細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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●核実験・原発事故・戦争で世界の環境は壊れかけている!!
・日本は生物兵器禁止条約に、1972年4月10日(署名開放日)に署名,1982年6月8日に批准した。
・日本は化学兵器禁止条約に、1993年1月に署名し、1995年9月に批准した。
・核兵器禁止条約が、2021年1月22日に発効したが、日本は不参加。オブザーバー参加もしていない!!
●防衛省は、『衛生学校記事』・『化学学校記事』を公開していない!!日本の自衛隊は、何をやっているのか、国民に情報を公開すべきである!!
※なぜ、防衛省は、『化学学校記事』公開できないのか?
1966年第21回国連総会において化学兵器及び生物兵器の使用を非難する決議が採択され、1969年にはベトナム戦争での枯れ葉剤使用の被害の深刻さから、ウ・タント国連事務総長が、「化学・細菌兵器とその使用の影響」と題する報告書を提出したことを契機として、国連などの場で化学兵器の禁止が活発に議論されることとなった。(ウ・タント国連事務総長が「化学・細菌(生物)兵器とその使用の影響」と題する報告書を提出するのは、1969年7月2日)
 その世界の潮流の中で、日本でも、国会で毒ガスのことが取り上げられ、また、返還前の沖縄(1969年7月)で米軍の毒ガス漏出事故が起きる。
 日本政府は、国連の動きに反応して、1925年に作成され、1928年に発効したジュネーブ議定書(窒息性ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書)を1970年5月に批准する。

 一方自衛隊は、戦後アメリカからのデータに基づき、サリンの合成に1964年に成功し、1973年には最新のBZガスの合成に成功している。

 このジュネーブ議定書を日本が批准したことが、「化学学校記事」の存在が、国際社会では認められないものであると判断して、「化学学校史」に記載しなくしたのではないか。また「化学学校記事」を隠すことになったのではないかと思う。

(追伸)1995年に起きた地下鉄サリン事件では、サリンの製造に自衛隊員が加わったとか化学学校の資料が流出したのではないかとの情報がある。
 そういう情報を、世間に知らせないため、オウム真理教の死刑囚を刑を執行したのではないか。


秘密保護法の廃止を求めます!!


第3回遺棄化学兵器情報公開訴訟 2023 5 30

記録の廃棄「率直に反省」 最高裁長官、全国会議で
「最初の戦術核兵器をベラルーシに搬入」プーチン大統領 ウクライナに軍事支援する欧米を強くけん制
陸上自衛隊 “性被害” 裁判 元隊員5人中4人争う姿勢
プーチン氏を翻弄する「もう一つのロシア軍」とは?反転攻勢に参加?
トランプ前大統領 機密文書巡り起訴の37件すべてで無罪主張


軍拡反対!!

広島市民のG7反対デモ5.20

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広島市民のG7反対デモ5.21続


被爆者インタビュー


高校生「原爆の絵」


【速報】女川原発2号機 再稼働差し止め認めず 仙台地裁
汚染水処理の一部設備のみ見せた日本、「韓国は水産物の輸入再開を」本音あらわに

【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった
秋葉前広島市長へのインタビュー


核なき世界へ


上田紘治さん











2015年に遺族が第20次再審請求をしている!!

平沢貞通画伯が米寿を迎える頃に獄中で描いたとみられるテンペラ画


5月13日東京新聞
帝銀事件
帝銀事件①
戦後最大のミステリー「帝銀事件」犯人は何故被害者と同じ毒物を飲んで死平気だったのか?冤罪?真犯人は旧陸軍?
登戸研究所資料館 / 20181215講演会「帝銀事件と陸軍登戸研究所」









ビキニデーin高知


ビキニ被災者より聞き取り

足摺岬サンセットクルーズ(高知県)

ジョン万次郎の生家を訪ねて(高知県土佐清水市)

宗田節工場見学(高知県土佐清水市)

震洋艇壕跡(高知県土佐清水市)

幡多ゼミOB・顧問と対談

特別交流会

全体集会第1部

全体集会第2部

ビキニ被ばく船員訴訟報告

広島・長崎の原爆
映画「ひろしま」
放射能汚染の恐ろしさ
核被災に苦しむウイグルの人々
放射線を浴びたX年後
731部隊展










原発推進反対!!
こんなに地震が多発する国に原発はいらない!!
地震が相次ぐ5月 ここ1週間で震度5弱が2回 地震発生時の行動確認を
日仏が原子炉開発など原子力連携で合意 高速炉に3年で460億円
ウクライナ戦争は即時停戦を!!
【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(16日の動き)


靖国神社参拝反対!!
超党派の議員連盟メンバー87人 そろって靖国神社に参拝
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原発の怖さを考えよう!!
原発大回帰に抗して コリン・コバヤシさん

原発大回帰に抗して: 崎山比早子さん


原発大回帰に抗して コメント・質疑応答


戦争と医の倫理 プレ企画 『731部隊員の証言』


歴史修正主義から「ポスト真実」の時代へ







ワクチン開発と戦争犯罪






731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―




731部隊の実態をきちんと伝えよう!!





資料41






 



飯田市平和祈念館問題~731部隊の展示をめぐって~

731部隊・100部隊展
一市民と行政が創る「飯田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一


731部隊で行われていたこと



旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」検討委員会の初会合 長野・飯田市







「証言 石井四郎」~語られた人物像~



731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
学者・研究者の歴史認識・軍事研究を問う!!
福島 雅典京都大学名誉教授

厚労省は新型コロナワクチンデータを開示せよ!

【特集】ワクチン後遺症~副反応ではない 慢性的な後遺症の訴え

コロナワクチン接種 遺族団体“健康被害の救済認定速やかに”









留守名簿はなぜ全部開示されない??

731部隊展
“捨てられる裁判記録”は誰のものか
日本の機密文書管理はきちんと行われてりるのだろうか?隠蔽されている??機密文書も時間が経過したら、きちんと公開すべきだ!!日本にも積極的な情報開示を求めます!!
【バイデン大統領】自宅から別の機密文書見つかる








新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??


鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??
鳥インフルの処分数 全国で1000万羽超える 過去最多


 

安倍元首相銃撃 公判前整理手続き公開を ジャーナリストら団体
英国の劣化ウラン弾供与に反対声明を提出


「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」

 

 


ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展

 


731・原爆・ビキニ



2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月24日(土)
5、臨床試験はコロナのワクチンには不可欠となり悲劇が繰り返されぬ様に祈るばかりです。(21~50歳、市内、チラシ)


2022年は八王子市非核平和都市宣言から40年!!


飯田市平和祈念館の問題と清水英男さんの証言


731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

 

 

今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
医療倫理・研究倫理の深化


 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

 

 

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります。

 

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com

 


日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「ずっと父が嫌いだった」

軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
呼びかけ

そのの腕をたかくさしのべ
おなじ多くの腕とともに
また墜ちかかろうとする
呪いの太陽を支えるのは
いまからでもおそくはない



メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書


 

 

 

 




●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊

満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ
撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった

大竹康二
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。
43年8月開拓団入植
1945年5月 122師団(牡丹江)入隊
1945年6月 731部隊教育部に配属
1945年8月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの

 死体処理・証拠湮滅

 死体を鉄の棒に載せ、いっぱいになってから油をかけて火を付ける。でも火を付ける時わしはもうそこにはいなかったです。ロ号棟を出てから煙は見ました。兵舎の方からも見えました。後から聞いた話では、焼けてからふるいにかけて骨だけを川に捨てに行ったそうです。風葬と言う話も聞きました。
 ロ号棟に入って初めて死体を見て、そしてそれを運んで焼く、とにかく命令でやったわけだけど、これは正常な人間の考えることじゃない。人間のやることでもない。その時はわしの頭の中は真っ白でしたよ。



 




日本軍政下香港(1997.7.27)

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行


速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
甲第267号証を示す
ハバロフスク公判書類のうち、131頁以下の山田乙三の尋問調書抄録をご覧ください。今おっしゃった調書はこのことですか。

 その通りです。

これについて、どうしたということですか。

 このソ連でのハバロフスク裁判の供述書の内容が正しいということを、榊原秀夫という731部隊の 林口支部長で撫順戦犯管理所に収容されていた方ですけれども、その方が確認したという書類でありまして、 中央档案館が所蔵しているものを写したものであります。

榊原さんというのは731部隊の構成員ですね。

 その通りです。幹部であります。


消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」






●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




2 Ⅳ 恒常化する毒ガス戦 1938 ~1941

2 修水渡河作戦

特異な作戦計画

 特設師団である東京第101師団と熊本第106師団は、現役兵中心の東京第1師団 ・熊本第6師団より戦闘能力は著しく劣っていたため、武漢作戦で多くの線死傷者を出しており、士気も落ちていた。  
 そこで、第11軍の岡村軍司令官や宮崎周一作戦主任参謀は、砲兵とともに戦車・毒ガス・飛行機という現代的な兵器を集中使用して歩兵を支援し、この2つの師団に「弱兵の汚名を挽回させ」( 岡村)、「いちど戦勝の感覚を与え」させたい(宮崎)と考えたのである。将来の対ソ戦のために、大規模な実戦使用の実験を行なうという意味もあったことは言うまでもない。 








海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!





大久野島の歴史

Ⅳ 日本軍の毒ガス戦

②日本軍の国外での毒ガス使用の始まり

 山地民族は山岳地帯の峡谷に逃げ込んで抵抗したため、鎮圧に手こずった台湾派遣軍の司令部が毒ガスで鎮圧しようと考え、日本の陸軍省にイペリットなどの毒ガスの使用許可を申請しました。しかし 陸軍省はイペリット・ルイサイトなどの毒ガス使用は不許可とし、催涙ガスの使用のみ許可しました。 この時、初めて日本の台湾派遣軍が国外で催涙ガスを使用しました。しかし国際条約で使用が禁止されている毒ガスを使用したことは、日本国内でも批判が起こり、衆議院本会議でも追及されました。 これに対し、宇垣陸軍大臣は「催涙ガスは使ったが、間もなく回復するものであり、致命的な害を与える瓦斯は使っておりません。」と答えています。
 

 
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶



中国と日本には、多くの被毒者(毒ガス被害者)がいる!!
チチハル事件以後、一時金は出ているが、不十分である!!

山下基之弁護士の話

 チチハル毒ガス被害は、日本政府が「旧日本軍の毒ガスである」と認めたことが、先行している二つの裁判と 違うところです。しかし政府は、被害を補償するのではなく、「遺棄化学兵器処理事業に係る費用」として三億円を支出したに過ぎません。中国政府は約八割 を、直接、被害者に配分しましたが、一時金では不十分です。事故時の入院費用だけで受領金の三分の一近くかかってしまった人もいる。将来の入院費を心配し て、重篤な症状を抱えたままの人も多い。
 被害者の全面的な健康調査を実施しなければ、全容は明らかになりません。医療保障とあわせ生活保障が必要です。外務省を窓口に継続的な協議をしていくと同時に、世論にも訴えていきたい。

認定NPO法人化学兵器被害者支援​日中未来平和基金



 




核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

 刺突(しとつ)
農民を初年兵の訓練に




江先 光(えさきひかる)
曹長
〈略歴〉
私は山口県岩国市岩国に生まれた。
小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、
1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。
以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において
捕虜となった。今年40歳です。

●ー筆者からの一言〈昭和57年8月〉

なお、実名を出してもよいかとの事、当然、筆者の私はよいが、作中の人物名は太郎が二郎と書かれていようが、読者にはわからないと思う。
本人が自覚しておれば問題ないが、我々の体験から見て、なかなかそうはいかないと思う。むしろ自分がやったことが他人名で伏せてあれば、ホッとして、その行為を反省できるだろうが、初めから俺のやったことを暴露したとカンカンになっては、反省の余地もないのではないだろうか。その点御高察下さい。
(筆者から中国帰還者連絡会への伝言)



●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著


第3編 主要極秘文書
1 三矢研究

2 情勢
(2)今後の事態推移の見通し

(ロ) 直接侵略

a 海空攻撃
 
 従って、これが実施に当たっては、ソ連の介入が必要となり、もしソ連が介入した場合は、海上交通破壊作戦はますます熾烈となるであろうし、これと関連して港湾封鎖、機雷敷設、海上からする潜水艦等に本土砲撃等が予想され、作戦海域、目標等は西日本のみならず、更に広範囲に及ぶであろう。 それ故、対馬、津軽、及び宗谷3海峡の封鎖は日米両国にとって重大な問題となるであろう。






●『BC兵器』久保綾三著(1969年)



Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

大学問題に頭を抱える

一般大学や大学院から締め出された自衛官たちは、防衛庁の派遣学生もしくは研究員として「任務」として在学している者がほとんどであり、それらの者は「神聖な学問研究の場を軍事目的に利用する」ことに反対されているのである。これは、当然、自衛官が個人として学問、教育を受ける権利を奪われると言った事とは無縁のものなのである。派遣学生たちは自衛隊法第57条(隊員は、その職務の遂行に当たっては、上官の職務上の命令に忠実に従わなければならない)に従って「任務」として軍事目的の学術研究を行っているのである。

















●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか








●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年


第5章   新しい皇室、新しい国家主義

1891年生まれの近衛は、明治維新以後華族となった家柄の原田や木戸とは対照的な伝統貴族だった。昭和初期、近衛は貴族院の若い保守主義者と過激右翼の間で希望の星と目されていた。彼はじきに指導的地位に上り、1931年に貴族院副議長、33年には議長に就任した。日本がアジア・中国の経済を主導し、ヨーロッパの侵害からアジアを保護するべきだという彼の主張は、広く人の心をとらえた。1921年に政界に登場したときから,1945年12月に自殺するまで、近衛は宮中グループのどの主要人物とも緊密な個人的関係を結んでいた。
 





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解説

9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。

07
戦争にそなえるより戦争をふせぐ世界

2005年、 国連に「平和構築委員会」という新しい組織が生まれました。これは、アフリカなどで紛争を終わらせた国々が、復興や国づくりをしていくことを支援する国際組織です。このような過程で、再び武力紛争が起きないような仕組みをつくることが大事です。貧困や資源をめぐる争いが武力紛争の大きな原因になっている場合も多く、こうした原因を取り除いていく必要があります。つまり、紛争を予防するためには、経済や環境に対する取り組みが重要なのです。
 また、資源などを狙う外国が、その国の中の武力紛争を悪化させることも少なくありません。平和づくりはその国の人びとが主人公になるべきであり、人びとが自分たちの土地や資源に対してきちんとした権利をもつことが重要です。貧しい国に 「援助をしてあげる」 のではなく、人びとの権利を保障していくことが、平和の基盤をつくるのです。







憲法9条を生かそう!!
『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)

佐々木八郎さん
1922年生
1942年東京大学経済学部入学
1943年学徒出陣にて横須賀の武山海兵団入団
1945年4月14日 沖縄海上で昭和特攻隊員として戦死。22歳。
(7月29日の日記より~「軽井沢に見たような富豪の生活、近時見聞きする軍人の時を得顔の振舞、官吏、資本家の実情を見るにつけ、我々は胸の煮えくりかえるのを覚える」。エッセイ『愛と戦と死-宮沢賢治作「烏の北斗七星」に関連して-』より~「憎まないでいいものを憎みたくない、そんな気持ちなのだ。 正直な所、 軍の指導者たちの言う事は単なる民衆扇動のための空念仏としか響かないのだ。そして正しいものには常に味方をしたい。そして不正なもの、心驕れるものに対しては、敵味方の別なく憎みたい。好悪愛憎、すべて僕にとっては純粋に人間的なものであって、国籍の異なるというだけで人を愛し、憎むことは出来ない。・・」 『きけわだつみのこえ』より



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