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11月13日(土)~22日(月)はお休み!!
●被爆者 坪井直さん死去 96歳
●京都大霊長類研究所を改編する方針について説明する湊長博総長ら(2021年10月26日、京都市左京区・京都大)
●第6回三多摩平和交流会(2021年10月9日~10日)
●映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
●川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
●731部隊について
●2021 9 25加藤講演第1回目
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)
●2021 9 17 浅井基文講演
●2021年満州事変90周年
●沖縄の環境が危ない!!
●中国侵略戦争
●中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
●第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
●731部隊の罪業
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌 野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!
忘れられた戦後補償
原爆初動調査 隠された真実
原爆・核実験・原発事故そして気候変動№2
2021 8 15 敗戦の日
韓国サンケン労組支援
7.13 多摩労務管理事務所問題の解決に向けて、申入れ行動
73l部隊関連資料の公開を求めて
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん
123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(15/08/12)
日航機墜落事故
【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実
ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか
731部隊について
今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)
●加藤哲郎講演会(一橋大学名誉教授)
11月16日(火)18:20~(開始予定)
「新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影」
会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)
資料代500円
●森川聖詩講演会(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部)
「核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ」
11月17日(水)18:20~(開始予定)
会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)
資料代500円
2020年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月1日(日)
・よくこれだけ詳しくまとめてある、という感想の人は何人かいました。加害の責任を訴え続ける意義は日本国民の為でもある。五井さんカンバレ。私もガンバリマス。
(男性、70代、市内)
ドイツと日本の謝罪の違い
原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
昭和への挽歌 野崎忠郎
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。
7月30日(金)~8月1日(日)
東京・武蔵野プレイス
8月3日(火)~7日(土)
徳島県阿南市
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.
日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
「1931」斉藤準太郎の日記
三月十日
陸軍記念日第弐拾六周年目なり 一大奉天戦を形どった市街戦あり 参加部隊 守備隊 在郷軍人青年訓練所 中学生徒 小学生徒 非常に盛会にして意義深し 市街戦における我重機隊の進路図のごとしー此の日晴 風強し
陸軍戦勝第弐拾六周年記念日也。奉天会戦の模擬戦挙行の為に重機編成ー午前九時半 沙河対陣の状況の元に行く為にゴルフ山の向こう斜面に陣取って戦機を待つ
第一軍中学生軍 第二軍在郷軍人及び青訓軍 第三軍守備軍 第四軍小学生軍編成にて、敵は奉天城(駅前御大戦記念午砲サイレンの公園式広場)門端に陣を作り我を待つ
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
エピローグ 広島から・・・・
もう一人の若い娘の観察には、なお複雑な心理展開があって、被爆した人間の深い内部に根をおろした沈黙の性格をよく明らかにする。
≪向側のコンクリートの塀は所々大穴が開いていた。私はその下に低く黒い影がずらりと並んでいるらしいので近寄った。男女、子供、年の見分等つきそうもない。殆ど全裸で並んで坐り、いい合わせたように顔や、身体は褐色に膨れ上がっていた。すでに眼の潰れた者もいる。ある人の膝の上の幼児の背中は、傷んで黒ずんだびわの皮をグルリとむいたように、皮膚がペロリと垂れ下がり、私は思わず顔を背けた。じっとして不気味な沈黙を守り、生死の程も定かならぬように思えた。この人たちとトラックに同乗することを考えると私はゾッとした≫
原爆初動調査 隠された真実
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
細菌詩集
731部隊を詠む
とべ しゅん(仮名=ペンネーム)
1644部隊
〈経歴〉
1919年生まれ
1940年 中支那防疫給水部栄1644部隊に配属
1944年 帰国。召集解除
■この証言は『詩人会議』(1995年7月号)所収の文章に、これまで発表された詩と文章を加えてまとめたもの。
伝染病菌の検索と研究
3課の2階にはコレラ室、赤痢室、チフス室、菌種室などの研究室がありました。他に流行性脳髄膜炎球菌(流脳菌)とか、結核菌なども研究されていました。私は菌種室勤務になっていたので、2階廊下を隔てて北と南とに作業室がありました。北側の部屋には作り付けの棚があって、手前に開閉できる扉がついて、試験管立が入っており、チフス、コレラ、 A 型・ B 型パラチフス、食中毒菌、破傷風菌など、人間と哺乳動物の多種類の伝染病菌を保有していました。そうした伝染病菌に雑菌などが混入しないように保持して行くのが私の任務で、保存されている菌の数量がどのくらいあったのか、調べたことがないので分かりませんが、何百、あるいはそれ以上あったかもしれません。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ 東北
2 華北
4 山西
高梨文雄自筆供述書(1955年)
ツヤツヤ光った小腸が現れた時、築館は言った。
「しまった。銃で撃ちぬいてからにすればよかった」。
彼は別に気にかけた様子もなく、小腸を取り出し、菅井が渡したハサミを使って断ち切り、全員に腸を縫合する各種の方法について解説した。それから、肝臓、膵臓と胃をそれぞれ取り出し、皆に見せた。続いて胸部中央を切開した。
麻酔剤がおそらくすでに効力を失ったのだろう。先ほどまで聞こえなかった呻き声が絶え間なく聞こえ始めた。身体が硬直を繰り返し、その度に腹部から胸部にかけての切口全てから鮮血が染み出して、皮膚を赤く染めた。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか
1 日本軍の 毒ガス戦の特徴
「作戦要務令」に見る日本軍の毒ガス戦の戦闘原則
次に日本陸軍の毒ガス戦の戦闘原則を見ておきたい。陸軍の戦闘原則を定めた最高規範=「作戦要務令」には、1940(昭和15)年3月1日に参謀本部と教育総監部がまとめた「第4部瓦斯用法」が存在する。これは陸軍中央が毒ガス戦をどのように位置づけていたのかを示す資料であり、陸軍の毒ガス観がよく表れているので、以下、その特徴を4点を挙げておこう(以下引用は、参謀本部・教育総監部「作戦要務令 第4部 瓦斯用法」による)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
百団大戦における日本軍の公然たる毒ガス放射
日本軍の毒ガス使用状況は「百団大戦」戦報でその一端を伺い見ることができる。
戦報20
(1)23日、わが××連隊が独峪(トゥークー、陽泉西)を攻略、敵の守備兵100余は、トーチカによって、再びわが軍の攻撃を受けて毒ガスを大量に放射、旅団長范子俠、旅団政治委員頼群紲(際発)以下100余人中毒・・・
(3)23日夜、寿陽を包囲攻撃するわが陳旅団陳連隊は銃撃援護のもと、激しい攻撃を仕掛け、激戦は終夜続けられ、敵の城壁数か所を爆破した。わが軍の一部はその機に乗じて市内に突入、寿陽駅を完全に占領。激戦は翌朝に及び、敵も頑強に抗戦、毒ガスを撒き散らし、かつ敵機7機が無差別爆撃、わが軍は撤退した。
戦報28
(1)23日、楡次(ユーツー)、段延(トワンティン)東より敵1000余が進攻、わが陳旅団により楡建公路付近にて狙撃さる。血戦一昼夜に及び、24日朝、敵漸く全滅す。同時にわが軍は他の一部をもって、敵の側面を攻め、敵方の死傷者300以上、・・・・わが死傷者100余、被毒者50余、・・・・
「加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
逮捕
妻を拉致して夫を誘い出す
松原俊三郎
監督警尉 捜査主任
〈略歴〉
本籍地:岩手県盛岡市
出身階級:中農
学歴:尋常高等小学校高等科2年卒業
職業:鉄道労働者
所属部隊名:旧満州国斉斉哈爾(チチハル)市警察局刑事科
被捕年月日場所:1945年10月7日 旧満州国斉斉哈爾市
年齢:47歳
刑事が寄ってたかって両手を膝関節の下にくくりつけ、脇の下から鉄棒を通し、机を2つあて重ねた台の中央に吊るし上げてしまった。張春生は腕の抜けるような痛さに顔を歪め、歯を食いしばってもがき、反抗している。10分・・・20分、今はもう暴れる力も尽きてぐったりと吊り下がった額からは、大粒の脂汗がにじみ出ては頬を伝い、顎から床に落ちて、床板はまるで水を流したように濡れている。
「ハハハ・・・丁度良い時期だ・・・・女房に面会させてやるんだ、ハハハハ」
私は劉万全を手招いて耳打ちをした。
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
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在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー
5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第3章 秘密保全の機構と体制
3 産軍複合の秘密
金にまつわる秘密漏洩
産・軍の癒着は秘密を保全する面だけでなく、それ以上に、秘密を漏洩する面で際だっていることをも合わせて指摘しておくべきであろう。今まで防衛庁秘密漏洩事件としてジャーナリズムを賑わしたケースのほとんどは、軍需産業界と結託した将校によるものであった。それが表沙汰になったのは、防衛庁・業界の内部紛争からである。そしてヤリ玉に上がたのは比較的ザコばかりで、最大の秘密漏洩者はぬくぬくと利権を貪りつづけているのである。
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
枯葉作戦とその被害
「人間に対しては、150ポンドの体重に7gである」(『サイエンス&シチズン』1967、8・9月号)
また、カリフォルニア大学の学者アルデン・S ・クラフトは、「砒素系農薬は“米”に対して枯死効果が高い。24Dや245Tは雑穀類、米類にはあまり効果がなく、広葉樹林を枯らす為には非常に大きな効果をもたらすものである」そして、「非常に重要な問題は、砒素系薬剤が果物に大量にかかった場合、人間に対しても多大な害を与えるものである」と言っている。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十七章 静穏な晩年と昭和の遺産
Ⅲ
日本で安保闘争が繰り広げられていたとき、韓国ではアメリカの後押しする独裁者の李承晩政権を、学生運動が転覆させようとしていた。左派による革命の展望と、右派による巻き返しの可能性という高揚した雰囲気のもとに、深沢七郎は「風流夢譚」(ふうりゅうむたん)と題する政治パロディを書いた。安保闘争直後の1960年12月、言論・文芸誌として有名な『中央公論』がそれを掲載した。それは1人称の語り手が、腕に巻いているときだけ正しく時をきざむ不思議な時計を手に入れるところから始まる。彼は夢のなかで、左翼の革命勢力が東京都心で蜂起し、皇居を占拠しているところを目撃する。皇居前の広場では、群衆が「高貴な人」が地面に寝かされているのを喜んで見ている。語り手はタキシードを着た皇太子と、着物姿の皇太子妃が仰向けに横たえられ、死刑を待っているのを目にする。彼は、執行人が手にしているのは自分の斧(おの)だと気づく。ふたりの首はころころと広場の向こうまで転がり、カラカラとブリキ缶のような金属性の音をたてて見えなくなった。