にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
政治ランキング
教育・学校ランキング
歴史ランキング
日本の機密文書管理はきちんと行われてりるのだろうか?隠蔽されている??機密文書も時間が経過したら、きちんと公開すべきだ!!日本にも積極的な情報開示を求めます!!【バイデン大統領】自宅から別の機密文書見つかる
遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟がいよいよ始まります!!
2023年1月9日 各位
遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟
第一回弁論傍聴&報告集会ご参加のお願い
(サポーター募集は追ってお送りします! ぜひご注目ください)
先の大戦で、旧日本陸・海軍は化学兵器(毒ガス兵器)を製造・使用した事実を隠すため、 敗戦時、日中両国内でそれらを地中に埋めたり、川や海に投棄しました。戦後もこれらの遺棄化学兵器による被害が後を絶ちません。
日本は1995年に化学兵器禁止条約に批准し、1999年以降、内閣府主導で、それらの化学兵器を中国で処理していますが、処理してもなお化学兵器に含まれていた有毒物質のヒ素が残ってしまいます。内閣府はこのヒ素を含んだ有害廃棄物の最終処分をドイツで行うことを検討していることが判明し、その検討経緯を知るために、2019年9月に行政文書開示請求をしました。しかし、「公開」された6861頁のほとんどが黒塗りで肝心の経緯が分からなかったため、審査請求も行いましたが、昨年5月19日、「ほとんどの文書の不開示は妥当である」という趣旨の内閣府の裁決がありましたが届きました。
そこで、議論の過程を明らかにするために、12人の弁護士の協力のもと、2022年11月18日に提訴しました。
≪ 第一回弁論 ≫
2023年1月24日(火)10:30~ 東京地裁703号法廷
予定 ▶︎ 平松真二郎弁護士より意見陳述、原告の意見陳述
\ 報告集会も開催します! ぜひご参加ください /
11時半頃~12時半頃@衆議院第2議員会館第1面談室
*裁判の進行状況によりますので、前後する可能性がございます。
*閉廷後~開始前までの間に入館証を配布致します。報告集会開始時には配布を終了致しますので、予めご了承ください。
≪ 原告より皆様へ ≫
本事業の昨年度までの予算執行額累計は約3,847億円にまで上ります。莫大な税金が投じられた一大国家プロジェクトでありながら、ブラックボックス的に進められています。今なお、遺棄化学兵器によって苦しむ方々がいる一方で、また新たな被害を生み出してしまうかもしれないと思うと、何もしないわけにはいきません。
自分自身が一人で原告になることは初めてで、とても心細い思いです。ぜひ皆様のお顔を見せて頂けますと大変心強いです。傍聴席を埋め尽くし、裁判所に情報公開の必要性を訴えられたらと思います。サポーター募集のため、現在クラウドファンディングも準備中です。お力添えのほど何卒よろしくお願い申し上げます!
≪ お問い合わせ ≫城北法律事務所 Tel:03-3988-4866 担当:平松
遺棄化学兵器処理事業情報公開裁判
遺棄毒ガス問題
新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??
鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??
鳥インフルの処分数 全国で1000万羽超える 過去最多
中国 新型コロナ 専門家「人口の約80%感染」11億人余り感染か
あの日本の侵略戦争を反省し作られた憲法9条を、順守すれば、軍事費ゼロ!!戦争をしないように全力で取り組む姿勢を全世界に示す!!【天皇制再考、軍人恩給廃止、戦争被害者(外国も含む)への補償、外交力強化!!】
憲法9条
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
軍事費削減!!憲法9条を尊重しろ!!
「終末時計」人類最後の日までの残り時間1分30秒 過去最も短く
不当判決
福島第一原発事故の刑事裁判 東電元会長ら旧経営陣3人、二審も無罪 「津波の可能性は予測できない」
日本はきちんと韓国に賠償すべき!!
「徴用工問題」とは何か
「徴用」めぐる韓国の新たな案 日本政府は慎重に見極める方針
防衛力強化の最前線「国境の島」でいま起きていること
与那国ミサイル配備に反発 玉城知事「唐突な予算計上」
玉城デニー知事「敵基地攻撃能力、保有できない」沖縄への自衛隊配備増強巡り見解
「特定秘密」漏えい 漏らした内容にはアメリカ提供の情報も
立憲・泉氏「専守防衛に徹するが、長射程ミサイルの整備は必要」
防衛増税も迷走「岸田政権」に今、決定的に足りないこと
東芝 経営再編交渉 銀行側が総額1兆2000億円融資行う方針決定
長射程ミサイル配備認めず 反撃能力「戦争引き起こす」 石垣市議会が賛成多数で意見書
ミサイルが飛んできても「反撃しない」ことこそが日本の抑止力だ
立民、反撃能力「容認できない」閣議決定受け声明公表
“弾薬だけ”で8200億円 来年度当初予算案、防衛費が25%増の過去最大 総額114兆円程度で最終調整
軍事侵攻11か月 ロシア大規模攻撃準備か ウクライナ戦車求める
【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(25日の動き)
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
価格 \3,960
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展
731・原爆・ビキニ
2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月22日(木)
11、詳しく調べてあるので感心しました。時間が足りないくらいでした。もっとじっくり読みたいけど読み切れない。(51歳以上、市内、図書館のパネル)
★新宿戸山の陸軍軍医学校跡地から見つかった人骨についての番組を見たい方は
下記のギガファイル便をダウンロードしてください(4月26日までダウンロード可能です)。
桜の下に眠り続ける死者たち
https://81.gigafile.nu/0426-f28efe24152e71e1bbe5a9daa5171a2b4
2022年は八王子市非核平和都市宣言から40年!!
飯田市平和祈念館の問題と清水英男さんの証言
731部隊員の戦後
飯田市平和祈念資料館の展示の見直しを!!
2022/10/22 清水さん宅にて
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村
731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。
「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。
清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・
久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)
飯田市平和祈念館資料室
飯田市平和祈念資料室
ビキニ事件|被ばく船員の救済を求める2つの裁判にご支援を
「731部隊員だった池田苗夫元軍医の戦後の軌跡」
「生体実験命令を拒否した医学者・横山正松」
「731部隊と大連黒石礁事件」
「731部隊と登戸研究所」
731部隊について
■731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022081700086
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!(
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
医療倫理・研究倫理の深化
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
。
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com
日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
四月二九日
二九日は中隊では思い思いに自由な空気を吸いながら夜のお遊びに戯れているのに 僕は御念の入ったことには衛兵に来ている 本当にやりきれないな しかも本渓湖守備隊の〇用の為に関東軍経理部遼陽派出所に行った 衛兵の服装してるのに初めての外出をしている十六連隊の兵隊で一杯だ 汗びっしょりの体だ 勤めは本当に辛いねか。
軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
としとったお母さん
きのう会社のひとが
ちょうどあなたの
息子の席があったあたりから
金冠のついた前歯を掘り出したと
もって来た
お嫁さんと坊やとは
なんでも土橋のあたりで
隣組の人たちとみんな全身やけどして
ちかくのへ這い降り
つぎつぎ水に流されてしまったそうな
メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
エントツから出る黒い煙
ペスト感染による死体がどんどん焼かれていく
小笠原 明(おがさわら あきら)
731部隊・少年隊
〈経歴〉
1928年生まれ。
1943年4月 731部隊少年隊に入隊
1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。
1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍
1949年 帰国。
■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの
731部隊に入隊
そういうことで私は、中学校には行かず高等小学校(高等科)に進み、そして昭和18年、陸軍少年航空隊を受験し、運よく合格しました。1週間後連絡があり、小倉の憲兵隊そして下関の憲兵隊に行かされました。そこには同じ年頃の者が集まっていました。「飛行機に乗りたい者は手を挙げよ」と言われましたので、私は手を挙げました。すると「じゃあ、すぐ関東軍に入れるから、家族に連絡してこい」と言われました。私は関東軍とは東京の方の関東地方にある航空学校だろうと思っていました。その程度の知識しか私には無かったのです。その日の夜、軍の輸送船で出発し、翌朝朝鮮の釜山に着きました。それから汽車に乗って“満州”に向かいました。途中で沢山の朝鮮の女性が乗ってきました。仲間が言葉のことでからかうと女性の何人かは「同じ日本人の為に働きに行くのにからかうのか」と抗議しました。私達を引率していた軍曹は「あいつらは“ピー”(“売春婦”をさす蔑称、“軍隊慰安婦”の意)になるから相手にするな」と言いました。
日本軍政下香港(1997.7.27)
●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
第2 731部隊に関する研究状況
三 1984(昭和59)年以降の731部隊に関する研究状況
5 中国による資料の刊行と各国資料との相互論証関係
(4)各国資料間の論証関係
〈例証2〉凍傷実験
戦後、吉村寿人の凍傷研究が社会問題化したことが少なくとも2回ある。寒冷地医学の必要性から1972年10月に日本学術会議の南極特別委員会に北野政次と共に吉村が加えられた事に対し、学術会議有志が責任追及を行ったのが1回目である。82年秋には再度吉村の人体実験が問題となり、日本生気象学会は、同学会の設立(1962年)に尽力し初代会長を務めた吉村を同学会幹事から解任した。
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)
Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始 1937―1938
1 日中戦争の全面化と毒ガス戦
野戦化学実験部の調査報告
中国での野戦化学実験部の任務は「敵の化学兵器に関する緊急なる実験」を行い、化学戦の対応処置に関する資料を得ることにあった。全面戦争がはじまると、第1野戦化学実験部(部長。白倉司馬太砲兵大佐)が天津に、第2野戦化学実験部(部長・風早清工兵大佐)が上海に、第3野戦化学実験部(部長・黒瀬平一歩兵大佐)が華北に、第4野戦化学実験部(部長・西照輜重兵大佐)が「満州国」チチハルに出動した。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳 明石書店 1995年発行)
訳者あとがき
1995年6月 山邉悠喜子
本書はあくまで中国の人向けに著されたものなので、訳者の判断で部分的に割愛させていただいたことをご了承いただきたい。
本書は多くの方々のご協力をいただいたが、全体の校正段階で、粕川良谷氏の援助もいただき、翻訳は、序文から第4章までを山邉が、6章、7章を宮崎教四郎、8、9、11章を戸田佐和子、5章、10章、12,13章を馬場節子が行ない全体の校正は山邉と宮崎が行なった。
諸氏のご批判、ご指導をお待ちします。
1995年6月 山邉悠喜子
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
核時代39年(1984年)5月初版発行
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
謀殺(ぼうさつ)
予防注射を口実に毒殺
中島宗一
属官
〈略歴〉
本籍 長野県下伊那郡
出身階級 農民
最終学校名 南信学院2部卒業
学校卒業後の職業 農業
最後の所属 旧竜江省警務庁特務科
被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠
その後、荒木は彼の処置について河野や斎藤に計った。だが、既に重要容疑者のごとく報告した手前もあり、また何とかものにしたいといった未練があった。科長からは判然とした指示を受けることができないまま、保安局の独房に放っておくわけにもいかない。そこでチチハル市警察局の留置場に移し1年余りが過ぎたのである。
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
研究―四
三矢研究事前研究項目(対米関係事項)
第3 日本直接防衛のための日米共同作戦
1 全面戦の誘発を防止すべき情勢下における軍事作戦の限界
(2)核使用の問題
ハ 米軍の日本直接防衛のための核使用の限界
(ハ)戦術的核使用の場合
a 使用の時機
敵側が使用した場合の報復手段と、米軍が先制使用する場合の両者が考えられるが、米軍が
先制使用することは極力回避すべきであり、また米軍としてもこれを避けるであろう。
また報復手段として使用する場合に於いても、必要な限度に止めるべきであろう。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
秘密の中のBC兵器
沖縄におけるガス中毒事件に対する政府・外務省の見解によれば、「このガスは催涙性が極めて強い〈有毒ガス〉の一種で、大量に吸収すれば窒息死する恐れはあるが、それほど毒性の強いものではなく、米軍がベトナム作戦で使用し、沖縄ではその補給基地として貯蔵保存していた」という。(『毎日新聞』7月19日)
「極めて強い有毒ガスの一種」「窒息死する」のが、どうしてそれほど毒物の強いものでないのか、論理上の矛盾はともかく、後に米国国防省が発表したように、これがVXガスでなくGBガスであったとしても、催涙ガスではなく、ナチスが使用した神経ガスであり、政府・外務省の論理に依れば、米軍は致死性の高い神経ガスをベトナム戦争に使用していたということになるのである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
1、摂政時代と大正デモクラシーの危機
Ⅱ
牧野の指示で、宮内省は皇太子を神奈川県、次いで四国への「行啓実験」に送り出した。これはのちの植民地台湾への行啓の準備でもあった。これらの旅行は、「天皇制」の創設のずっと以前、1872年から77年まで毎年のように明治天皇が実行した6回の巡幸を先例とするものではなかった。明治天皇の巡幸は、彼が国家統一の事業に参画する現人神であることを示すために行われた。摂政の最初の国内旅行は、これと違ってイデオロギー的メッセージはなく、第1に宮内官がその挙措を観察して改善の手がかりをつかむためであった。しかしまた、行啓は皇室を民衆に近づけ、そのことによって、皇太子の父がただ積極性に欠け、公式の場に出ず、分別を失っているということで、意図せずに助長してしまった大正デモクラシーの風潮を抑制するものと期待された。