細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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戦前・戦後直後と同じ、トップは無責任!!
国が原発推進していて、事故があったら責任ないなんて全くおかしい??
226事件は憲兵隊も陸・海軍も事件が起る前から情報を得ていた。なぜ事件を止めなかった??
責任を全部下に押し付けるのはBC級戦犯裁判・226事件と酷似だ!!
「こんな判決出るとは」無念の原告 疲労と失望

朝鮮人BC級戦犯裁判
朝鮮人BC級戦犯裁判
226事件は憲兵隊も陸・海軍も事件が起る前から情報を得ていた。なぜ事件を止めなかった??
責任を全部下に押し付けるのはBC級戦犯裁判・226事件と酷似だ!!
全貌226事件
2.26事件
何をやっているのかさっぱり分からない??
社説:日本版CDC 組織新設にとどめるな
専門家組織の国立感染症研究所と国立国際医療研究センターを一元化は、戦前の陸軍軍医学校と陸軍東一病院に「先祖帰り」かも
それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなりました。(資源エネルギー庁のHPより)

世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!

被爆二世健診…43年目の真実~データが語る遺伝的影響と「ほしょう」を考える
東芝を沈めた原発事業「大誤算」の責任
核被災に苦しむウイグルの人々
731部隊からフクシマまで1
731部隊からフクシマまで2
731からフクシマまで(5


今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。


https://jams.med.or.jp/jams120th/
731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。
731部隊や関東軍の文書公開 ロシアが歴史問題で日本けん制か
台湾に現役防衛省職員派遣へ 今夏にも常駐 情報収集強化
日本の情報公開の現状!!



戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!

На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!

У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!

Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!

ウクライナ戦争とアフリカの食糧危機
ウクライナ戦争がアフリカの食糧危機を直撃する理由
ウクライナに平和を!!

日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ

「戦争の加害展」プレ企画





*7月18日の加藤哲郎講演は、事情により小河孝講演に変更になりました。


関連パネル展



戦争を停止する道を探れないのか??

No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!




国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!

憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!
Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!






ウクライナ侵攻、10代の素朴な疑問 今の時代になんで戦争?
モハメド・アリ 勇気の連鎖
世界の生物兵器開発はどうなっているの??



生体実験命令を拒否した医学者・横山正松


ビキニデーin高知
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
室戸フィールドワーク(マグロ漁船の見学)
忘れられたビキニ被災者たち
ビキニ事件と俊こつ丸
新聞記事からの報告
裁判の報告
世界の核被害問題と解決の取り組み
中満泉ビデオメッセージ
核兵器禁止条約発効の時代に生きる世代へ
閉会の挨拶



大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

        重慶無差別爆撃

重慶爆撃(戦争のはじまり)


昨年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影
核なき未来へー被爆二世からのメッセージ


2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月16日(火)
(加藤哲郎講演)
・内容がたくさん詰まった講演でした。ありがとうございました。現代の動きがその前からどう続いてきたのか詳しい御話でした。
(70代、?)

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

 

 

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com

 

日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


二月十四日

そして見出した物は単に精神の美を失した利己のみが眼前に浮いた。それでも自分は最善なる自己の進む本道とさえ思われたのは何故?若さの為のみではない?都会生活が育てた自己本位の本能の支配によるものか。
私は生意気の様であったが、主家の人たちとよく思想上(あまりに大きくなるが)または商売上に於て意見の衝突をし出かした事がある。其のたびに私の頭に浮かぶのは 封建制度の今なお時代に遂行して行く一事がある。私は封建制度によって育った男だ。そして其の矛盾を割合に良く知っているつもりだ。若さの至りで軍に制度上の欠陥を指摘しては 友とも主人とも話した事がある。今考えると赤面の至りだ。




軍都広島での物語

●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

としとったお母さん

ひと筋しろい煙だけが
ながながとあがっていたが……
若いとき亭主に死なれ
さいほう、洗いはり
よなきうどん屋までして育てたひとり息子
大学を出て胸の病気の五、六年
やっとなおって嫁をもらい
孫をつくって半年め
八月六日のあの朝に
いつものように笑って出かけ
嫁は孫をおんぶして
疎開作業につれ出され
そのまんま
かえってこない
あなたひとりを家にのこして
かえって来なかった三人




●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅲ 細菌戦部隊の周辺

海南島で見た生体解剖
「アイゴー、アイゴー」という叫び声が聞こえてきて・・・・
渡辺はつ
同仁会・看護婦
〈経歴〉
1919年生まれ
1940年 新郷・開封の同仁会診療所に看護婦として勤務
1942年 海南島同仁会診療所に勤務
1943年 現地解除。帰国
■この証言は1993年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。

解説ー同仁会(粕川良谷・越田稜)

 1938(昭和13)年、同仁会は外務省の要請によって、新規の救護班を各大学医学部や医科大学を中心にして編成した。また同年、外務省は陸軍省と協議して、同仁会に対して「対支防疫事業方針」を示した。
 中国侵略地の防疫事業設立の立案を受けた東京帝大附属伝染病研究所(伝研)所長であり、また同仁会副会長でもあった宮川米次は「防疫に関する調査・研究、薬品製造と供給、防疫実施と教育」の事業を同会が行なう事を指定した。なお宮川は伝研所長としては、北野政次(2代目731部隊長)を初めとして、“弟子たち”を731部隊や榮1644部隊に送り込む東大医学部の供給センターを形成する一方、同仁会でも全国大学医学部及び日本医学界を“侵略の医学”に推進する人材センターのポストにあった。


●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行

はじめに
●ハルビン郊外に遺る現代史の汚点●―その2週間前、私は中国のハルビン郊外20㎞の平房の731部隊に立っていた。周囲の地平線まで続く平原、私にとっては1984年に初めて現地調査に来てから7年ぶりである。
 1945年8月、近づく日本敗戦を前にして、証拠を隠すために部隊は破壊されたが、歴史の事実はどのようにしても隠し通せるものではない。地下細菌貯蔵室、ペスト菌増殖用の鼠を飼うコンクリートの枠、吉村班凍傷実験室などが残り、ボイラーの煙突も立ったままである。これら731部隊の遺跡は、野外ミュージアムとして保存され公開されているので、訪れる人も多い。遺跡に立つ日本人は、誰でも自国の現代史に刻まれたしまった汚点について考えざるを得なくなるだろう。

●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明(2004年発行)




はじめに

 なぜこのようなことが起るのだろうか。それは、第1次世界大戦以降の日本の毒ガス戦準備、満州事変以降の使用、そして戦後の隠蔽と関りがある。内外の毒ガス事故は日本軍の開発・配備・遺棄によるものである。化学兵器テロについて言えば、極東国際軍事裁判(東京裁判)で日本軍の毒ガス戦追及が中止され、戦後、世界に化学兵器が拡散していったことは無視できない。化学兵器の開発・生産は野放し状態だった。


海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)



日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!

碑文

ここ旧西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。 そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年敷地704,000m2)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。
第二次大戦後工業立地に恵まれた跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。 いま大地に大地に深く根差した緑に世界の平和を願い、国土の安隠を祈る。

建立  相廠会 及び 協力企業  昭和63年春


略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)

A事案区域内における土地改変時の対応について より
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内)
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内)
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)


 
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第12章  癒しがたい傷


毒ガス島最期の日々

 1945年から現在までに既に50年(本書は1995年発行)が過ぎ去ったが、大久野島の毒ガス工場で働いたことのある人たちは半世紀前の恐怖と動揺の時代を永遠に忘れはしない。日本敗戦前後の数か月間には、アメリカのB29爆撃機が日本本土に爆弾を投下し、戦争の緊張した空気が日本列島を覆いつくしていた。日本政府の発した「本土決戦」のスローガンは、国民の闘志を掻き立てるというよりは、国内の緊張と恐怖をさらに激化させるものであった。



核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

焼け火箸ー拷問の挙句に斬首

佐藤五郎
分隊員 上等兵
(旧部隊名)第59師団第109大隊

佐藤は梅田の声に自分に気が付いた。「よし、言わなけりゃ、最後の手段だ」どら声で静かに口調で、梅田は殺すことを考えたのである。佐藤1等兵がわめき声を立てている姿をさっきから煙草をつけて見ていた。
やたらに煙草を吸っては吹き出している。・・・ぶらりと下がった中年の男に近寄ると、吸った煙草の煙を吊るしたその男の顔に吹きかけた。「どうしても言わねえか」吹き出す煙草の煙を佐藤1等兵の方へ向けると、顎をしゃくり上げ、「おい佐藤、縄をとけ」
「ハイ」佐藤は木の後ろに回ると、縄を引き裂くようにしてといた。縄はずるずると音を立てる。体は、「どすん」横に倒れて落ちた。


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密
第3章 防衛力整備

1 中期5ヵ年計画

4次防の本質

 最終決定後に公表される主要項目の内容がどのようなものになるにせよ、それは決して4次防の真の狙いをしめすものではない。3次防までの公表文が、まだしも各計画の特徴の片鱗をしめしていたのに比べて、4次防公表文は無内容な官僚の作文にとどまるだろう。すでに決定された大綱は、作文どころか、3次防のコピーにすぎなかったのである。その性格と目標は、防衛庁庁議で決定される計画正文を検討することによって、はじめて明瞭となる。だが、それは「極秘」文書として、あくまでも秘匿されるであろう。
 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

「第8研は所長以下436名(内高等官62名)で、第1科金材、ウラニウム、ジルコニウム等の研究、第2科非金、火工品、吸収剤、有桟剤の研究、第3科ゴム、火炎剤、ロケットの研究、第4科夜光剤等の研究。第9研は登戸研究所とも言われ所長以下861名(内高等官131名)で北安分室(長野県松川村)中沢(長野県中沢村)小川(兵庫県小川村)登戸(川崎市)の各分室に分れ強力超短波(殺人光線)、謀略器材、対植物剤.の研究棟が行なわれていた。



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!


第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年


第2章  天皇に育てる


 外国では治者と被治者の関係は権威に基づく服従に限られるが、日本では「天皇は、人民に臨ませ給ふに権威を以てするにあらずにして、仁愛を民の心中に深く厚く植込み給ふを以て、君臣の関係自ら牢乎(ろうこ)として抜く可(べ)からざる。故に民は悦服するなり」と杉浦教えた。「権威によらない」統治という杉浦の観点を皇太子が受け入れたかどうかは疑わしい。しかし「仁愛を体する天皇」という観念は深く心をとらえた。のちに軍事の面で行動の選択が求められるようになればなるほど、それに代わるものとして仁愛の魅力が高まるのだった。
杉浦は将来の君主に道徳観念を植えつけると同時に、矛盾と欲求不満も助長したといえる