんの母親は、その頃、他界した。
叔母が母さんの母親代わりだった。

叔父が長男だったので、叔母の家は母さんの実家だったこともあり、母さんが父さん家に嫁いでからもかなり交流は深かった。


葬儀の日、出棺前に参列者が棺の中へ花を供えてる最中、叔父はずっとずっとずっと叔母に話しかけ、母さんは棺の蓋が閉じられる直前まで叔母の顔を撫でていた。


朝5時過ぎに捜索へ出てから、葬儀が終わった夜まで、母さんはほとんど寝ず、自宅にも帰らず、叔母に付きっきりの状態だった。


我が家に帰ってきた夜、私にぽつぽつ話しだした。


5時過ぎにどんどん戸を叩く音がするからびっくりして起きて、それからすぐ探しに出て。
川も見たけど、そんなとこにはおってほしない、って思って見るから、見てるようで見てなかったんやろうね。

お父さんから見つかったって電話かかってきたけど、何言ってるかわからんで、お父さんも動転してたんやろうね。

川から引き上げられて、ずぶ濡れで可哀想に、って、近所のおばさんが毛布を二枚もってきてくれて、それに包まれて警察に連れていかれて。

そんなん見たって涙なんか出ぇへん。
おばちゃん見たけど、そんなもん、ショックでショックで信じられるわけないゎな。
もう嘘やろ、って。なんでなん、てそんな気持ちばっかり。

でもどう思ったって、もうどうしようもなぃわ。


3月くらいかな。
なんか、しんどい、って。
どこが、っていうんじゃないけど、なんかしんどい、って。でも、ご飯は美味しくていっぱい食べれるって言うし、実際びっくりするほどよく食べて。
あの頃から、ちょっとおかしかったんかな。

4月に入ってからは、おじいさんがもう長いことなぃ、って、悲しいわ、って、お母さんの前でよく泣いてな。
おじいさんが変な気起こしておらんなるんちゃうかな、とか心配して泣いて。
それでも、おじいさんが逝くまでは死なれんて、そんなこともよく言いよった。

気丈な人やったからな。

おばちゃんの死んだお父さんが、こっち来い、って言うんや、とか言うこともあったわ。夢の話とも言わんかったし、そんな声が聞こえとったんやろうか。

おばちゃんになにがあったんか、何考えとったんか、そんなの誰にもわからんよな。

もうおらんなんて、お葬式終わった今でも信じられんわ。

寒かったやろうに。
川の水、冷たかったやろうに。
そんなことももう感じんくらいどうにかなっとったんかな。
楽になりたい、もうそれだけやったんかな。

もう死ぬことしか考えられんかったんかな。

おばちゃんのあの顔、ほんまにいい顔で、起きてくるんちゃうやろかと思うくらいいい顔で、お母さんびっくりした。最近のおばちゃんの顔と全然違った。もう比べもんにならんよ。なんか、生気のない顔で目はぼうっとしてて、右目なんて、半分開いてなくて。
何日か前には、どこもどうもないのに、身体の芯がしゃんとせん、って言ったん。身体じゃなくて、心がもうボロボロやったんやわ。
でも、お母さん看護師のあんたと違って、どうしたらいいとか、わからんかった。そんなおばちゃん見てたのに、どこが悪いなんてお母さんわかってやれんかった。

まぁ、何を言っても悲しいばっかりやわ。



号泣することもなく、嗚咽でつまることもなく、目にいっぱい涙を溜めて、静かにたくさんのこと話してくれた。


聞いてた私が泣けたけど、泣かずに母さんの話を全部聴くことが、今の私に出来ることだと思った。
叔母の話をすることで、母さんの苦しみが少しでも和らげばと思った。