人を殺す経験がしてみたかった。死刑になりたかった。耳を疑うような動機で、人の命が奪われています。

 

目を覆いたくなるような惨劇を前にして、改めて、人の命の大切さを噛みしめる人も少なくないでしょう。しかし、その根底を支えるはずの問題に、一体、どれくらいの人が明確な答えを持っているでしょうか。その問題とは、このようなものです。

 

なぜ人を殺してはいけないのか?

 

豚や牛は殺してもいいのに、なぜ人だけは殺してはいけないのでしょうか。戦争をしている時だけ、人を殺すことが許容される理由は何でしょうか。法律の名の下であれば、死刑が認められるのはなぜでしょうか。

 

これは、私達の命の尊厳に関わる重大な問題です。それにも関わらず、この問題に真正面から向き合う人は、ほとんどいないのです。

 

なぜ人を殺してはいけないのでしょうか。なぜ人の命は大切なのでしょうか。なぜ人を殺してはいけないのかを説明できないままで、「人の命は大切だ」と声高に叫んでみたところで、それらは虚しく響くばかりです。

 

自分の人生を、そして自分と関わり合っている家族や友人のことを大切に思える人に「人の命は大切だ」と言えば、素直に共感を得られるでしょう。そのような人の価値観の根底には、自分の命を大切に思う気持ちがあるからです。

 

しかし、自分のことが大嫌いで、人に生まれたことを恨めしく思い、日々生きていることが苦痛で仕方のない人に「人の命は大切だ」と言って、果たして共感を得られるでしょうか。そのような人が自殺しようとした時、人の命の大切さを伝えられる人が、一体、どれくらいいるでしょうか。

 

自殺は犯罪行為ではないでしょうが、人を殺しているという点において、殺人であることに何ら変わりはありません。他人を殺すのが他殺で、自分を殺すのが自殺です。

 

なぜ人を殺してはいけないのかの答えが、法律で決まっているからなのであれば、自殺を止める手立ては何もないことになります。

 

現代を生きている私達が頼みとしている、科学や、医学や、法律や、道徳や、哲学は、私達の命の尊厳に関わる「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ人の命は大切なのか」という問題に対して、あまりにも無力です。

 

人の命が大切に思えるかどうかが、自分の命を大切に思えるかどうかにかかっているのであれば、私達の命は、何とも頼りなく、危うい価値観の上に成り立っていることになります。その時々の心の有り様一つで、命の重さが変わってしまうのですから、心細い限りです。

 

「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ人の命は大切なのか」虚しく響くばかりのこれらの問いに、明確な答えを示してくれた人がいます。それが、お釈迦様です。

 

お釈迦様が示してくれた答えとは、このようなものです。

 

全ての人には、共通の生きる目的がある。それは、人に生まれることがなければ、決して達成することができない目的である。大切な目的があるからこそ、人の命は大切であり、決して粗末にしてはいけない。

 

人の命が大切なのは、人生の目的があるからです。

 

法律で決まっているからでも、社会秩序を守るためでも、道徳的な倫理観のためでもありません。ましてや、自分の命を大切に思えるかどうかという私達の個人的な価値観で左右されるようなものではないのです。

 

人の命の大切さを教えた、お釈迦様の有名な言葉があります。

 

【原文】

人身(じんしん)()(がた)し、(いま)すでに()

仏法(ぶっぽう)()(がた)し、(いま)すでに()

この()今生(こんじょう)において()せずんば

(さら)にいずれの(しょう)()かってかこの()()せん

 

【意訳】

人に生まれることは難しい。しかし、私は今、人に生まれることを得た。仏教を聞くことは難しい。しかし、私は今、仏教を聞くことを得た。この一生で救われることがなければ、一体、いつの世で救われる我が身だというのか。救われるチャンスは、今、この時をおいて他にはない。

 

救われるとは、つまり、人生の目的を達成するということです。人生の目的を達成するためには、仏教を聞く必要があります。仏教を聞くことができるのは、私達が人に生まれたからです。豚や牛では、仏教を聞くことは叶いません。だからこそ、人の命は大切なのだと、お釈迦様は教えているのです。

 

この答えを聞いて、どれだけの人が素直に納得できたでしょうか。ほとんどの人は納得できない、もしくは、新たな疑問が次から次へと湧き出していることでしょう。

 

なぜ人に生まれることが難しいのか。なぜ仏教を聞くことが難しいのか。仏教だけが特別だと言いたいのか。全ての人に共通する人生の目的など本当にあるのか。

 

結論からお伝えすれば、それらの疑問に、お釈迦様は明確な答えを示してくれています。「人身受け難し……」の言葉を通して、お釈迦様が伝えようとしたメッセージ。その真意について、これから数回に分けて、一つずつお伝えしていこうと思います。