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核なき未来へ
映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」全編無料公開:和歌山日高原発・徳島蒲生田原発反対運動~
世界に拡がる放射能汚染は、核抑止論・軍事機密のために、隠蔽され、矮小化されている!!
広島・長崎・ビキニ・福島と4度被ばくした日本はいつまで、危険な原発をやるつもりなのだ!!
核兵器廃絶!!脱原発!!医学者も声を上げよ!!いつ大地震が起きるかわかりゃしない!!
日本と台湾の地震の対応が何でこんなに違うのか?
ビキニデーin高知2024
ビキニデーin高知2024 全体集会
マーシャルの報告(ビキニ被災訴訟原告団長 下本節子さん)
軍事研究としてのフォールアウト研究
ビキニ被ばく船員訴訟について
シンポジウム質疑応答
太平洋核被災支援センターの活動ー調査・研究・被災者支援
「日本政府に核兵器禁止条約への参加・署名・批准を求める意見書」採択
ビキニデーin高知2024閉会行事
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇が自認する戦争責任
3月20日に飯田市の飯田市平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか?
この国の隠蔽体質を破ろう!!
飯田市の資料収集委員の方々が作られたパネル(展示されていない)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!!
昭和天皇が裁可したこの巨大施設で、細菌兵器の開発のため、人体実験が繰り返され、細菌兵器を製造し、中国各地で細菌戦が行われた!!(中国・平房)
改めて、昭和天皇・皇族・医学者の戦争責任を問う!!
ニュルンベルグでは、アメリカは
医師裁判などを行い、医師裁判では、23人の被告人が裁かれ、うち7名が絞首刑となった。
ニュルンベルグ継続裁判
飯田平和祈念館展示
検討委員会のある方のご意見
・9月1日に新たに展示された731部隊のパネル(上の写真)は一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊の証言が必要です。
市教委が展示したパネル
「標本室は目の開けられないくらい・・・」731部隊の実態
日本の秘密戦と731部隊ーその記憶を発掘し継承する意義
山田朗講演会(講演、質疑応答、意見交換等)
・山田先生の講演を聞いた人の感想
化学兵器や生物兵器は天皇の戦争責任にどう関係したでしょうか?小泉親彦や橋田邦彦の自死、あるいは帝銀事件が東京裁判で天皇の責任が問題になりそうな時に起きているのが気になっています。
・山田朗先生の回答
昭和天皇が化学戦・生物戦について認識していたことは、大本営からの命令(大陸指)の発令や、731部隊の関係者と接触した三笠宮からの報告で動かしがたいものだと思われます。ご指摘のように、敗戦から1947・48年の間にどのような隠蔽工作が行われたのか、これはまだほとんど解明されておりませんので、しっかり取り組んでいこうと考えております。ご指摘、ありがとうございました。
会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
三笠宮と731部隊員の記念写真
三笠宮は回顧録の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p227)
※三笠宮は紀元節復活に反対(ウィキペディアより)
1950年代後半から「紀元節」(神武天皇即位紀元(皇紀)に基づき、三笠宮自身の父系祖先と伝承される初代天皇・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者としての立場から「神武天皇の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。
竹田宮と731部隊
竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍に於ける医療行政官のチーフのように権力ある個人すら、平房(の施設)に立ち入る際には竹田宮・宮田(竹田宮は宮田武中佐と名乗っていた)が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れる時は、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p228)
今、広島で起きていること!!
「はだしのゲン」はなぜ削除されたのか
教育勅語の「中身はいい」? そう言いたい欲望の背景にあるもの
昭和天皇広島訪問
侵略戦争の反省の弁はあるのか?
両陛下 きょうから被爆地 広島へ 即位後初めて 戦後80年で慰霊
「原爆投下正当化するな」 トランプ氏発言に抗議
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2024年長 崎 平 和 宣 言
福田さんは詩の最後で、こう呼びかけました。
原爆を作る人々よ!
今こそ ためらうことなく
手の中にある一切を放棄するのだ
そこに初めて 真の平和が生まれ
人間は人間として蘇ることが出来るのだ
原爆資料館の運営委員の人選めぐる情報公開請求 市の非公開決定は「妥当」と答申【長崎市】
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公文書をきちんと公開できない国、日本!!
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嘘に嘘を重ねて… 森友文書9000ページ 新たに開示、公文書改ざんの裏で何が? 赤木さん自筆のノートに残されたメッセージ【報道特集】
戦争の加害も忘れるな!!
名古屋市敗訴確定、河村市長が憤り表明 トリエンナーレ訴訟
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※カーチス・ルメイ・・・焦土作戦は東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払った後は、富山市・郡山市などの地方の中小都市も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上が
らせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。
勲一等旭日大綬章の授与
1964年12月7日に日本に返還されたばかりの入間基地で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された。叙勲は浦がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査・審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている。推薦は小泉純也防衛庁長官と椎名悦三郎外務大臣の連名で行われ、防衛庁から佐藤栄作首相・賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである。
授与への批判
ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党・原水爆禁止団体・被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。
東京大空襲
死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲。この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。
「八王子空襲~5人の証言~」第124回 多摩探検隊
「湯の花トンネル列車銃撃空襲」第40回 多摩探検隊
重慶爆撃
731部隊罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン)一日1万人以上の来場者
朝鮮人BC級戦犯裁判問題
朝鮮人BC級戦犯裁判
「仲間の無念晴らしたい」朝鮮半島出身元BC級戦犯が訴え 戦後75年進まぬ法整備
「死んでも解決を」元BC級戦犯が今も背負う不条理
群馬の森「朝鮮人追悼碑」撤去問題
「群馬の森」朝鮮人追悼碑が撤去に
「長生炭鉱」で遺骨探す潜水調査 戦時中の水没事故 183人犠牲
長生炭鉱(山口県宇部市)「ヒロシマ通信」から
山口宇部・長生炭鉱の「水非常」は、事故で亡くなった183 名のうちの136 名が朝鮮人でした。2月3日におこなわれた現地での追悼の集いは、さまざまな問いかけを私たちに突きつけてきます。・・・終わり近く9分ごろのところに金平記者が長生炭鉱のピーヤの見える海岸でインタビューしているシーンも出てきます。たいへんに貴重な28分ほどの映像、まだ観ていない方、ぜひ視聴をオススメします!
https://www.youtube.com/watch?v=oT781LkmlmY&t=35s
海に眠る30万の遺骨【報道特集】
長生炭鉱の坑口を開け遺骨発掘へ 장생 탄광의 갱구를 열어 유골 발굴에
遺骨見つからず、潜水調査終わる 4月に再開の予定 山口・長生炭鉱
敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊を災害救助隊にすべし!!
佐藤栄作元首相のノーベル平和賞 受賞当時の選考資料 初公開
<国民を欺いた罪重い
核兵器禁止条約発効から3年にあわせICANの事務局長が長崎を訪問
核兵器禁止条約発効から3周年記念 全国中継 核なき世界を日本から
「政府に対して結論を」核禁条約発効3周年のつどい長崎
なぜ、今、日中友好か?ー日中友好の歴史と展望からー
戦後、日本は、GHQ(主にアメリカ)によって占領され、そのGHQは、その占領政策をスムーズに進めるため、東京裁判が始まる前に、天皇に「人間宣言」をさせ、開戦を裁可した昭和天皇を戦犯免責にし、象徴天皇制と憲法9条を盛り込んだ憲法草案を提示し、それを日米でアレンジした。1946年6月、枢密院で可決された憲法改正案は、第90回臨時帝国議会に提出され、貴族院・衆議院両院で修正が行われた後、同年10月7日可決。この改正案を10月29日に枢密院が可決したことを受けて、日本国憲法は同年11月3日に公布された。
東京裁判では、日本軍の上層部で活躍した皇族や極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊員、毒ガス部隊員、登戸研究所員等も戦犯免責にし、アメリカはその情報を持ち帰り生物戦、化学戦の研究を進めた。
そして、アメリカの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判では、全く取り上げられなかった。免責の見返りに、一部の731部隊関係者はアメリカの核戦略に全面的に協力し、被爆の被害の矮小化を図った。その流れが、ビキニ、福島、原発政策へと続き、依然として原子力村、安保村が日本の原発・軍事問題を牛耳っている。
唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄は、昭和天皇によって、見捨てられ、戦後、アメリカの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題で大きく揺れている。
また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させたが、戦後は日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。
だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯となり、厳しく裁かれた。
靖国神社は、A級戦犯であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。
日本は戦後、軍人や軍属、その遺族らに総額60兆円超の年金や恩給をいまも支払い続けている。戦犯の遺族にも支払っているが戦後、外国籍になった日本軍兵士には支払っていないということには驚く!!
一方、天皇が、宣戦布告した戦争で、国は戦争被害者に損害を国民は同じように堪え忍ぶべきだという受忍論を押し付け、空襲で家や財産、親や子どもを奪われた人たちへの補償は全くしていないし、公的資金を投じた追悼施設さえない(東京大空襲等)。
日本と中国では、戦後毒ガスによる被害者が多数出ているが、大久野島で毒ガスの製造に関わった被害者だけは、1950年代になって補償されたが、その他の被害者にはずっと遅れて、わずかの補償か、全く補償がない状態である。
アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。
過去の侵略の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。
戦争による、残虐行為の証拠隠滅が、戦時中や戦後すぐに行われ、その解明は、十分ではない。1つの絶対的な権力が形を変えて残ることは、その解明を妨げている。
情報公開をオープンにし、実態解明ができる社会にしないと真実がわからない。
最近の裁判所で起こっている証拠隠滅にも戦前の体質を垣間見る!!
靖国神社を廃止し、国立の戦没者追悼施設の建設を!!
東京裁判での東条英機の証言
(東条)「日本国の臣民が陛下の御意志に反してかれこれすることはありえぬことであります。いわんや日本の高官においておや」
この発言に最も慌てたのがアメリカの首席検察官キーナンだった。
東条の言葉は、解釈次第では戦争開始の決定は天皇の意志によるものだった、ということになる。
アメリカ政府とGHQは、占領政策を円滑に進める上で、天皇は不可欠な存在と考え、天皇不訴追の考えを固めていた。
日本の中国侵略、原発事故を問う!!
ふたつの敗戦国 日本 660万人の孤独
「生命の力」
この番組を作り終え、休日に友人と会った。今回の番組について話したら、その友人の祖父はシベリア抑留から生還した人だったらしい。友人は、自分には生命力がある、と自負していたが、それは祖父ゆずりなのだという。
生命の力。困難な時代を生き抜く、力強さ、番組制作を通じて最も印象的だったことの1つだった。
こんな女性がいた。満蒙開拓団員として満州に行き、終戦の頃、ソ連軍がやってきた満州で一家心中を辛くも 生き延びて、戦後は福島で戦後開拓に従事。およそ60年後、今度は福島第1原発事故で福島を追われ、今も困難 生活を余儀なくされているという。その人は避難先で記した手記に、父と母に向けて次の言葉を残した。
「様々な苦難もありましたが乗り越えて今日の自分があります。後悔はしておりません。大いなる体験は人生の実りであり、私の宝物です。本当に生んでくれてありがとうございます」
本音かどうかは分からない。ただ、手記の最後に記されたその一文の放つ凛とした光を目にした時、一瞬時間が止まったように感じた。(担当ディレクター)
1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。