細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
12月17日は、南京入城式典が行われた。
虐殺は、その前後で行われた!!



/もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
学知と骨ー琉球人骨返還訴訟が問うものー
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・

「骨 還せ」訴訟から見えるもの(上)
「骨 還せ」訴訟から見えるもの(下)
人骨問題を考える公開学習会@京都大学
731部隊論文 検証求める有志 申入書提出 総長に懇談を要求(2020.04.01)
京大論文「人体実験と結論付けられない」 今後調査せず


清野謙次
遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)
731部隊と100部隊の戦後責任ー永寿総合病院から見える731部隊とワクチン村(加藤哲郎講演)
731部隊と100部隊の戦後責任ー永寿総合病院から見える731部隊とワクチン村
南京大虐殺の真相
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
南京事件 兵士たちの遺言
検証:南京大虐殺
マギーフィルム(字幕付き)
731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―
「旧陸軍軍医学校」フィールドワーク・新宿戸山の戦跡ウォーク

政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文



京都大霊長類研究所を改編する方針について説明する湊長博総長ら(2021年10月26日、京都市左京区・京都大)
第6回三多摩平和交流会(2021年10月9日~10日)
映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
731部隊について
2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ

毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
2021 9 17 浅井基文講演
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
731部隊の罪業
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会
細菌(生物)戦争
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌   野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
693陸軍病院と万人坑



「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
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中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は

原爆・核実験・原発事故そして気候変動№2

2021 8 15 敗戦の日

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7.13 多摩労務管理事務所問題の解決に向けて、申入れ行動

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日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(15/08/12)

日航機墜落事故

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ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか
731部隊について


「731部隊を追究する市民運動―ABC企画委員会のあゆみ―」
731部隊を追究する市民活動ーABC企画委員会のあゆみー
今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影
核なき未来へー被爆二世からのメッセージ




2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
14日(日)
・偶然立ち寄ったのですが、貴重な資料が沢山あり、驚きました。もっと見たり、拡散したいです。
(50代、市内)

 

ドイツと日本の謝罪の違い






原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子


昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 

 

 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


7月30日(金)~8月1日(日)

東京・武蔵野プレイス

 

8月3日(火)~7日(土)

徳島県阿南市

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.

 


日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記
五月二一日

晴 風なし 中隊長の風向き悪く 訓示的なお乞言あり。
今日は中隊長の訓示的なお乞言あった。中隊の勤務者を全部集めた訓示である、多分菅野の報告の為と思ふ。まず最初は分遣隊の服務についての事 その一は前期兵の満期風を吹かせる事についての事、分遣隊の服務が非常に悪くむしろ出鱈目になっている事は 非常に残念でならない。中隊長の許していない本を読むとか、行きべき所に行かないとか色々言っていた。又満期兵には今から満期風を吹かしていることは非常に間違っている。よろしく緊張してやらなければいけない。・・・へ、勝手に致すがよいや

 この日記こそは僕一人の心だけで誰にも見せないのだ。速くても遅くとも平気だ。そんなに勝手に中隊長の云ふなりになるならば 心配致しはしない。そんなにくそ真面目に四週間も五週間も辛抱できるものか 考えてみるがよい。三週間だ四週間と云ふ時に一日おきに夜明かしして その上に体操やら剣術やら非常演習やら。やらされたら体が続くものか考えてみるがよい。何も知らない中隊長の姿が悲しい様なおかしい様な気がする。



「ずっと父が嫌いだった」







軍都広島での物語
知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。



〈ここはどこ、どんなところです?〉それは街の騒音の中で
自分のをたしかめるように立止り
中折帽の顔だけを空の光りへ向け
たえず妻に何かをねかけているように見えた
さらに数年、ふたたび北風の街角で向うからやってくる
その姿があった
それは背中を折りまげ予備隊の群をさけながら
おどろくほどやつれた妻の胸にしっかりと片腕を支えられ
真直に風に向って
何かに追いつこうとするように足早に通っていった








広島原爆投下
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
封印された原爆報告書
原爆初動調査1
原爆初動調査ー隠された真実2
原爆初動調査ー隠された真実3
広島スピーチ
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送
“難民区の華僑を虐殺”

大快良明(たいかいよしあき)8604部隊
<経歴>
1917年生まれ
1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入
1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属
1942年 南方軍岡第9420部隊に編入
1946年6月 帰国
◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。

ネズミの輸送
 私達3人は、それぞれ1機ずつに分乗しました。私は通信士の席に座りましたから、機内の様子はよく覚えていません。ネズミは縦40㎝、横30㎝、高さ30㎝ぐらいの金網の篭にギュウギュウ詰めに入れられて、重爆の胴体部分に積み込まれたわけです。1機に5000匹ぐらい、3機で1万5000匹を運びました。







 



●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳



4 日本軍の行なった毒薬・空気注射など残酷な手段による中国人民殺害

市毛高友自筆供述書(1954年10月26日)
1940年3月、私は41師団団山砲兵41連隊第2大隊第5中隊第2小隊長の身分で、山西省曲沃県田村鎮に駐箚し、情報・治安・宣撫などの職務を担当していた。ある日、第2大隊軍医大上初治中尉が医学実験に必要ということで、彼に1歳に満たない中国人の女児を与えたところが、過量の薬剤を注射してこの女児を虐殺してしまった。被害者の父母は田村鎮に住んでいた。
(1)119-2、521、1,第5号







●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題



1、日本の敗戦と毒ガス兵器の廃棄・遺棄


毒ガス兵器の廃棄① 国内
②詳しい経緯ははっきりしないが、日本軍関係者が密かに遺棄・投棄したと思われるケース

これは、敗戦時に日本軍が存在していた地域の付近から少量の遺棄毒ガス兵器が発見されていることからこの様に推測されるものである。例えば、1970(昭和45)年6月5日に千葉県千葉市の工事現場(旧陸軍防空学校敷地内)からイペリット缶大小計8本が発見された事件や(『毎日新聞』1970年、6月9日)、1976(昭和51)年7月30日に静岡県浜松市内の工事現場(秘密戦教育を担当した陸軍中野学校の分校と飛行教育隊の跡地付近)からイペリット缶1本が出土し、作業員6名と住民2名が被災した事件がある(『朝日新聞』『読売新聞』1976年7月31日)。海軍の事例でも、1983(昭和58)年6月2日に神奈川県茅ヶ崎市の学校敷地内の工事現場から(戦時中、海軍砲術学校が学校を借用)300発以上の催涙性ガス手投弾が発見された事件がある(『朝日新聞』1983年6月8日)。




  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第9章 戦犯の証言

戦犯たちの戦後50年

梅さんはまず、左端の絵鳩毅さんを紹介した。彼は「中帰連」の常任委員長で、上背があり、声は少し鼻にかかっていた。81歳になるというが、話し声の力強さは十分である。彼は「中帰連」会長の富永正三さんの委託によって証言するためにやって来た。この日、富永さんが熊本市の「12・8反戦平和会議」に参加していたためだ。




SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

人間と鬼
農民を火あぶりにし生き埋めに

松尾富男
曹長
<旧部隊名>
第59師団第54旅団第45大隊
「隊長殿、今度は自分が突き殺します」と私は胸をそらした。実のところ、私は殺されても白状しない中国人が空恐ろしくもあった。こいつらを殺してしまわねば、自分が殺されそうな気すら感じていた。同時に隊長の前での“勇敢な人殺し”が私自身の出世を保証することだと心得ていた。だが、小隊長には別の考えがあった。日本軍将校としての権威を高めるには“鮮やかな首斬り”が野戦軍隊の公認であった。が、さっきの試し斬りは、力余って地面まで斬ってしまい、部下の手前、首の皮のみ残す“模範的首斬り”にならなかった。常日頃、日本武士道精神の典型『葉隠れ武士』をもって自認する納谷には堪え切れぬ恥でもあったのだ。











●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー

『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
3 最高の作戦計画

年度防衛警備に関する計画

統合防衛計画にもとづき陸海空各自衛隊は、それぞれ「年度防衛警備に関する計画」を もつ(長沼裁判における緒方景俊空幕長の訂言、71・5・14第10回口頭弁論調書)。これは基本計画と実施計画よりなる。この下に各部隊はそれぞれの実施計画をもつ。前掲 『野外令―大部隊(第1次案】』は、陸上自衛隊について次のように述べている。

「方面隊指揮官及びこれに準ずる部隊指揮官は、陸上自衛隊最高指揮機関の指示する年度防衛計画に基づき、その担任する地域の防衛のため必要な細部の計画を策定し、必要に応じこれを補備修正する。
 部隊防衛計画は、平時における防衛作戦準備の準拠となり、有事の際当該部隊の初期作戦指導の基礎となるものである」。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦


1、自衛隊の装備・訓練を探る

その戦略的根拠

 65年後半、突然自衛隊教範の全面改定の方針が定まり、従来の翻訳教範から独自の新教範体系が決定されるのだが、上部教範である幕勤、野外令の改定に伴う下部教範である各科運用、操典、共通教範などの改定も混乱したといわれる。
 新教範改定は、旧教範によって行った教育訓練の経験実績から生まれる改訂意見、新装備の研究開発による改正事項、新資料に基づく部隊実験の成果等から所要の資料を検討し、取りまとめて新教範を編纂する作業を行った(前回、「編さん裏話」から)ということから推測して、生物・化学兵器、防護の内容にかなりの変化があったと思われる。
 

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




序章

 昭和天皇が世界権益に参画したのは、アジアと太平洋における帝国間競争の新時代のまさに夜明けの時代であり、その天皇のもとで、日本の政治劇は戦争と敗北の破滅的な結末を迎えた。国民と真に調和することがなく、国民の生活に無知で、その全面的な現実の支持を得られなかったこの人物が、どのように戦争と占領を生き抜き、世紀後半には天皇制の伝統を継続するため、どのように皇位を保持したかを検討することによって、われわれは日本の政治について新しい観点を得られるだろう。