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「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
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原爆初動調査 隠された真実
原爆・核実験・原発事故そして気候変動№2
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韓国サンケン労組支援
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《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん
123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(15/08/12)
日航機墜落事故
【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実
ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか
http://ptix.at/TDJfzm
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
51、“生”の声をお聞きすることができ、貴重な体験でした。
(女性、50代、市内、朝日新聞)【DVD上映・講演】
ドイツと日本の謝罪の違い
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)
731部隊・100部隊の戦後責任
原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
昭和への挽歌 野崎忠郎
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。
7月30日(金)~8月1日(日)
東京・武蔵野プレイス
8月3日(火)~7日(土)
徳島県阿南市
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.
日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
「1931」斉藤準太郎の日記
二月一日
午前九時二十分 遼陽分遣上番 衛兵勤務 曇りあり微雪 夜より見事な月 内地も変わりないだろう 零下十九度 社内の何某と電話でベラベラ
昨日の腹が立ったのに引き換えて、今日はその反動でもあるまいか 自ら作った喜びに一晩中寝ずに暮らした。今思っても微笑まずにはいられない。桃色の封筒来たならば・・・またひとしお微笑まずにいられない。中島が妬いて仕様がないが、面白いね。また何という親切な人だろうか。約三十分間の彼女との通話を左に記して軍隊生活の最大の思い出としたい。
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
原爆を投下したアメリカの軍事責任者たちが、広島市民の自己回復力、あるいは自らを悲惨のうちに停滞させておかない、自立した人間の廉恥心とでもいうべきものに寄りかかって、原爆の災厄に高を括ることができたのであろうことを僕は度々考える。しかし、もっと広く、我々人類一般が、このように絶望しながらも尚屈服しない被爆者たちの克己心に寄りかかって、自分たちの甘い良心を無傷に保つことができたのであることも、我々は忘れてはならないであろうと思う。
原爆初動調査 隠された真実
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
北京での生活
また、華北全体の各支部出張所でネズミを買い取り、ある程度ネズミの数が揃うと第2分遣隊に連絡が入り、受け取りに行っていました。私自身、ネズミの受け取りに5~6回、北支防疫給水部の各支部(張家口、太原、天津、石門ー本部と同じで防疫給水の作業をしている)に行きました。華北は広いので、行く時はもちろん、汽車で行きました。ネズミを篭に入れて運んでいたので、きっと周囲にいた人は変な目で見ていたことでしょう。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
2 華北
1、河北
紀仇「地獄からの脱出」抄録
この同じ日、扉が開いて私は出るように命じられた。私は静かに銃殺を待ったが、思いがけず幸いにも釈放された。私は逃げた。死ぬのは何でもないが、幸いとせねばならないのは、日本が行った想像を絶する残虐行為とわが祖国の最も勇敢な8人の戦士の悲惨な死を、全中国・全世界の人民の前に報告できることである 。
(2)787、425
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
3 1943年中の中国戦線における毒ガス戦 掃蕩剔抉と殲滅戦
江南・江北・常徳殲滅戦
第1線部隊が行った毒ガス兵器の人体実験
この一文を読んだ筆者は、吉見義明氏と共に1999(平成12)年7月27日に倉岡氏の自宅でヒアリングを行ったが、同氏によれば、この人体実験は師団参謀長の大佐(佐方繁木大佐か)の統監で毒ガス戦教育の一環として毒ガスの効力を確認するためにガス掛(係)将校を10人ほど集めて行われたもので、スパイ容疑をかけて捕らえた3人の中国人男性を対象に、94式山砲を用いて75 mm 「きい弾」を1人あたり3発ぐらい使用、被験者は全員死亡したという。中国戦線では、中国人を対象にした毒ガス人体実験が第1線部隊で行われていたのである。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
降伏後、政府に設けられた第1復員省史実調査部が、これらの資料を受け継ぎ、秘密裏にタイプ印刷により複製された。しかし占領軍の追跡調査を避けるために、タイプを打つ際重要部分に改ざんが行われ、司令官の名は省略された。複製後、原文はある旧将校が自宅に保管、1960年にこの将校が死ぬと、防衛研究所のの戦史部に移された。だが、その前に、防衛研究所は既に写真撮影による複製を行い、マイクロフィルムで当資料を保管していた。当資料の秘密厳守期限が切れると、研究所での閲覧を希望する者が出て来た。そのうちの一人、エムテイ出版社は防衛庁の同意を得、当資料の印刷発行を計画した。そしてこの時、驚愕すべき事実が明るみに出た。全部で2561号を数える命令と指令のオリジナル中、3分の1近くが紛失していたのである。管理責任者の言によれば、文書を引き継いだ際と変わらない状態だったという。紛失された文書の中にこそ、日本軍が糜爛性の化学兵器を使用したことに関する内容が含まれており、当文件の目録中にある「きい剤」の字句も塗り潰されている。幸い、以前に作ってあったマイクロフィルムによって、問題部分の内容を知ることができた。
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
虐殺
若夫婦殺し
島津酉二郎
分隊長 憲兵伍長
《略歴〉
本籍 和歌山県東牟婁郡
出身階級 手工業労働者
学歴 尋常高等小学校8年卒業
職業 鍛冶工
所属部隊名 前関東軍長春第2特別警備隊第2大隊
被捕時 1945年10月初旬
被捕地点 長春市南嶺
年齢 36歳
「畜生!村の奴らに逃げられた。どうして奴らはこんなに逃げ足が速いんだ。野郎ら逃げるんならそれもよかろう、奴らが再び帰って来られないように村中丸焼きだ」
むしゃくしゃする腹の虫を抑えようもなく、煙草をふかし始めた。それから間もなく、私の使っている3名の密偵が二2名の男女を捕らえ、足蹴にしながら私の方に近づいてきた。≪しめた、いい若者を捕らえた。こいつは大したもんだ。こいつを絞れば素晴らしい情報を取れるぞ≫と、今までむしゃくしゃしていた気持ちは吹き飛んだ。密偵の1人が飛んできた。「報告、伍長、今捕らえた2人はこの村の者で、八路軍の工作員です。私が昔この村に商売に来た時、この2人は村人から八路軍の糧秣や靴を集めておったのです」と、勝ち誇ったように、もっともらしく言った。
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
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在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー
■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷
8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
5 「秘」の性格と内容
「秘」は公知の事実
川崎一佐事件の第1審判決文から、実質的にも「秘」にあたると判示された記載事項の具体例と、その理由を紹介しておこう。自衛隊の秘密の実体と、その秘密主義的体質をしめす貴重な資料であるから、該当条項ごとに整理しつつ、全部を掲出することにしたい。空自達第11条1号(平常時における部隊行動、配備計画など)にあたるとされた秘密は、
(9)弾薬の備蓄 (弾薬の各年度の取得数量が記載され、あわせて3次防末における弾薬の備蓄について言及している)
(10)防衛力整備の重点項目(F104戦闘機につける機能、新戦闘機についての基本的な考え方、ナイキの増強、新しいレーダーの採用、弾薬の備蓄などが記載されている)
(11)バッジの現組織の完成時における能力、用法、問題点ならびに3次防における整備目標 (昭和42年度末に建設が終るバッジの処理能力、すなわちレーダーに写ったものを主に計算機を使用して分析し、敵味方を判別し、敵機を迎撃する戦闘機をコントロールする能力、地区別の能力が数字で記載されている)
(12)防空組織(バッジ、要撃機、対空ミサイル)の運用要領とその能力(3次防末における迎撃機、戦闘機の数、対空ミサイルの数、それらの運用関係、撃墜率などの記載があり、とくに後者についてはwargameによる相当詳細な数字がしめされている)
(13)弾薬の整備(F104戦闘機の搭載弾薬、ナイキの弾丸について、3次防末までに取得することを要する数量の記載が年度別に具体的数字をもって示されている)
(14)要員の充足 (バッジ操作員、バッジ整備員のそれぞれの要員充足見積表があり、昭和41年以降昭和44年までの間の毎年4半期ごとにバッジ操作員、バッジ整備員の養成されていく数が示されて、バッジの能力が判断される資料がある)
(15)自動運用に必要な部隊練成訓練 (昭和41年度から昭和43年度までの間における各方面隊ごとの機材の運用能力、バッジの運用能力を知りうる表があり、これを見ればわが方の機材の運用能力が判断される)
(16)F104Jの可動率の見通し見積(昭和41年度から昭和43年度までの間における各航空団ごとのF104J戦闘機の可動率が数字でしめされており、これはこの国の秘密の一番大きな対象となっている)
(17)行動用資材の取得配分(昭和42年度において取得し配分する弾丸その他行動用資材の数量を数字でしめす表がある)
(18)高射部隊の建設構想 (高射部隊の設置場所、時期、規模をしめす表、その部隊展開にいたるまでの用地取得、施設工事の概要、養成するナイキ操作員を数字でしめす表がある)
(19)航空弾薬整備計画(備蓄弾薬類の取得計画AAM〔空対空ミサイル〕取得計画、訓練用航空弾薬使用計画、落下タンク備蓄計画などの、いざという場合の実力の一部を把握するに足る資料がある)
(20)ナイキミサイル整備計画(昭和47年度までの年度ごとの取得数が記載されている)
(21)地上火器用弾薬整備計画(航空機に搭載しない小銃、機関銃の弾薬の年度別備蓄、取得計画、訓用使用計画など)
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
2 生物・化学兵器と階級的視点
生物・化学兵器と階級的視点
一方、国家独占資本主義を強化するに従い、階級間の矛盾が激化していくわけであり、体制維持のための化学兵器が階級抑圧の手段として用いられてきたことは歴史が示す通りであったし、生物・化学兵器が階級問題として論じられなければならない理由もそこにある。冷戦戦略の進行とともにその価値が重視されてきたのはそのためであった。69年7月10日に、イギリスがジュネーブ軍縮委に提出した「生物戦争防止に関する条約案」で、生物兵器に内容を限定し、催涙兵器類の暴動鎮圧に利用しうる側面をむしろ評価し、日本政府が催涙ガスを毒ガスでないと規定しているのも故なしとはしない。国家権力の暴力装置である自衛隊が、核にかわる戦略兵器(階級闘争の抑圧手段としての兵器であるという意味も含めて)として、生物・化学兵器の開発、製造、保有に執心する理由もそこにあるのである。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
Ⅲ
1951年1月25日、ダレスは東京に戻り、残る課題に取り組んだ。彼は最初のスタッフ会議で、問題の核心は「我々が必要とするだけの兵力を必要とする場所に、必要とする期間駐留させる権利を獲得できるかどうかである。」と述べた。日本全国に無制限の軍事力を展開できるようにすることを望んだダレスは、日本がアメリカの譲歩を引き出そうとすること警戒した。しかし吉田は、独立後の日本におけるアメリカの特権を制限する努力を形式的にさえ行わず、すんなりと受け入れた。アメリカは基地と治外法権を獲得し、さらに日本は5万人規模の「代用」軍隊までも創設することになった。明らかに吉田は無能だった。しかし、基地の貸与によって影響力を確保したり、アメリカは親切心から日本に軍隊を残すのだというダレスの主張を論破したりするべきはずのこの交渉で、吉田の立場が弱かったのは、彼自身の不手際もあったが、それ以上に天皇の介入のもとで折衝しなけれならなかったためである。