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平頂山事件(香港フェニックスニュース)
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平頂山で何が起きたの?
未だ癒えぬ傷(平頂山事件 生存者の今)2005年
平頂山事件訴訟とは何だったのか
合唱朗読構成 「再生の大地」ー撫順戦犯管理所(短縮版)
平頂山事件とは何だったのか
平頂山事件90周年記念集会
平頂山事件 (香港フェニックス)

戦犯裁判での証言
戦犯たちの告白


日本民衆は10日、平頂山大虐殺90周年を記念し、歴史を忘れないように呼びかけた

https://www.fengshows.com/article/531261d2-178d-4657-b808-fe8a3a94e3d3
フェニックス・ニュース 2022-09-11 00:00/02:10

日本民衆は10日、日本軍による中国民間人虐殺事件である平頂山大虐殺事件90周年を記念する集会を東京で開いた。中国と外国を揺るがしたこの悲劇は、日本社会ではほとんど知られておらず、日本政府は謝罪と補償を未だに拒否している。

 日本の市民団体は土曜日、東京で平頂山大虐殺90周年を記念する集会を開いた。日本の学者が悲劇の経緯や最新の研究成果について講演した。中国ではよく知られている平頂山大虐殺は日本では認知度が低い。 学者は、日本が中国侵略の歴史を避け歴史を修正する傾向を非常に心配している。
 駿河台大学名誉教授の井上久士氏:「日本の高校の教科書ではほとんど触れられていませんし、普通の日本人もほとんど知りません。日本は過去を心に留めておくことによってのみ、真の友好と相互信頼の基盤を築くことができるのです。」
 東京市民合唱団の、平頂山大虐殺を再現した合唱劇「再生の大地」も上演された。
 「再生の地」合唱団団長の姫田光義氏:「中国人に謝罪することは、我々が直面している最も重要な問題です。」
 日本で20年間にわたる請求訴訟を起こし、平頂山大虐殺生存者の正義を訴えた日本の弁護士は、訴訟の経過と困難について語った。 2016年、日本の最高裁判所は、最終審として生存者の請求を却下したが、平頂山大虐殺の事実は司法判断した。 しかし、日本政府はこれまで、無差別殺人の事実を認めず、謝罪もしていない。
 平頂山事件訴訟弁護団の弁護士 大江京子氏:「平頂山事件の歴史から学んだ教訓を踏まえ、日中共同宣言の精神を再確認し、武力による問題解決をしてはなりません」。
 今日会場に来た人たちの間では、日本社会が歴史的事実に目を瞑ってしまえば、歴史を反省したり歴史の教訓に学ぶことはまったくできないというコンセンサスがあります。 しかし、私たちはまた、会場に来た主に高齢者たちが次の世代に歴史の真実を伝える方法について、まだ大きな課題であることを観察しました。


「生体実験命令を拒否した医学者・横山正松」
「731部隊と大連黒石礁事件」
731部隊被害者遺族を訪ねて
「731部隊と100部隊」と「人獣共通感染症」
731部隊と人権ー裁判から考える
人骨問題と731部隊
「731部隊と登戸研究所」
731部隊について
731部隊と100部隊ー人獣共通感染症への戦争動員
731部隊を追究する市民活動ABC企画委員会のあゆみ
感染症の世界史への日本の遺産
「スペイン風邪」と陸軍軍医学校
人骨発見33年目の追悼
731部隊・100部隊の戦後責任
オリンピックに翻弄された日本のパンデミック対策




飯田市はなぜ、歴史をきちんと伝えないのか??
 731部隊元隊員の証言、飯田市平和祈念館が展示せず 市教委「事実関係に議論」
2022/08/17 11:59



元隊員が持ち帰った医療器具などが並ぶ飯田市平和祈念館の731部隊の展示。元隊員の証言は紹介されていない

 戦争の悲惨さや平和の大切さを後世に伝えるため今年5月にオープンした飯田市平和祈念館で、関東軍防疫給水部(731部隊)の証言などを印刷したパネル展示が取りやめられたことが16日、市教育委員会などへの取材で分かった。住民有志でつくる市平和資料収集委員会が展示を求めていたが、市教委は事実関係が確定していないなどとして見送った。現在、展示は市出身の元隊員から寄せられた医療器具や人体解剖の医学書など十数点だけとなっている。

 取りやめた理由について、市教委生涯学習・スポーツ課は取材に「部隊の事実関係を巡ってはさまざまな議論がある。証言などを伝えたいという思いは理解しているが、公の施設としての展示は難しい」としている。

 市平和祈念館の展示は「戦争の恐ろしさ」「戦時下のくらし」など五つのテーマに分かれている。祈念館設置に向け、同委員会はこれまでに市教委と協力して戦時中の資料を集め、展示内容についても話し合ってきた。

 同委員会は「戦争の被害だけでなく、加害の歴史も伝えないといけない」と、731部隊が細菌兵器の開発を進め、捕虜となった中国人やロシア人に対して人体実験をしてきた―などとする説明文を作成。県内出身の元隊員4人の証言も文章にまとめた。市教委に証言などをパネル展示するよう求め、議論も重ねた。

 だが、市教委は遺品の展示のみにとどめている。同委代表の吉沢章さん(73)=飯田市=は「県内の元隊員らの証言を通じて地域と部隊との関わりを明らかにし、戦争の姿を伝えたかったのに」と割り切れない思いでいる。

          ◇
【731部隊】 生物・細菌兵器の研究開発のため、1936(昭和11)年に編成された旧陸軍の特殊部隊。旧満州(現中国東北部)のハルビン近郊で秘密裏に中国、ロシア人らの政治犯や捕虜に非人道的な人体実験を繰り返し、多数を殺害したとされる。ペストやチフスなどの細菌を研究し、日中戦争で実際に使ったとされる。

久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)
飯田市平和祈念館資料室




■731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022081700086
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」


2022/08/17 11:58
731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村
 
731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。
 「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。
 清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・
信濃毎日8月18日(斜面)




飯田市平和祈念資料室
今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。



https://jams.med.or.jp/jams120th/
731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。

大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

        重慶無差別爆撃




昨年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)


2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月19日(金)
・改めて731部隊のことを思い出しゾッとしています。40年程前に読まなければ、知らなければと思い、ページをめくりました。731部隊についての森村誠一の本でした。その後、戦争と侵略との関係を詳しく知るようになり、彼らが裁かれることなく戦後を生きたことに驚きました。侵略戦争についてはもっと知らせていかなければと思います。
(70代、市内)






●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

 

 

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com


日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


三月六日

一通りの申し送りの後 歩哨の暇には大きな声を噴出さずにはいられない有様だ。
午後零時十分中隊に帰る 班の作りが一変している 入営の為に宿営した大連の関東倉庫式のように寝台がない。支那人が表で一生懸命切っている 寝台の手すりを。
名残なく晴れた大空からは絶えず春の招きが 霞にかかった春の陽炎と共に刺し招いている。
何分外で仕事ができるようになったものだからね。点呼の掃除もするでなし 残飯を捨てるでなし静かな一日が終わった 今週は初めて勤務がないらしい うんと春休みして又経理検査の次は分遣へ
さよーならだ。




「ずっと父が嫌いだった」



軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

河のある風景

すでに落日は都市に冷い
都市は入江の奥に 橋を爪立たせてひそまる
れる住居ののなかに
時をったのかけらを崩して
河流は 背中をそそけだてる





メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)



●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』
731研究会編
はじめに

序ー 731部隊がいかにして作られ、またいかにして歴史の闇に葬られたのか?

1925(大正14)年、生物化学兵器の使用を禁止するジュネーブ議定書が締結された(日本はこの時批准していない)。731部隊の創設者となる石井四郎はこのことにヒントを得て関東軍防疫給水部の設立を思いついたと言われる。陸軍の中にあって後陣の下位の位置に甘んじていた軍医の立場を、なんとか上位に押し上げたいという野心を抱いていた彼は、細菌兵器の研究、準備をもってそれを実現しようとしたのである。1928年の春から2年間、石井はワルシャワ、モスクワ、パリ、ベルリン、アメリカと、各国の医学研究所を視察して回った。 


日本軍政下香港(1997.7.27)

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行

第1 本件検定経過について

第2 731部隊に関する研究状況

二 1983(昭和58)年以前の731部隊に関する研究状況

2 1970年代及び1980年代初期の研究状況

 このように1970年代後半から80年代初めにかけて、作家やジャーナリストによる731部隊の解明もすすんでいた(江口「意見書」が示すように、83年時点には既に30数点の文献が刊行されていた)。


消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」


●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




Ⅰ 第1次世界大戦の衝撃 1915―1930

2 毒ガス使用禁止国際条約への対応

潜水艦及び毒ガスに関する5国条約

 軍縮会議で、アメリカ・イギリス・フランスが毒ガスの使用禁止に消極的であったのは、毒ガス戦能力で優位に立っていたからであり、日本とイタリアが積極的であったのはその能力が劣っていたからであった。

海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)

日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!





A事案区域内における土地改変時の対応について より
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内)
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内)
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)
遺棄毒ガス・砲弾被害賠償請求事件 東京高裁 判決 2007.7.18
中国での毒ガス兵器遺棄を巡る戦後補償問題







  


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章  癒しがたい傷

付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記
行武院長は座るとまず、大久野島の毒ガス工場設立の過程及び戦争中の活動と役割について簡単に紹介した。毒ガスの危害について、行武院長は資料を引用して毒ガスの核兵器との類似点を説明した。即ち、この2つの兵器が危害を及ぼす範囲はいずれも相当に広く、これに接触した人は1人の例外もなく傷害を受けること。また、両者のもたらす危害にはいずれも深刻な後遺症をを伴うこと。使用者は相手の報復を恐れるがゆえに、率先して使用することはしないこと。分解・焼却の方法が非常に複雑で難しいこと。最後に、行武院長はこれらの情況から次のように結論付けた。




大久野島遺跡巡り



 核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

糧穀の略奪
(冷酷非情な取り立て)


引地 章(ひきじあきら)
警察署長 警正
(略歴)
学歴 高等小学校卒業
所属 旧満国 図們警察署
年齢 54歳

西方の村はずれの農家から始めた。林警尉の指揮する第1班は、第4戸目の中農の家構えのの中に入って行った。林警尉は、35,6歳と思われるここの息子や老婆と問答をしていた。息子は痩せた背の高い顎骨の出た男で、眼だけが光り、つぎはぎだらけの綿服を着て庭に立っていた。老婆は、2歳くらいの男の孫を抱えていた。
息子は、眼をキラリとさして、「去年の出荷は食料が足らなくて、地主から3割5分の現物利息を付ける約束で糧穀を借り、やっと返しただ。今年は8分作でやっと7割出したが、もうこれ以上出せねえ」と、言った。老婆も、「もう正月が来るのに、情けないこっちゃ。来年の春餅に食料はなくなるし、馬は痩せて働けなくなる。どうしてくれるか」と、なじるように言う。
「俺は、そんなことは知るもんか。出すか、出さんか返事しろ。出さんなら3か月分残して、あと全部、種子迄取り上げるぞ」息子は、暗い深刻な顔をして、黙って下を向いた。


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密
第3章 防衛力整備

3 防衛基盤の整備

第3編
昭和38年度統合防衛図上演習
(三矢研究)
38年2月1日    統裁部
まえがき
2、この記事は、研究記事その1「研究の要約」と併せて用い、今後における防衛及び警備の年度計画の整備並びに有事に於ける諸施策の遂行に資することを目的としている。





●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

2、 生物・化学兵器の種類と特性
生物兵器の種類・使用方法

生物兵器の分類は、使用想定方法別に分類する方法と、一般的な分類とに大別されるが、使用想定方法から分類すれば次のようになる。
(a)対人兵器 ①細菌、②リケッチャ、③ウィルス、④毒素など
(b)対動物兵器 対人兵器と同じように分類されが、主として動物を対象とした生物剤が用いられる。
(c)対植物兵器 対植物兵器は、化学薬品のの一種で、更に次のように分類される。①発育抑制剤2・4-D  2・4・5-T  1・P・C等 ②落葉剤 塩化亜鉛(ZnCl₂)、アンモニウム・チオ・シアナイド(NH₃SCN)など。
一般的な分類方法では、微生物(真菌類、原虫類、細菌、リケッチャ、ウィルス)、毒素(微生物毒素、植物毒素)、病害動物、対植物化学薬品という分け方になる。




●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年


第3章  現実世界に向きあう

 Ⅰ

 18歳を迎えて1週間後の1919年5月7日早朝、皇太子は近衛騎兵隊に警固され、馬車で赤坂御所を出発した。群衆は二重橋を渡って宮城に入る鹵簿(ろぼ)に歓呼の声を上げた。儀式の装束をまとい、身を清めた彼は、宮城内の神殿で神道の儀式で成年式を行った。式の間、礼砲が響き、東京をはじめ全国の都市で祝典が催された。