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未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件 第1部 松本清張と「小説 帝銀事件」
初回放送日: 2022年12月29日
戦後最大のミステリー「帝銀事件」の新たな真実に迫る衝撃のドキュメンタリー
NHKスペシャル「シリーズ 未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件」
あの日本の侵略戦争を反省し作られた憲法9条を、順守すれば、軍事費ゼロ!!戦争をしないように全力で取り組む姿勢を全世界に示す!!【天皇制再考、軍人恩給廃止、戦争被害者(外国も含む)への補償、外交力強化!!】
憲法9条
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展
731・原爆・ビキニ
2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート
12月21日(水)
14、多数の展示に圧倒されました。帝銀事件の椎名町支店のそばに親戚が住んでいて、行ったことがありますが、今は、集合住宅になっており、「跡地」なる表示もなく、歴史から姿を消した感じになっています。最もそういう表示あると部屋売れないか?(51歳以上、小平市、チラシ)
2022年は八王子市非核平和都市宣言から40年!!
飯田市平和祈念館の問題と清水英男さんの証言
731部隊員の戦後
飯田市平和祈念資料館の展示の見直しを!!
2022/10/22 清水さん宅にて
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村
731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。
「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。
清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・
久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)
飯田市平和祈念館資料室
飯田市平和祈念資料室
ビキニ事件|被ばく船員の救済を求める2つの裁判にご支援を
「731部隊員だった池田苗夫元軍医の戦後の軌跡」
「生体実験命令を拒否した医学者・横山正松」
「731部隊と大連黒石礁事件」
「731部隊と登戸研究所」
731部隊について
■731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022081700086
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!(
(以下の動画、5分20秒過ぎ)
医療倫理・研究倫理の深化
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
重慶無差別爆撃
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com
日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
四月二五日
午前四時半起床す 衛兵勤務 曇風あり 梅風の為笑う 上番下番一緒にして来週は遼陽に行く 二日間の休みが完全に吹き飛んだ。
服部が人の気も知らないで 婦人公論を夢中になって読んでいる 何か暗示的に読むといふ気持ちや人の心を知らしてやる一つの術はないものかしら。何も知らずに読んでいる。
知らぬが佛とはよく言ったものだ。然し佛と云ふよりも人間の方がまだひどい 佛にはかげからとか或いは人間らしい良心的な信心さからか 何れから知っているとか見ているとか云ふ様な風に 人間と云ふ内部から発生せしむるが 人間同士だとそれが 皆無といってもよい位にないから 閉口だ。
「ずっと父が嫌いだった」
軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
眼
熱気のつたわるから
息づまる壁から、がらんどうのを支える頑丈な柱の角から
現れ、あらわれ、消えることのない眼。
ああ、けさはまだ俺の妹だった人間のひとりをさがして
この闇に踏みこんだおれの背中から胸へ、から肩へ
べたべた貼りついてきえぬ
眼!
メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
昆虫班でのノミの増殖
ノモンハンでの細菌撒布も
鶴田兼敏(つるたかねとし)
731部隊・少年隊
〈経歴〉
1921年生まれ
1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)
1939年10月 退職
1945年12月 帰国
■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。
懲罰としてのシラミ飼い
ところがしばらくして昆虫班の班長から、「今日からお前はシラミを飼え」と言われました。私に当てられたシラミは、衣に付く白い衣ジラミでした。シラミは住居が決まっているのです。頭ジラミというのは、毛髪にしかいません。毛ジラミというのは陰毛に、衣ジラミというのは衣服にたかって、人間の血を吸うわけですね。それを飼わされたのです。どうやって飼ったかと言いますと、私の体の血を吸わせたのです。衣ジラミはネズミでは飼えません。それで縦4㎝、横8㎝ぐらいの布切れに30匹ぐらいのシラミを着床させ、それを私の左前腕部に付けて血を吸わせたのです。午前と午後に1回ずつそうやって血を吸わせました。かゆいといって潰すわけにはいかない。しばらくして開けてみると、逆立ちしているんですね。シラミの背中に赤い筋が1本スーッと入っていると、満腹状態です。それをビーカーに移すわけです。それを3日間やらされました。4日目に、何の理由も告げられずに「止めろ」と言われました。
日本軍政下香港(1997.7.27)
●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
第2 731部隊に関する研究状況
三 1984(昭和59)年以降の731部隊に関する研究状況
5 中国による資料の刊行と各国資料との相互論証関係
(2)安達における野外人体実験
さらに、安達における野外人体実験についてみると、ハバロフスク裁判の証言によれば、柄沢は安達の特設実験場の実験に2度立ち会っている。1度目は1943年末の10名に対して炭疽菌を浴びせた実験、2度目は44年春のペスト菌を浴びせた実験である。
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)
Ⅱ 満州事変と毒ガス問題 1931―1936
4 2.26事件
毒ガス使用の検討
2.26事件での毒ガス使用計画は、陸軍が危急の際にはいつでも毒ガスの使用を辞さない姿勢をもっていたことをよく示している。この決定に際して、習志野学校幹事の西原大佐や古林大尉の進言と戒厳司令部の石原参謀・公平参謀の決断が大きい意味を持っていた。しかし、2.26事件の場合は、反乱軍といっても同じ日本軍であり、毒ガスを吸って戦闘不能となり苦しんでいる間に取り押さえればいいのであって、殲滅するという考えはなかった。これが、霧社事件や満州事変の場合との決定的な違いであった。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳 明石書店 1995年発行)
おわりに
千葉県在住の宮崎教四郎さんは既に取り壊しの決まっていた陸軍習志野学校跡地の参観の実現に努力してくださった。
相馬一成さんは、カメラマンとして私たちの調査に参加され、この本の中の写真の大部分は彼の彼の作品であり、カメラを通しての資料作りには欠かせない存在となっている。
私は、今回の日本訪問に際して、多くのこの問題に関心を持っている日本の友人たちに出会った。彼らの社会的な責任感と真面目な態度に尊敬を覚え、さらにこんなに多くの日本の友人が私たちと一緒に努力していることに感動した。
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
核時代39年(1984年)5月初版発行
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
強姦
赤ん坊を殺し母親を犯す
石田幹雄
兵長
〈略歴〉
1913年 山梨県の中農の家に生まれ、
1928年 小学校卒業と同時に東京に出て、印刷労働者となり、
1941年10月20日 補充兵として東部63部隊に入営。
1942年5月末 中国に侵略し、
1945年8月22日 59師団54旅団110大隊兵長として朝鮮においてソ連により武装解除を受ける。
闇の中に大きな口を開けた家々の門の中から、何か飛び出してきそうな恐ろしさを覚え、不気味な静けさの中に時折りカサカサと鳴る木の葉も人の足音に聞こえ、あとをつけてくるのかと思って、胸がドキッと詰まる思いであった。闇をすかして見ながら、やっと昼間の家に辿りついた。私の後ろには1個中隊の仲間がいるという事に何よりも勇気づけられ、夜道を1人で歩く楯ととなっていた。病む身に子どもを抱えてどうする事も出来ず、雪模様の寒空に野宿して、もしや我が子を痛めるようなことがあってはと、子を愛する若い母親の人間愛を知る由もない私だった。
●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
研究―四
三矢研究事前研究項目(対米関係事項)
第2 情況の緊迫に応じとるべき具体的な統幕在日米軍司令部間の連携のあり方
4 自衛隊と在日米軍内電子活動に関する調整 米側J・6と調整
a 協同作戦における通信電子計画の調整 A3 〇 B ◎
b 協同作戦用無線周波数の調整及び通信に関する問題の調整 A3 〇 B ◎
c 電波放射の監視に関する調整 A3 〇 B ◎
d 呼出し符号あて名符号秘匿略語の割当 A3 〇 B ◎
e 通信電子組織と器材の軍事的特性の評価及び審査 B 〇
f 通信保全 A3 〇 B ◎
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景
アメリカにおける生物・化学兵器の開発
主な大学、研究所などが国防総省と契約した研究項目は次の通りである。
▽ウエスタン・リザーブ大学 サリンなど神経性ガスが皮膚接触を通して殺傷する過程の研究
▽スタンフォード研究所(スタンフォード大学付属)化学薬剤の空中散布の研究
▽ラトガー大学 最近10年間にわたるLSD幻覚剤の軍事的応用についての研究
▽ミネソタ大学農業研究所 植物枯死剤の研究
▽フォードマン大学ロシア比較研究所 ソ連におけるBCW(生物・化学兵器)研究開発の調査
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
1、摂政時代と大正デモクラシーの危機
Ⅰ
皇太子は摂政になってから、内大臣、宮内人臣や元老が第1次大戦中、どのように彼の父を政治問題に関与させないように努力してきたかを理解した。彼は、政党指導者が率いる内閣に宮廷を左右させないようにするのが、いかに大切かも理解するようになった。彼は、君主の裁可の領域を最小限に留める努力を目の当たりにした。そのため、天皇や自分自身の「聖旨」表明の余地がなくなる結果を招くこととなった。彼はまた、宮中官僚の政治的影響力は、天皇制を支えるほかの諸機関の勢力に比べてはるかに小さいことを知った。若くて経験の少ない皇太子も、政党内閣の台頭で脅かされている君主の権限を積極的に守るべきだとする側近の声を聴き、学んでいった。政治の主役になり、衰微した天皇の権力を取り戻そうと彼が願望するにつれ、牧野をはじめとする側近の助言者の影響は憲法の体制を逸脱するようになった。彼らは皇太子を感化すれば、より強固な独自の基盤の上に君主制を再建することができると考えた。