細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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「汚染水放出反対」韓国市民188万人の意思、大統領室に手渡し
漁業者、放出「反対」崩さず 政府、「理解進展」に期待 原発処理水、首相直談判へ
立民・阿部知子議員、処理水を「処理汚染水」と表現 7月には放出反対の韓国議員に同調し会見
【独自】岸田総理、20日に福島原発視察へ。処理水海洋放出に向けて
山口・上関の中間貯蔵施設、なぜ必要? 電力会社に迫る“上限”
「施設は事故の可能性を高める」中間貯蔵施設建設計画に撤回を申し入れ 広島の市民団体が中国電力に
元徴用工訴訟、韓国全州地裁が政府側の異議申請を棄却
辺野古サンゴ移植で国提訴へ 沖縄県、係争処理委判断を不服

核のごみ最終処分は「国の責任」っていうけど…大丈夫? 文献調査が進む北海道の町村で起きていること

●731部隊関連








●日本が戦時中に使用して、中国に棄ててきた毒ガス兵器。
処分できない砒素は、ドイツへ?
その遺棄化学兵器の処理が化学兵器禁止条約が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器は、2027年までに処理が完了するのであろうか?

中華人民共和国において日本が遺棄した化学兵器の2022年より後の廃棄計画
                            内閣府

 日本国政府及び中華人民共和国政府は、「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」(以下「条約」という。)の関連規定に従い、化学兵器禁止機関(以下「OPCW」という。)執行理事会の決定(2012年2月15日付けの第67回化学兵器禁止機関執行理事会決定第6号)に関し、協議を行い、中華人民共和国において日本が遺棄した化学兵器(以下「遺棄化学兵器」という。)の処理のプロセスを全面的に加速し、人員の安全確保及び環境の保護を最も優先させるとの前提の下で、可能な限り早期に遺棄化学兵器の廃棄を完了することを目指して最善の努力を払うとの共通認識を確認し、2022年より後の廃棄計画について以下の共通の認識に達した。

4 その他の遺棄化学兵器の廃棄

 2022年12月31日現在で既に、中華人民共和国政府から日本国政府に通報され、各地の保管施設に暫時保管されている遺棄化学兵器の可能性がある兵器の調査及び確認について、日本国政府は2023年中に完了することを目指し最善の努力を払い、遺棄化学兵器であると確認されたものをOPCWに申告し、その廃棄を2025年中に完了する予定である。






中国における遺棄化学兵器処理事業について
2023年7月
内閣府    遺棄化学兵器処理担当室

回収数 98293発
処理数 65894発    ※中国に遺棄してきた毒ガス弾はこんな数ではないと思うが?
(2023年3月現在)



●731部隊関連
死去の森村誠一さん、400冊超える著作 生涯にわたり市民楽しませ、時には社会に鋭く問題提起
731部隊を研究、常石敬一さん死去 79歳 神奈川大名誉教授
731前隊員見證人體實驗 控訴前日軍罪行-鳳凰秀
731前隊員見證人體實驗 控訴前日軍罪行-鳳凰秀








長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに


●処理水??放出反対!!
●放射能と人類は共存できない!!
IAEAも原子力規制委員会も原発推進機関だ!!
処理水放出、8月末にも開始の見通し 日米韓首脳会談後に時期決定へ
市民団体が「汚染水」海洋放出に反対するキャンペーン
IAEA報告書は「処理水の海洋放出」を承認していない。中国を「非科学的」と切り捨てる日本の傲慢
福島原発処理水の海洋放出計画、国内外から不安と怒り 今夏に実施か

「汚染水はなぜ流してはならないか」小出裕章講演会
資源エネルギー庁のホームページより


私の魚はあなたの魚


【声明】処理汚染水の海洋放出決定に抗議する
見解:IAEA 包括報告書はALPS 処理汚染水の海洋放出の「科学的根拠」とはならない 海洋放出を中止し、代替案の実施を検討するべきである
「十分な理由がある」 中国外務省、日本からの輸入水産物の全量検査を正当化 福島第一原発の処理水放出めぐり
福島原発事故10年、汚染水を海に流さないで! 原発もうやめよう!
「汚染水放出反対」釜山の市民団体が訪日へ 韓国南部の海上では抗議行動
汚染水の放出中止を!全米海洋研究所協会が声明
「これ以上、海を汚すな!」 原発汚染水海洋放出に世界各地で「反対」の声
処理水の放出反対 日韓最大野党の議員らが声明 立憲内からは懸念も
日本に渡っていった韓国野党、ついに「IAEAは国連の傘下ではない…新しい機構必要」
香港政府、処理水放出なら「10都県からの水産物輸入禁止」…中国と足並みそろえる
グリーンピースは、汚染水をもっと堅牢で大型のタンクに保管し、現在より精度の高い分離技術を開発するすることを、安全で実効的な解決策として提案しています。
なぜなら、海外ではすでにトリチウムを分離する技術が運用されているからです。
福島には、今以上のタンクを設営するスペースも、十分あります。


福1の処理水放出で思い出すビデオ!!


処理水報告書「中立性欠く検証」 韓国野党、IAEA批判
「サンモニ」目加田説子氏、福島原発処理水を「汚染水」と表現 IAEAの行動「政府手助けに見える」
今さら聞けない「汚染水」のホントとウソ、まとめました
社民党議員 処理水放出反対の韓国野党と連携
処理水の海洋放出に反対 宮城県議会が全会一致で可決

「処理水放出に反対」、福島県の漁業団体が4回目の決議…日本国内の世論は
韓国国会が処理水放出反対決議案可決 野党が強行
駐日中国大使 処理水の海洋放出に反対(2023年7月4日)
広島市教育委員会 被爆の実相の隠蔽!!
はだしのゲン 被爆描いた漫画、なぜ削除 広島市教委に抗議相次ぐ
「第五福竜丸」の記述 平和教育の教材から削除へ 経緯をおさらい

●ウクライナ戦争は即時停戦を!!
戦争禁止条約はできないのだろうか??
【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(19日の動き)
日本、クラスター弾供与反対せず 松野氏、被害低減策に言及
核使えば「すぐ終戦」 ロシア前大統領が威嚇
ザポリージャ原発“爆発物” ウクライナとロシアが非難の応酬
アメリカ政府 ウクライナへのクラスター爆弾の供与を発表
クラスター弾供与に反対 英首相



長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに

 



「731部隊少年隊・平和祈念館」清水英男さんの証言

看護師らが患者を…「滝山病院 暴行事件」
松本清張と帝銀事件第2部



・日本は核兵器禁止条約に署名し、批准すべきだ!!
・日本は生物兵器禁止条約に、1972年4月10日(署名開放日)に署名,1982年6月8日に批准した。
・日本は化学兵器禁止条約に、1993年1月に署名し、1995年9月に批准した。
・核兵器禁止条約が、2021年1月22日に発効したが、日本は不参加。オブザーバー参加もしていない!!
●防衛省は、『衛生学校記事』・『化学学校記事』を公開していない!!日本の自衛隊は、何をやっているのか、国民に情報を公開すべきである!!

大炎上「赤坂自民亭」は何が問題だったか
●情報公開裁判「衛生学校記事」裁判 第1審東京地裁8月29日(火)判決!!






秘密保護法の廃止を求めます!!



軍拡反対!!

広島市民のG7反対デモ5.20

広島市民のG7反対デモ5.21

広島市民のG7反対デモ5.21続


被爆者インタビュー


高校生「原爆の絵」


【速報】女川原発2号機 再稼働差し止め認めず 仙台地裁

【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった


【ヒロシマを理解したのか】91歳の被爆者サーロー節子さんが見たG7サミット


秋葉前広島市長へのインタビュー


核なき世界へ


上田紘治さん




5月13日東京新聞
帝銀事件
帝銀事件①
戦後最大のミステリー「帝銀事件」犯人は何故被害者と同じ毒物を飲んで死平気だったのか?冤罪?真犯人は旧陸軍?
登戸研究所資料館 / 20181215講演会「帝銀事件と陸軍登戸研究所」





ビキニデーin高知


太平洋での核実験で被害を受けた日本人漁民の証言


ビキニ被災者より聞き取り

足摺岬サンセットクルーズ(高知県)

ジョン万次郎の生家を訪ねて(高知県土佐清水市)

宗田節工場見学(高知県土佐清水市)

震洋艇壕跡(高知県土佐清水市)

幡多ゼミOB・顧問と対談

特別交流会

全体集会第1部

全体集会第2部

ビキニ被ばく船員訴訟報告

広島・長崎の原爆
映画「ひろしま」
放射能汚染の恐ろしさ
核被災に苦しむウイグルの人々
放射線を浴びたX年後
731部隊展





ワクチン開発と戦争犯罪




731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―





731部隊の実態をきちんと伝えよう!!


資料





飯田市平和祈念館問題~731部隊の展示をめぐって~

731部隊・100部隊展
一市民と行政が創る「飯田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一

飯田市の資料収集委員の方が作ったパネル


731部隊で行われていたこと


731部隊で行われていたこと


旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」検討委員会の初会合 長野・飯田市


「証言 石井四郎」~語られた人物像~
731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
学者・研究者の歴史認識・軍事研究を問う!!
福島 雅典京都大学名誉教授





「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」


ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展

 


731・原爆・ビキニ

2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月21日(水)
6、長い文章が多い。(51歳以上、市内、ハカルワカル)

 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

 

 

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

 

 

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります。

 



日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

一月六日
夜はペジかかかえ?で満期の話に娘の話に点呼を迎へる  呑気だね  首山の娘から炭坑から遼陽煙台はては武田の家迄  兵隊なんて他愛ないものだな
年賀状は少ない 出さないところから来るのは少々閉口だが こないよりよい
正月も此れで終りだ 又勤務でしばられるんだ   やり切れないな・・・・・








「ずっと父が嫌いだった」

軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

八月六日

あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え


メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書


 

 

 

 




●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊

“マルタ”の監獄を建設
憲兵としての“マルタ”狩りも

志麻田実(しまだみのる)(仮名)
731部隊・部隊建設班
〈略歴〉
1918年生まれ
1938年1月 731部隊入隊(建設班)
1939年4月 新京の関東軍憲兵隊入隊
1945年 戦犯抑留
1956年 中国最高人民法院の判決により釈放
■この証言は1995年の聞き取りをまとめたもの。

731部隊建設

1937年8月から9月にかけて私と同時に軍属として応募したのは、石井の出生地を中心にして大工、左官、ブリキ職人、雑役など20名いました。私は彼らと一緒に東京の牛込にあった軍医学校に出かけて行き、そこで採用試験を受けたのです。試験は形式的なもので、全員が合格しました。翌年になって私達は“満州”に行きました。





日本軍政下香港(1997.7.27)

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行


速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
控訴(附帯被控訴)代理人(渡邊)
当時の731部隊の隊員等の論文が猿の体温からしても、これは人体であるという点について先ほどの 常石さんの御指摘がありましたが、それと共に森村誠一氏のその著作の中で明らかにしているんではありませんか。

 明らかにしております。それは「ヒル・レポート」を既に新版の「続・悪魔の飽食」の中では「ヒル・レポート」を全面的に引用して紹介していますので、その中には人体実験の事実がありますので、 それはおのずとその中に示されております。






消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」




●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




Ⅴ エスカレートする作戦 1939‐1941

1 イペリット・ルイサイトの実験的使用

華南での使用
 以上は、華北の山西省の奥地での密かな実験的使用であったか、間もなく華南でもびらん性ガスが使われる。 1939年末から、陸軍は翁英作戦できい弾を使用するのである。
 この作戦、1939年夏に、中国第12集団軍(長・余漢謀)による夏季攻勢を受けて打撃を負った日本の第21軍が、第12集団軍を広州北方にある翁源付近で捕らえ、壊滅的打撃を与えるために準備したものである。大本営は強力に支援し、膨大な兵站資材を与え、また内地から近衛混成旅団を派遣した。この中でびらん性ガスの使用も計画された。ところが、攻撃開始直前の12月20日に、広西省の要衝、南寧方面が危機的状況に陥ったので、早急に作戦を終了して主力を南寧方面に転進せしめねばならなくなった。











海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!



大久野島の歴史

Ⅴ:敗戦と大久野島

②東京裁判で歴史の闇へ

 しかも国際条約に違反し毒ガスを使用していたことの責任を追及されることを恐れて、証拠隠滅のため日本軍が遺棄してきた毒ガスが今でも中国で被害を出しています。にもかかわらず日本政府は謝罪も補償もしていないのです。日本は早急に毒ガス使用の事実を公にし、中国の毒ガス被害者へ謝罪と補償をしなくてはなりません。






SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶



中国と日本には、多くの被毒者(毒ガス被害者)がいる!!
チチハル事件以後、一時金は出ているが、不十分である!!


認定NPO法人化学兵器被害者支援​日中未来平和基金




 




核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

血の会食
市場に砲弾を撃ち込んで略奪


宮崎敏夫
砲手 兵長

〈略歴〉
学歴 旧制中学校卒業
旧部隊名 第59師団第54旅団第109大隊歩兵砲中隊
年齢41歳

一本木の下に叩きつけられたように倒れた女の体に、7,8歳の男の子が取りすがり、声をからして泣きながら、その体をゆすっている。
「あ、さっきの婆あだ」宮崎たちは、弾んだ息を白く吐きながら、ゆっくり側へ寄っていった。この寒空に帽子もかぶらず短い綿衣に手足をのぞかした子どもが、足音に振り返った。真っ黒な大きな眼がうるみ、寒さに紫色になった頬を大きな涙が伝って、小さな唇がヒクヒクと震えている。その子どもの眼が、キラッと激しい光に燃えたが、またすぐに母親の胸にすがりついた。




●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著


第3編 主要極秘文書
1 三矢研究

〔国策要綱に応じる当面の施策の骨子〕

1 〔別紙A〕 戦時諸法案と補正予算案の国会提出と成立

4 法案成立見通し
(1)5月31日を期して全ての法令の国会提出準備は完了した。すなわち隠密の作戦準備期間を通して防衛庁は、これらの法令について法制局を始め大蔵省、行官庁関係、各省各庁との調整を完了、次いで次官会議を経て閣議にもかけ活版印刷一切の準備を完了した。
(2)政府は国会法に基づき臨時国会を招集手続きをとるのであるが、召集詔書に示された開会の期間は8月1日である。開会と同時に諸法令は政府によって緊急上程されるのであるが、その数合わせて77-87件






●『BC兵器』久保綾三著(1969年)



Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

4 公害調査に名を借りたBCW作戦

蛍光粒子使用の意味

もとより、細菌を散布されたかどうかを検知するためにもエア・トレーサーを利用するので、訓練における攻撃と防護は実際上は何ら変わるところは無い。実際、瀬戸内海沿岸における訓練では米陸軍生物戦争研究所の発表にあるように、「無害化した炭疽病菌」を使用する可能性は充分に考えられることであった。

地方自治体も首をかしげる








●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか








●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年





天照大神の神話に基づく即位の礼は、11月6日、東京から京都への行幸で正式に開始され、4日後に天皇が京都で3種の神器のすべてを手にし、祖先の霊に彼の皇位継承を報告することで祭祀の頂点を迎えた。11月10日午後の祭儀では、約2700人の文官・武官、議員らの参列者を前にして、新天皇は日本国民に次のような勅語を述べた。




 
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解説

9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
世界は、9条をえらび始めた。

06
女性たちが平和をつくる世界

  この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズさん、もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバディさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。
 国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)。
紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。


【そもそも解説】防衛装備移転三原則の見直し 今なぜ武器輸出拡大?
憲法9条を生かそう!!



『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)

私は若い頃、『きけ わだつみのこえ』をよく読んでいました。読んでいく中で波長の合う戦没学生を数名見つけて、現在も時々、読み返しています。とりわけ、佐々木八郎さんの残した手記や日記は私の魂にピタッと伝わってきました。その佐々木さんも、当該鹿屋航空基地から出撃しています。学徒出陣の22歳、沖縄海上で戦死。宮沢賢治の『烏の北斗七星』に関連して書いた自分のエッセイを(第一高校の)クラス会にて発表するほど、戦争(戦いで敵を殺すこと)に対して根本的な疑問を持っていた佐々木さんの、出撃直前と思われる機上での笑顔の写真もあります。それは、生来の朗らかさと親友たちへの別れの笑顔が重なったものと思われます。





『PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会・6月25日』の参加者感想文
2023.6.25
19、ベトナム帰還兵のPTSDについては知っていたのですが、当然そのことと関連付けて想像できたはずの日本兵として従軍した人たちのこととしては思い至りませんでした。午前午後とお話を伺うことができ、日本兵とその家族に起きていた事について知ることができました。ありがとうございました。交流会にも参加させていただき、より理解を深めることができました。