細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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18日(日)~27日(火)までブログはお休みします。

あの日本の侵略戦争を反省し作られた憲法9条を、順守すれば、軍事費ゼロ!!戦争をしないように全力でどり組む姿勢を全世界に示す!!【天皇制再考、軍人恩給廃止、戦争被害者(外国も含む)への補償、外交力強化!!】
憲法9条
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
【気象予報士解説】記録的な大雪 さらなる交通障害の恐れも…
立憲・泉氏「専守防衛に徹するが、長射程ミサイルの整備は必要」

玉城デニー知事「敵基地攻撃能力、保有できない」沖縄への自衛隊配備増強巡り見解

防衛増税も迷走「岸田政権」に今、決定的に足りないこと

東芝 経営再編交渉 銀行側が総額1兆2000億円融資行う方針決定
長射程ミサイル配備認めず 反撃能力「戦争引き起こす」 石垣市議会が賛成多数で意見書
ミサイルが飛んできても「反撃しない」ことこそが日本の抑止力だ
立民、反撃能力「容認できない」閣議決定受け声明公表
「報道特集」膳場貴子アナ 岸田政権の安全保障政策を疑問視「専守防衛も変質しかねない」
“弾薬だけ”で8200億円 来年度当初予算案、防衛費が25%増の過去最大 総額114兆円程度で最終調整
関口宏 安保関連文書に反撃能力明記に「これからの日本が変わってしまう大きな岐路に」
プーチン大統領 “アメリカ供与のパトリオットを破壊する”
【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(24日の動き)

放射能の影響を考えよう!!
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展



2022年は八王子市非核平和都市宣言から40年!!




飯田市平和祈念館の問題と清水英男さんの証言

731部隊員の戦後


飯田市平和祈念資料館の展示の見直しを!!




2022/10/22 清水さん宅にて

 


731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

 

731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村

 


731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。

 「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。

 清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・

 












久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)
飯田市平和祈念館資料室
飯田市平和祈念資料室


ビキニ事件|被ばく船員の救済を求める2つの裁判にご支援を


「731部隊員だった池田苗夫元軍医の戦後の軌跡」

「生体実験命令を拒否した医学者・横山正松」
「731部隊と大連黒石礁事件」

「731部隊と登戸研究所」
731部隊について





■731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022081700086
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」





今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。



https://jams.med.or.jp/jams120th/
731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。

 

大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

        重慶無差別爆撃


昨年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)


新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影
「核なき未来へ」

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月18日(木)
・731部隊の事初めて知ることが出来た。教科書に載っていない事、たくさん勉強できました。満洲での生物実験の証言や映像を見ることが出来たのは貴重でした。
(40代、市内)

 



●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

 

 

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com

 


日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


四月十九日

午前三時半 起床す 晴 風少々 第十三にて遼陽に使役 第十六にて帰隊し被服庫使役。
午前三時半起床す 此の間行った様に 第十六連隊が遼陽に来る為に接待役として第十三で行く 
常に寒い朝だ 給興委員であるべき中隊長を官舎に起こしに行く
午前六時半 特別臨時列車で第十六連隊がやってきた。今日は何も用事が無くて閉口した。
遊びに来たやら何しに来たのか分からない始末の悪い使役だ。軍旗を見た。本当に重々しい感じのするものだ。房ばっかりで何もない。必ず不動の姿勢でいなければならない。軍旗護衛兵の態度を見ても一層其の重大さが見られる。



軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。



太陽をおしのけた
ウラニューム熱線は
処女の背肉に
の花模様を焼きつけ
司祭の黒衣を
瞬間 燃えあがらせ
1945, Aug. 6
まひるの中の真夜
人間が神に加えた
たしかな火刑。
この一夜
ひろしまの火光は
人類の寝床に映り
歴史はやがて
すべての神に似るものを
待ち伏せる。




●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊

昆虫班でのノミの増殖
ノモンハンでの細菌撒布も

鶴田兼敏(つるたかねとし)
731部隊・少年隊
〈経歴〉
1921年生まれ
1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)
1939年10月 退職
1945年12月 帰国
■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。

私は昭和13(1938)年11月、関東軍の軍属要員として東京から未成年80人ばかりと一緒に“満州”、今の中国東北地方のハルピンに送られました。着いたところが石井部隊、いわゆる731部隊だったわけで、正式名称は関東軍防疫給水部です。私達80名は、少年隊という名のもとに3個班に分かれました。私は第3班の班員になりました。班員は16歳から18歳までの約30名でした。

入隊は11月13日でしたが、その時はまだ平房の部隊建物は建設中でした。建設資材が運ばれてくるので、私達は使役に出てそれを運ぶ作業を手伝いました。建物は鉄筋コンクリート3階建てでした。確か13年の11月下旬から12月上旬の事だったと思いますが、そのある日何かの用で屋上に上がったのです。下を見ますと“マルタ”が収容されている監獄の7、8棟の中庭に、麻袋をかぶった3,4人の人が輪になって歩いているのです。不思議に思い、班長に「あれは何ですか?」と聞いたら、「“マルタ”だ」と言います。しかし、私は“マルタ”という意味が解りません。そこで「“マルタ”とは何だ?」と又聞きますと、「死刑囚だ」と言うんですね。軍の部隊になぜ死刑囚がいるのかと疑問に思いましたが、その疑問をぶつける前に班長から、「今見たことはみんな忘れてしまえ!」口外してもならない」と言われました。それが、私が初めて“マルタ”を見た時のことです。

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行


第2 731部隊に関する研究状況

三 1984(昭和59)年以降の731部隊に関する研究状況

4  その他の資料の発見と文献の刊行

1988年8月には、『陸軍軍医学校防疫研究報告』61冊が山中恒により発見され石井四郎によって東京の新宿戸山の陸軍軍医学校内に設置された防疫研究室(1933年4月設置)と平房の731本部との密接な関係が明らかにされた(『朝日新聞』1988年8月21日)。特に、その中の「支那事変ニ新設セラレタル陸軍防疫機関運用ノ効果ト将来戦ニ対スル方針並ニ予防接種ノ効果ニ就テ」(『陸軍軍医学校防疫研究報告』第2部99号)は、1940年3月30日、石井四郎による陸軍軍医学校で開催された軍陣医薬学会での講演記録であるが、この中の第83図「本事変ニ新設セラレタル陸軍防疫機関」によれば、固定の防疫給水部として、ハルビン、北京、南京、広東と共に5番目に陸軍軍医学校防疫研究室が、「部隊長石井四郎、東京、310名、昭和8年4月1日編成」という記述と共に並置されており、防疫研究室とハルビンの731部隊本部の密接な関連を示している。因みに、そこではハルビンの関東軍防疫給水部は「部隊長石井四郎、ハルビン、1836名、昭和11年8月11日編成」とされている。



●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




Ⅱ 満州事変と毒ガス問題 1931―1936

3 毒ガス戦の準備

対ソ戦への準備

 これは陸軍の演習での最初の大きな毒ガス事故であったが、毒ガスの実戦経験がないため、このような演習が強行されたのである。
 9月には、陸軍習志野学校・陸軍科学研究所・下志津陸軍飛行学校が、天竜川下流の中州で、びらん性ガスの模擬毒と真毒を雨下する実験を行った。その結果、兵士と軍馬が被毒したが、その状況から雨下は「他の持久瓦斯使用の手段に比し遥かに有効」であるいことが判明した。




海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)


日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!



・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳 明石書店 1995年発行)

第13章 毒ガスは消えず


苦しかった過去を回顧する、忘れ難い調査
日本軍が遺棄した化学兵器の被害者、崔英韻先生と証人周乃栄先生を訪ねる

ここまで話すと、周先生は当時を思い出して苦しそうに、
「私は崔先生について何回も病院に行った。崔先生の被毒部分からは黄色い水が流れ皮膚はひどく爛れてある部分は血管が露出して、それがぴくぴくと動いているのが見え、もうそれ以上見ておられなくなった。毒剤を飲んだ人は死ぬ時、口も舌も全部大きな水泡が出来、その人は大きく口を開けて息をし、その苦しむ様子は、目を覆うばかりだった」と、回顧した。
 お2人の先生の訴えは、私たちに日本軍隊が遺棄した化学兵器の危険性を更に深く認識させることになった。更に私たちは、資料と元516部隊隊員の回想から、チチハルには化学毒剤を使用した工場があったと考える。
 では、・・・・具体的にその工場の位置はどこなのか?
今のところ私たちは分からない。
 それならこの毒ガス桶を発見した所は、…その工場と関係があるのではないのか?これは私たちが更に一歩進んで調査を行わなければならない。
 



核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)


嫌がる少女を銃剣で脅して

宮島健司
伍長 分隊長
〈略歴〉
本籍地 神奈川県川崎市
出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工
最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒
部隊名 59師団54旅団110大隊
被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日
年齢 38歳

「アアー・・・お母さん」「ええ、歩け歩け、こうして歩くんだよ!!歩かねえとブチ殺すぞ」小沢一等兵はそう叫びながら、娘の方に顔を向け、環を一回り犬の真似をして歩いてみせた。
「歩け歩け、殺さないからやれ」私は銃剣の先で娘の白い皮膚を突いた。銃剣の先に真っ赤な血が付いた。
「アーアーお母さん、おかあ・・・」娘は喉を詰まらせて、あとは声が一瞬途切れた。母親のしわがれた叫びが、断末魔の苦しみのように聞こえる。
「ワハハハ・・・」兵隊たちの淫乱な爆笑は、それをかき消してしまった。

「この野郎、この野郎」小沢一等兵の振り上げる棒は、娘の腰を打った。
「よーし!!今日は良い記念日だったなあ。あい権藤通訳!!女たちに、今日は特別に銃殺だけは助けてやると言え。なあに、どうせ死ぬんだ、まあ、どこかの部隊で見つけりゃまた慰問団になるさ。ハハ・・・だがなあ、権藤通訳!!男だけは生かしておいたら後の為にならんぞ。あとでやってしまえ。いいかッ」青木少尉は、こう簡単に命令した。
「ハッ、今夜でも一応絞ってから、やってみましょう」権藤は機嫌を取るように会釈をして、百姓の方をジロリと眺めた。
兵隊たちは、まだ物足りなそうにドロ靴を蹴って、婦人たちに土埃を浴びせた。婦人たちはもう泣いてはいなかった。娘をしっかりと抱きしめた老婆は、土まみれになった花模様の靴を履かせながら、私たちの方を恨めしそうに睨んだ。婦人たちは誰も動こうとしなかった。



●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)


研究―四
 三矢研究事前研究項目(対米関係事項)

第2 情況の緊迫に応じとるべき具体的な統幕在日米軍司令部間の連携のあり方
作戦調整所の開設
(3)連絡調整すべき具体的事項
具体的連絡調整事項は事態の区分に応じ別紙第1の通り予期される。
別紙第1(調整事項)
注・〇印 調整事項の発生を予期する場合
  印 調整事項の多発を予期する場合
連絡調整事項
7、自衛隊員の米国における教育訓練
  B ◎



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)


「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景
ベトナム戦争で毒ガス使用

米情報当局でさえ、ベトナムにおける毒ガス使用は米国の国際的威信を傷つけるものだとして、ホワイト・ハウスへ抗議する一幕もあった。
 しかし、ジョンソン政権は従来の決定を変更せず、1965年4月2日の記者会見で米大統領は、さらにマスタード・ガスなどを含む人員殺傷用の毒ガスの使用さえも示唆した。その為米国内に毒ガスが貯蔵されいるとも語った。
 65年9月7日、サイゴン地区の米司令部はL・N・ユター中佐指揮下の海兵隊が1週間前に解放戦線に催涙ガスの霧弾18個を使用したと発表した。



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!


第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年


第3章  現実世界に向きあう


 第3に、英国的な王室と国民の関係への志向を語ることによって、皇太子は不用意に日本の君主制のとくに重要な原則に抵触することになった。つまり、彼にはまだ天皇の役を果たす準備が出来ていないことが露呈されたわけである。というのも、もし明治憲法のもとで、皇室が国家と国民を結びつけ、政府と軍部とを統合する効果的な力を発揮し、政軍関係の機構を円滑に機能させようとするなら、天皇が現実にその巨大な―まさに独裁的な―政治的・軍事的権威を行使しなければならなかったからである。要するに、戦前の日本のナショナリズムが必要としたのは実際に統治する君主であり、単に君臨するだけの名目上の君主ではなかった。