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「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ

 

日本でも毒ガスを、海・湖・川などに棄ててきた!!

大丈夫なのだろうか?

花博(2027年)は大丈夫か??

 

 相模鉄道・瀬谷駅の北側に「海軍道路」という名の桜並木があります。この一帯は2015年まで米海軍の支援施設・通信基地でしたが、今は返還され2027年の国際園芸博覧会(花博)の予定地 です。

 ここは戦時中、帝国海軍の厚木航空隊などへの補給基地・弾薬庫でした。今は広大な草地ですが、北側には大きな水槽跡、円筒型燃料タンクを載せる台座跡。南東側には「特薬庫」と呼ばれた覆土式倉庫は現存しています。この特薬庫は毒ガス弾保管庫でした。その近くに漏洩した毒ガスを放出するための換気塔の基礎構造物があります。・・・・

 

 

日米軍事同盟反対!!
 

自衛隊「統合作戦司令部」発足 陸海空自衛隊を一元的に指揮

【コラム】石破内閣は「七三一部隊」の実態の検証を

日本政府は、なぜ歴史的事実ときちんと向き合わない??

 4月22日防衛省戦史資料室に元731部隊の池田苗夫の書いた「きい弾射撃による皮膚傷害・・・・」を閲覧しに行った。現物はあったが、写真を撮ろうとすると、この資料は業者じゃないと写真が撮れないという(つまり有料)、又肝心な袋とじの部分は公開しないとのことであった。この国は、731部隊の大事な資料もまともに公開できない後ろ向きな国だと思った。
 石破首相は、「(略)その手立てと言うものが歴史の経過とともに失われた。・・・わが政府はそのような不誠実な政府ではございません。」と強弁しているが、手立てがあるのにそれを隠し続けている「不誠実な政府」なのである!!

井本日誌は、公文書(業務日誌)であって、私文書ではない!!

井本日誌は1993年まで公開されていたのに、なぜその後、非公開になったのか?プライベートのものだからと言うが、そのような理由はおかしい!!

私的なものではない!!

井本日誌には、きちんと常徳の細菌戦の様子などが書かれている!!

戦史叢書には、井本日誌からの引用が多数あるが、井本日誌にある細菌戦の記述は全くないのはなぜか?

「井本熊男業務日誌」をめぐって

731部隊の人体実験「資料ない」はウソ 公文書を示し追及

(山添議員のフェイスブックより)

予算委員会で旧日本軍731部隊について質問しました。

政府は戦後一貫して、「具体的な活動を示す資料がない」と言い張ってきましたが、今回防衛省防衛研究所に人体実験の記録があることを明らかにしました。

「き弾射撃による皮膚傷害並びに一般臨床的症状観察」と題する資料は、イペリットという致死性のガスを人に向けて発射したり水溶液を飲ませたりし、その後の症状の経過を観察したもの。1984年に毎日新聞がスクープしたのと同じ内容ですが、政府が保管していたという点が新しい。

作成者は当時731部隊にいたことがわかっています。本人が寄贈したものであり、受け入れた際の「所見」には「人を使用して行った試験の成績であり、得がたい貴重なもの」とまで書かれています。人体実験の記録であることは一目瞭然ですが、答弁に立った防衛大臣は公文書であることを認めながら「客観的な事実を確認できない」と逃げの姿勢。どこまでも事実を認めようとしません。

政府に寄贈されたのは1964年。防衛研究所が文書を公開したのは2004年であることを初めて明かしました。40年にわたり隠してきたことになります。そしてその間国会では、「資料がない」とウソを言い続けてきたことになります。そうして長らく隠ぺいした挙げ句に、「古い話で確認できない」ーーあまりに不誠実です。

隠ぺいし、ウソをついてきたと指摘すると、ムキになった石破首相が「わが国はそんな国ではない」と強弁。

私たちの国の拭いがたい過ちです。戦後80年、これ以上目を背け続けるべきではありません。

真摯に検証し、事実を認めよ。

 

 

【731部隊】新資料で追及‼国会質問 徹底検証




 

 

極秘

 きい弾射撃による皮膚傷害並びに一般臨床的症状観察

                       加茂部隊 池田少佐担当

第1章 緒言

昭和15年9月7日~昭和15年9月10日間砲4門(600発)十榴8門(600発)によるき弾射撃を実施せり

第1地域発射弾数は毎ヘクタール100発総数1800発(野砲に換算す)射撃時間は40分、15分間射撃、15分間休、10分間射撃なり

第2地域に於いては発射弾数は毎ヘクタール200発総数3200発
 

第3地域は発射弾数毎ヘクタール300発総数4800発なり

被検物は地域内の野砲偽掩体、壕、軽棲息所、観測所、掩蓋MG座監視所、特種構築物内等に各々配置せり

 

第1地域陣地に配置せるものは無帽満服下着上靴を着用せしめ無装面とす

第2地域陣地にては無帽夏軍衣袴上靴を着用せしめ無装面者3名、装面者3名とす

第3地域陣地に配置せるものは夏軍衣袴を着用せしめ無装面者2名、装面者3名とす

き弾射撃後4時間、12時間、24時間、2日、3日或いは5日後に於ける一般症状(神経障害を伴うものを含む)皮膚症状、眼部、呼吸器、消化器に於ける症状経過を観察せり

尚水泡内溶液の人体接種試験、血液像並びに屎尿検査を実施せり

 

 

 

 

発足当時の自衛隊は、旧軍とは全く別の組織ではなく、旧軍関係者が多数入隊し、戦時中と同じように戦争の反省もなく、発足した。核戦争、生物戦、化学戦を想定、訓練し、兵器の研究、開発、一部は製造をしている。


 

 

国際法違反の、細菌戦や毒ガス戦のことをいつまでも隠していていいのだろうか?
この国家のやばい事実!!

(西山勝夫さんのメールより)

中谷元防衛相が「自衛隊は昭和29年に創設され、旧軍とはまったく違うものだ」として、断絶していると強調したのに対し、山添氏は、731部隊所属の池田苗夫氏が1964年に寄贈した、毒ガスを使った人体実験記録について、防衛省防衛研究所に保管され、2004年の公開まで40年も秘匿されていたと指摘。その裏には、防衛研究所が1983年に作成した「公文書の公開審査実施計画」があると指摘しました。

 同実施計画には「第731防疫給水部関係人事資料」と「細菌兵器に関するもの。(ア)実験についての報告・記録(イ)使用の疑いを抱かせるもの」が特別に示され、審査に回すことを指す「摘出」と書かれています。

 山添氏は「731部隊をはじめ、毒ガスの使用や細菌兵器の実験、使用に関する資料が当時防衛研にあったということだ」と強調。防衛省の大和太郎防衛政策局長は「審査をする121人の戦史部所員は全員旧軍関係者だ」と認めました。

 山添氏は「旧日本軍と断絶どころか、連続しているからこそ、人体実験などの隠蔽の基準までつくった。」と述べました。

 

旧日本軍と自衛隊に連続性 731部隊の犯罪隠し追及 2025.4.24

 

 

多摩霊園にある731部隊員が造った『精魂塔』、731部隊の犠牲者にすまないと思わないのか??2025年6月12日撮影

 

戦後、元731部隊が、年1回あつまり、中国での細菌戦の研究に精魂を尽くしたことにたたえ合っていた?ミニ靖国!!


 

本庄繁(当時関東軍司令官)は、柳条湖事件は、関東軍の仕業とわかっていても、墓にはそう書かなかった!!

「排日の極」と偽っている!!

最後にある「国体の護持」は誰からか強制されたものか、本人が書いたものか?

天皇には、戦争責任があることは明らか!!


本庄繁の遺書

「多年軍の要職に奉仕致しながら御国をして 遂に今日の如き破局に近き未曾有の悲境を見るに立到らしめたる

仮令退役とは云へ何共恐懼の至りに耐へず罪万死に値す

満州事変は排日の極鉄道爆破に端を発し 関東軍として自衛上止むを得ざるに出でたるものにして 何等政府及び最高軍部の指示を受けたるものにあらず 全く当時の関東軍司令官たる予一個の責任なりとす

爰に責を負ひ世を辞するに当たり 謹て聖寿の万歳 国体の護持 御国の復興を衷心より念願し奉る

 

昭和二十年九月 本庄 繁」

2025年6月12日撮影

 

阿南惟幾の辞世の句(本庄繁の墓の近くにある)

「大君の 深き恵に 浴みし身は 言ひ遺こすへき 片言もなし」

なぜ、阿南は、天皇の戦争責任を問わない??

 

 

 

不当判決!!(3月19日、東京地裁判決)

 

自衛隊で実際にやっていることを隠蔽するな!!

自衛隊化学学校が作成した『化学学校記事』の情報公開を求めた裁判で、東京地裁は、原告の主張を無視して請求を却下した!!『化学学校記事』については、情報公開を求めて審査請求をしたが、3年以上経ってから「不存在」の返事が来る始末。この間、防衛省は何を画策したのだろうか?

 自衛隊化学学校では、1950年代から、毒ガス製造に関わり、1964年にサリンを合成しており、その後も毒ガスを作り続けている。

 その化学学校が作成した『化学学校記事』が1冊も自衛隊にないという事は考えられない!!何で、機関誌を敢えて隠すのだ!!
裁判所は、強く情報公開を迫るべきだった!!

 1925年に作成された毒ガスの実戦での使用を禁止するジュネーブ議定書に、日本は1970年になってやっと批准した。

その頃に作成された『化学学校記事16号』までの発行は自衛隊も認めている。16号は、原告側が持っていた。

 認めたという事は、持っていることではないのか?

裁判所は、国側に加担し、三権分立を自ら放棄している!!

裁判所は、憲法9条を積極的に評価して、防衛省の態度を糾弾すべき!!

 化学兵器禁止条約を日本は、1995年に批准しているが、OPCWの監視下、防護のためと称して、毒ガスを作り続けている。

 戦中、毒ガス兵器を使い、その反省もせずに、戦後も毒ガス兵器の開発に手を染めている防衛省を、司法は裁かなくて良いのか、疑問を強く感じる。

裁判所には憲法9条を改めて、確認してもらいたい。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

『化学学校記事』12号の掲載された知られざる細菌戦の記述(杉田記事)

1938年 華中 細菌大量使用、1939年 ノモンハン 細菌大量使用、1940年 重慶爆撃 ペスト菌 コレラ菌使用、1941年 湖南省 細菌作戦、1943年 華中 華北 細菌作戦

化学兵器禁止条約(日本は1995年に批准)、これもザル法か?

化学兵器の開発・生産・貯蔵・使用を全面的に禁止するとともに、すでに存在する化学兵器および化学兵器生産施設を条約発効ののち原則として10年以内にすべて廃棄すること、一定の設備を持つ化学産業施設に対する検証措置をおこなうこと等を定めている。また、1925年1月1日以降に他国領域内に同意なく遺棄した化学兵器についても廃棄処理を行うこととされており、遺棄国に処分に必要な費用や技術の提供を義務付けている。

*しかし、遺棄毒ガス弾の被害者に対しての補償などは明記していない!!(欠陥だ!!)

化学兵器禁止条約第2条9項の規定により、以下の目的については例外が認められている。

・工業、農業、研究、医療又は製薬の目的その他の平和的目的

・防護目的、すなわち毒性化学物質及び化学兵器に対する防護に直接関係する目的

・化学兵器の使用に関連せず、かつ化学物質の毒性を戦争の方法として利用するものではない軍事的目的

 

悪法!!秘密保護法撤廃!!

秘密保護法によって隠された自衛隊の実態について踏み込んで取材できる環境づくりが絶対必要だ!!

地下鉄サリン事件から30年 被害者や遺族 教訓語り継ぐよう訴え

地下鉄サリン事件被害者 “風化感じる”回答の8割以上 NHK調査


自衛隊合憲論反対!!

1995年3月20日地下鉄サリン事件発生

自衛隊化学学校は事前に起こることを知っていた。

科捜研の結果が出る前から自衛隊は、サリンであることを知っていた。

オウムの中に自衛隊信者がいた。その自衛隊員と化学学校の間で、電話で情報のやり取りがあった。

戦後も日本は自衛隊で毒ガスが作っていて、化学兵器禁止条約を批准(1995年)してからも、防護のためとして自衛隊では毒ガスを作っている!!(サリン、VXガス等)

自衛隊とオウムの関係もはっきりさせず、早々とオウムの幹部を死刑にした当時の安倍政権と法務省にも問題あり!!

 

 

立民・有田氏「地下鉄サリンは防げたのでは」 警察庁「当時の判断でオウム捜索に至らず」

2つの機関誌の情報をお持ちの方は、nobu.goi@gmail.comまでお寄せください。

自衛隊とサリン(週刊金曜日)

 

富士河口湖町女性交流センター

「みずうみ通信」より

〈わが町の戦後史〉

~戦中・戦後の記憶をたどって~

富士ヶ嶺の生い立ち  Ⅱ

富士ヶ嶺 竹内精一

県庁の農地開拓課になだれ込んだ。課長以下大慌てで、武徳殿を用意して、そこで農務部長が話をした。こんなに多数来ないでも、代表者が来ればと口々にそれに抗議した。とにかく大会で出た、営農の確立、災害、風害、雨、霧にも強い酪農と高冷地野菜を中心としたもの、早急に土地の売り渡し、水源飲用水の確保、道路早期建設、電気、電話の導入、仕事をよこせなど要望した。県としては、農林省にも相談するが、県でできることはすぐやると確約した。年間50頭の乳牛を導入、道路工事の拡大、薪炭林の払下げなどや、画期的なことは営農の轄換だ。これから後は、酪農を中心とした高冷地野菜(特に大根)の取入れが主となっていく。これは長い間試行錯誤の結果の結論であった。その結果、その後酪農は県下一となり牛乳の出荷量は6割を占めるようになる。大根作付けは耕運機の導入もあったが、4百町にも及び京浜市場を制したこともあり、沢庵の阪神市場(大阪)の品評会で農林大臣賞を受けた。この表彰状は、珍しいもので、「農林大臣臨時代理国務大臣高崎達之助」となっている。農林大臣の河野一郎さんが日露漁業交渉でモスクワに行った留守のため。

 

●原発問題

 

原発で作り出されるプルトニウムを、日本は核兵器開発・使用に使うのではないかとの疑

念が湧き上がる!!(戦時中も日本は原爆開発をしていた)

 

脱原発!!地震が起きてからではダメだ!!
 

原発事故の株主訴訟 株主側が上告 2審は旧経営陣の責任認めず

東京電力 柏崎刈羽原発6号機 原子炉に核燃料入れる方針固める

女川原発2号機 運転差し止め訴訟 住民側訴え退ける 仙台高裁

志賀原発 “活断層連動”範囲 長さ1.8倍に見直しへ 北陸電力

 

「原発必要ない」 女川原発再稼働に反対し東北電力本店などで抗議活動

 

 

 

三原由起子さんの短歌

「元気だよ、被曝してるけどね」って

笑顔の絵文字の返信メール

 

「信じてください」と言うから後を託したのに…「再稼働容認」に村上達也前村長は静かに怒る「裏切りです」

 

 

柏崎刈羽原発 再稼働問う県民投票の条例案 新潟県議会で否決

 

 

 

1972年9月29日   日中共同声明調印!!


 

7、日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。

ありがとう」


 

和歌山 白浜町 ジャイアントパンダ4頭 きょう中国へ返還

日本政府は、真摯に過去に向き合っているのだろうか?
戦争の加害者は過去を忘れても、被害者は覚えている!!

平頂山事件

 

 

 

731部隊元少年隊員、清水英男さんが見た悪夢


軍隊をなくそう!!
『コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~』予告編


 

推せんメッセージ

“コスタリカ人の母は幸福にも子の誕生から兵士の道なし”

☆☆平和が文化となった国、理想を現実にした国コスタリカ 珠玉の言葉が、深い感動をよぶ!!☆☆
積極的平和国家のつくり方
「コスタリカの奇跡」
1948年に軍隊を廃止。軍事予算を社会福祉に充て、国民の幸福度を最大化する道を歩んだ。
コスタリカの奇跡に迫ったドキュメンタリー。

中米の小国コスタリカの非武装化が、政治的な衝突や戦争、日常のいざこざの解決に対する思考や言動にどう影響を与えているかを知りたかった。
マシュー・エディー監督

 

プラ・ヴィダ PURA VIDA!―平和が文化になった国―

積極的平和国家のつくり方

「コスタリカの奇跡」

 

●第3章:新たな課題

 2010年にはニカラグア軍がコスタリカ領土の一部を占領するというショッキングな挑発行為が行われた。ニカラグアは撤退するどころか国境地帯に配備する軍隊の数を倍増させた。

コスタリカはこの危機を米州機構と国際司法裁判所に冷静に訴えるに留めて乗り切ることになる。このケースは国際法と外交において重大な事例研究となった。

 

 

*自衛隊・国は、事故のデータ・資料をきちんと公開せよ!!

 

御巣鷹 520人に生ける花 日航機墜落事故40年

 

1985年8月12日 日航123便墜落!!

多くの同僚をこの事故で亡くした元日航客室乗務員が、事故原因に疑問をもって書いた本より

 

 

 日航123便

墜落の新事実

―目撃の証言から真相に迫るー

 

元日本航空客室乗務員

青山透子著(2017年出版)

 

省庁の名称や職業、役職、()の年齢はすべて事故当時のものとします。

 

序章 あの日に何が見えたのか

 

 ガーガーガーンと強い衝撃の後、様々な固形物や砂が次々と頭にぶつかり、体が宙に投げ出された。 

左目は砂にまみれて目が飛び出したように痛い。口は乾き、砂でいっぱいだ。

シートベルトは体に食い込んでお腹がちぎれそうに苦しい。

 

「はあ、はあはあ」と荒い息遣いをしながら、つい先ほどまで身の毛のよだつ恐怖がよみがえる。

「ああ、墜落したのだ。大変な事故を起こしたのだ」

周辺からも、はあはあと、荒い息遣いが聞こえてくる。

「あかあさん」「早くきて」「ようし、僕は頑張るぞ」そんな声も聞こえてくる。

 

日航機墜落事故40年を前に 父親亡くした男性 動画を制作し公開

40年目の記憶_1985年の日航機墜落事故_JAL123

8・12連絡会 日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故被災者家族の会

【しらべてみたら】日航機墜落事故から37年 ボイスレコーダーに残された”生死かけた闘い”

81歳の遺族が期す「真相究明」次なる一手とは

データ開示「諦めきれない」 日航機墜落事故のレコーダー開示訴訟 終結で遺族が会見

【森永卓郎】※真実に近づくと消される…【日本航空123便】

●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, 
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.


 

IMAGINE9 

世界は、9条をえらび始めた。

憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。

―中国、40代・男性

米軍 横田基地「PFAS」流出 米側の公表受け都など情報提供要請

 

世界の軍事費

 

武器輸出反対!!

海自の最新鋭護衛艦がオーストラリアに そのねらいは?

PFAS汚染 健康影響も?

イタリア PFAS汚染で化学品メーカーの日本人3人などに有罪判決

憲法9条を生かそう!!

安全保障政策大転換、失われる「武器輸出三原則」の理念

※日本は既に、戦闘機等を輸出しようとしている!!
何とか歯止めをかけなければ!!

 

祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会)

立ち上げ6周年

★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
・父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。
1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。
しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。
同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。
本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。
私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。
私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。
2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。
だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。
そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。
その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。
私たちの世代にも呼びかけたい。
父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。
語り合おうではないか。
若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。
この指にとまってほしい!
2018年1月17日  黒井秋夫。

 


謎の骨の山が日本の戦争犯罪の証拠を保持している可能性があると活動家は言う

731部隊のものとみられる数百人の人骨が日本で発見
【ライブニュースルーム】旧陸軍軍医学校跡地での人骨発見を中心に調査団が集会を開き、日本政府に歴史を直視するよう求めた。 2024-07-30

核兵器・原発反対!!

オッペンハイマー “涙流し謝った” 通訳証言の映像見つかる
ありえない日付が… ハンセン病患者の記録にねつ造の可能性
311甲状腺がん子ども支援ネットワーク
2024.6.12 「311子ども甲状腺がん裁判」

 

 


 

第10回 311子ども甲状腺がん裁判 原告の訴え!!

第10回 311子ども甲状腺がん裁判支援集会
第10回 子ども甲状腺がん裁判、準備書面プレゼン