細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)





2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

14日(日)
・731部隊の全景のことと1941年に改名されたことが勉強になった。
(50代、市内)



ドイツと日本の謝罪の違い






原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 

 

 

 



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


7月30日(金)~8月1日(日)

東京・武蔵野プレイス

 

8月3日(火)~7日(土)

徳島県阿南市

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.



日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記

四月三日

晴 風あり 午前五時半起床す 射撃アリ あと二日後には競技会があるために休みも午後三時半迄少しの休みなくしぼられる しかも昼食ご飯もたべずに。
此の前の面白い非常識な答の中心たる 神武天皇祭にして休業なり 然しーしかしー
今日ぐらい腹の立ったことはない。射撃に行ったはよいが北風の為に影響か 当たらない事おびただしい。何分特さん二人が夢中に気合をかけるんだからやりきれない。伍長勤務までが早掛するんだからね。朝八時に行き午後三時半迄 ご飯も食べずに早掛に据銃演習・予行演習に目の回るくらいしぼられた。休みの事やご飯を食べられない事からみんな不平顔でいる事おびただしい。

顔は砂で痛くなり、弾は当たらないー射撃が、つくづく嫌になった。中隊に帰って来たが前期兵ばかりが集まれば必ず不平の言葉ばかりだ。
寝台に横たわって軍隊生活の嫌さを語る者や下士志願する者を笑う者、果ては幹部にたてつく者本当に蜂の巣をつついたようだ。本当に頑固ーなんて始末に悪いものだ。然し今日はほんとうに駆け引きのない所嫌になった自分の体に。







軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。



みしらぬがこっちをている
いつの世の
いつの時かわからぬ暗い倉庫のなか
んだ格子窓から、夜でもない昼でもないひかりが落ち
るいるいと重ったかつて顔だった貌。あたまの前側だった貌。
にんげんのにあって生活のよろこびやかなしみを
ゆらめく水のように映していたかお。
ああ、今は眼だけで炎えるじゅくじゅくと腐った肉塊
もげ落ちたにんげんの印形



唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

解説―栄1644部隊
        (近藤昭二)
戦後、長らく731部隊と同様に、この部隊の事は表沙汰になる事はなかった。が、たった1度だけ、公の場に登場した。1946年8月29日、東京裁判の法廷で中国代表のサットン検事が、南京の中国戦争犯罪委員会の提出した報告を朗読した、その中に出て来たのである―
「敵多摩部隊は俘虜となれる我が人民を医薬試験室に連れて行き、各種有毒細菌をその体内に注射し、その変化を実験せり、この部隊は最も秘密の機構なるを以って、之に因りて死亡せるものの確数は明白ならず、医薬の実験の為に犬猫を犠牲にする事さえも任者の忍びざる所、況や我が俘虜同胞を実験に供するのは、誠に犬猫にも劣れる取扱いなり、哀れまざるべけんや」(「東京裁判公判記録」)
ウェッブ裁判長は、この実験について更に証拠を提出するようにサットン検事に促したが、当時、隠密裡に日本の細菌兵器の独占調査を進めていたアメリカ側の拒絶にあって、この件の審理はそれ以上進まず、以後、遂に東京裁判では裁かれずじまいに終わった。

 



●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳








Ⅰ 東北
2 華北
4 山西
湯浅謙自筆供述書(1955年)
身の毛のよだつような殺人手術が始まった。軍医たちは眼を異様に光らせて手術台の周りを取り囲んだ。外科主任の音羽軍医が、部隊の若い軍医たちに腰椎麻酔の方法を講義した。「なんだって、皮膚の消毒がいるって。どっちみち殺すんだ、必要あるか、はははは、力を入れて刺せばいいんだ」。




●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

3 毒ガス兵器から見た日本軍の諸相

日本軍と毒ガス兵器② 陸軍の軍事思想と毒ガス
 このような軍事思想を基礎として日本陸軍は、奇襲や急襲を重視した積極的な用兵によって初動の段階で相手側に先制的な打撃を与えて戦場の主導権を握り、相手側に立ち直る余裕を与えないまま捕捉・殲滅して作戦目的を速やかに達成するという、〈先制主導〉・〈速戦即決〉・〈殲滅戦指向〉を基軸とした攻勢主義的な戦術思想を理想とした。






  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第8章 無辜の被害者
河北定県北瞳(ペイトワン)村事件
 同日、「晋察冀日報」は「敵、冀中において毒ガス放射、北坦の同胞800人が非業死、必ず深い恨みに報復す」と題し、前述の檄文を全文転載し、日本の侵略者が引き起こした北坦村事件に血と涙の告発を行った(『細菌戦と毒ガス戦』464~471頁参照)。



「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用







日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)
三神高(みかみたかし)
教育助手 伍長
〈旧部隊名〉独立歩兵第42大隊歩兵砲中隊

「もう少しで村だ!頑張って歩け!だらしねえ野郎だ!落っこちたら死んじまうぞ」
耳元にガミガミと怒鳴り散らす分隊長の声に、三神は、銃を左肩より右肩に替え、水の中へ浸かったようにぐっしょりと汗で濡れた体に痛く食い込んだ弾入れをゆすりあげた。一望千里の黄色みがかった麦畑を見回したが、眼に汗がしみ、村が有るのか無いのか、ボーっとして分からなかった。ただ無性に喉が乾いて水が欲しかった。真夏の太陽がジリジリ灼けるように照り付け、その中を行軍する長い部隊は、まるで大蛇がのたうち回るようにあえぎながら歩いている。











●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
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在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー

2021年12月20日(月)14時から『衛生学校記事』情報公開裁判(第32回)が開かれます(16時まで)。
・東京地裁103号法廷 (地下鉄「霞ヶ関」駅下車 「A1出口1分)
・証人山田一郎氏(元陸上自衛隊衛生学校研究部戦史室長、資料室長)に対する証人尋問

山田証人は、1991年から1999年に陸上自衛隊衛生学校研究部戦史室長、資料室長等として、『衛生学校記事』の後継誌『ふかみどり』や『防衛衛生』の編集等を担当し、また金原資料の移動にも一部関与していた元自衛官です。

(★13時30分から103号室に入れます。傍聴券発券無し。但し50人に達した時点で傍聴は締切りになりますので、早めに法廷に来て下さい)

(来年1月も証人調べが続きます)   
第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定
第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第4章
2 機密保護立法の動向
このような外交・軍事の分野における行政審査の現況は、かつての軍法会議、あるいは国防保安法における特別刑事手続を想起させるのである。もちろん公正審査会は特別裁判所ではないし、終審としての裁判を行なうものではない。その機能はちがうが、体質としては軍法会議の復活といっていい。陸軍軍法会議法第90条および海軍軍法会議法第90条は、「弁護人ノ数ハ被告人1人二付2人ヲ超ユルコトヲ得ス」としていた。国防保安法第30条も全く同文であった。裁判は多くの場合、安寧秩序を害する恐れがあるとして公開を停止された。公開されたときにも弁護人は国家機密、軍事上の秘密、官庁の機密について陳述することを禁止された。防衛庁が小西3曹の公正審査でとっている態度は、まさにこの再生なのである。それを許す規定がすでに自衛隊法、外務公務員法のなかに、設けられているのである。これがほんものの軍法会議の復活につながっていかないという保証はない。憲法改悪の重要な狙いの1つが、国防軍の公認とともに特別裁判制度の創設におかれていることを忘れてはならない。



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅰ 生物・化学兵器を告発する

3、沖縄―核だけなく毒ガスも

目に見えない恐怖

そして、これらのCBR兵器は、弾頭を赤く塗り潰した弾丸に詰められているという。
 さる8日の毒ガス事件以来、知花地域に出入りする人たちはすべてチェックされ、米情報部隊(CIC)も特別班を急遽編成して、秘密保持に当たっているという。
 ベトナム戦争に出動する兵隊たちでごった返した65年の夏、米軍の救急車2台と化学消防車1台にMP カー数台を従えてやってきた大型トレーラーが、桟橋から陸揚げされたアルミ製の容器に入った貨物を乗せ、知花方面へ向け運行中、具志川市のど真ん中で、前方から飛び出してきた小型車にぶつけられそうになったという。この小さな事故でも、一々調べる米軍MPカーは、この時は、さっさと逃げるかのように姿を消したという。




南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!


第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産


 天皇の訪欧と訪米は、その前後のインタビューとともに、長く蓋(ふた)をされてきた彼の戦争責任問題に日本国民の目を向けさせた。しかし天皇自身には、外国訪問もインタビューもそのような効果はなかった。彼を過去と向き合うようにさせたのは、もっと個人的な出来事だった。よく知られた雑誌『文藝春秋』の75年2月号に、弟の高松宮による戦争の回想記が掲載された。天皇は76年の1月にその記事のことを知ったようである。ジャーナリスト加瀬英明の質問に対して、高松宮は自分がハト派だったのに対し、天皇は向こうみずなタカ派だったことをほのめかしている。1941年11月30日、高松宮は5分ほど天皇に会い、海軍は2年以上は戦争を続ける自信がないと警告した。彼はミッドウェー海戦の直後にも兄に戦争終結をうながす手紙を書いたと述べている。そして44年6月には軍令部の会議で「すでに・・・・絶対国防圏が破れた以上、・・・戦争目的を、いかにして、よく敗けるかという点に置くべきだ」と発言して周囲を驚かせた。高松宮は降伏以前に、天皇を退位させることも近衛と話し合っている。