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●京都大霊長類研究所を改編する方針について説明する湊長博総長ら(2021年10月26日、京都市左京区・京都大)
●第6回三多摩平和交流会(2021年10月9日~10日)
●映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
●川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
●731部隊について
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●絶望的な核開発!!
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●2021 9 17 浅井基文講演
●2021年満州事変90周年
●沖縄の環境が危ない!!
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●中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
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●731部隊の罪業
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
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●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌 野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
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中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!
忘れられた戦後補償
原爆初動調査 隠された真実
原爆・核実験・原発事故そして気候変動№2
2021 8 15 敗戦の日
韓国サンケン労組支援
7.13 多摩労務管理事務所問題の解決に向けて、申入れ行動
73l部隊関連資料の公開を求めて
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん
123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(15/08/12)
日航機墜落事故
【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実
ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか
731部隊について
今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
●加藤哲郎講演会(一橋大学名誉教授)
11月16日(火)18:20~(開始予定)
「新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影」
会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)
資料代500円
●森川聖詩講演会(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部)
「核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ」
11月17日(水)18:20~(開始予定)
会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)
資料代500円
2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
14日(日)
・非常に多く731部隊について勉強できる機会でした。もっとメディアとかでも731部隊のことを取り上げるように強く呼びかけてください。
(30代、練馬区)
ドイツと日本の謝罪の違い
原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
昭和への挽歌 野崎忠郎
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。
7月30日(金)~8月1日(日)
東京・武蔵野プレイス
8月3日(火)~7日(土)
徳島県阿南市
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.
日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
「1931」斉藤準太郎の日記
三月十日
逃げるように言っても 矢張り真っ白になって通り過ぎるほかに手段はなかった。分列には可愛い小学生も木銃かついで頭右を致した。父や母が外から微笑んで我が子を見守っていたことと思う。モーターサイレンのそばにて ささやかな清め場所を作って捧げ銃が終われば 大隊長所見あり 此の時の大隊長の一言一言には実になく力があり 兵隊のみでなく 地方の人と共に否地方の一員としての兵隊及び軍隊について 世界大戦の策軍なしかも重々しい原因に例を引き 此の満州問題について語られた 軍人らしいと言おうか 軍事主義的とは言い難いが多分に含んだ所見だった 武装する平和を指摘し 百年の平和はおろか五十年の平和を予想する者がおりましょうか。―然し此の熱と意気に燃えた国民と軍隊を持つ日本は いつどんな突発がおころうとも 少なく言えばこの鞍山のみは今の力で十分守ることはできると確信する。
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
エピローグ 広島から・・・・
『原爆体験記』に手記を寄せた164人の広島市民たちは、今どのような日常生活を送っているのであろうか。彼らの幾割が健在であろうか?手記が書かれたあと既に17年の歳月が過ぎ去ったのである。彼らが、その体験した悲惨を償い、独自の価値づけを行うために、そして彼ら自身の荒々しかった生に積極的な意味を見い出すために発した切実極まる叫び声は、死んだ書物として反故のように、この春まで、広島市役所の倉庫に積み上げられていたのみだった。164人の被爆者たちは肉体の内と外の苦痛を犯して叫び声をあげようとしたが、巨(おお)いなるものの手が、たちまち彼らの口を圧し塞いでしまったのである。どのようにオプティミスティックな推測をする者も、ここに手記を寄せた市民たちの大半がなお健在であろうと信じる根拠はもつまい。彼らのうちの、この春までにすでに死んでしまった者らは、自分の一旦あげた叫び声に沈黙の封印を強制されたまま、無念の死を遂げた人々である。彼らの満たされなかった志を誰が十全に償いえるだろう?
原爆初動調査 隠された真実
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
細菌詩集
731部隊を詠む
とべ しゅん(仮名=ペンネーム)
1644部隊
〈経歴〉
1919年生まれ
1940年 中支那防疫給水部栄1644部隊に配属
1944年 帰国。召集解除
■この証言は『詩人会議』(1995年7月号)所収の文章に、これまで発表された詩と文章を加えてまとめたもの。
伝染病菌の検索と研究
次の詩は、戦後、私がつくったものです。
ヘロイン
30分で昏睡状態
にんげんの生命が
ゆさぶられて
仮死状態が続いて
16時間後に死ぬ
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ 東北
2 華北
4 山西
吉沢行雄自筆供述書(1954年11月15日)
1940年7月中旬、私は惇(忄が山辺)県原平鎮陸軍病院に入院中、外科手術室で病院の生体薬物実験に参加し、心臓注射法の練習を行って、100倍あるいは200倍の濃度の昇汞液20㎤(20㏄)を直接心臓内に注射した。この後病院の庶務主任某衛生中尉がメスを心臓に突き刺して殺した。殺害されたのは30歳くらいの男子2名で、原平鎮憲兵分遣隊が連行した八路軍の工作員であった。死体は病院の火葬場で焼かれた。当時私は軍医少尉で、入院中であったが技術を高める良い機会と考えて、院長の西大佐(軍医)と連絡を取り積極的に参加した。
(1)119―2、732、1、第7号
※訳注:西大佐―原平鎮陸軍病院には、1941年6月30日付けで西村肇軍医中佐が院長として着任している(『帝国陸軍編制総覧』668頁)。ここでいう西大佐は、この西村軍医中佐の誤用と考えられる。以下の中国側の証言に現れる「西部隊」「西部病院」も、それぞれ「西村部隊」「西村部隊陸軍病院」の誤用であろう。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか
1 日本軍の 毒ガス戦の特徴
「作戦要務令」に見る日本軍の毒ガス戦の戦闘原則
第4は、住民地での使用に言及しているということである。「1時瓦斯は・・・森林、住民地、谷地等瓦斯の滞留し易き地域を求め之を使用するの着意必要なり」(第11)とあり、これらの地域ではくしゃみ性・嘔吐性ガスなどの1時性ガスが有効であるとしている。また、「森林又は住民地に在りては巧者は敵の抵抗を断念せしむる為、また防者は陣地間隙の閉塞、巧者の戦果拡張防止等の為巧みに瓦斯を使用し得るものとす」(第72)ともあり、住民地を攻撃する場合には敵の抵抗を断つために使用し、住民地で守る場合には陣地の欠点を補い、敵の攻撃を鈍らせるために使用するとしている。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
以上引用した内容は、日本軍が戦闘に使った驚くべき数の化学兵器のほんの一部の過ぎない。このほか現存していない戦報も数多く、日本軍の毒ガス使用の行いのすべてを記録することは不可能である。だが、このように一部を見ても、彼らがいかに、躊躇や自制なく毒ガスを使っていたか、その様子は十分うかがい知れる。
百団大戦は、抗日戦が敵味方対峙していた時期に八路軍が実行した反掃蕩作戦であり、日本軍の人的戦力に大きな打撃を与え、また中国人民の抗日闘志を強く鼓舞した。だが、当作戦の勝利は敵の後方という極めて困難な環境の中で勝ち得たものであり、弾薬機材の不足はさておき、防毒機材の不足により、多くの不必要な死傷や中毒を生んだ。ことに作戦の第2段階に至ると、日本軍は頻繁に毒ガスを使うようになり、中国軍の損失は大きくなった。
「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
逮捕
妻を拉致して夫を誘い出す
松原俊三郎
監督警尉 捜査主任
〈略歴〉
本籍地:岩手県盛岡市
出身階級:中農
学歴:尋常高等小学校高等科2年卒業
職業:鉄道労働者
所属部隊名:旧満州国斉斉哈爾(チチハル)市警察局刑事科
被捕年月日場所:1945年10月7日 旧満州国斉斉哈爾市
年齢:47歳
●ー筆者からの一言〈昭和57年8月〉
最近はまた、中東やあちこちで大国を中心とする誠にきな臭いにおいがしてまいりました。広島や長崎に落とされたピカドンの700倍もの殺傷力のある原爆があるとか、1発か2発で日本が全滅するとか、一体世界中の人間はどうなるのでしょうか。
私は23歳で現役兵として満州侵略に引き出され、また支那事変にも2年間、また日本でも警察官、さらに満州国の警察官として日夜生命を賭して国家のため、国民のためと思って働いてきました。それが一部の学閥や財閥に騙されていたことがわかり、今更残念でたまりません。私ももう73歳になりました。余すところ何ヶ月か、何年か戦争を知らない人達に身をもって戦争の罪悪を知らせなければと決心しております。もう、厳寒のシベリアで味わった死ぬよりもつらかった労働や空腹、敗戦後の内地での多くの国民が焼け出され、傷つき、家なく、食なく、さまよい歩いた時代、このような時代を世界中の息子や孫たちに2度と味あわせてはならないと心の底から祈っております。(松原俊三郎)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー
5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第3章 秘密保全の機構と体制
3 産軍複合の秘密
金にまつわる秘密漏洩
産軍の癒着が政界をもあわせて体制化したのは1965年、日韓条約締結のころであったと考えていい。日本支配層は、60年安保を契機として急速な軍備拡充に乗り出した。軍事予算は60年の1601億円が65年には倍増して3054億円に達した。これにともない産業界は、利潤の源泉として防衛庁調達を重視することになった。年間受注量にウマミが出てきただけではない。兵器装備の受注では実績がものをいう。特殊な設備、高度な技術を必要とするので、それを蓄積しているものが有利な立場にたつわけである。いったん実績を確保すれば、新兵器への更新のさいの受注競争では圧倒的優位を保持することなる。こうして業界は、軍事予算と軍需生産の高度成長を見通し、いっせいに既得権獲得に乗り出したのである。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
アメリカにおける生物・化学兵器の開発
また、米国のBCW計画が民間会社や大学を結んで、研究を進めていることも注目しなかえればならない。
参加している民間会社はゼネラル・ミルズ、ゼネラル・ダイナミック、リットン社、ブース・アレン、ゼネラル・エレクトリック、デュ・ポン、モンサント化学、フィッシャー化学、ウェスチング・ハウス・エレトリックなどの多数に上っている。
これらの会社、主としてベトナムで空軍が落葉作戦に使用する化学薬剤などを製造しており、国防総省は年間5000万ドルを各社に支払っている。さらに5000社にのぼる製薬会社がこのBCW計画に公式に参加している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十七章 静穏な晩年と昭和の遺産
Ⅲ
この殺人事件の後、深沢は5年間にわたり潜伏生活を送った。その間、彼は公的には作品を発表しなかった。文学史家のジョン・W・トリートによれば、彼は「味噌づくりに従事し」、のちには「東京の労働者街で、大胆にも『夢屋』という名のお好み焼き屋を営んだ」。嶋中は著者に何も協力しなかった。自宅で殺傷事件を起こした右翼を非難したり、言論・表現の自由を守ろうとしたりはせず、彼は皇室に迷惑をかけたという謝罪を新聞に公表した。そして『中央公論』は、右翼とお上品な世論をともになだめるため編集方針を転換し、戦時下の日本をあまり批判しないような論文を掲載する雑誌になった。他の大手商業出版社も足並みをそろえ、天皇制にかかわる問題では自己規制を強化した。それ以後は、少数の小出版社ないしアングラ的な版元を例外として、天皇の権威を風刺するような作品をあえて掲載するところはなくなった。