細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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*5月6日~10日ブログお休み!!


日本は、戦争の反省をしているのだろうか??

昭和の時代


731部隊全景
スペイン風邪ー恐怖の連鎖ー(続編)
731部隊の真実
東京ブラックホールー戦後0年
揺れるロシアの人々ー軍事侵攻と国家のはざまでー
A・ジョリーさん、ウクライナ入り
「プーチン大統領はあらゆる国際法に違反」ロシア人反戦の声

プーチン対アリ

No War!!Stop War!!

русские !! Прекратить войну!!

Russians !! Stop the war !!

ロシアの皆さん!!戦争を止めてください!!



Why is America not actively moving towards peace??

Почему Америка не движется активно к миру??

何故アメリカは、和平に向けて積極的に動かない??
Article 9 of the Constitution to the World Constitution !!
Статья 9 Конституции Всемирной Конституции

憲法9条を世界憲法へ!!

RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, world forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.


ОТКАЗ ОТ ВОЙНЫ Статья 9.
Искренне стремясь к международному миру, основанному на справедливости и порядке, мир навсегда отказывается от войны как суверенного права нации и от угрозы или применения силы как средства разрешения международных споров.
Для достижения цели предыдущего абзаца сухопутные, морские и воздушные силы, а также другой военный потенциал никогда не будут сохранены. Право воинственности государства признаваться не будет.

戦争の放棄
第九条 世界は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない


I want the United Nations to do everything in its power to stop Russia's invasion of Ukraine!!

Я хочу, чтобы Организация Объединенных Наций сделала все возможное, чтобы остановить вторжение России в Украину!!


国連はロシアのウクライナ侵攻をやめさせることに全力で取り組んでほしい!!

I want Japan, which has Article 9 of the Constitution, to move more positively toward a ceasefire!!

Я хочу, чтобы Япония, у которой есть статья 9 Конституции, более позитивно двигалась к прекращению огня !!

憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!


War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!
21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!










Русские солдаты!! Часть 2 Russkiye soldaty! !! Chast' 2(ロシアの兵士の皆さん!!パート2)
Russian soldiers!!
Immediately from Ukraine
Let's withdraw and return to Russia!!

Русские солдаты!!
Сразу из Украины
Отходим и возвращаемся в Россию!!

ロシア軍兵士の皆さん!!
直ちにウクライナから
撤退してロシアに戻りましょう!!



NO WAR!! STOP PUTIN!!

ロシアはウクライナ侵攻をやめろ!!



プーチン政権と闘う女性たち

軍事侵攻2か月 ロシア軍とウクライナ軍 激しい攻防か
「私たちは目の前で起きたことを忘れない」
「私たちは目の前で起きたことを忘れない」ロシアが“フェイク”と断ずる市民虐殺 主張覆す決定的証言と映像を入手【報道特集】

ロシアでは締め付けが厳しいのか?
ロシア人実業家の自殺報道相次ぐ、3カ月で少なくとも5人


ウクライナ侵攻、10代の素朴な疑問 今の時代になんで戦争?
モハメド・アリ 勇気の連鎖
世界の生物兵器開発はどうなっているの??










2022.4.14 日中国交正常化50周年記念 緊急集会
「中国は敵ではない。東アジアは平和と繫栄の基礎。東アジアで2度と戦争を起こさない」
「日中対立を促すアメリカ軍事戦略を問う~米本土の盾にされる日本の行方~」
2022年4月「表現の不自由」展
延期されていた「表現の不自由展・東京」がはじまる 最高裁の決定が後押しに
都内で予定の「表現の不自由展」にまた妨害──憲法によって言えること・言えないこと


東京で表現の不自由展開幕 抗議受け10カ月遅れ
私たちは忘れない
元日本軍「慰安婦」の女性 沖縄とインドネシア
映画「主戦場」予告編




大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

        重慶無差別爆撃

重慶爆撃(戦争のはじまり)








昨年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影
核なき未来へー被爆二世からのメッセージ




2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月16日(火)
(加藤哲郎講演)
・731部隊について数年前に武蔵小金井で講演を聞き、その後何回か、講演・NHKスペシャルなどで個別に勉強してきました。本日改めて、全体像の説明を受け、少しずつ、頭の整理ができました。ありがとうございます。
アミダステーション展示・ビデオのアンケートにも記しましたが、731部隊に関係したNHKBSのドキュメント番組一般公開してほしいと思います。NHKに対しても無償公開、自由アクセス可能なよう要求したい。
中学生・高校生・大人(戦後世代)の勉強材料としたいと思います。本日先生の紹介のあった本・議事録を一覧公開をお願いします。
(70代、市外)

プーチン政権と闘う女性たち

ドイツと日本の謝罪の違い






 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu.goi@gmail.com

 



日本の中国東北侵略から91年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


一月十三日
今日は武田が菓子を送ってくれた。鈴木と共に こんなに甘い物ぜめではやり切れないね。だが戦友は嬉しい。段々暖かくなってゆくのは何よりだ。せめて下番する至はね。寝台上で犬の子のような狂ひが何とも云われない味いを持つ
中隊では青柳の先生武田が待っている 行軍には行きたくなけれども中隊には行きたい―




「ずっと父が嫌いだった」






軍都広島での物語
知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

希い――「原爆の図」によせて――

滅びゆく日本の上に新しい戦争への威嚇として
原爆の光りが放たれ
国民二十数万の命を瞬時に奪った事実に対し
底深くめざめゆく憤怒を誰がええよう

この図のまえに自分の歩みを誓わせ
この歴史のまえに未来を悔あらしめぬよう


映画「ひろしま」予告編
メアリーが伝えるヒロシマ
広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
原爆初動調査ー隠された真実
広島スピーチ
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅲ 細菌戦部隊の周辺


水瓶の中に生首が
一瓶にホルマリン漬けの生首が3個か4個

佐藤治郎(仮名)
防疫研究室

〈略歴〉
1909年生まれ
1926年 大阪で就職
1937年 防疫研究室に軍属として勤務
1939年 南支那派遣軍防疫給水部に転属
■この証言は「人骨焼却公金支出差止請求訴訟」の為に準備した“陳述書”をまとめたもの

解説―軍医学校跡地から発見された人骨

                    (鳥居靖・西野留美子)
 1989(平成元)年7月22日、東京都新宿区にある国立予防衛生研究所(予研)の新築工事現場から、不審な人骨が多数発見された。地表3mの地下から掘り出された人骨は、そのほとんどが頭蓋骨と大腿骨であり、当初警察の推測では35体分の人骨だと発表された。警察の鑑定では、人骨は20年以上前のものであると判断され、刑法の犯罪は時効であるとされた。しかしこの工事現場は、かつて陸軍軍医学校があった場所である。その骨が、731部隊など細菌戦部隊のコントロール機関であった防疫研究室があった軍医学校跡地から発見されたため、それら部隊の人体実験の犠牲者に関連する骨ではないかという疑惑が湧き上がった。





戦時中の東南アジアの様子(731部隊員増田知貞が撮影したフィルム)
日本軍政下香港(1997.7.27)

●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳

解説
証言「供述者」の背景ーある日本人戦犯を中心に

体験者の証言

 初期の収容者に対する管理は、管理所側の不慣れもあって、言ってみれば飼い殺し的な側面があり、そこから管理者側と収容者側との間で、いざこざが絶えなかった。当時、1人の係官は、こう言っていた。「僕たちには、日本軍によって監獄にぶち込まれた経験こそあっても、戦争犯罪人を管理した経験など、一度もなかった!」






日清戦争従軍カメラマン・第2次大戦への10年 

消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」



●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題


3 証拠隠滅と戦犯免責

毒ガス戦の追及から免責へ

 ところがソ連は、抑留した731部隊関係者の尋問から生物兵器の人体実験や実戦使用の事実を独自につかみ、47年の初めにその情報の一部をアメリカに提供し、生物戦の情報を米ソで共有することを条件に石井四郎らの尋問を要求した。これに驚いたアメリカは、ソ連の要求を拒むと共により詳しい調査を実施し、1947(昭和22)年4月に来日したノバート・H・フェル博士による調査で、731部隊関係者から人体実験と実戦での使用を突き止め、その内容は報告書にまとめられた。その後調査は、47年10月にエドウィン・V・ヒル博士とJ・ヴィクター博士に引き継がれ、詳細なレポートにまとめられたのである(前掲『医学者たちの組織犯罪』)。石川太刀雄丸・金沢医大病理学教室教授が731部隊から持ち帰った病理標本は、石川の解説が付せられてアメリカに送られたが、その中にはマスタードガス(イペリット)の標本が16含まれている(同前)。毒ガス人体実験の標本もアメリカに送られたのである。
 





海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)

地下壕の上にある畑(この下にも毒ガス弾が埋まってはいないのか?)


A事案区域内における土地改変時の対応について より
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内)
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内)
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)


略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)



遺棄毒ガス・砲弾被害賠償請求事件 東京高裁 判決 2007.7.18
中国での毒ガス兵器遺棄を巡る戦後補償問題





第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
百年の悲劇はここから始まった2

 





  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第10章 残酷な人体実験毒ガス実験

松花江にも毒ガス砲弾
ハルピン医大第1病院にとっては前例のない患者であったため、治療は主に様子を見るという線で行なわれた。以下はそのカルテの断片である。
 李臣
10月23日、4日前に、仕事中「砲弾内の液体」に接触した後、接触性皮膚炎を引き起こす。同時に両目の涙、異物感、腫れによる痛みあり、眼科医の診察を求む。 医師 劉夢飛

10月23日、結膜がやや充血、水晶体及び眼底には異常見られず。診断は刺激性結膜炎。 眼科医 孟 成


SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行


田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

私は集まっている顔ぶれを見て古参雇員の時々口にする彼らの情報交換だと知ると、すぐに特別班に入りたくない気持ちも動き、出て行けと言われるまで、何を話すのか聞いてやれと思い、腰を下ろしました。
 『機密を漏らしたものは極刑に処す』と毎日言われ、極刑に処されても異論はありません、と一札を入れているが、上級に上手に立ち回って点数を取るには部隊が現在何をしているかを知る必要がありましたし、それよりも自分の行っている仕事がいかに『極秘』であるかを話すことによって、こんなに上級から信頼されている人間だと自慢したい雇傭人の共通の心理から、日直のときに各班から集まってこそこそ話をするのが常になっておりました。


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密
第2章 日米共同作戦

2、戦時緊急計画
ブル・ラン作戦計画

 以上のように自衛隊は、「自衛権」の範囲で参戦するたてまえをとるとはいえ、その行動範囲は外国領域におよぶのである。しかも、このような作戦分担は、佐藤・ニクソン共同声明以降、大きく変わったとみなければなるまい。『中曽根防衛庁長官訪米記録』にも明らかなように現在、主役となるのは自衛隊である。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

4 公害調査に名を借りたBCW作戦

地方自治体も首をかしげる

  山口県公害課でも、調査の現場責任者を指摘し得ないだけでなく、この計画は自衛隊側からリードされて実施されたことを認めており、南陽町役場当局も、「この調査が将来の工場誘致の為でない」こと、そして、岩国市の公害担当責任者も、「将来工業用地となる南部地区で調査が行われておらず」、調査の目的が不明であることを認めている。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年

第一章少年と家族と明治の遺産



 同時に教育課程が区別されて、弟たちとの日常の接触は減った。こうしたなかで彼らの師父は最後の訪問を行った。明治天皇の葬儀の3日前に当たる1912年9月10日、64歳の将軍乃木希典は、東宮御所と名を変えた皇太子の住まいを訪ねた。乃木は、新しい学校に自分は加わらないことを知らせ、慎重に勉学に励むよう諭し、愛読する歴史書を2冊贈った。1冊は17世紀の儒学者・軍略家山鹿素行の著書、もう1冊は国粋主義者的な水戸学の創始者である前記を代表する三宅観瀾(かんらん)のものだった。