細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
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731部隊について
今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
●加藤哲郎講演会(一橋大学名誉教授)
11月16日(火)18:20~(開始予定)
「新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影」
会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)
資料代500円
●森川聖詩講演会(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部)
「核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ」
11月17日(水)18:20~(開始予定)
会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)
資料代500円






2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)
・今日、夕方南大沢生涯学習センターにあるチラシをチェックしていて今日のチラシを見つけた。あそこのセンターはいつもチラシ配架が遅い。全チラシ見て必要なものを取って日程調整しているのに。・・・・。
当日の移動で今晩忙しかったので、どうしようかと思ったが、とても興味があったので何とか間に合いました。先生が非常に熱弁で内容も非常に大事なものだった。
(40代、市内)






ドイツと日本の謝罪の違い






原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 

 

 

 



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


7月30日(金)~8月1日(日)

東京・武蔵野プレイス

 

8月3日(火)~7日(土)

徳島県阿南市

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.








日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記

三月二十二日
日曜日なり 午前中射撃に引っ越しの使役 午後は酒保 射撃予行演習あり。朝の射撃演習に狭サク射撃をする十発 整列の為か早がけをする 満期の相場だ。腹が立つ故か割合に下手だ 弾着状態は上図のごとし(図あり)
午前中は岡村中尉殿の引っ越しの為に使役に行き 官舎で遊んでくる割合に寒し戦友外出すれども
行く気なし人間なんて行けるときは気が進まず、行けない時には行きたくなるらしい 午後二時入浴に行き 酒保で蓄音機に歌に浮かれて歌う内 酒呑み連中に引かれて大声であばれる 新東京音頭行進曲のバス非常に良けれども中々難しい 班に帰って又しても戦友とくるって駄目だ 日曜日らしい面白さではないか

午後四時半射撃予行演習の為に又練兵場に行き 走っては寝打ち走っては寝打ちした 時には巡察も悪くない 早々に射撃が済めばよい 本当によく兵隊をいじめるように忙しくできているものだろう
これから三班に行って満期の話にこの話でもして 点呼を迎えようか待っているのだろう。「加藤さんの方にはお便りを致した」まてまて忘れてた大村中尉の奥さんが昨日来た。使役に行った連山奥時代から写真のみで見たお主婦さんの顔を見た 矢張り妻は可愛らしく見える














軍都広島での物語
●原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

八月六日

兵器廠の床ののうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
のよどんだなかで
ダライにとぶ蠅の羽音だけ

三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろいが
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!



原爆初動調査 隠された真実

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

細菌詩集
731部隊を詠む

とべ しゅん(仮名=ペンネーム)
1644部隊
〈経歴〉
1919年生まれ
1940年 中支那防疫給水部栄1644部隊に配属
1944年 帰国。召集解除
■この証言は『詩人会議』(1995年7月号)所収の文章に、これまで発表された詩と文章を加えてまとめたもの。

復員
 そして6月20日頃、南京の部隊を出発しました。“満州”から朝鮮に入る鴨緑江の鉄橋を渡る時に、慌てて車内に走り込んできた来た下士官が「いま車掌室のラジオで聞いてきた、サイパンは玉砕したそうだ」と私たちに報告してくれました。その時列車にいた全員が、暗澹たる思いに囚われたことを記憶しています。
 6月末に下志津陸軍病院に到着。7月1日には召集解除となって、横浜の自家に帰ることができ、5日ほど経ってから日本ビクター子安工場に復職しました。今日振り返って見ると、私は全く運がよかったのだとしか言いようがありません。
 しかし、私の戦争の記録は終わってはいません。生きている限り、これからも細菌詩集を書き続けたいと思っています。


●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳








Ⅰ 東北
2 華北
4 山西
湯浅謙自筆供述書(1954年11月20日)
切断する際、切断の技術的問題、例えば切断刀の持ち方、神経・血管の処置法、切断後の骨の処置法などについては、兵頭周吉と演習に参加したほかの外科軍医たちの指導と訂正を受けた。その後、死体はそのまま放っておかれ、後から太原陸軍病院の衛生兵がバラバラになった死体の処理をした。
 


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

3 毒ガス兵器から見た日本軍の諸相
日本軍と毒ガス兵器① 支那派遣軍の毒ガス兵器に対する意識
 次に、日本軍はなぜ毒ガス兵器を使用したのかについて、以下、5つの視点から検討してみたい。
 第1に、参謀本部から毒ガス使用の許可を受けた中国戦線の日本軍の意識について考えてみよう。
当初、毒ガス戦には対ソ戦に備えた実戦訓練的な意味もあったが、実際の戦場では、堅固な中国軍陣地を攻撃する際に有効であるという認識が戦争初期から現れており、徐州会戦・武漢攻略作戦を経てこのような傾向が一般化してくしゃみ性・嘔吐性ガスを中心とした毒ガスが展開されたが、第1線ではその使用にあまり抵抗を感じていなかったと思われる。









  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第7章残虐な毒ガス戦

動かしようのない事実

付記:将軍の証言
彼女は謝富治同志の夫人で(謝富治同志は385旅団の政治委員、劉湘屏同志は県委員会書記)、当時は医者も原因が分からなかったので治療もできず、ただ感染を防ぐために彼女は蚊帳の中に隔離された。水泡から流れ出てくる水は黄色を呈し、ただれた部分は肉が露出していた。唯一の方法は薬液で患部を洗うことだった。他の3人は彼女よりもひどく、治療が間に合わず前後して死亡した。劉湘屏は何とか治療が間に合い、唯一の生存者となった。椅子の上にまかれた毒により、尻の開くズボンをはいた(中国の農村の子どもは、排尿の際便利なようにこのようなズボンをはいていた)子どもたちの尻がただれた。









「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用


 











日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)

懐柔
捕虜を密偵に仕立てようと画策
大井憲太郎
特捜班長 警佐兼地方保安局属官
〈略歴〉
本籍地 長崎県西彼杵郡
出身階級 雑貨小売商
学歴 私立長崎貿易商業学校4年中途退学
職業 市役所事務員
所属部隊名 旧満州興安総省警務庁特務科
被捕年月日場所 1945年11月25日
長春市祝町朝日ビル3階
年齢46歳

それから4日経って少し少し元気づいたのを見た私は、曲を監房から引っ張り出して、何とかして手なずけようと、ことさらに作った低い声で、「もう虐めないからうまい物を食って苦しまないほうがよいか、それとも強情を張って苦しむほうがよいか、よく考えてみろ。お前が俺の言うことさえ聞けば、待遇も良くしてやるし、仲間の者は処罰しても、お前は言った功績で助けてやる、どうかね」と語った。
呆気にとられて聞いていた曲は静かに口を開いた。
「俺はこんな所でうまい物を食おうなんて思わない。自分で働いて食ったほうが、どれほどうまいかわからん、早く帰してくれ」
「そうか、ここは普通の警察の留置場と違うんだぞ。1度入ったら、そうやすやすと帰れると思ったら大違いだ。助かりたかったら、我を張らず、気を落ち着けてよく考えろ」











●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー

5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著

第6  機密国家の復活
1、大日本帝国と国家機密
戦争と軍事機密
 機密保護法制の第3次の大改悪期は1930年代、いわゆる満州事変が開始されてから太平洋戦争の前夜にいたる時期であった。すなわち34年軍用電気通信法が定められたが、その第10条は、軍用通信による通信の秘密を侵しまたは通信の秘密を漏泄した者への刑事罰適用の規定であった。次ぎに1937(昭和12)年8月13日、軍機保護法の大改悪がなされた。ちょうど盧溝橋事件の直後であった。同法改正理由書が、軍事機密の保全がつよく求められるのは「戦勝ノ関鍵ガ平時極秘裡二準備研究セル嶄新卓抜ナル作戦用兵等の諸計画・・・兵器、資材其ノ他一切ノ統合二依リテ構成セラレル奇襲戦法二存ス」るからであると指摘していることが注目されよう。こうした目的のために、あいついで新たな機密保護法規が考案されて、ついに国防保安法の制定にいたり、典型的な機密国家の出現をみたのであった。 


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅰ 生物・化学兵器を告発する

3、沖縄―核だけなく毒ガスも

秘密の中のBC兵器
沖縄には極東随一の規模と言われる知花弾薬庫があり、ベトナム戦線に弾薬を補給しているが、毒ガスなどの化学兵器を扱っているのが第2兵站部隊である。1960年以前に、既に沖縄には陸軍化学兵団の分遣隊が常駐し、65年にこれを吸収、拡大して第2兵站部隊の弾薬部となるのだが、そこには、ズケラン基地から知花弾薬貯蔵地域に本部を移した第267化学中隊、辺野古弾薬貯蔵地域に駐留する第137部器中隊、グアム島に派遣されている第515部器中隊の3特殊中隊が所属して、核や化学兵器を管理している。


南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産

 天皇の訪欧後、佐藤の後継者の田中角栄によって、日本は中国との国交正常化を果たした。田中のもとでも、日本の政治家は公式には戦争に関して「2重基準」を維持していた。1973年2月2日、田中は共産党議員から日中戦争を侵略戦争と考えるか否かを問われ、「日本がかつて中国大陸に兵を出したという事実、これは歴史的な事実でございます。この問題をいまあなたが言うように、端的に侵略戦争であったかということを求めらても、私がなかなかこれを言えるものじゃありません。これはやはり将来の歴史評価するもの」と、慇懃かつ曖昧に答えた。
一部の日本人は田中の言い逃れを不適切だと感じた。彼らは田中の返答に、依然として天皇を守る意図をかぎとったのである。