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世界的音楽家の坂本龍一さんが3月28日に死去 71歳
2023 4 1狭山事件:石川一雄さんを訪ねて
狭山事件フィールドワーク
飯田市平和祈念館 「731部隊」どう伝える
資料36
飯田市平和祈念館問題~731部隊の展示をめぐって~
【提言】飯田市平和祈念館の資料の展示について
長野県飯田市の平和祈念館で起きていること~ 拒否された「元731部隊員の証言パネル」展示
旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」検討委員会の初会合 長野・飯田市
6861ページのほとんどが黒塗り!~遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟第1回公判
根岸恵子
情報開示請求をしたら、提出された6861ページのほとんどが黒塗りだった。化学兵器禁止条約に照らして旧日本軍が中国各地に遺棄した毒ガス弾の処理はどうなっているのか。情報のほとんどを私たちは知ることができない。そして無毒化されることのない砒素を含んだ毒ガス弾の行方は闇に葬られようとしている。
ジャーナリストで映像作家の稲垣美穂子さんは、中国に遺棄された化学兵器によって理不尽にも被害に遭った人々に思いを寄せ、日本政府の対応や処分事業などを取材してきた。そして最終処分場として有害物質を含んだ残存物がドイツに運ばれることを知り、情報公開を請求したが、黒塗りの書類では何もわからないと裁判に訴えることにした。
その第1回の公判が1月24日、東京地裁で開かれた。稲垣さんは「多額の税金を投じた国家事業であるにもかかわらず、その内容を明らかにしようとしないことは、許されることではありません」と訴えた。
遺棄毒ガス問題
旧日本軍の毒ガス戦、戦後の処理
第2回遺棄化学兵器処理事業情報公開訴訟口頭弁論 2023.3.23
安保3文書改訂の正体~中国は、日本の敵なのか?~
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英国の劣化ウラン弾供与に反対声明を提出
【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(16日の動き)
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展
731・原爆・ビキニ
2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12且26日(月)
15,現代の日本には、このような企画をもっとたくさんやって欲しい。(51歳以上、中野区、チラシ)
★新宿戸山の陸軍軍医学校跡地から見つかった人骨についての番組を見たい方は
下記のギガファイル便をダウンロードしてください(4月26日までダウンロード可能です)。
桜の下に眠り続ける死者たち
https://81.gigafile.nu/0426-f28efe24152e71e1bbe5a9daa5171a2b4
飯田市平和祈念館の問題と清水英男さんの証言
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
医療倫理・研究倫理の深化
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
。
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com
日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
五月二四日
午前四時非常演習の為にモギ山に登る 若人のオンパレードでもあるまいが炭坑の運動会あり 非常に愉快らしく 晴れ、曇り、雨三色なり。
午前四時非常演習の為にモギ山に駆け足だ こんな馬鹿なことはない 然し日の出では心持よい 懐かしい感じさえするあの連山関あたりの山脈の続きの山 丁度去年の行軍の折に通って来た山の方向から燃える太陽が出てきたのを見た時は 非常に晴れ晴れした。此の山で去年の酷暑行軍の時倒れたものが3,4名あったが本当に思い出深い山だ。東は安奉線方面の山々から大子河さえ見え 一方本線の方は眼をさえぎる霞ばかりで 遼陽の白塔から首山堡の山から手に取るように見える。此の山の記念碑は第一軍の戦死者の英霊を祀ってある所だ、気の利いた歌が刻んであったが歌詞は忘れてしまった。午前五時帰ってきた。
「ずっと父が嫌いだった」
軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
友
〈ここはどこ、どんなところです?〉それは街の騒音の中で
自分のをたしかめるように立止り
中折帽の顔だけを空の光りへ向け
たえず妻に何かをねかけているように見えた
さらに数年、ふたたび北風の街角で向うからやってくる
その姿があった
それは背中を折りまげ予備隊の群をさけながら
おどろくほどやつれた妻の胸にしっかりと片腕を支えられ
真直に風に向って
何かに追いつこうとするように足早に通っていった
メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
731部隊破壊と証拠隠滅作業
ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない
篠原鶴男(しのはらつるお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたもの
部隊の破壊と証拠隠滅作業
18時。731部隊爆破のスイッチを入れ、爆発音の中、私達は汽車に乗り込み出発しました。私達を乗せた列車は、吉林のあたりでまごつき、北朝鮮へ行きました。先遣隊を収容し、朝鮮半島を縦断し始めた時は、既に15日になっていました。平壌を経由し釜山まで南下したわけです。15、16日頃までは異常はなかったのですが、日が経つにつれ朝鮮の情勢が不穏になってきました。列車転覆の噂も出ました。そこで列車に銃器を据え、威嚇しながら走りました。そうやって釜山に到着したのは、20日の事でした。
日本軍政下香港(1997.7.27)
●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
「家永三郎が教科書に付け加えようとした、」云々「という程度の記述は学界の内外において、公知の事実だったのである。」という最後の文章ですね。
その通りです。
この結論部分というのは、意見書の構成で拝見しますと、10ページ以下に、本件検定当時及びそれ以前の学界状況を詳細に述べられた、その結論部分になるわけですね。
そういう位置づけになっております。
そこで、この結論に至る道行きの中で、詳細に述べられたことについていくつかのポイントを選びまして、若干立ち入ってお尋ねしたいと思います。本件では事実上、生体実験の事実の認定に関わる学界状況というものが一審以来大きな問題になってまいりましたので、いろいろ論点はあろうかと思いますが、私はその点に重点を絞ってお尋ねいたしますので、あらかじめお含みいただきたいと思います。まず、事実の認定にも関わる学界状況でございますので、史料、あるいは証拠、史料のことが問題になると思いますが、先ほど冒頭のあたりで伺いました、施設跡とか部隊の使った道具の残存物、こういったものは物的証拠という位置付けになりましょうか。
その通りです。物的証拠が現にあるということです。
意見書によりまして、基礎的な文献史料として証人が位置づけておられるいろいろな史料の中で、それが出来始めた時点の点で、一番古いものということになりますと、これはアメリカあるいはアメリカ政府の作った調査レポートという風に私には読めるんですが、そうなんでしょうか。
その通りです。
何か調査が、レポートという形でまとまったのは、4段階あるようでございますね。
はい。
まず4段階のそれぞれについて、その名称と文書の日付をまず伺いたいと思います。
これは意見書の26ページの後半の最後のところから27ページに書いておきましたが、アメリカの調査は敗戦とともに始まりまして、47年11月までに合計4回の調査が断続的に行われております。第1回目の調査というのは、45年8月下旬にすでに始まりまして、サンダースという人がアメリカからやってまいりました。以後、翌年トンプソンという人がやってきまして、47年になりますと、ノバート・H・フェルという人がまいりました。それから最後にその年の秋にエドウィン・V・ヒルという人が来ました。従いまして、その4回の調査が行われたわけで、それぞれ報告書を提出しております。それが、通称、「サンダース・レポート」、「トンプソン・レポート」、「フェル・レポート」、「ヒル・レポート」と言われている4つのレポートであります。「サンダース・レポート」はそこに書きましたように、45年11月1日付で出ております。「トンプソン・レポート」は46年5月31日付、「フェル・レポート」は47年6月20日付で出ております。「ヒル・レポート」は47年12月12日付けて出ておりまして、これはいずれも「サンダース・レポート」を除きますと、国防省の化学戦部隊隊長宛に提出されたものであります。
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)
Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始 1937―1938
2 武漢攻略作戦
第2軍の戦闘
このような中で、早くも28日夜8時20分、姫路歩兵第39連隊第3大隊が六安付近で西関集落で、相手陣地の60m手前から、あか筒9本を使用した。これが武漢作戦での最初の毒ガス使用であった。この戦闘では、家屋の銃眼から攻撃する国民党軍の機関銃を制圧するため毒ガスが使用されたのだったが、微風だったため、銃眼に流入する毒ガスの速度が緩やかで、効果は十分とは言えなかった。しかし、何とか制圧した。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
大久野島の歴史
Ⅲ:大久野島毒ガス工場の稼働
① 毒ガス製造の開始
催涙性の強い塩化アセトフェノンは製造工程全体にわたり、塩酸ガスによる障害に苦しめられました。 塩酸ガスで目をやられるので待機所には洗顔用具が備えてありました。喉はやられましたがイベリット製造作業の傷害と比べると傷害は軽くて済みました。催涙性塩化アセトフェノンの製造も、この年の秋から試運転にかかり、催涙棒、催涙筒の作業と並行して製造されました。仏式イベリットと催涙性塩化アセトフェノンの製造工場は大久野島毒ガス工場の表看板となりました。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶
核時代39年(1984年)5月初版発行
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
戦争に正義はない
森村誠一
戦争によって他国の侵略を受けた経験のある国や民族すら、一度侵略者となって他国へ侵入すると、かつて自らが被ったと同様の、いやそれ以上の非道を犯す。そこには被侵略者として学んだはずの教訓は一片も生かされていない。かつて被った自国の被虐体験に報復するように同一パターンの侵略の轍を飽くことなく踏む。
●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
研究―四
三矢研究事前研究項目(対米関係事項)
第4 朝鮮戦線と日本防衛作戦との関係
3 朝鮮戦線に対する在日米軍の支援作戦
(1)在日米軍司令官と在日米3軍の指揮関係
ロ 朝鮮において事態が生起した場合予想される指揮関係の変化
(イ)日本への武力攻撃の波及がない段階までは在日米軍司令官は在日米3軍に対し現指揮関係のまま総合調整を続行する。従って日本防衛のため警戒作戦(哨戒、警戒等)はその作戦統制下に置くが、在日米軍の朝鮮戦線に対する支援活動はハワイにある太平洋各軍司令官の作戦指揮(統制)の線を通じて実施される。
(ロ)在日米軍司令官が在日米 3軍を全面的な作戦統制下に置く時機はおそらく朝鮮における情勢が進展して、日本防衛が韓国防衛と一体となって考えられる時機以後となるであろう。
IMAGINE9
解説
08
ひとりひとりの安全を大事にする世界
2005年の国連世界サミッ トでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界のなかで広めていく必要があるでしょう。
また、地球上の人びとの生命と権利を守る責任は国際社会全体にあるのだ、 という考え方も広がりつつあります。たとえば、国のなかで紛争状態や人権侵害があるときに、その国の政府が「これは国の内部の問題だから外国は口出しするな」などということは、もはや許されないのです。国と国が戦争をしていないからといって、それは平和を意味しません。人びとの生命や権利が脅かされているかぎり、それは平和ではないのです。
憲法9条を生かそう!!
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
鹿児島県鹿屋市には戦中、 海軍鹿屋航空基地がおかれていて、 戦後は、 海上自衛隊鹿屋基地になりました。 その敷地内には、 「鹿屋航空基地史料館」があります。 主に特攻隊で出撃して戦死した人たち(908名)の遺影や、遺書、遺品などが展示されています。私の地元でもありますので、30年以上前の頃2回ほど、史料館の見学に行ったことがありますが、それ以後は一度も行っていません。
カンパ大歓迎
ブログ・動画作成・オンラインなどをやっています。
郵貯
記号10100
番号
67985861
五井信治