細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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認定率は0.2%「難民に冷たい日本」―専門家、NPO、当事者らが語る課題と展望


全貌226事件
2.26事件
軍事費が増えて行くのは、戦前と似ている!!
自民公約案 防衛費GDP2%以上念頭、5年以内の抜本強化
公明が参院選公約発表 憲法への自衛隊明記「検討を進めていく」 
それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなりました。(資源エネルギー庁のHPより)

世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!

被爆二世健診…43年目の真実~データが語る遺伝的影響と「ほしょう」を考える
東芝を沈めた原発事業「大誤算」の責任
核被災に苦しむウイグルの人々
731部隊からフクシマまで1
731部隊からフクシマまで2
731からフクシマまで(5


今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。


https://jams.med.or.jp/jams120th/
731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。
731部隊や関東軍の文書公開 ロシアが歴史問題で日本けん制か
台湾に現役防衛省職員派遣へ 今夏にも常駐 情報収集強化
日本の情報公開の現状!!



核なき世界へ!!
核兵器禁止条約(TPNW)
国連・中満次長「核不使用死守を」 ウクライナ侵攻、脅威が「現実」 時事トップセミナーで講演
「長崎の被爆者です 質問はありますか?」初の核兵器禁止条約 締約国会議 伝えたい”被爆の実相”
「核兵器禁止条約は価値観を変える」6月オーストリアで開催の締約国会議前に長崎市で講演会
NATO2カ国、核禁会議に参加 ドイツとノルウェー
「オブザーバー参加を」 被爆者らが「核なき世界」訴え 広島
ロシア 地方議会で議員が反戦訴え
「プーチン大統領は謝罪すべき」 ロシアの大物退役軍人がウクライナ侵攻で異例の批判
アメリカも銃規制をしてもらいたい!!
米テキサス州の小学校で乱射 生徒19人と教師2人が死亡

戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!

На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!

У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!

Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!

ウクライナ戦争とアフリカの食糧危機
ウクライナ戦争がアフリカの食糧危機を直撃する理由
ウクライナに平和を!!





日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ

「戦争の加害展」プレ企画






*7月18日の加藤哲郎講演は、事情により小河孝講演に変更になりました。

戦争を停止する道を探れないのか??

No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!




Why is America not actively moving towards peace ??
Почему Америка не движется активно к миру??
何故アメリカは、和平に向けて積極的に動かない??

Article 9 of the Constitution to the World Constitution !!
Статья 9 Конституции Всемирной Конституции
憲法9条を世界憲法へ!!

RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, world forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.


ОТКАЗ ОТ ВОЙНЫ Статья 9.
Искренне стремясь к международному миру, основанному на справедливости и порядке, мир навсегда отказывается от войны как суверенного права нации и от угрозы или применения силы как средства разрешения международных споров.
Для достижения цели предыдущего абзаца сухопутные, морские и воздушные силы, а также другой военный потенциал никогда не будут сохранены. Право воинственности государства признаваться не будет.

戦争の放棄
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine!!

Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину!!

国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!

憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!
Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!






ウクライナ侵攻、10代の素朴な疑問 今の時代になんで戦争?
モハメド・アリ 勇気の連鎖
世界の生物兵器開発はどうなっているの??




生体実験命令を拒否した医学者・横山正松


ビキニデーin高知
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
室戸フィールドワーク(マグロ漁船の見学)
忘れられたビキニ被災者たち
ビキニ事件と俊こつ丸
新聞記事からの報告
裁判の報告
世界の核被害問題と解決の取り組み
中満泉ビデオメッセージ
核兵器禁止条約発効の時代に生きる世代へ
閉会の挨拶












大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

        重慶無差別爆撃


重慶爆撃(戦争のはじまり)





昨年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影
核なき未来へー被爆二世からのメッセージ

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月18日(木)
・断片的に知り得ていた事が少し繋がってきた。知らなかったことが多すぎる事がわかった。45分間の見る時間を予定していたが足りない。再度の見学で続けたい。
(70代、市内)



●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com



日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


二月七日
晴風アリ 零下二十三度 巡察あり張台子煙台間 十八列車で帰る
今日も巡察だ 第十五にて第十八列車で帰る 張台子煙台間だ 昨日の出来事ある故 緊張して実施すれど異常なし 非常に眠くて入浴する気なく、また寒く冬の満州は嫌になった 大阪から今日救護班が来た 流行性脳脊髄蔓延にて 一中隊の初年兵が悲しくも遼陽の空に消えていった。国には臨月の妻と母のみとか 他人事ながら泣けてくる。満州に死に来たようだ しかも二日間の病でもろくも倒れようとは その結果鞍山部隊は外出禁止となり 保菌者を調べる為に来たのだ。
 今日は土曜日 本当に帰りたくなった。この間の事件以来 夜間巡察ばかりで体が続かない。銃は真っ白になるし 眉毛は氷って目が見えなくなる。


軍都広島での物語

●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

倉庫の記録

二日め
 あさ、静かな、嘘のようなしずかな日。床の群はなかばに減ってきのうの叫び声はない。のこった者たちの体はいちように青銅いろに膨れ、腕が太股なのか太ももが腹なのか、焼けちぢれたひとにぎりの毛髪と、腋毛と、幼い恥毛との隈が、入り乱れた四肢とからだのんだ線のくぼみに動かぬ陰影をよどませ、鈍くしろい眼だけがそのよどみに細くとろけ残る。
 ところどころに娘をみつけた父母がんでなにかを飲ませてい、枕もとのダライに梅干をうかべたうすい粥が、蠅のたまり場となっている。
 飛行機に似た爆音がするとギョッと身をよじるみなの気配のなかに動かぬ影となってゆくものがまたもふえ、その影のそばでみつけるK夫人の眼。



 
●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅲ 細菌戦部隊の周辺

海南島で見た生体解剖
「アイゴー、アイゴー」という叫び声が聞こえてきて・・・・
渡辺はつ
同仁会・看護婦
〈経歴〉
1919年生まれ
1940年 新郷・開封の同仁会診療所に看護婦として勤務
1942年 海南島同仁会診療所に勤務
1943年 現地解除。帰国
■この証言は1993年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。

 私がいた頃は、中国人の集落に予防注射に行くほどの人数的な余裕はありませんでした。新郷では、付近の集落にチフスやコレラが流行しましたので、診療所の前を通る中国人を無理やり捕まえて、チフスやコレラの予防注射をしていました。強制的でしたが、通訳を2人おいて、予防の必要性を説明したのです。軍人以外にも商社員や民間人を装った特務機関の者もおり、そういう日本人の治療もしました。新郷は北支那方面軍の管轄下で、開封にも北京にも臨時出張がありました。


●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳

解説
証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に

 侵略行為の実態を把握

 管理所の扱いに反発し、告白運動や手記運動にそっぽを向いていた連中にも、変化が生じていた。一定の期間が経過した頃から、自分たちの過去の行為と比べ、中国側の扱いが寛大であり、かつ道理のある事に気づき始めたのであった。国友の分析によれば、中国側の意図が処罰を目的としたものでないらしいとわかり始めたことから、気持ちにゆとりが出てきて、物事を冷静にみることができるようになったためだろう、という。旅行の終わった頃、かつては札付きだった連中の中から、中国側の責任者に、それはなぜなのだと尋ねる人たちが出てきた。1人の責任者は、こう答えていた。「私は、国の方針として、皆さんにその様に対応したまでだ。私たちは、皆さんがかつての中国でやったことと反対の事をしているのかもしれない。しかし、それで良いのです。私たちは、将来の事を考えて、その様にやってきたのです」。


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

おわりに
 
私が日本軍の毒ガス問題に関心を寄せるきっかけとなったのは、高校の図書館で、曽根兵器製造所の毒ガス後遺症患者を扱った「毒ガス後遺症の恐怖訴え」と題する1989年10月28日の『朝日新聞』の記事だった。当時高校1年生だった私は、この記事を読んで、日本軍の毒ガス製造が自国民に災厄をもたらしていたという問題と、日本軍が毒ガス兵器を実戦で使用していたという記述に驚かされた。記事には立教大学の粟屋賢太郎教授と『地図から消された島―大久野島毒ガス工場―』の作者の武田英子氏のコメントが付いており、早速私は武田氏の著作を購入した。

 

 

海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)


日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!

碑文

ここ旧西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。 そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年敷地704,000m2)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。
第二次大戦後工業立地に恵まれた跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。 いま大地に大地に深く根差した緑に世界の平和を願い、国土の安隠を祈る。

建立  相廠会 及び 協力企業  昭和63年春


A事案区域内における土地改変時の対応について より
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内)
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内)
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)


  
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験


付記・ジャムス毒ガス弾発見地点の現地調査記

この町には実際、日本軍占領期の軍関係のビルが多い。列車は橋を過ぎるとすぐ駅に着く。駅を出ると、目の前には大都市が姿を広げる。真っ直ぐな大通りが駅から一直線に市街の奥深く通じ、その両側には近代的な高層ビルが立ち並ぶ、街の中心ある花園に立つ像が目を楽しませてくれる。
 都市の近代化を楽しむ間もおかず、私たちは真っ直ぐ、ジャムス航路支局の支局長、黄其俊さんを訪ねた。黄さん(54)はハルピン交通學校の出身で、この支局ですでに30年近く働いている。航路局の仕事は1年の半分近くが川の船の上だが、黄さんは自分の仕事に強い愛着を持っていると見受けた。



核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

焼け火箸ー拷問の挙句に斬首

佐藤五郎
分隊員 上等兵
(旧部隊名)第59師団第109大隊

飯を食っているところへ、炊事場の裏の方で怒鳴る声が聞こえてくる。「誰かいないか、誰かいないか」班長の声だ。佐藤一等兵はほおばった飯を詰め込むと、「佐藤一等兵行ってきます」誰に敬礼するともなく、大きな声を張り上げ、頭をペコリと下げた。その声を聞いた久保上等兵は慌てたように、「おい、佐藤」と言った。
「ハイ」
「かまどに火箸が焼いてあるから持って行ってくれ、班長殿に頼まれたんだ」
「ハイッ、わかりました」。返事を残すと炊事場に走って行った。


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密
第3章 防衛力整備

1 中期5ヵ年計画

極秘の2次防計画

そこには、「この陸、海、空、各自衛隊の『第2次防衛力整備計画』は、『第2次防衛整備計画について』の本文・・・・国防会議及び閣議において決定されたのに伴い、その細部計画として同日防衛庁庁議において決定されたものである」と記されている。A4判で陸は約130ページ、海は約140ページ、空は約330ページ、合計600ページを超えている。この厖大な計画書こそ、2次防そのものであるといえよう。だが「この計画書は、附言するまでもなく極秘書類であり、その取扱については慎重にせられたい」(防衛局計画官の前文)との指示により、国民と国会の監視を逃がれてきたのであった。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

自衛隊員が語る旧軍技術研究
小官は戦車隊(第19師団、軽装甲車訓練場)から入校し、戦車学校にも入校していた関係上、消(散)毒車、除毒車、除毒車、除毒機の操法は、得意であり、当時山根中尉(片村中尉)、杉山少尉、いずれも化校で総務課長、管理課長をやられた方とは同期であり、演習の余暇を利用しては、操縦訓練を教えてやった。教室(実験室も含む)で教官から教えてもらうのは、資材(実毒の意味)の一部と戦術ぐらいのもので、他の課目の大部分は、雨が降ろうが、風が吹こうが、野外で実施、実物体験主義、理論よりも実物(実毒)に親炙、体で覚えるいわゆる体得するのが、習校の教育方針のようにうかがえた。」


 
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年


第2章  天皇に育てる


幼少のころから、裕仁は自然に魅せられるようになった。学習院に在学中、貝や昆虫の収集家だったある侍従の勧めで、彼は自然の世界に目を開かれた。12歳だった1913年、自分で昆虫の標本をつくった。蝶や蝉の標本を添えて、植物と昆虫との関係を図解した。それは、事物を厳密に、理性的に評価する彼の能力が開花する第1歩だった。