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あらゆる煩悩(ぼんのう)の根本には、無明(むみょう)(とん)(あい)がある。

この無明(むみょう)(とん)(あい)をもとにして、貪りと怒りと愚かさと言う三つの大きな苦しみが起こる。

貪りは満足を得たい気持ちから、怒りは満足を得られない気持ちから、愚かさは不浄(ふじょう)な考えから生まれる。

貪りの罪の汚れは少ないけれど、これを離れることは容易ではなく、怒りの罪の汚れは大きいけれど、これを離れることは早いものである。愚かさの罪の汚れは大きく、またこれを離れることも容易ではない。

 

貪りと怒りと愚かさは、熱のようなものである。

どんな人でも、この内の一つでも心に持てば、どれ程美しく広々とした部屋に身を横たえても、その熱にうなされて寝苦しい思いをしなければならない。

反対に、この三つ煩悩(ぼんのう)を離れた人は、真冬の木の下でも、真夏の狭い部屋でも、安らかに眠ることができる。

 

人の欲には際限が無い。そのため、欲を満たす事で苦しみが解決することは無い。それはちょうど塩水を飲む人が、余計に乾きが止まらないのに似ている。

外から飛んでくる毒矢は防ぐ術があっても、内から飛んでくる毒矢は防ぎようがない。

貪りと怒りと愚かさを離れる事は、容易ではない。また、人には仏性(ぶっしょう)があるとは言え、煩悩(ぼんのう)の泥があまりにも深いために、その芽生えは容易ではない。

今、仏の教えに出会えたのであれば、その教えを信じ、悪を遠ざけ善を急ぎ、苦しみの根本である煩悩(ぼんのう)を離れる事を願うべきである。

 

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