細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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ワクチン開発と戦争犯罪






731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―




731部隊の実態をきちんと伝えよう!!


信濃毎日新聞5月29日

中日新聞5月29日






資料34

 



飯田市平和祈念館問題~731部隊の展示をめぐって~

731部隊・100部隊展
一市民と行政が創る「飯田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一


731部隊で行われていたこと



旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」検討委員会の初会合 長野・飯田市







「証言 石井四郎」~語られた人物像~



731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
学者・研究者の歴史認識・軍事研究を問う!!
福島 雅典京都大学名誉教授

厚労省は新型コロナワクチンデータを開示せよ!

【特集】ワクチン後遺症~副反応ではない 慢性的な後遺症の訴え

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留守名簿はなぜ全部開示されない??

731部隊展
“捨てられる裁判記録”は誰のものか
日本の機密文書管理はきちんと行われてりるのだろうか?隠蔽されている??機密文書も時間が経過したら、きちんと公開すべきだ!!日本にも積極的な情報開示を求めます!!
【バイデン大統領】自宅から別の機密文書見つかる








新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??


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英国の劣化ウラン弾供与に反対声明を提出


「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」

 

 


ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展

 


731・原爆・ビキニ



2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月23日(金)
15、広く天井が高くのびのびと見ることができた。アミダより展示資料が読みやすく、731部隊の犯罪とその戦争犯罪免責の経過、理解しやすい。特に放射能被害調査や感染症研究、戦後医学界に大きく影響を与えた事、許しがたい。日米支配者の残虐性を明らかにしている。写真が大きく多数有り、分かりやすい。この場所借りて本当に良かった。五井さんありがとうございます。(51歳以上、市内、チラシ)


2022年は八王子市非核平和都市宣言から40年!!


飯田市平和祈念館の問題と清水英男さんの証言


731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

 

 

今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
医療倫理・研究倫理の深化


 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

 

 

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります。

 

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com

 

 

日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「ずっと父が嫌いだった」

軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

景観

炎の あおい火粉
疾風の渦巻き
一せいに声をあげる闇
怨恨 悔 憤怒 呪詛 憎悪 哀願 号泣
すべての呻きが地をってゆらめきあがる空
ぼくらのなかのぼくら もう一人のぼく 焼けれたぼくの体臭
きみのめくれた皮膚 妻の禿頭 子の斑点 おお生きている原子族
人間ならぬ人間


メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書

 

 

 

 




●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊

満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ
撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった

大竹康二
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。
43年8月開拓団入植
1945年5月 122師団(牡丹江)入隊
1945年6月 731部隊教育部に配属
1945年8月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの

 入隊そして731部隊へ

 平房の駅に着いた時びっくりしました。防疫給水の乙(給水管濾水機)を、そこらのボウフラの湧いている水の中にぶっこんで、その水を飲まされました。エーっと思ったけど、その水がおいしいんだよね、その乙が12機ぐらい並んだのが甲っていう機械。
 731部隊では教育部に配属されました。衛生兵だったけど、やったことは衛兵の仕事で、ソ連が参戦した直前まで衛兵やってました。わしらは“三角兵舎”ってとこで寝起きしてました。土を掘って、その上にアンペラ(むしろ)をかけてあるだけの“兵舎”です。そんなのがいくつかあって1つの三角兵舎に1個分隊、多分百何名かがいました、わしらの来る前に作られていて、恐らく中国人が作ったと思います。雨が降ると皆びしょ濡れでした。


 




日本軍政下香港(1997.7.27)

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行


速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)

甲第697号証ないし第700号証を示す
証人は意見書の35頁以下に本件検定より後、1984年、昭和59年以降の731部隊に関する研究状況をかなり立ち入って書いておられます。この訴訟で問題になっているのは、本件検定当時の学界状況ですが、後のことは関係ないということを言う人があるいはいるかもしれませんが、その辺りの証人の御意見をお聞きしたいと思います。

 私がなぜ検定後、1984年以降のこともかなりの頁数を使って意見書に書いたかと申しますと、1983年の段階で、731部隊についてどのような研究状況にあったのか、どういう研究水準にあったのかということを明らかにするためには、その後の研究史の流れの中で統一的に理解して位置づけないと、これは明らかにならないというのは、いわば歴史学の常識に属することなんです。ですからその後の研究状況も私はかなり詳しくここで書いたわけです。もう1つの理由としましては、なぜ1984年以降も書いたかと言いますと、1987年の秦証言というもの、1987年には秦氏はそれまでの、1987年までの研究史をフォローできる立場にあったわけですから、当然秦氏の証言、それに基づく第1審判決を検討するこの控訴審では、当然、その後の研究の過程も明らかにしなければならないという風に考えたわけです。





 







消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」






●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




Ⅳ 恒常化する毒ガス戦 1938 ~1941

1 討伐戦・警備戦での常用

華北の警備戦・討伐戦での常用

 1940年1月、山東省西部の単県付近を警備していた東京32師団の佐倉歩兵第212連隊第2大隊は、 討伐隊に王塞付近の国民党軍を攻撃させた。9日、討伐隊は、壁に囲まれた集落にこもる部隊を包囲した。国民党軍が集落内の望楼から攻撃してくるので、あか筒19本、発煙筒5本を使用した。数分後、国民党軍は全く沈黙したが、ガスが薄れた東南角から射撃してきた。しかし、討伐隊は発煙直後に突入し掃蕩した。国民党軍の遺棄死体は80、 負傷者は多数、味方の戦死者は2名、負傷者は6名だった。使用した毒ガス筒は集めて埋没したと記されている。








海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!





大久野島の歴史

Ⅲ:大久野島毒ガス工場の稼働

⑥ 毒ガス剤製造の中止
1945(昭和20)年5月アメリカのオレゴン州の森林公園に到達していた風船爆弾が破裂し6名の死者が出たという記録もあります。また原爆製造施設の近くに落下、施設の電気が停電したが、自家発電に切り替えて支障がなかったそうです。風船爆弾は日本が唯一アメリカ本土を攻撃した兵器でした。風船爆弾でアメリカ市民を殺害したのは戦争加害に他なりません。敗戦後、そのことを知った女学生は自分たちが行った戦争加害に心を痛めました。

 
 

 

 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶





 





核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

 刺突(しとつ)
農民を初年兵の訓練に




江先 光(えさきひかる)
曹長
〈略歴〉
私は山口県岩国市岩国に生まれた。
小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、
1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。
以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において
捕虜となった。今年40歳です。

●ー筆者からの一言〈昭和57年8月〉
もう故人になられたが、我が国中国文学研究の第1人者であった吉川幸次郎先生は、「日本の文学の熱心な主題は恋愛であるが、中国文学の熱心な主題は政治である」と明快に教えられている。文学の中の政治とは、「創作中の人物が天下国家を論じ、策を天下に問う」ことではない、と私は理解している。政治とは、物事をなす人が、その時、それを誰のために、どのような考えをもって行なったかを見極め、言い換えると、そのような人物が中心をなす創作を指している、と思う。







●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著


第3編 主要極秘文書
1 三矢研究

2 情勢
(2)今後の事態推移の見通し
ハ 朝鮮半島の情勢
 また朝鮮の武力戦が日本に波及するか否かは、共産側の戦争目的如何に関わっており、また共産側が戦場を朝鮮半島以外の地域に拡大する危険をあえて冒すか否かによるであろう。しかしながら日本近海の商船撃沈事件、領空侵犯の激化等の現情勢から、その危険性は、早晩免がれ得ないであろう。 この場合米軍が日本基地から戦闘作戦行動を行う場合は、日本への波及を促進し、また波及を免れ得ないものとするのであろう。
 これらを契機として、ソ連の直接介入も考えられるが、極東ソ連の現情勢から本格的介入にはなお 若干の時日を要するであろう。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)



Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

自衛官の入学研究発表の拒否

 学会の研究発表拒否、大学や大学院への自衛官入学拒否は、右の声明にもかかわらず益々広がっている。これに対する防衛庁当局の抗議ないしは非難の理論的根拠が「学問の自由、表現の自由の立場から隊員が安心して学び、研究し、発表できない」ことを挙げているなどは、憲法宣誓を忌避している自衛隊から出てくる言葉としては奇異な感を抱かせるものであろう。それにもまして、職業軍人に「任務」として課している軍事目的の研究が、我が国の平和憲法の精神及び学校教育法の基本精神に反するという明白な事実を隠した論理のすり替えは多くの大学から鋭く攻められているわけだし、国民の間から非難こそあれ、大学や学会から拒否された防衛庁当局に対する同情の声が一向に聞かれないことは当然のことである。




●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか








●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年


第5章   新しい皇室、新しい国家主義

1849年に古くからの文官貴族(公家)の第2位の家柄に生まれた西園寺は、宮内官とは特別な関係を維持しており、彼らはたとえ親しい仲ではなくても、彼の助言に頼ろうとした。また、彼は、自分の弟の男爵住友吉左衛門が率いる住友財閥の経済的利益の忠実な擁護者でもあった。
 




IMAGINE9
解説

9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。

06
女性たちが平和をつくる世界

 男が働き、戦う。女はそれを支える。 昔から、このような考え方が正しいものだとされてきました。最近では日本の大臣が「女は子を産む機械だ」と発言して問題になりました。その背景には「女は子を産む機械だ。男は働き戦う機械だ」という考え方があったのではないでしょうか。第2次世界大戦下、日本の政府は、こういう考え方をほめたたえ、人びとを戦争に駆り立ててきました。このような男女の役割の考え方と、軍国主義はつながっているのです。






憲法9条を生かそう!!
『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)

鹿児島県鹿屋市には戦中、海軍鹿屋航空基地がおかれていて、 戦後は、海上自衛隊鹿屋基地になりました。その敷地内には、 「鹿屋航空基地史料館」があります。主に特攻隊で出撃して戦死した人たち(908名)の遺影や、遺書、遺品などが展示されています。私の地元でもありますので、30年以上前の頃2回ほど、史料館の見学に行ったことがありますが、それ以後は一度も行っていません。




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