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日本の機密文書管理はきちんと行われてりるのだろうか?隠蔽されている??機密文書も時間が経過したら、きちんと公開すべきだ!!日本にも積極的な情報開示を求めます!!【バイデン大統領】自宅から別の機密文書見つかる
遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟がいよいよ始まります!!
2023年1月9日 各位
遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟
第一回弁論傍聴&報告集会ご参加のお願い
(サポーター募集は追ってお送りします! ぜひご注目ください)
先の大戦で、旧日本陸・海軍は化学兵器(毒ガス兵器)を製造・使用した事実を隠すため、 敗戦時、日中両国内でそれらを地中に埋めたり、川や海に投棄しました。戦後もこれらの遺棄化学兵器による被害が後を絶ちません。
日本は1995年に化学兵器禁止条約に批准し、1999年以降、内閣府主導で、それらの化学兵器を中国で処理していますが、処理してもなお化学兵器に含まれていた有毒物質のヒ素が残ってしまいます。内閣府はこのヒ素を含んだ有害廃棄物の最終処分をドイツで行うことを検討していることが判明し、その検討経緯を知るために、2019年9月に行政文書開示請求をしました。しかし、「公開」された6861頁のほとんどが黒塗りで肝心の経緯が分からなかったため、審査請求も行いましたが、昨年5月19日、「ほとんどの文書の不開示は妥当である」という趣旨の内閣府の裁決がありましたが届きました。
そこで、議論の過程を明らかにするために、12人の弁護士の協力のもと、2022年11月18日に提訴しました。
≪ 第一回弁論 ≫
2023年1月24日(火)10:30~ 東京地裁703号法廷
予定 ▶︎ 平松真二郎弁護士より意見陳述、原告の意見陳述
\ 報告集会も開催します! ぜひご参加ください /
11時半頃~12時半頃@衆議院第2議員会館第1面談室
*裁判の進行状況によりますので、前後する可能性がございます。
*閉廷後~開始前までの間に入館証を配布致します。報告集会開始時には配布を終了致しますので、予めご了承ください。
≪ 原告より皆様へ ≫
本事業の昨年度までの予算執行額累計は約3,847億円にまで上ります。莫大な税金が投じられた一大国家プロジェクトでありながら、ブラックボックス的に進められています。今なお、遺棄化学兵器によって苦しむ方々がいる一方で、また新たな被害を生み出してしまうかもしれないと思うと、何もしないわけにはいきません。
自分自身が一人で原告になることは初めてで、とても心細い思いです。ぜひ皆様のお顔を見せて頂けますと大変心強いです。傍聴席を埋め尽くし、裁判所に情報公開の必要性を訴えられたらと思います。サポーター募集のため、現在クラウドファンディングも準備中です。お力添えのほど何卒よろしくお願い申し上げます!
≪ お問い合わせ ≫城北法律事務所 Tel:03-3988-4866 担当:平松
遺棄毒ガス問題
新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??
鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??
鳥インフルの処分数 全国で1000万羽超える 過去最多
あの日本の侵略戦争を反省し作られた憲法9条を、順守すれば、軍事費ゼロ!!戦争をしないように全力で取り組む姿勢を全世界に示す!!【天皇制再考、軍人恩給廃止、戦争被害者(外国も含む)への補償、外交力強化!!】
憲法9条
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
軍事費削減!!憲法9条を尊重しろ!!
ウクライナへの軍事支援会合 ドイツの戦車 供与の判断先延ばし
日本はきちんと韓国に賠償すべき!!
「徴用工問題」とは何か
「徴用」めぐる韓国の新たな案 日本政府は慎重に見極める方針
作家で精神科医の加賀乙彦さん 死去
防衛力強化の最前線「国境の島」でいま起きていること
与那国ミサイル配備に反発 玉城知事「唐突な予算計上」
“弾薬だけ”で8200億円 来年度当初予算案、防衛費が25%増の過去最大 総額114兆円程度で最終調整
【随時更新】ロシア ウクライナに軍事侵攻(21日の動き)
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展
731・原爆・ビキニ
2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月22日(木)
7、731は、まだまだ知らない部分がありとても参考になりました。この3つのテーマに一連のつながりがあり興味深く見ました。(51歳以上、武蔵野市、ウェブ)
★新宿戸山の陸軍軍医学校跡地から見つかった人骨についての番組を見たい方は
下記のギガファイル便をダウンロードしてください(4月26日までダウンロード可能です)。
桜の下に眠り続ける死者たち
https://81.gigafile.nu/0426-f28efe24152e71e1bbe5a9daa5171a2b4
2022年は八王子市非核平和都市宣言から40年!!
飯田市平和祈念館の問題と清水英男さんの証言
731部隊員の戦後
飯田市平和祈念資料館の展示の見直しを!!
2022/10/22 清水さん宅にて
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村
731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。
「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。
清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・
久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)
飯田市平和祈念館資料室
飯田市平和祈念資料室
ビキニ事件|被ばく船員の救済を求める2つの裁判にご支援を
「731部隊員だった池田苗夫元軍医の戦後の軌跡」
「生体実験命令を拒否した医学者・横山正松」
「731部隊と大連黒石礁事件」
「731部隊と登戸研究所」
731部隊について
■731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022081700086
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!(
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
医療倫理・研究倫理の深化
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com
日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
四月二六、二七、二八日
つんめんたる春の情緒がさハハハー。僕も相変わらずさ 御安心を乞う後七ヶ月だよ 又理屈っぽいわからずやの僕が K君と面と向かって語る日がある 僕は無性に嬉しいが果たして君はどうだかな。何しても得意の空想的な思想論や理想論で争うからね。では失礼御丈夫でね。
此んな具合は如何?君 君の手紙は何だい、一人の鞍山のターペンで語ってるのか 寝言を思い出したのか分からないね。・・・それでいいんだよ。意気投合した人のみ了解できればそれで何よりさ ハハハ・・・。
「ずっと父が嫌いだった」
軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
としとったお母さん
ってはいけない
としとったお母さん
このままいってはいけない
>
メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
昆虫班でのノミの増殖
ノモンハンでの細菌撒布も
鶴田兼敏(つるたかねとし)
731部隊・少年隊
〈経歴〉
1921年生まれ
1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)
1939年10月 退職
1945年12月 帰国
■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。
解説ーノモンハン事件 (西野留美子)
8月20日、ソ連軍が総攻撃をするという情報が入った。その時倉島氏は、石井の命令により、真夜中に斥候のためノロ高地へ向かった。彼が運転する車は、総勢11名を乗せて、湿地帯に車輪を取られながら暗がりを進んだ。ノロ高地に着き偵察すると、数十メートル先にソ連軍の重砲隊が攻撃の準備をしているのが見えた。部隊に報告しようと帰りを急いだがその途中、ソ軍の飛行機が落とした爆弾で彼は顎が砕かれる大怪我をした。命を落とした者もいた。
後に石井は、ノモンハンでの業績を認められ軍司令部から感状を受けたが、この時倉島氏も「斥候の任務を重要に果たした」として次のように勲章を授与された。
支那事変従軍記章之證
倉嶋壽亀
支那事変従軍記章令の旨に依り 従軍記章を授与せらる
昭和15年4月29日
賞勲局総裁従三位勲一等 下條康磨
第二百二十七万六千九百二號を以て支那事変従軍記章簿冊に記入す
賞勲局書記官正六位勲五等 村田八千穂
日本軍政下香港(1997.7.27)
●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
第2 731部隊に関する研究状況
三 1984(昭和59)年以降の731部隊に関する研究状況
5 中国による資料の刊行と各国資料との相互論証関係
(4)各国資料間の論証関係
〈例証2〉凍傷実験
答 人体凍傷実験は、毎年、1年の中で一番寒い月―11月、12月、1月、2月に部隊内で行われていました。
この実験の方法は次の通りであります。即ち、被実験者を夜11時頃、酷寒の戸外に連れ出し、冷水の入った
桶に両手を入れさせ、それから手を出させて、濡れ手のまま、長時間寒気に立たせました。あるいは又、
こうもしました。着物は着ても裸足の人間を戸外に連れ出して、夜、一番寒い時に寒気に立たせました。
(『ハバロフスク公判書類』、465―466頁)
これは古都自身の目撃に基づく証言である。
撫順戦犯管理所では、山内豊紀は、凍傷、耐寒実験について次のように供述している(1951年11月4日)。
我々研究室の小窓から、寒い冬の日に実験を受けている人が見えた。吉村博士(生理学専門家)は6名の中国人に一定の重荷を背負わせ、一定の時間内に一定の距離を往復させ、どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。見ていると、彼らは日増しに瘦せ衰え、徐々に凍傷に冒されて、1人ひとり減っていった。12月上旬になると1人もいなくなったので、死亡したに違いない(前掲訳『人体実験』、98頁)
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)
Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始 1937―1938
1 日中戦争の全面化と毒ガス戦
南京攻略戦とびらん性ガスの急襲使用計画
日本軍は、上海という1つの都市を攻略するのに84日間もかかり、国内にあった弾薬庫が空になるほどの大量の砲弾を撃ち尽くし、死傷者は4万人以上に達していた。このように、国民党軍の抗戦能力は予想以上に高かったので、味方の被害を少なくするために、毒ガスによる徹底的空爆という激しい攻撃案が提案されたのである。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
核時代39年(1984年)5月初版発行
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
謀殺(ぼうさつ)
予防注射を口実に毒殺
中島宗一
属官
〈略歴〉
本籍 長野県下伊那郡
出身階級 農民
最終学校名 南信学院2部卒業
学校卒業後の職業 農業
最後の所属 旧竜江省警務庁特務科
被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠
「これは手術の中でも最も困難な心臓部の大手術です」案内してくださる看護婦さんのささやきの声を聞き、私は11年前の出来事をまざまざと思い浮かべ、自責の念で胸がかきむしられる思いをせずにはいられなかった。
斉斉哈爾(チチハル)全福胡同に、北満資源調査所と筆太に書いた門札をかけた1棟があった。正面から出入りする者は滅多になく、裏口から出入りする者の姿を時折り見るといった、正体の知れない、何かしら寒々とした感じのする家だった。それもそのはず、この建物は竜江省地方保安局の旧庁舎で、現在竜江省警務庁特務科特捜班の工作室にあてられているのだ。
●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
研究―四
三矢研究事前研究項目(対米関係事項)
第3 日本直接防衛のための日米共同作戦
1 全面戦の誘発を防止すべき情勢下における軍事作戦の限界
(2)核使用の問題
ロ 核使用の全面戦への発展の可能性
(ロ)戦術的核使用の場合
この場合は、軍事目的に限定され、また量的質的にも限定されるので、使用の目的、時期、場所、方法等を適切に行えば全面戦への発展は回避し得るであろう。
しかしながら錯誤、誤算等により限界を逸脱する危険性を包蔵しているので、全面戦への発展の危険性は常に滞在しており、為し得る限り回避することが望ましいであろう。
敵の核使用に対してはあらゆる手段を尽くして、その意志を封殺すると共に、万一攻撃を受けた場合はわが方も使用せざるを得ない。但し、可能な限り全面戦への発展を回避し得る限度に於いて報復すべきであろう。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
沖縄基地の毒ガス事件
事実、沖縄では、琉大男子寮前で行われた毒ガス抗議集会が終了した後、バスで浦添村牧港の米民政府前に向かった学生が、民政府正面入口で毒ガス撤去、軍事基地撤去を叫び、一団が民政府構内の駐車場に突入し、一団が正面入口のポールに掲げられた米国国旗を引きずり降ろし、一団が庁舎内に突入するという事件がおき(『沖縄タイムス』7月26日)、29日には、沖縄県祖国復帰協議会の主催で、「毒ガス兵器撤去要求県民大会」を開き、次の宣言を採択した。
「アメリカ帝国主義はベトナム人民殺戮の為に、ナパーム弾、リン弾、ボール爆弾や、劇毒性除草剤、落葉剤、殺虫剤等の化学毒剤、さらにはCN,CS、DM等の毒ガス兵器まで多量に使用してきたが、これらの犯罪行為が沖縄基地を拠点にして行われていたことを思う時、心の底から怒りをおぼえてならない」
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
1、摂政時代と大正デモクラシーの危機
Ⅰ
立の国家主義的な国際法観は、日本の公式の見解であり、1920年代の後半から30年代の初めにかて皇太子にもそれが教えられた。歴史研究者の篠原初枝が指摘するとおり、アメリカの国務長官ヘンリー・L・スティムソンをはじめ、シカゴ大学のクィンシー・ライト 、コロンビア大学のジェイムズ・T・ショットウェル、ニューヨーク大学のクライド・イーグルトンら、同国の多くの指導的な国際法の専門家も、侵略戦争を違法化し、交戦国を平等に扱わない考え方に対抗する理論を模索しようとした時期があった。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order,
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
IMAGINE9
解説
02
武器をつくったり売ったりしない世界
「武器はどこから来るのでしょうか?
これは、2007年1月にナイロビで開催された 「世界社会フォーラム」で、ケニア人の青年が語った言葉です。アフリカは、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
憲法9条を生かそう!!