細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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※多摩労務管理事務所への裁判闘争
3月29日、多摩労務管理事務所への裁判闘争が原告の主張が全て認められたかたちで、完全勝訴判決を勝ち取りました。
詳細は、追ってご報告致します。
これまで私達の裁判闘争をさまざまな形で支えて下さった皆様にまず感謝を申し上げます。
Union No.6 からのメール
「声上げたら解雇」は許せない!~「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ

世界的音楽家の坂本龍一さんが3月28日に死去 71歳


2023 4 1狭山事件:石川一雄さんを訪ねて



講演資料32




旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」検討委員会の初会合 長野・飯田市












 6861ページのほとんどが黒塗り!~遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟第1回公判
根岸恵子

情報開示請求をしたら、提出された6861ページのほとんどが黒塗りだった。化学兵器禁止条約に照らして旧日本軍が中国各地に遺棄した毒ガス弾の処理はどうなっているのか。情報のほとんどを私たちは知ることができない。そして無毒化されることのない砒素を含んだ毒ガス弾の行方は闇に葬られようとしている。
 ジャーナリストで映像作家の稲垣美穂子さんは、中国に遺棄された化学兵器によって理不尽にも被害に遭った人々に思いを寄せ、日本政府の対応や処分事業などを取材してきた。そして最終処分場として有害物質を含んだ残存物がドイツに運ばれることを知り、情報公開を請求したが、黒塗りの書類では何もわからないと裁判に訴えることにした。
 その第1回の公判が1月24日、東京地裁で開かれた。稲垣さんは「多額の税金を投じた国家事業であるにもかかわらず、その内容を明らかにしようとしないことは、許されることではありません」と訴えた。



遺棄毒ガス問題

 




遺棄毒ガス兵器処理事業の文書を公開せよ!!

 


旧日本軍の毒ガス戦、戦後の処理

第2回遺棄化学兵器処理事業情報公開訴訟口頭弁論 2023.3.23












安保3文書改訂の正体~中国は、日本の敵なのか?~


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反核や平和への訴えも…ノーベル賞作家・大江健三郎氏が死去



「証言 石井四郎」~語られた人物像~






















一市民と行政が創る「飯田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一

731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
学者・研究者の歴史認識・軍事研究を問う!!
福島 雅典京都大学名誉教授

厚労省は新型コロナワクチンデータを開示せよ!

【特集】ワクチン後遺症~副反応ではない 慢性的な後遺症の訴え

コロナワクチン接種 遺族団体“健康被害の救済認定速やかに”

コロナワクチン8.8億回分、国の確保量「根拠不十分」 会計検査院








留守名簿はなぜ全部開示されない??

731部隊展


“捨てられる裁判記録”は誰のものか
日本の機密文書管理はきちんと行われてりるのだろうか?隠蔽されている??機密文書も時間が経過したら、きちんと公開すべきだ!!日本にも積極的な情報開示を求めます!!
【バイデン大統領】自宅から別の機密文書見つかる








新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??


鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??
鳥インフルの処分数 全国で1000万羽超える 過去最多
多摩動物公園でカモが鳥インフル陽性 あすから休園
「はだしのゲン」の何が問題視されたのか 広島市教委の平和学習教材から外された理由
「第五福竜丸」の削除撤回を 被爆者団体ら要望、広島市教委に
原発60年超、異例の多数決 原子力規制委、石渡氏反対
「原発が狙われる」と独り訴えた福井県原子力委員が辞めた理由
核融合反対!!
核融合の初の政府戦略案 海外市場に参入し関連産業育成方針
なぜ、いま?リスクは?







日本は、きちんと謝罪・補償すべきだ!!
問題めぐる“解決策” 中国政府「日本が歴史を直視し、深く反省する必要がある」




【トルコ 地震ルポ】「支援はこの先で」
国連改革!!拒否権廃止を!!
今こそ拒否権を廃止すべき時だ







軍事費削減!!憲法9条の推進!!被ばくの問題は重大だ!!
“被爆2世の遺伝的影響巡る訴訟、賠償請求棄却 広島地裁
パワハラもみ消し、自衛隊にまだ存在する…内部告発後に「不当逮捕」訴え提訴
ドイツの大学キャンパスから少女像撤去される 学生会が昨夏設置
「徴用工問題」とは何か


【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(9日の動き)

「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」

 


ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展


731・原爆・ビキニ



2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12且26日(月)
8、731部隊も原爆、ビキニも小学生の時に学びました。人間は戦争時(有事下)に於いて、全くコントロールが効かないものになるんだ。加害者であり被害者になる。そして1度始まると終らない。本当の意味での終戦が来ることはないのだ、と思った事を思い出しました。中国やロシアの731に被害者の方々、原爆にあった方々、沖縄の方々、他の日本人の犠牲になったと思いました。未だに差別する“人達”「は何を考えているのだろう?と思って苦しいです。でも過去は変えられないので、今後、戦争を始めない様にしなければならないと思います。今現在が“戦前”にならない様に、今の日本政府は危ないです。(51歳以上、市内、チラシ)

 

★新宿戸山の陸軍軍医学校跡地から見つかった人骨についての番組を見たい方は
下記のギガファイル便をダウンロードしてください(4月26日までダウンロード可能です)。
桜の下に眠り続ける死者たち
https://81.gigafile.nu/0426-f28efe24152e71e1bbe5a9daa5171a2b4




飯田市平和祈念館の問題と清水英男さんの証言





731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

 

 

今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
医療倫理・研究倫理の深化



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

 

 

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com

 


日本の中国東北侵略から92年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


五月二二日

本当にさっぱりしたように感じたが また一面行く人の心情を思って暗然ととした。同期の丸山なんか後六ヶ月だと云ふのに轉隊だなんて本当に気の毒にたえない次第だ。之で帰休も完全になくなったし落ち着いて六ヶ月が送れるわけか。初年兵の松本は下士室で鳴いていたと云ふ。血のある人間ならば泣くのは当然であろうと思う。
教専の生徒も午前側防柱舎の防備戦闘の演習を最後に午後一時退営した。再び一週間来ることの出来ない酒保に行って遊んで来た。第七内務班になって初めての点呼を取った うるさいものだ。




「ずっと父が嫌いだった」

軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。



黒眼鏡をとると瞼がめくれこんで癒着したのあいだから
にじみ出る涙があった
あの収容所で、りついた血をしめらせ
顔いっぱいに巻いた白布を一枚ほどき最後のガーゼをめくると
ひとつの臓腑であった両眼が、そのままのかたちでえてうすいしずくをしみ出し
失った妻子のことをいう指先がをさぐってえていた


メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書

 

 




●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊

731部隊破壊と証拠隠滅作業
ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

篠原鶴男(しのはらつるお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたもの

部隊の破壊と証拠隠滅作業

各自各所で何をしているのかわからぬ状態でした。指示をすべき上層の幹部達は、731部隊にある重要書類などを持って撤退していたのです。その同じ時、私達は監獄を破壊せよとの命令されていましたので、爆破作業にかかっていたのです。
 監獄は1号~12号まであり、私は12号室の壁に爆薬を仕掛けるために入って行きました。その時私は、白い壁に書かれていた血書を見たのです。まだ血は黒くなっていませんでしたから、書いてからそう時間が経っていなかったと思います。「日本帝国主義打倒 必勝 蒋主席万歳!」と達者な字で書いてあったのです。死ぬ間際に指を噛み切って書いたのでしょうか。あの時の壁に書かれた血文字を、私は一生忘れられません。今でも心に刻みついています。今にして思うと12号室にいた中国人は、蒋介石の直属の要人ではなかったかと思っております。この字を書いた人の顔を一目見たいと思い外に飛び出したのですが、もう薪(まき)に積み上げられていてわかりませんでした。手が血で汚れている“マルタ”はいないかと思って探したのですが、やはり見つかりませんでした。


日本軍政下香港(1997.7.27)

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行


速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)
意見書の冒頭に、検定経過をお調べになった結果を書いていただいておりますけれども、この訴訟で問題になっております731部隊関連の脚注の記述、これをご覧いただきまして、何か問題点なりあるいは遺憾な点なりがございますでしょうか。

 この家永原稿については、特に問題点はないと考えております。

この通りでよろしいと承って よろしいですか。
 
 その通りです。

ということは、研究者としてご覧になった場合、本件の原稿記述には学問的な根拠ありという御判断でございますか。

 その通りです。






消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」



●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始  1937―1938

2 武漢攻略作戦

毒ガス作戦の発動

 武漢攻略作戦は、猛暑で有名な地域が戦場となったため、中支那派遣軍では、40万弱の総兵力のうち、15万に達するマラリア患者が生ずることとなった。第2軍の場合、駐屯地から集結地へ向かう苦しい行軍による疲労、作戦初期の猛暑、作戦中の長く急速な進軍、食糧補給の不足、コレラの発生、マラリアの多発などで多くの落語者と患者が出た。このため、総兵力約17万のうち、野戦病院に入院した者は2万5000人以上もおり、病気にかかったものは過半数に達した。第1線歩兵の兵力は著しく落ち込み、作戦遂行に深刻な影響を及ぼすこととなった。第11軍でも、状況はこれと同様であったと思われるが、いかに苦しい戦いが継続したかが伺われる。したがって、粘り強く抗戦する国民党軍に対して、毒ガス攻撃に頼る場面が多くなった。
 







海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!






大久野島の歴史

Ⅲ:大久野島毒ガス工場の稼働

① 毒ガス製造の開始


応急工事が1段落し、1929( 昭和4)年4月1日には陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所として、10数名の従業員で実質的な業務は始まりましたが正式な開所式は5月19日に開催されました。開所式は広島県知事、陸運関係者、忠海町長などが招待され、にぎやかに行われましたが工場の見学は一般 招待者には公開されませんでした。この工場の開設を忠海町民は提灯行列をして祝いましたが、この工場が毒ガス製造工場であり、将来、多くの忠海町民が悲惨な毒ガス傷害で苦しめられ命を落とすことになるとは夢にも思っていませんでした。


SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶


 









核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)


戦争に正義はない
           森村誠一
本書の内容を論ずる前にまず侵略と言うものの性格を考えてみたい。これは侵略の一般的こうさつであり、日本軍の侵略だけに限定していない。
いかなる軍隊も侵略軍となった時は悪魔の使者となる。集団虐殺、掠奪、暴行、強姦、放火等、ありとあらゆる悪逆無道が戦争によって他国の領土に強制された無法状態の中で集中的に犯される。しかもそれを犯す兵士たちは、平時の自国ではおおむね平凡な市民である。家族を愛し、社会から分担された仕事を受け持ち、責任と常識をわきまえた善良なる小市民が一度武器を握って侵略軍の兵士となる時、悪鬼羅刹となってしまう。



●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著


第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)


研究―四
 三矢研究事前研究項目(対米関係事項)

第4 朝鮮戦線と日本防衛作戦との関係


2 日本に対する波及を未然に防止しもしくは波及を最小限に止めることを主眼とする場合の日本 防衛作戦の在り方。

(3)波及誘因の顕現の抑制

イ 日本の国内態勢を強固に維持し、間接侵略の懸念をなくする。
ロ 米軍の朝鮮戦線の支援作戦との調整を適切にし、共産側に無用な刺激を与えないこと。
  特に米軍の共産側後方攻撃及び在日米軍の朝鮮戦線に対する日本本土からする戦闘作戦行動並びに自衛隊の協力作戦については慎重を期し、可及的必要な限度(時機及び範囲)に止めること。
ハ 共産側の不安を少なくし、かつ波及防止作戦を有効に実施するため要すれば防衛水・空域を設定
  し、宣言すること。




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)


「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

68年2月の衆議院予算委員会における楢崎代議士(社会党)の質問も、催涙ガスに関連した自衛隊のBC兵器装備の実態に鋭く迫っていくわけで、69年8月2日には前述のように「在日米軍及び自衛隊における化学・細菌作戦についての質問主意書」が出された。
 以下、68年2月の衆議院予算委員会における「自衛隊と毒ガス問題」の質疑を再録してみよう。


〇増田国務大臣 お答え申し上げます。
クロルアセトフェノンは、日本の法律の毒劇物取締法には入っておりません。したがって毒ガスではないし、催涙ガスである、こう考えております。
〇楢崎委員 それじゃ外務大臣にお尋ねします。国際法との関係についてちょっとお伺いしておきます。非常にこれは重大です。このCNをベトナムでアメリカが使っただけで、全世界の反響を、起こしたのですよ。それを日本の自衛隊なり、警察が持っておるし、警察は既に使っておるんですよ。戦争で人殺しに使っておるやつを、警察はデモに使っておるんですよ。だから、私はこれは重大だから、今問題にしておるのです。外務大臣、この毒ガス類に関する国際法は幾つありますか。



 






●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか






●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!



第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年


1、摂政時代と大正デモクラシーの危機

 Ⅳ
 統帥権は、摂政時代に初めて組織の自己主張のイデオロギーになり、文官や政党政治家を軍事から遠ざけるための道具として使われるようになった。軍人は元来、明治天皇が彼らに権力を与えたことを忘れていなかった。彼らは、天皇の直接の指揮のもと働くことを誇りを抱き、また日本が1905年に数でまさるロシア軍に勝ったことを、最高指揮官の権威の優越性に帰していた。しかし1922年に山県が死に、24年に政党内閣制が始まってから、彼らは「統帥権」という言葉を特別に祭り上げ、天皇の大権の発動に政治家や文官官僚が関与することに反発するようになった。







IMAGINE9
解説
解説
06
女性たちが平和をつくる世界

この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズさん、もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバディさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。
 国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)。
紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。




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五井信治