細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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731部隊全景
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Why is America not actively moving towards peace ??
Почему Америка не движется активно к миру??
何故アメリカは、和平に向けて積極的に動かない??

Article 9 of the Constitution to the World Constitution !!
Статья 9 Конституции Всемирной Конституции
憲法9条を世界憲法へ!!

RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, world forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.


ОТКАЗ ОТ ВОЙНЫ Статья 9.
Искренне стремясь к международному миру, основанному на справедливости и порядке, мир навсегда отказывается от войны как суверенного права нации и от угрозы или применения силы как средства разрешения международных споров.
Для достижения цели предыдущего абзаца сухопутные, морские и воздушные силы, а также другой военный потенциал никогда не будут сохранены. Право воинственности государства признаваться не будет.

戦争の放棄
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine!!

Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину!!

国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire !!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!

憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!
War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!
Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!






ウクライナ侵攻、10代の素朴な疑問 今の時代になんで戦争?
モハメド・アリ 勇気の連鎖
世界の生物兵器開発はどうなっているの??









2022.4.14 日中国交正常化50周年記念 緊急集会
「中国は敵ではない。東アジアは平和と繫栄の基礎。東アジアで2度と戦争を起こさない」
「日中対立を促すアメリカ軍事戦略を問う~米本土の盾にされる日本の行方~」
2022年4月「表現の不自由」展
延期されていた「表現の不自由展・東京」がはじまる 最高裁の決定が後押しに
都内で予定の「表現の不自由展」にまた妨害──憲法によって言えること・言えないこと


東京で表現の不自由展開幕 抗議受け10カ月遅れ
私たちは忘れない
元日本軍「慰安婦」の女性 沖縄とインドネシア
映画「主戦場」予告編
日本軍が占領した海南島で





大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

        重慶無差別爆撃

重慶爆撃(戦争のはじまり)



昨年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影
核なき未来へー被爆二世からのメッセージ

2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月16日(火)
(加藤哲郎講演)
・貴重なパネル、資料により、日本軍の戦争犯罪がよく分かりました。ありがとうございました。
(30代、市外)







 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com




日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


一月十六日
午前七時半おきる  晴  暖か。 煙台張台子巡察する.零下一四度  春すぎて 夏きにけらし し ろたえの・・・・ではないが春の陽気で気が浮く  或る小説のヒロインについて友と論ず
勿論恋愛のからんだその人の性格についてすべては論ずるに限る  得る所が多い
巡察だよ整列。出発十七列車で二四列車帰隊  平凡なれども春の陽気でピクニック気分で走る。公用兵の鈴木がいる  中隊も呑気らしい。早く帰りたいな・・・・



「ずっと父が嫌いだった」






軍都広島での物語
知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

あとがき
私はこの稿をまとめてみながら、この事に対する詩をつくる者としての六年間の怠慢と、この詩集があまりに貧しく、この出来事の実感を伝えこの事実の実体をすべての人の胸に打ちひろげて歴史の進展における各個人の、民族の、祖国の、人類の、過去から未来への単なる記憶でない意味と重量をもたせることに役立つべくあまりに力よわいことを恥じた。
 然しこれは私の、いや広島の私たちから全世界の人々、人々の中にどんな場合にでもひそやかにまばたいている生得の瞳への、人間としてふとしたとき自他への思いやりとしてさしのべられざるを得ぬ優しい手の中へのせい一ぱいの贈り物である。どうかこの心を受取って頂きたい。








映画「ひろしま」予告編
メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
原爆初動調査ー隠された真実
広島スピーチ
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅲ 細菌戦部隊の周辺


水瓶の中に生首が
一瓶にホルマリン漬けの生首が3個か4個

佐藤治郎(仮名)
防疫研究室

〈略歴〉
1909年生まれ
1926年 大阪で就職
1937年 防疫研究室に軍属として勤務
1939年 南支那派遣軍防疫給水部に転属
■この証言は「人骨焼却公金支出差止請求訴訟」の為に準備した“陳述書”をまとめたもの

解説―軍医学校跡地から発見された人骨

                    (鳥居靖・西野留美子)
佐倉鑑定の示す人骨の特徴
3、人為的加工と損傷
頭骨の加工・・・主として穿孔又は切除、鋸断、及び外力による破折と推定される。外
        科手術類似の手法は、頸部で切断された死体の頭部に対して実施され
        たものと推定される。目的は恐らく手術の予備実験ないし練習であろ
        う。
頭骨の損傷・・・生前に受傷した可能性が大きい切創と刺創と、鋸創の疑いのある穿孔 
        がある。
四肢骨の鋸断・・乾燥標本であったと考えられる1個体を除けば、大部分が骨のいろい
        ろな位置が鋸断されている。鋸断以外の加工や明らかな病変は認めら
        れない。


(鑑定の詳細は佐倉朔『戸山人骨の鑑定報告書』(新宿区、1992年3月30日〉、常石敬一『骨は告発する―佐倉鑑定を読む』(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会発行・海鳴社発売、1992年)を参照されたい)







戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)
日本軍政下香港(1997.7.27)

●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳

解説
証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に

管理所職員の悩み

責任者の多くは、管理所の責任あるポストに任命されたとき、上級機関へ、恨み骨髄の日本人戦犯の管理に当たることは勘弁してほしい、到底自信がないから勤まらない、と持ち場替えを要請した経験を持っている。それはダメだと言われて、しぶしぶやってきてみると、軍人、とりわけ高級将校たちの根性は、以前と少しも変わっていたない。でかい態度で、中国人をバカにし、命令には一向に従わない。説得など聞こうともしないので、ハラを立てぶんなぐってやろうと思っても、体罰は厳禁で、逆に自分が処罰される。
「どうすりゃいいんだ、ばかばかしくてやっておれるか!」と、何人かが所長へ転出願を出した。説得する所長に、1人の班長が「奴らをこんな所へ収容して、手間暇かける必要がどこにあるのです!?北満の荒野や放り出せばすむことじゃないですか!」と食ってかかった。

日清戦争従軍カメラマン・第2次大戦への10年 


 消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」



●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題


証拠隠滅と戦犯免責

中国と香港での戦犯裁判

 他方、中華人民共和国成立後に山西省で行われた裁判では、ソ連から引き渡された旧日本軍軍人に対して1956(昭和31)年6月から7月に行なわれ、華北での対住民犯罪などが裁かれた。豊田雅幸氏によれば、そこで毒ガス使用の問題が問われたのは、元第117師団長の鈴木啓久元中将、元第59師団歩兵第旅団長の上坂勝元少将、元第137師団歩兵第375連隊長のの船木健次郎元大佐の3名であった。これらの審理では証人の証言がなされ、被告人も罪を認めたことから、犯罪が認定されている(豊田雅幸「中国側資料から見た山西省における毒ガス戦」)。この3人以外にも、起訴された被告人の中には毒ガス戦への関与を認めていた者が存在していたが、罪は問われなかった。



海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)

史蹟
海軍技術研究所化学実験部
相模海軍工廠化学実験部跡
裏にはこう書いてある。毒ガスの悲惨なことについては何も書かれていない。
「海軍技術研究所は昭和5(1930)年この地に化学研究部を設け多くの市民から「技研」の愛称で親しまれた。
 昭和18(1943)年相模海軍工廠化学実験部として改称し、終戦と共にその役割を終えた。今往時を偲び懐旧の想い新たに先人の鎮魂と世界の平和を祈念しここに記念碑を建立しその足跡を留める。
平成6(1994)年春 相廠記念碑建立委員会建之」

A事案区域内における土地改変時の対応について より
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内)
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内)
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)


遺棄毒ガス・砲弾被害賠償請求事件 東京高裁 判決 2007.7.18
中国での毒ガス兵器遺棄を巡る戦後補償問題





第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
百年の悲劇はここから始まった2

 





  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

まちがいなく日本軍の毒ガス砲弾

紅旗09号浚渫船は、事件発生当日、仕事に遅れが出ないよう、中毒患者の救出に真剣に取り組む一方、作業も継続して行なっていた。その日の午後6時頃になって、吸い上げポンプは再び一個の砲弾を吸い上げた。既に教訓はがあったので,
慎重を期して作業は停止された。翌日(10月21日)、報告を受けたジャムス軍分区、市武装部、市公安局(日本の警察に相当)、市伝染病予防局など関連機関が人を派遣し、水運局航道工区、武装、公安、医務の各部局の共同作業により10月22日午前、第2の砲弾が取り出された。現場の船員はこの砲弾がその前の水中に捨てた砲弾と同じ形であることを確認した。長さ50㎝、直径約10.6㎝、重さ15㎏との測量結果が出た。



SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用


 日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行


田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

「バレようがバレまいがそんなことに変わりがあるもんか、バレたとなりゃあ、もっと毒力の強い細菌を培養して、どんとバラまくだけの話だ。どうだ玉井、そうだろう!!」
「ああ、それで最近丸太が運ばれてくるんだな」、
さっきからみんなの話に聞き入っていた人事班の島田が、「ところで金井、特別班の色(エロ)パンフレットは刷らないのか」
「一部くれと言うんだろう、この助平野郎、写真班に行っては色写真をくれと言う!」
どいつもこいつも金井から色写真、色パンフレットをもらっているくせに、君子顔して笑い出しました。




●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密
第2章 日米共同作戦

2、戦時緊急計画
日米作戦調整所
 このように日米作戦調整所は天災地変、国内騒乱、間接侵略など治安出動下令の時点、あるいは防衛出動待機の時点で設置されて共同行動を開始し、防衛出動下令の時点で本格的な日米共同作戦を展開するのである。
作戦調整所は東京に設置される。恵庭裁判田中証人は、それがどの基地かについて証言するには長官の許可を要するといい、防衛庁は「これを公表することはわが国の防衛力に関係するものあり、また日米両国間の友好関係を阻害して国の重大な利益に反する」などを理由に承諾を与えなかった (参考資料5参照)。だが、ハワイの米太平洋統合軍司令部と密接な連携をもたねばならない以上、通信施設の状況などからみて府中の米空軍司令部内におかれるものと判断していい。このほか三矢研究では、直接ハワイに防衛庁連絡部を設置すること、陸海空幕と在日米三軍間の調整機構を設けることも構想されている(基礎研究ー4の第3)。なお田中証人は、統合防衛計画において統幕の指揮所がどこに設定されることになっているかについても証言を拒否している(65・7・7第20回公判)。




●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

4 公害調査に名を借りたBCW作戦

気象条件と作戦要素

『野外における化学剤の作用』は、さらに次のように書いている。
「化学資料は他の資料よりはるかに多く気象の影響を受ける。目標地域における気象と地形の条件は通常下記の要素を決定する。
(1)どのくらいのガスまたは煙を、またはどのような種類のガスまたは煙を使用すべきか。
(2)以上の弾薬類の使用方法。
(3)ガスの汚染又は濃度の有効時間。
(4)風下における濃度はどのような場所で危険であり、またどのくらいの間危険であるか。
(5)煙の隠蔽時間。
(6)焼夷剤の火はどの程度有効に広がるか。」


南方軍防疫給水部(岡9420部隊)






●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年

第一章少年と家族と明治の遺産


 13歳から19歳まで、彼は小笠原が学習院からとくに選抜した5人の学友とともに、東宮御学問所で軍事と一般教養の両面の教育を受けた。この時期、普通の日本人には、まだ軍事教練のなかった小学校のあとは5年制の一般中学があるにすぎなかった。