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●日本が戦時中に使用して、中国に棄ててきた毒ガス兵器。
その遺棄化学兵器の処理が化学兵器禁止条約が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器は、2027年までに処理が完了するのであろうか?
中華人民共和国において日本が遺棄した化学兵器の2022年より後の廃棄計画
日本国政府及び中華人民共和国政府は、「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」(以下「条約」という。)の関連規定に従い、化学兵器禁止機関(以下「OPCW」という。)執行理事会の決定(2012年2月15日付けの第67回化学兵器禁止機関執行理事会決定第6号)に関し、協議を行い、中華人民共和国において日本が遺棄した化学兵器(以下「遺棄化学兵器」という。)の処理のプロセスを全面的に加速し、人員の安全確保及び環境の保護を最も優先させるとの前提の下で、可能な限り早期に遺棄化学兵器の廃棄を完了することを目指して最善の努力を払うとの共通認識を確認し、2022年より後の廃棄計画について以下の共通の認識に達した。(以下略)
中国における遺棄化学兵器処理事業について
2023年7月
内閣府 遺棄化学兵器処理担当室
回収数 98293発
処理数 65894発 ※中国に遺棄してきた毒ガス弾はこんな数ではないと思うが?
(2023年3月現在)
尚志(黒竜江省)・・・2015年に発掘・回収を開始。
琿春(吉林省)・・・・2012年に発掘・回収を開始。
ハルバ嶺(吉林省)・・日本側の独自見積りで10数万発の埋設が推定。2012年に発掘
回収を、2014年に廃棄処理を開始。2022年に大型廃棄処理設備
を導入し処理事業を加速化。
死去の森村誠一さん、400冊超える著作 生涯にわたり市民楽しませ、時には社会に鋭く問題提起
731部隊を研究、常石敬一さん死去 79歳 神奈川大名誉教授
なぜ“群集”は暴走するのか 関東大震災100年 ある事件の問い
●長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
●処理水??放出反対!!
IAEAも原子力規制委員会も原発推進機関だ!!
IAEA報告書は「処理水の海洋放出」を承認していない。中国を「非科学的」と切り捨てる日本の傲慢
福島原発処理水の海洋放出計画、国内外から不安と怒り 今夏に実施か
「汚染水はなぜ流してはならないか」小出裕章講演会
私の魚はあなたの魚
【声明】処理汚染水の海洋放出決定に抗議する
見解:IAEA 包括報告書はALPS 処理汚染水の海洋放出の「科学的根拠」とはならない 海洋放出を中止し、代替案の実施を検討するべきである
「十分な理由がある」 中国外務省、日本からの輸入水産物の全量検査を正当化 福島第一原発の処理水放出めぐり
福島原発事故10年、汚染水を海に流さないで! 原発もうやめよう!
「汚染水放出反対」釜山の市民団体が訪日へ 韓国南部の海上では抗議行動
汚染水の放出中止を!全米海洋研究所協会が声明
「これ以上、海を汚すな!」 原発汚染水海洋放出に世界各地で「反対」の声
処理水の放出反対 日韓最大野党の議員らが声明 立憲内からは懸念も
日本に渡っていった韓国野党、ついに「IAEAは国連の傘下ではない…新しい機構必要」
香港政府、処理水放出なら「10都県からの水産物輸入禁止」…中国と足並みそろえる
グリーンピースは、汚染水をもっと堅牢で大型のタンクに保管し、現在より精度の高い分離技術を開発するすることを、安全で実効的な解決策として提案しています。
なぜなら、海外ではすでにトリチウムを分離する技術が運用されているからです。
福島には、今以上のタンクを設営するスペースも、十分あります。
!
処理水報告書「中立性欠く検証」 韓国野党、IAEA批判
「サンモニ」目加田説子氏、福島原発処理水を「汚染水」と表現 IAEAの行動「政府手助けに見える」
今さら聞けない「汚染水」のホントとウソ、まとめました
社民党議員 処理水放出反対の韓国野党と連携
処理水の海洋放出に反対 宮城県議会が全会一致で可決
「処理水放出に反対」、福島県の漁業団体が4回目の決議…日本国内の世論は
韓国国会が処理水放出反対決議案可決 野党が強行
駐日中国大使 処理水の海洋放出に反対(2023年7月4日)
●ウクライナ戦争は即時停戦を!!
戦争禁止条約はできないのだろうか??
【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(31日の動き)
日本、クラスター弾供与反対せず 松野氏、被害低減策に言及
核使えば「すぐ終戦」 ロシア前大統領が威嚇
ザポリージャ原発“爆発物” ウクライナとロシアが非難の応酬
アメリカ政府 ウクライナへのクラスター爆弾の供与を発表
クラスター弾供与に反対 英首相
●長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
「731部隊少年隊・平和祈念館」清水英男さんの証言
看護師らが患者を…「滝山病院 暴行事件」」
松本清張と帝銀事件第2部
・日本は核兵器禁止条約に署名し、批准すべきだ!!
・日本は生物兵器禁止条約に、1972年4月10日(署名開放日)に署名,1982年6月8日に批准した。
・日本は化学兵器禁止条約に、1993年1月に署名し、1995年9月に批准した。
・核兵器禁止条約が、2021年1月22日に発効したが、日本は不参加。オブザーバー参加もしていない!!
●防衛省は、『衛生学校記事』・『化学学校記事』を公開していない!!日本の自衛隊は、何をやっているのか、国民に情報を公開すべきである!!
大炎上「赤坂自民亭」は何が問題だったか
●情報公開裁判「衛生学校記事」裁判 第1審東京地裁8月29日(火)判決!!
●秘密保護法の廃止を求めます!!
軍拡反対!!
広島市民のG7反対デモ5.20
広島市民のG7反対デモ5.21
広島市民のG7反対デモ5.21続
被爆者インタビュー
高校生「原爆の絵」
【速報】女川原発2号機 再稼働差し止め認めず 仙台地裁
【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった
【ヒロシマを理解したのか】91歳の被爆者サーロー節子さんが見たG7サミット
5月13日東京新聞
帝銀事件
帝銀事件①
戦後最大のミステリー「帝銀事件」犯人は何故被害者と同じ毒物を飲んで死平気だったのか?冤罪?真犯人は旧陸軍?
登戸研究所資料館 / 20181215講演会「帝銀事件と陸軍登戸研究所」
ビキニデーin高知
太平洋での核実験で被害を受けた日本人漁民の証言
ビキニ被災者より聞き取り
足摺岬サンセットクルーズ(高知県)
ジョン万次郎の生家を訪ねて(高知県土佐清水市)
宗田節工場見学(高知県土佐清水市)
震洋艇壕跡(高知県土佐清水市)
幡多ゼミOB・顧問と対談
特別交流会
全体集会第1部
全体集会第2部
ビキニ被ばく船員訴訟報告
広島・長崎の原爆
映画「ひろしま」
放射能汚染の恐ろしさ
核被災に苦しむウイグルの人々
放射線を浴びたX年後
731部隊展
ワクチン開発と戦争犯罪
731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―
731部隊の実態をきちんと伝えよう!!
資料
飯田市平和祈念館問題~731部隊の展示をめぐって~
731部隊・100部隊展
一市民と行政が創る「飯田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一
飯田市の資料収集委員の方が作ったパネル
731部隊で行われていたこと
731部隊で行われていたこと
旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」検討委員会の初会合 長野・飯田市
「証言 石井四郎」~語られた人物像~
731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
学者・研究者の歴史認識・軍事研究を問う!!
福島 雅典京都大学名誉教授
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展
731・原爆・ビキニ
2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12且26日(月)
7,戦争は怖いと一言しかない。(51歳以上、市内、偶然)
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります。
日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
1月1日
清めの雪とも言うのかもしれないが一面白くなった駅の方から高足ヲドリらしい囃子が聞こえて来る。前方の工兵大隊表門には早くも日章旗。降る意志もないような降り方で楽しい
地上に降ったり止んだり積もらない 積もったり止んだり降ったり ああ忙しい―雪の空見ていては中々書ききれない。
昭和6年と云ふよりも私の満期年と言った方が心持ちよい 2ヶ年の軍隊生活が無意義であってはならないのだ。
昔の様に暗の中で理想を追ふ様な少年的な生活をしてはならない。堅実な理性はよく私を幸福にみびいてくれる.
私には友が待っている 親が待っている 私は未だお坊ちゃんだ
私が此の生を受けて以来の初めて歴史を飾る記念の年だ 1931年 満期・・・⋮満期
こんなに書いてもいまだに1ヶ年あるんだな 困ったな あ・・・・帰りたい・・・・・・・・・親がある・・・・。
「ずっと父が嫌いだった」
軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
その日はいつか
6
その日こそ
君の体は恥なく蔽われ
この屈辱は国民の涙で洗われ
地上に溜った原爆の呪いは
はじめてうすれてゆくだろうに
ああその日
その日はいつか。
メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
731部隊を破壊する
1945年8月14日に行った事
溝淵俊美(みぞぶちとしみ)
731部隊・教育部
〈経歴〉
1922年生まれ
1943年 731部隊入隊。教員部配属
1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長
1945年8月 帰国
■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。
8月11日
それが、西中佐との最後であった。その後、西中佐はソ連に抑留されたのである。
この日はいろいろあったが、“満人”の群集は次第に数を増し、中には旗を振っている者もいた。雨は完全にあがって、暑い夏の空が戻って来た、ロ号棟内部の作業は、まだ続いていた。何台ものトラックが、何かを積んで慌ただしく走り去って行った。聞くと、標本やら“マルタ”の骨をかます〔穀物や塩などを入れるための袋〕に詰め込み、松花江へ捨てに行くという事だ。
日本軍政下香港(1997.7.27)
●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
被控訴(附帯控訴)代理人(鈴木)
甲第273号証、692号証を示す
証人の意見書の2頁3行目以下3行にわたって、家永本の問題になった箇所の記載がありますね。この記述関係については証人が主として挙げられた3点の論文で十分証明できるんですか。
確認しますと、3点というのは、常石さん、森村さん、パウエルということですか。
証人が3点あげられましたね。
特に重要だという点で30数点の中から挙げて論じたわけです。
例えば、「数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な行為をソ連の開戦に至るまで数年にわたって続けた。」という事実は認定できるんですか。結論だけでいいです。
もちろん確認できるところか、これだけでは非常に不十分だと、もっと詳細に記述できるし、また しなければならないと思います。
裁判長
質問に端的に答えて欲しいんですが、その3点の資料で家永さんの記述を認定するには十分でしょうかという質問です。
十分だと思います。
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)
Ⅳ 恒常化する毒ガス戦 1938 ~1941
3 新墻河(しんしようが)渡河作戦
第6師団兵士の毒ガス戦体験記
流れてきたガスを吸って目も見えず、口も聞けなくなって苦しむ有様が詳しく記述されており、嘔吐性ガスの効果をよく伝えている。
以上から、新墻河渡河作戦で、第11軍は、毒ガスを放射して対岸陣地をガスで覆い、ガスマスクをつけた第1線部隊がその直後に渡河したことは明らかである。また重要なポイントは第6師団が中心となって行ったことである。修水でも新墻河でも毒ガス(嘔吐性ガス)を使ったことはなく、新墻河で使用したのは発煙筒にすぎないという鵜飼元中将の説が全くの作り話であることはもはや明白であろう。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
大久野島の歴史
Ⅳ 日本軍の毒ガス戦
⑥日本軍の毒ガス使用への連合軍の対応
日米が開戦し、日本軍がアジア太平洋地域を占領した1942年春、日本軍の大規模な毒ガス使用に危機感を抱いた中国国民党の蒋介石がアメリカに日本軍の毒ガス使用に対する警告の声明を出すように求めました。これを受けて米国は初めて日本に対して警告を発しました。1942(昭和17)年6月5日 アメリカのルーズベルト大統領が「・・・もし日本が非人道的戦争手段を中国あるいは他の連合国に対して用い続けるならば日本に同様な方法による最大規模の報復が与えられるだろう・・・」という厳しい声明を出しました。しかし、日本軍はその警告を無視し、その後も毒ガスの使用を継続しました。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶
中国と日本には、多くの被毒者(毒ガス被害者)がいる!!
チチハル事件以後、一時金は出ているが、不十分である!!
認定NPO法人化学兵器被害者支援日中未来平和基金
核時代39年(1984年)5月初版発行
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
血の会食
市場に砲弾を撃ち込んで略奪
宮崎敏夫
砲手 兵長
〈略歴〉
学歴 旧制中学校卒業
旧部隊名 第59師団第54旅団第109大隊歩兵砲中隊
年齢41歳
1945年1月から行動を始めた独歩109大隊、450名は、坪内中佐の指揮の下に、長清、済陽県一帯の穀倉地帯を、巨大な毒蛇のように、血の跡をしたたらせながら、20年春、山東作戦の略奪行軍を行なっていた。青ラシャの外套を暖かそうに着こみ、防寒帽を真深に被って、赤ら顔を馬上にふんぞり返らせた大隊長や将校。
●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
5 結論
前項の検討の結果、日米双方の対処方針を確認するとともに、日米協同の対処方針について次の通り決定した。
日米協同の対処方針
(1)日本直接防衛作戦
ハ 直接侵略に対しては、日米共同して迅速にこれを排除する。この際日本自衛隊は主として作戦の防勢面を担当し、米軍は全般作戦支援の他、直接的に日本防衛上必要な攻勢面の作戦の大部及び自衛隊の能力の不足する防勢面の作戦の一部を担当する。
ニ 日本防衛の対象区域は、わが国自衛のため必要な範囲内とする。但し日本への核兵器の持ち込み 及び使用については別に協議する。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
3,自衛隊における人体実験の疑念
自衛隊の赤痢菌検査の疑惑
生体実験の事実
アテノウイルス4型の新兵熱についての意義=園口将補、42,5、「日本医師会雑誌」
インフルエンザワクチンと他ワクチンの併用=園口将補、42、10「日本医事新報」2270号。
インフルエンザワクチンの皮内接種=園口将補、42、12「日本医事新報」2278号。
インフルエンザ・アジェバンドワクチンの野外研究、第6報、新流行株に対する抗体上昇効果=時岡2佐、42、4「防衛衛生」14巻4号。
インフルエンザ・アジェバンドワクチンの野外研究、第7報、同化性アジェバントワクチンの接種=時岡2佐、42、10「防衛衛生」14巻10号。
1966年に行なわれたインフルエンザ生ワクチンの野外研究=時岡2佐、42,11、「防衛衛生」14巻11号。
これは67年に明らかにされた研究の一部を摘記したに過ぎないのであるが、インフルエンザ・アジェバントワクチンの野外研究は、武山の少年工科學校と、千葉県下志津の高射学校、勝田の施設学校の生徒を対象として実験を行なっている。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
Ⅲ
一方で天皇ど宮中グループは、来たるべき即位の礼にいっそう集中していった。大正天皇のための国家的服喪の布告と昭和天皇のための即位儀礼の挙行は、祭政一致の神道の原理と、憲法に優先する皇室法の規定によって、独自の伝統に基づいて進められた。即位という重大な時点での祭祀と儀式は、憲法や議会の法令に根拠を持つものではない。この一連の事業に対する帝国議会の役割は、必要経費を議決することだけだった。
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
02
武器をつくったり売ったりしない世界
世界ではいま、 武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
憲法9条を生かそう!!
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
願わくは、戦没者たちが、自衛隊の「閉じ」の中から解放され、新たな地にて平和な社会の実現を見守って下さいますように。(鹿屋市内に一定の世論ができて、このような文章を書いているのではなく、私・鶴ヶ岡個人がこだわってきた、「戦没者」ということや「戦没者の遺念」ということへの思いから、書きました。また、鹿屋市当局も、資料館を取り戻すことなど、夢にも思っていないことでしょうし、自衛隊と利益関係でつながる出入り業者の数も多いですので、これまで(戦没者の冒涜に)気づいた人がいたとしても、なかなか声に出すことは出来なかったのではないかと思うのです。それだけ根の深い問題になっていますが、そこに光を灯すべき価値は大いにあるのではないでしょうか。数や金の上にあぐらをかいて、人々を、自分に都合のいい価値観にしばりつけているような地域性の中にある自衛隊の中でも「戦没者たち」が、埋没させられ、利用されてきました。自衛隊を包み込むそのような地域性があることもしっかりと見据えた上で、「自衛隊が戦没者たちを冒涜してきたということと、史料館は新たに平和祈念資料館として移転すべきこと」について、このような小さな声を、風に託すような思いで、届けたいです。)