細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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戦争と医の倫理 プレ企画 『731部隊員の証言』


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ワクチン開発と戦争犯罪











731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―






731部隊の実態をきちんと伝えよう!!










 

 



資料14

 








飯田市平和祈念館問題~731部隊の展示をめぐって~

731部隊・100部隊展
一市民と行政が創る「飯田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一


731部隊で行われていたこと



旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」検討委員会の初会合 長野・飯田市







「証言 石井四郎」~語られた人物像~



731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
学者・研究者の歴史認識・軍事研究を問う!!
福島 雅典京都大学名誉教授

厚労省は新型コロナワクチンデータを開示せよ!

【特集】ワクチン後遺症~副反応ではない 慢性的な後遺症の訴え

コロナワクチン接種 遺族団体“健康被害の救済認定速やかに”









留守名簿はなぜ全部開示されない??

731部隊展
“捨てられる裁判記録”は誰のものか
日本の機密文書管理はきちんと行われてりるのだろうか?隠蔽されている??機密文書も時間が経過したら、きちんと公開すべきだ!!日本にも積極的な情報開示を求めます!!
【バイデン大統領】自宅から別の機密文書見つかる








新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??


鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??
鳥インフルの処分数 全国で1000万羽超える 過去最多


 

安倍元首相銃撃 公判前整理手続き公開を ジャーナリストら団体
英国の劣化ウラン弾供与に反対声明を提出


「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」

 

 


ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展

 


731・原爆・ビキニ


2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月22日(木)
12、こうした小さな展示がやがて大きな波になりますように祈っています。(51歳以上、相模原市、不明)


飯田市平和祈念館の問題と清水英男さんの証言


731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

 

 

今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
医療倫理・研究倫理の深化


 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

 

 

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com

 


日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


おわりに
9月、柳条湖付近で満鉄が爆破されたのを機に満州事変が起き、これに出兵した父は足に銃弾貫通の負傷を負い、遼陽の衛戍病院で手術を受け入院しています。そして、この病院で働いていた日赤の従軍看護婦の母を見染め、後に結婚するのです。


「ずっと父が嫌いだった」

軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。



眼帯をかけた列車を憩わせる駅の屋上で
移り気な電光ニュースは
今宵も盲目文字をり
第二、第三、第百番めの原爆実験をしらせる
どこからかぽたぽたと血をしたたらせながら
酔っぱらいがよろめき降る
河岸の暗がり
揺れきしむボート
その中から
つと身を起すひょろ長い兵士
屑鉄りの足跡をかくし
夜汐は海からしのび寄せる
 

メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書


 

 

 

 




●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊

終生の重荷
脳裏にこびりついて離れない断末魔の形相

千田英男(ちだ ひでお)
731部隊・教育部

〈略歴〉
1917年生まれ
1942年 731部隊入隊
教育部付き衛生兵教育
吉村班、植村班、教育部庶務を歴任
■この証言は戦争体験を記録する会(宮城県)編『雲はかえらず』所収「終生の重荷」(1974年)より転載したもの


生体実験

昭和17(1942)年春の事だった。入営以来住み慣れた東満国境の部隊から関東軍防疫給水部に転勤になった時、私に与えられた職務は教育部付きとして各支部に配属される衛生兵の教育だった。それが終了した後、第1部吉村班に出向ということになった。
 ここは主として凍傷に関する研究を担当していて、私が行った時、たまたま喝病〔原文ママ〕の生体実験が行われている最中だった。それまでこの部隊は防疫給水、特に濾水機の製造補給が主な任務と聞いていた私には、初めて接する部隊の隠された側面にただ驚くばかりであった。堅牢なガラス張りの箱に全裸の人間を入れ、下から蒸気を注入して人工的に喝病にかかりやすい気象条件を作り出して罹患させ、臨床的、病理的に観察し、その病因を究明するためのものだった。


 




日本軍政下香港(1997.7.27)

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行


速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
甲第267号証を示す

まず森村誠一氏の「悪魔の飽食」につきまして、基礎資料、あるいは糾明の手法、あるいは解明した事実、そういった面での特色を、ごく簡単に要約していただきたいと思います。

 これは意見書の15頁から書いてあります。ごく簡単に申しますと、資料的には日本における30人ぐらいの聞き取り、アメリカ側の尋問調書、あるいはソ連のハバロフスク公判書類、中国での現地調査、あるいは中国の現場での聞き取りを総合して書かれているものだということで、いわゆる史料批判という意味では場合によっては両論を併記して、こういう意見もあるがこういう意見もあると、断定的には書かれていない部分もあると、非常に慎重に書かれていると思います。第1部と続と第3部と合計3部作になるわけですが、全体として研究が深化しながら731部隊の解明、人体実験が糾明されているものという風に捉えています。












消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」






●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始  1937―1938

武漢攻略作戦

武漢攻略作戦の教訓

 第2軍・第11軍両司令部の「実施報告」を受けて、 中支那派遣軍司令部は、次のように毒ガス戦の効果を評価した。

 今次作戦間に於いては、戦闘の性質、気象及び地形の関係上、特種煙の使用は相当困難なりしも、敵は防護装備並防護教育極めて劣等なりしを以て、特種煙の効力大にしてその少量を使用するも、よく当面の敵を制圧し、軽小なる我損害を以て敵陣地を奪取し、或いは将に交綏(こうすい)せんとする戦況を打開し、又は逆襲する敵を撃破して予期以上の効果を収め、戦闘の進捗をして有利ならしめたり。

海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!





大久野島の歴史

Ⅲ:大久野島毒ガス工場の稼働

⑤ 徹底した秘密厳守の命令と情報収集

 大久野島毒ガス工場では秘密の厳守が徹底されました。大久野島に働きに来た人には、厳しく秘密の厳守が義務付けられました。毒ガス製造に関わる工員は入所時に秘密厳守の誓約書を書かされました。秘密厳守に違反した場合は、「軍法会議にかけられて、いかなる厳罰も受ける」と誓約させられました。大久野島で見たり聞いたりしたことを誰かに話したことが解ったら言った本人は勿論、聞いた人も厳しく罰するという厳しいものでした。だから、知人・友人は勿論、家族にも、たとえ夫婦でも話してはいけない厳しいものでした。日本陸軍火薬史の中には「毒ガスの製造は軍事機密であり、工員を通じて工場の情報が外部に漏れないようにするため、工員は軍属とし、島は軍機保護法を適用し秘密の厳守を徹底した。さらに近隣町村に防諜団の組織網を張り巡らし、島の近くを通る外国船に対し航路変更を命じた。」と記してあります





 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶





 






核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

 刺突(しとつ)
農民を初年兵の訓練に




江先 光(えさきひかる)
曹長
〈略歴〉
私は山口県岩国市岩国に生まれた。
小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、
1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。
以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において
捕虜となった。今年40歳です。

「言えッ!小銃はどこにあるかッ!」青竹が空を切った。ビュッ、鈍い音、地面から一尺(約30㎝)ばかり離れた頭がゆらりと揺れる。「知らねぇ・・・殺せッ!」「なにを!そうたやすく殺してなるもんか」ブーッ、骨を叩く音、「知らんと言ったな」ビュッ、皮の裂ける音、ビリビリと電気がかかったように体が揺れると、「ううう・・・」低いうめきと共に血の様な液が吐き出され、鼻を伝って眼に流れ込む。「こ、殺せと言ったな・・・」ビュッ・・・背中からダラダラと血が流れた。




●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著


第3編 主要極秘文書
1 三矢研究


昭和38年度統合防衛図上研究の想定(概要)
 第3動 自7月1日 至7月31日 状況

1、世界情勢(略)
2、アジアの情勢(略)
 (1)(略)
 (2)(略)
 (3)南北鮮間におけるゲリラ的航空攻撃の応酬は、7月に入っても依然散発し、米軍はこれに対す
   る要撃作戦について韓国軍に協力するとともに、北鮮内部の航空偵察を実施中であったところ、
   中共の介入について確証を得たもののごとく、7月7日 1000(※10時00分)在日米軍司令部
   及び駐日米大使は、それぞれ防衛庁及び外務省に対し、要旨次のような事項を連絡し、同時に、
   ワシントンにおいても国防省発表を行った。
 イ 共産側は朝鮮休戦を無視し、依然として韓国に対する航空攻撃をやめていない。
 ロ 最近中共は、その兵力及び増援物資を輸送中であり、米軍は北鮮における中共空軍機及び陸軍
   部隊を確認した。過去1週間来、中共、平壌間の鉄道及び自動車輸送は異常な活況を見せてい
   る。 











●『BC兵器』久保綾三著(1969年)



Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

〔応急手当〕
クロルアセトフェノン蒸気は強く眼を刺激し、気温が高い時は、皮膚を刺激するかもしれない。患者を風に当てるため、非ガス地域へ運び出す。患者に眼をこすらせないようにする。症状が悪化した場合は10%重炭酸ソーダアルコール溶液(50%アルコール使用)で皮膚を洗う。硼酸溶液又は水で眼を洗う。



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年


1、摂政時代と大正デモクラシーの危機


 1926年10月、内務省は井上(貴族院議員)の著書(『我国体と国民道徳』)を発禁にした。河井が読んで内大臣の牧野と問題にし、また右翼の憤激を招いていたからである。教育勅語の公的解説書の著者で、保守的なキリスト教批判者である井上は、天皇制の正統性に合理的な基礎を与えようと、「国体」と国民道徳の関係を分析した。1925年に出たその本は、3種の神器と皇統の「天壌無窮」についての「神話」を批判し、神話のみに根拠を置く「万世一系」の公的観念は、近代国民に受け入れられるものではないと主張した。井上によれば、「国体」の特質は、その道徳的で、人道的で、「改革的」な性格にある。この改革性こそが、「民主主義」や「労働者解放」を皇室の伝統的精神の一部にさせるのである。政治的には反動といってもよい従来の経歴にもかかわらず、井上はこうしてはっきり大正デモクラシーの流れに同調した。

 


IMAGINE9
解説

9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。

02
武器をつくったり売ったりしない世界

「武器はどこから来るのでしょうか?
 ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。
アフリカの私たちは戦う必要も、殺し合う必要もないのです。だから憲法9条は、 アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器をもってこさせないようにすることができます」




憲法9条を生かそう!!
『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)

 願わくは、戦没者たちが、自衛隊の「閉じ」の中から解放され、新たな地にて平和な社会の実現を見守って下さいますように。(鹿屋市内に一定の世論ができて、このような文章を書いているのではなく、私・鶴ヶ岡個人がこだわってきた、「戦没者」ということや「戦没者の遺念」ということへの思いから、書きました。また、鹿屋市当局も、資料館を取り戻すことなど、夢にも思っていないことでしょうし、自衛隊と利益関係でつながる出入り業者の数も多いですので、これまで(戦没者の冒涜に)気づいた人がいたとしても、なかなか声に出すことは出来なかったのではないかと思うのです。それだけ根の深い問題になっていますが、そこに光を灯すべき価値は大いにあるのではないでしょうか。数や金の上にあぐらをかいて、人々を、自分に都合のいい価値観にしばりつけているような地域性の中にある自衛隊の中でも「戦没者たち」が、埋没させられ、利用されてきました。自衛隊を包み込むそのような地域性があることもしっかりと見据えた上で、「自衛隊が戦没者たちを冒涜してきたということと、史料館は新たに平和祈念資料館として移転すべきこと」について、このような小さな声を、風に託すような思いで、届けたいです。)


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