細菌戦の系譜!!(本日短縮版) | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ




にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
にほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 近代 明治・大正・戦前へ

にほんブログ村


政治ランキング

教育・学校ランキング

歴史ランキング


「731部隊少年隊・平和祈念館」清水英男さんの証言

看護師らが患者を…「滝山病院 暴行事件」
松本清張と帝銀事件第2部


●防衛費増額反対!!
防衛費「5年で43兆円」、岸田首相指示 23年度から
●ウクライナ戦争は即時停戦を!!
戦争禁止条約はできないのだろうか??
【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(29日の動き)
プーチン大統領がプリゴジンの亡命認めた理由は…反乱に「ロ宇宙軍司令官」加担か
ゼレンスキー大統領「露では隠しきれないほどの混乱」

●核実験・原発事故・戦争で世界の環境は壊れかけている!!
・日本は核兵器禁止条約に署名し、批准すべきだ!!
・日本は生物兵器禁止条約に、1972年4月10日(署名開放日)に署名,1982年6月8日に批准した。
・日本は化学兵器禁止条約に、1993年1月に署名し、1995年9月に批准した。
・核兵器禁止条約が、2021年1月22日に発効したが、日本は不参加。オブザーバー参加もしていない!!
●防衛省は、『衛生学校記事』・『化学学校記事』を公開していない!!日本の自衛隊は、何をやっているのか、国民に情報を公開すべきである!!
※なぜ、防衛省は、『化学学校記事』公開できないのか?
1966年第21回国連総会において化学兵器及び生物兵器の使用を非難する決議が採択され、1969年にはベトナム戦争での枯れ葉剤使用の被害の深刻さから、ウ・タント国連事務総長が、「化学・細菌兵器とその使用の影響」と題する報告書を提出したことを契機として、国連などの場で化学兵器の禁止が活発に議論されることとなった。(ウ・タント国連事務総長が「化学・細菌(生物)兵器とその使用の影響」と題する報告書を提出するのは、1969年7月2日)
 その世界の潮流の中で、日本でも、国会で毒ガスのことが取り上げられ、また、返還前の沖縄(1969年7月)で米軍の毒ガス漏出事故が起きる。
 日本政府は、国連の動きに反応して、1925年に作成され、1928年に発効したジュネーブ議定書(窒息性ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書)を1970年5月に批准する。

 一方自衛隊は、戦後アメリカからのデータに基づき、サリンの合成に1964年に成功し、1973年には最新のBZガスの合成に成功している。

 このジュネーブ議定書を日本が批准したことが、「化学学校記事」の存在が、国際社会では認められないものであると判断して、「化学学校史」に記載しなくしたのではないか。また「化学学校記事」を隠すことになったのではないかと思う。

(追伸)1995年に起きた地下鉄サリン事件では、サリンの製造に自衛隊員が加わったとか化学学校の資料が流出したのではないかとの情報がある。
 そういう情報を、世間に知らせないため、オウム真理教の死刑囚を刑を執行したのではないか。
死刑執行前夜の写真↓

大炎上「赤坂自民亭」は何が問題だったか





秘密保護法の廃止を求めます!!
マイナンバーカード 証明書交付システム 再停止へ
戦後78年、沖縄慰霊の日 地上戦犠牲20万人追悼 追悼式、4年ぶり制限なし




軍拡反対!!

広島市民のG7反対デモ5.20

広島市民のG7反対デモ5.21

広島市民のG7反対デモ5.21続


被爆者インタビュー


高校生「原爆の絵」


【速報】女川原発2号機 再稼働差し止め認めず 仙台地裁

【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった


【ヒロシマを理解したのか】91歳の被爆者サーロー節子さんが見たG7サミット

 



秋葉前広島市長へのインタビュー


核なき世界へ


上田紘治さん











2015年に遺族が第20次再審請求をしている!!

平沢貞通画伯が米寿を迎える頃に獄中で描いたとみられるテンペラ画


5月13日東京新聞
帝銀事件
帝銀事件①
戦後最大のミステリー「帝銀事件」犯人は何故被害者と同じ毒物を飲んで死平気だったのか?冤罪?真犯人は旧陸軍?
登戸研究所資料館 / 20181215講演会「帝銀事件と陸軍登戸研究所」







ビキニデーin高知 2023



ビキニデーin高知


ビキニデーin高知

ビキニ被災者支援ニュース



太平洋での核実験で被害を受けた日本人漁民の証言


ビキニ被災者より聞き取り

足摺岬サンセットクルーズ(高知県)

ジョン万次郎の生家を訪ねて(高知県土佐清水市)

宗田節工場見学(高知県土佐清水市)

震洋艇壕跡(高知県土佐清水市)

幡多ゼミOB・顧問と対談

特別交流会

全体集会第1部

全体集会第2部

ビキニ被ばく船員訴訟報告

広島・長崎の原爆
映画「ひろしま」
放射能汚染の恐ろしさ
核被災に苦しむウイグルの人々
放射線を浴びたX年後
731部隊展








ワクチン開発と戦争犯罪


戦争の謝罪をするのか?
天皇皇后両陛下 きょうインドネシアへ 即位後初の外国親善訪問


731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―





731部隊の実態をきちんと伝えよう!!


信濃毎日新聞5月29日




資料








飯田市平和祈念館問題~731部隊の展示をめぐって~

731部隊・100部隊展
一市民と行政が創る「飯田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一

飯田市の資料収集委員の方が作ったパネル


731部隊で行われていたこと



731部隊で行われていたこと


旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」検討委員会の初会合 長野・飯田市


「証言 石井四郎」~語られた人物像~
731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
学者・研究者の歴史認識・軍事研究を問う!!
福島 雅典京都大学名誉教授





「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
 

 


ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展

 


731・原爆・ビキニ



2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月25日(日)
4、良い企画と展示でした。このように事実を伝えることは、戦争に向かわない気持ちになるものです。(51歳以上、市内、図書館のポスター)

 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

 

 

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります。

 

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com

 


日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

はじめのことば
仏壇の下奥に忘れられたように日記帳が置かれていました。茶色に煤けた布張りの表紙には「1931」の題字が刻まれています。私はこれを見つけて以来、いく度かぱらぱらとページを繰っては、狭い行間に細かい字と漢字、馴染みのない軍隊用語を見て読む気が失せ、閉じてきました。
 既に90年という時を経て、紙もペン字も薄れて頼りなくなっております。





「ずっと父が嫌いだった」

軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
その日はいつか



そして近づく八月六日、
君は知ってはいなかった、
日本の軍隊は武器もなく南の島や密林に
飢えと病気でちりぢりとなり
石油を失った艦船は島蔭にかくれて動けず
国民全部は炎の雨を浴びほうだい
ファシストたちは戦争をやめるさえ知らぬ、


メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書


 

 

 

 




●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊

満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ
撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった

大竹康二
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。
43年8月開拓団入植
1945年5月 122師団(牡丹江)入隊
1945年6月 731部隊教育部に配属
1945年8月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの

 平房脱出

そして20日には釜山に到着しました。24日に船に乗って、翌日25日夕方に東萩港に着きました。そこで現地解散でした。ホッとしました。命拾いしたようなものだもの。“満洲”に行って絶対帰らないと思っていたわしが家に帰って来た。しかも凄く早く帰ってきました。負けて帰って来たからずうっと2階に引っ込んでいました。恥ずかしくて外に出られませんでした。
 




 




日本軍政下香港(1997.7.27)

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行


速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
本件の検定経過内容をご覧いただいて、また色々とお話をいただいた、歴史学者、専門研究者、あるいは教育者としてのご意見を承りたいと思います。

 現在、現地に行きますと、当時、部隊の中で働いていた中国人労働者が何名か現存しております。100人を越す人たちがおります。そういう方のいろいろな話を聞くと、大変なことを日本人は中国大陸でしたんだということを感ぜざるを得ません。特に731部隊に送り込まれて殺された人の遺族というのが現在判明している2組の方がいます。部隊の関係者というのは、収容された者は氏名を無くされて、3桁の番号、あるいは4桁の番号がついていただけですから、遺族探しというのは大変難しいんですけれども、ハバロフスク公判記録や中国で発表された書物の中に出てくる犠牲者の名前、わずかですけれどもそれを頼りに探しますと、2組の方が現在分かっているわけです。1人は、敬蘭芝さん、もう1人は張可偉さん、張可達さん、という方であります。1人は人体実験になった方の奥さんです。もう1人は父親が殺された、長男と次男です。
 





消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」






●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




2 Ⅳ 恒常化する毒ガス戦 1938 ~1941

2 修水渡河作戦

大規模毒ガス戦の諸記録

 毒ガスにより渡河は容易に成功したことがわかる。また、この作戦の視察のため教育総監部本部から派遣された化学将校、白木真澄歩兵中佐は次のように述べている。
 第106師団正面約5キロでは、あか筒1万本のほか催涙筒・発煙筒・15cm榴弾砲あか弾300発・野砲あか弾7-800発・迫撃砲あか弾700発を使用した。煙の放射は7時20分から、あか筒の放射は27分からだった。第101師団の右翼隊正面1500mと左翼隊正面2500mでは、あか筒6000本の他催涙筒・発煙筒・15cm榴弾砲あか弾1000発・野砲あか弾360発・迫撃砲あか弾700発を使用した。その放射は、煙が7時40分から、あか筒が45分からだった、と。






海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!




大久野島の歴史

Ⅳ 日本軍の毒ガス戦

③日本軍の毒ガス使用の本格化

 1939年7月の盧溝橋事件以降、日中全面戦争が始まると日本陸軍は中国のあちこちで催涙ガスを使用するようになります。日本陸軍は中国へ多くの部隊を派遣しますが、その中には毒ガス戦部隊多く含まれていました。これには日本軍が中国戦線で毒ガスを使用し実戦に慣れさせる狙いがありました。 最初は山西省など、中国の奥地での使用を指示しました。情報が伝わりにくい地域で使用し国際条約 違反の非難をかわすという狙いがあったからです。しかし、第二次上海事変では日本は想像以上に苦戦し、多くの死傷者を出しました。日本軍が思っていた以上に中国軍の抗戦能力が高く日本軍が軍事力で圧勝することは難しいことが解りました。



SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶



中国と日本には、多くの被毒者(毒ガス被害者)がいる!!
チチハル事件以後、一時金は出ているが、不十分である!!

山下基之弁護士の話

 チチハル毒ガス被害は、日本政府が「旧日本軍の毒ガスである」と認めたことが、先行している二つの裁判と 違うところです。しかし政府は、被害を補償するのではなく、「遺棄化学兵器処理事業に係る費用」として三億円を支出したに過ぎません。中国政府は約八割 を、直接、被害者に配分しましたが、一時金では不十分です。事故時の入院費用だけで受領金の三分の一近くかかってしまった人もいる。将来の入院費を心配し て、重篤な症状を抱えたままの人も多い。
 被害者の全面的な健康調査を実施しなければ、全容は明らかになりません。医療保障とあわせ生活保障が必要です。外務省を窓口に継続的な協議をしていくと同時に、世論にも訴えていきたい。

認定NPO法人化学兵器被害者支援​日中未来平和基金



 




核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

強制労働
殺人長屋に押し込めて酷使




大西馨(おおにしかおる)
大尉

〈略歴〉
本籍 愛媛県
学歴 高等小学校卒業
出身階級 貧農
所属部隊名 第42野戦道路隊
年齢 47歳

青年は仲間の3人に代わってブレーキの棒を差込、ぐっと力を入れてブレーキをかけて点検してみたが、やがて唇をぐっと噛みしめ、決死の眼差しを前方の軌道に走らせながら、矢のように疾走する台車の上で、渾身の力を振るってブレーキをかけながら下って行った。あとの捕虜もこれに見習ってはらはらしながら次ぐ次に本道へ下って行った。こんな殺人の場所、少しでも油断すればブレーキの環が外れ、脱線か振り落とされて死か、軽くても重傷である。私はこれを平気で強いたのである。



●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著


第3編 主要極秘文書
1 三矢研究

3 日米の対処方針
(2)米軍の極東戦略構想
ニ 東南ア方面においては、自由陣営諸国軍と協同して現態勢を確保して事態の拡大を防止すると
  ともに、努めて局地的且つ平和的手段により紛争解決に努力する。
ホ 日本に対する武力侵攻に際しては、日米安全保障条約に基づき日米共同してこれを排除する。
へ 核兵器は侵略抑制の手段としてこれを確保する。また状況真にやむを得ず他に手段がないと判断
  した場合は、これを使用することがある。

 





●『BC兵器』久保綾三著(1969年)



Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

3,自衛隊における人体実験の疑念 

“人道的兵器”は存在するか

この問題については、後でも触れなければならないが、彼らの生物・化学兵器の戦略的な位置づけに端的に示される。例えば、陸上自衛隊化学学校長の吉田大桂司一佐は、「化学武器のような内傷効果を与える武器」を「人道的である」とし、「現在において多発している低次元の戦争、紛争或いは暴動において、無傷害化学剤が多く使われている現実に注目しなければならない」と言い、「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となりうる素地をもっている」し、「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている(『化学学校記事』第13号)



























IMAGINE9
解説

9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。

世界は、9条をえらび始めた。


すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。
―イギリス、20代・男性

平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願っています。
―オーストラリア、20代・女性


憲法9条を生かそう!!



『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)

鹿屋海上自衛隊内にある「鹿屋航空基地史料館」は、自衛隊とは全く別の、戦争のコマとされて亡くなった(命令によって特攻に行かされ、現場から上層部に無謀な作戦であると意見しても、全く無視された中で、更に多くの若き兵士たちが犠牲者となった)戦没者たちの史料館なので、別の場所に移動し、公的機関管理の『平和祈念資料館』(もしくは「平和祈念会館」~鎮魂と平和=憲法九条を明確にして平和を発信する「庶民のための」資料館)にすればいいとの考えに、ようやく、数十年かけて、たどり着き、まとまってきました。場所は、どこでもいいでしょうが、例えば、(平成の大合併で鹿屋市に吸収された)串良町平和公園内(海軍串良航空基地跡~特攻で363名戦死)でもいいでしょうし、その場合、既に鹿屋市内にて活動している「平和ガイド」の方々も力を合わせていけるのではないでしょうか。

 
 





カンパ大歓迎
ブログ・動画作成・オンラインなどをやっています。
郵貯
記号10100
番号
67985861