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それまで原子力を利用していたものの脱原発を表明する国が現れ、米国で新規建設のプロジェクトがなくなるなど、世界各国の原発利用は停滞することとなりました。(資源エネルギー庁のHPより)
世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!
被爆二世健診…43年目の真実~データが語る遺伝的影響と「ほしょう」を考える
東芝を沈めた原発事業「大誤算」の責任
核被災に苦しむウイグルの人々
731部隊からフクシマまで1
731部隊からフクシマまで2
731からフクシマまで(5)
ウイグルで何が起こっているのか?
「新彊ウイグル自治区」の政治~歴史を振り返って
ウイグル抑圧継続と中国非難 年次報告「AIで市民監視」―米長官
今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
https://jams.med.or.jp/jams120th/
731部隊に関しては、11.シンポジウム:未来への提言「4. 医療倫理・研究倫理の深化」のところで、以下のスライドが出てきて、わずかですが触れられます。
731部隊や関東軍の文書公開 ロシアが歴史問題で日本けん制か
台湾に現役防衛省職員派遣へ 今夏にも常駐 情報収集強化
日本の情報公開の現状!!
反原発!!
想定外の原発攻撃、対策なく 福島教訓に安全性強化も―ウクライナ
島根知事「6月2日に再稼働の判断」 島根原発2号機
北海道 泊原発「運転差し止め」判決 争点は? 原告は判決に「安心」 北電は速やかに「控訴を」
サントリー、「桜」夕食会に酒を無償提供 識者「違法献金の可能性」
核なき世界へ!!
核兵器禁止条約(TPNW)
国連・中満次長「核不使用死守を」 ウクライナ侵攻、脅威が「現実」 時事トップセミナーで講演
「長崎の被爆者です 質問はありますか?」初の核兵器禁止条約 締約国会議 伝えたい”被爆の実相”
「核兵器禁止条約は価値観を変える」6月オーストリアで開催の締約国会議前に長崎市で講演会
NATO2カ国、核禁会議に参加 ドイツとノルウェー
「オブザーバー参加を」 被爆者らが「核なき世界」訴え 広島
ロシア 地方議会で議員が反戦訴え
「プーチン大統領は謝罪すべき」 ロシアの大物退役軍人がウクライナ侵攻で異例の批判
アメリカも銃規制をしてもらいたい!!
米テキサス州の小学校で乱射 生徒19人と教師2人が死亡
戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
世界の食糧危機!!、世界の環境破壊!!生態系の激変!!貧困、虐殺、レイプ、人間不信!!
На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!
У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!
Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!
日本は、戦争の反省をしているのだろうか??
過去最大の防衛予算 歯止めなき膨張許されぬ
「戦争の加害展」プレ企画
*7月18日の加藤哲郎講演は、事情により小河孝講演に変更になりました。
関連パネル展
戦争を停止する道を探れないのか??
No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!
Why is America not actively moving towards peace ??
Почему Америка не движется активно к миру??
何故アメリカは、和平に向けて積極的に動かない??
Article 9 of the Constitution to the World Constitution !!
Статья 9 Конституции Всемирной Конституции
憲法9条を世界憲法へ!!
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, world forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
ОТКАЗ ОТ ВОЙНЫ Статья 9.
Искренне стремясь к международному миру, основанному на справедливости и порядке, мир навсегда отказывается от войны как суверенного права нации и от угрозы или применения силы как средства разрешения международных споров.
Для достижения цели предыдущего абзаца сухопутные, морские и воздушные силы, а также другой военный потенциал никогда не будут сохранены. Право воинственности государства признаваться не будет.
戦争の放棄
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない
I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine!!
Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину!!
国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!
I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!
Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!
憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!
Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!
生体実験命令を拒否した医学者・横山正松
ビキニデーin高知
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
室戸フィールドワーク(マグロ漁船の見学)
忘れられたビキニ被災者たち
ビキニ事件と俊こつ丸
新聞記事からの報告
裁判の報告
世界の核被害問題と解決の取り組み
中満泉ビデオメッセージ
核兵器禁止条約発効の時代に生きる世代へ
閉会の挨拶
大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
重慶無差別爆撃
重慶爆撃(戦争のはじまり)
昨年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影
核なき未来へー被爆二世からのメッセージ
2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月16日(火)
・貴重な展示物、初めて見るものが多かった。展示物の多い割には会場が狭い。ゆったりした会場が望まれる。
テーマが広いのでは。
(70代、市内)
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com
日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
二月二日
午前8時衛兵下番 十二時非常練習あり 晴 暖かし 零下十二度 電話の人。中隊。内藤 山本 川角 大部の市野
衛生下番大隊の守備兵演習勤務実習があるとて、緊張していた所 果たして副官が来た。
一生懸命にやった何分モーターカーに乗ったことにして 三道崗の踏切迄武装して走ったのだからたまらない。着剣して附近に監視の姿をしていたのだ。三道崗は遼陽城内行きの道のある所だ。通る支那人は恐々眺めていた。一日中何もなく 休んだらよかったのに中隊も出動した情況は 遼陽を出た第二二列車(旅客)大子河北方二粮の地点において 馬賊の運航妨害に逢ひ脱線 旅客は略奪されつつありというわけで出動した。
軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
眼
熱気のつたわるから
息づまる壁から、がらんどうのを支える頑丈な柱の角から
現れ、あらわれ、消えることのない眼。
ああ、けさはまだ俺の妹だった人間のひとりをさがして
この闇に踏みこんだおれの背中から胸へ、から肩へ
べたべた貼りついてきえぬ
眼!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅲ 細菌戦部隊の周辺
陸軍病院の軍医として
14人の中国人を生体解剖した
湯浅謙(陸軍軍医)
■この証言は新宿・渋谷731部隊展(1993年7月)、東京東部同展(93年8月)、千葉同展(93年9月)、石川(金沢)同展(1993年11月)ほかの『報告集』よりまとめたもの。
(経歴〉
1916年生まれ
1941年10月 短期現役軍医として旭川28連隊入隊
1942年2月 北支山西省潞安陸軍病院附
1945年8月 現地で敗戦を迎え、年末に国民党軍の徴用を受け人民解放軍と交戦
1949年4月 解放された人民政府病院勤務
1951年2月 捕虜として捕虜収容所へ拘束される
1952年12月 戦犯として太原監獄へ収監
1956年6月 起訴免除により帰国
敗戦
解説―軍医と生体解剖(西野留美子)
当時同大学の解剖室で実験手であった中国人張丕卿は、戦後その時の様子を次のように語っている(『生体解剖』)。
この様子は、死体ではなく生きた体のまま解剖されたことを思わせる。
軍医らにより、盲腸の手術の練習台にされた被害者も多かった。
1943年、湖北省宜昌県に駐屯していた233連隊1大隊本部では、“抗日ゲリラ”として捕えた中国人の若者を解剖した。
山川軍医は動脈に注射をし、メスで腹を10㎝程切り、腸を取り出して「盲腸の手術はこうするんだ」と言った。またメスでのどに穴をあけ、「呼吸困難な時にはこういう手術をする」と言いながらゴム管を、苦痛の為低く呻いている愛国者ののどに差し込んだ。大隊長は河村州善男上等兵に命令して、銃剣を胸に突き刺して男を殺害させた・・・
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
解説
証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に
侵略行為の実態を把握
この告白や討議を通して、収容者たちは、日本軍が中国で行なった侵略行為の実態を、ほぼ正確に把握する事が出来たという。それまで、自分たちの関係した行為について知っていても、他の部隊の実情については、ほとんど知らなかったのである。例えば、731部隊の行為についても、告白などからおよその実態がわかってくる。1人の元憲兵隊員は、彼の所属する憲兵隊が捕えていた中国人22名を、上官の命令により「マルタ」と称してハルピンへ送った事を記憶していたが、それが731部隊の実験の為であったことが、収容所での討議を通して初めて知り、自らの行為の結果に愕然とした。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題
4 毒ガス戦をめぐる歴史資料と国会論戦
毒ガス戦をめぐる国会での論戦
それでは最近の状況はどうであろうか。2001(平成13年)11月に小泉純一郎内閣総理大臣は、毒ガス兵器関連の資料と使用の事実などについて次のように答弁している。
旧軍関連の資料を保管している防衛研究所図書館には、例えば、陸軍科学研究所における化学兵器の研究開発経過の概要を示す資料や、くしゃみ剤など非致死性の化学剤を充填した兵器を使用したことを示唆する資料等、旧軍の化学兵器の研究開発等に関する断片的な資料が存在するが、旧軍関連の資料の多くが終戦時に処分され、断片的な資料しか残っていないことや、関係者の多くが故人となっていることなどに鑑みると、更なる調査を行ない、旧軍による化学兵器の研究開発の全体像や実戦での使用例の全容を解明することは、極めて困難であると考えている。右に例示した資料を含め、防衛研究所図書館が保管する旧軍関連の資料については、プライバシーに配慮した上で原則として公開しているところである。(「内閣衆質153第3号 衆議院議員小沢和秋君提出わが国周辺に遺棄された旧軍化学兵器の実態解明と無害化についての質問に対する答弁書」2001年11月2日https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b153003.htm)
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
碑文
ここ旧西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。 そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年敷地704,000m2)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。
第二次大戦後工業立地に恵まれた跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。 いま大地に大地に深く根差した緑に世界の平和を願い、国土の安隠を祈る。
建立 相廠会 及び 協力企業 昭和63年春
略史
昭和 5年 海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設昭和 8年 平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年 海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年 特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年 相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年 終戦、廃廠
第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第10章 残酷な人体実験毒ガス実験
苦しみ抜いた20年
肖慶武
肖さんの未亡人、孫景霞さんは17年にわたって彼についてあちこちの病院を巡り、まだ子どもたちが小さかったこともあって、生活はまことに大変なものだった。その話をする彼女は感情が激して、目尻の涙を絶えず拭った。「病院は隔離しろと言います。でも家族でそんなことはできません。職場では患者数人の服や布団一式を河原に持って行って焼きましたけど、私にはできなかった。夫の毛糸のセーターとズボンをずっと取っておきました。その時焼いていれば、反復感染しないで済んだと、今はほとんど後悔してます」。現在、肖さんの一家は多かれ少なかれ、皆皮膚に潰瘍を持っている。
核時代39年(1984年)5月初版発行
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
焼け火箸ー拷問の挙句に斬首
佐藤五郎
分隊員 上等兵
(旧部隊名)第59師団第109大隊
コンクリートの壁で囲まれた憲兵隊の中から、不気味な鐘の音が聞こえてきた。その音は付近の民衆を乱す如く流れていった。この鐘は憲兵隊の夕食の合図だ。補助憲兵たちは各々の内務班からある者は下駄をつっかけ、ある者はシャツ1枚で、思い思いの格好でやってきた。早くから食堂に来た補助憲兵たちは、隊長と班長が食堂に来ていないので隊長と班長の話をしている。
「おい、久保!隊長殿、先ほど外に出たようだが、どこに行ったのか」
「うん、隊長殿か、軍人倶楽部に行くと言ってでていったよ」
「そうか、なんだって今頃軍人倶楽部なんか行ったんだい」
「別に仕事なんかありゃしねえよ、今晩はおそらくお泊りだろうよ」
「チェッ、面白くねえ」
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第3章 防衛力整備
1 中期5ヵ年計画
再軍備長期構想
防衛研修所員井星英1等海佐は、「国防の柔構造及びシステム化」と題する論文(『防衛論集』70年9月号)において、「兵力整備計画は、兵器乃至兵器体系の実用化が一般に5~10年かかるところから、それだけの見越しをかけなくてはならないし、さらに技術研究開発に至っては項目にもよるが、一般に10~20年を見越さなくてはならぬ」とし、国防計画を短・中・長期に区分して、それぞれを立案するのに必要な情勢見積の性格を第6表のようにしめしている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
爆発赤痢事件
爆発赤痢事件というのは、文字通り、爆発的に発生した集団赤痢事件、12332名が発病、712人の死者を出しいる。当時、この事件の調査団(内務省予防局防疫課、県衛生課、医学陣、陸軍省医務局、久留米12師団軍医部によって編成)は、約50日間にわたって調査を行ない、「水道汚染以外には到底考えられない」との結論を出した。このため当時大牟田市の水道課長であった塚本久光さん(1950年9月、50歳で逝去)は、引責辞職を強いられた。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年
第2章 天皇に育てる
また政治・宗教両面において帝王学が要請したのは、民主主義思想に対抗するため学校で注入されている公的イデオロギーだった。明治維新期に国家の行為を宗教的に意味づけてきた、宗教祭祀と政治とか統合された神権政治という理想(祭政一致)からも、天皇には祭祀を執り行うことが求められた。天皇の教育が重視されたもうひとつの論拠は、天皇はつねに「文明開化を先頭にたって推進するカリスマ的政治指導者」でなければならないとする、維新期に始まる固い信念だった。天皇が近代化・西洋化の推進を主導し続けるなら、彼は広範囲な実際的科目や、近代の政治・社会・経済思想を学ばなければならなかった。このような見地から皇太子が日本人の実社会とは別の世界で、17歳になるまで新聞を自由に読むことも許されずに育ったというのは注目すべきことである。