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「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
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中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
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原爆初動調査 隠された真実
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123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(15/08/12)
日航機墜落事故
【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実
ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか
http://ptix.at/TDJfzm
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
45、戦争中に、でたらめなこともした事実を改めて痛感しました。根本的に今も日本の悪しき性質は変わっていない。追記、福島に対して同じことを続けている。恥ずかしい限りである。
(不明、60代、市内、朝日新聞)
ドイツと日本の謝罪の違い
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)
731部隊・100部隊の戦後責任
原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
昭和への挽歌 野崎忠郎
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。
7月30日(金)~8月1日(日)
東京・武蔵野プレイス
8月3日(火)~7日(土)
徳島県阿南市
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.
日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
「1931」斉藤準太郎の日記
一月二九日
午前八時起床 関東軍付経理部長来鞍す。加藤家宛に手紙を書く 零下19十九度 晴 風冷たし
朝食が九時半とは驚いた。今日の朝こそ本当に忙しいというような感じがした。関東軍経理部長 佐留閣下という人 顔は見えない いつでも感じることであるが実際嫌になるからね。午後はその反動で割合に暇だ・・・しかし何も書けない 後一日で下番と思っているが もし外れならメンソワーズ 中島が今日も羊羹を持ってきた 友は持つべきものなりか。夜電話をかけて遼陽の瀬谷軍材らに怒られるが面白い。僕もずいぶん変わったものだ。陸軍歩兵軍材を平気でからかえるようになったからな。
斉藤 風邪を引いたよ 中隊のヨーチンに云って薬を送ってくれ 班長殿 班長殿 ほんとうですか まさか色風邪ではないでしょうね。大丈夫ですか。「うん、大丈夫だよ たのむぞ」班長殿 遼陽小唄でも教えてください。服部上等兵の作にかかる唄ね。
横浜の所に手紙を出す。矢張りぶちまけたような書き方で でも信用していてくれる故
安心して出すことができる これで体が自由になったなら僕はあまりに幸せすぎると思ふ
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
そして青年には死の時が訪れ、娘は穏やかに覚悟の死を選んだのであろう。娘は、婚約者の死に出会って、悲嘆のあまりに死を決意したのでもなければ、絶望し、死より他に選びようのない場所に追い詰められて自殺したしたのでもないだろう。彼女はおそらく、白血病の青年を愛し始めた時から、間近の確実な死を目の前に見すえていたはずである。娘は青年の運命に参加し、自分自身をそこに巻き込んだのであったが、それはこのように最も徹底的な一つの運命の選択であったのであろう。
原爆初動調査 隠された真実
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
ノミの飼育
いくら飛び出さないようにしてあってもノミですからその辺に飛び回っています。するとフンドシ一丁ですから、ノミがチョロチョロ足から上がってくるのがわかる。いやもう、これはとてもじゃないけど俺はやれない、と思わずにはいられませんでした。でも、人間「習うより慣れろ」で、最初のうちはそれが上がってくるともう仕事にならず、食いつかれないうちに払っていましたが、そのうち、俺はこれを飼育するために仕事をさせられているのだと思うようになりました。今度は殺さずに掴んで、自分たちの飼育している元の場所に戻すようになりました。愛着と言うのか、そういう気持ちが出てきたわけです。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
2 華北
1、河北
紀仇「地獄からの脱出」抄録
盧溝橋で戦争が始まった時、私は北平(1928年から49年までの北京の呼称)が落ちるはずはないと信じ込んでいた。そのため、北平が陥落してからやっとこの地を離れた。だが、途中で日本の憲兵に捕らえられ、私は自分を商人だと言ったにもかかわらず、彼らは私を拘留所に5日間監禁した。暗く陰気で湿気に満ちた拘留所に入ると、中には7,8人が1列に並んでおり、事の次第を見極めた時には、私は驚きで気絶しそうになった。彼ら8人は皆鼻がなく、さらに見ると、耳の位置にには耳の代わりに紫色の血の塊がこびりついていた。7,8人は1本の針金でつながれており、針金は口の中を通って両頬に穴を開けて顎の付け根を貫いていて、まるで馬をつなぐ縄のようだった。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
3 1943年中の中国戦線における毒ガス戦 掃蕩剔抉と殲滅戦
江南・江北・常徳殲滅戦
江北殲滅作戦は、漢口・岳州・沙市を結ぶ地帯にいた中国軍の部隊を全滅させる目的で2月13日から3月31日にかけて行われ、第13師団の歩兵第65連隊は、2月1日から3月31日までに「小あか筒」31本・「中あか筒」30本・「発射あか筒」54本・「みどり筒」2本・「みどり手榴弾」5発を使用した(同連隊「江北殲滅作戦戦闘詳報(第44号)」。歩兵第65連隊長櫻井徳太郎大佐は、白兵により〈寡かもって衆を撃つ〉という日本陸軍が理想としていた戦術を体現しようとした代表的な存在だが、3月21日の沙道俔付近の戦闘では(「小あか筒」20本・「発射あか筒」15本も使用)、中国軍が頑強に抵抗するので、「夜襲、而も焼き討ちを決行」して「一挙に敵を圧縮殲滅」する命令を下し、中国軍を完全に包囲して夜に一斉に放火、「沙道俔ことごとく火の海と化し火焔は天に沖し黒煙空を覆いかつ銃声は夜に入ると共に昼間に倍化しその惨憺たる光景あたかも生き地獄に等し」という凄惨な情景をもたらし、攻略に成功した(同前)。江北殲滅作戦の結果、中国軍の遺棄死体8640・捕虜23214名を数え、この地区の中国軍のほとんどを撃滅あるいは捕虜にしたので「文字通りの殲滅戦であった」とされる(防衛庁防衛研究所戦史室編『昭和17、8年の支那派遣軍』)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
1937年8月13日、日本軍は上海に進攻し、松滬(ソンフー)事変を引き起こすと、上海地区にも別の化学部隊を送り込んだ。
その部隊は次の通りである。
部隊番号 編成時期 所属部隊
迫撃第1大隊 1937 .9.18 近衛師団
迫撃第4大隊 1937 .9.18 第10師団
第2野戦実験化学部 1937.8.24 第1師団
野戦瓦斯第7小隊 1937.8.14 第7師団
野戦瓦斯第1中隊(甲) 1937.9.9 近衛師団
野戦瓦斯第2中隊(甲) 1937.9.9 近衛師団
華北にあった北支那派遣軍の1部が上海作戦に派遣されたことに伴い、その配属下にあった化学部隊も上海に移動した。
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
村落掃討
上級将校の罪行
野間栄作
少佐
ついで、朝の寒さと不安に3時間余りも晒されていた村民を一列縦隊にして、村長の覗いている廟の東側を歩かせ、内側にいる安達少尉の白旗が左右に振られた時に前を通った者を、列外に引き出した。
約1時間半後に、検挙者3名と村落点検の時に捕まえた2名と合わせて5名を縛って、下庄に引き上げ、拷問を加えたが、村落内で捕らえた2名は「病気で寝ていたが、日本軍が侵入したことを知ったので、ただ恐ろしくて隠れたのだ」と言い、他の3名は、「行商のために五家村に来た」と言い、いくら打っても叩いても、それ以上のものは何も聞き取ることができなかったので、癪に触って労工要員として処理するよう命じた。
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー
■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷
8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
5 「秘」の性格と内容
すべての文書が「秘」
自衛隊も全く変わらない。その実態について検討をすすめよう。前記航空自衛隊の「秘密保全に関する達」は、「秘」の指定基準として次の19項目をしめしている。
第11条 訓令第5条第3項の秘密区分の秘に指定すべき知識又は文書等は、次の各号の基準 によるものとする
(1)平常時における航空自衛隊の部隊行動、配備計画及び主要補給品、施設等の配置計画並びにこれらに伴う命令、報告等で秘匿を要するもの
(2)平常時における部隊の移動計画、補給品、装備品の配分若しくは輸送の計画又はこれらに関する命令、報告等で秘匿を要するもの
(3)航空自衛隊の出動実力の一部をは握するに足る情報
(4)年度の各種見積で秘置を要するもの
(5)通例の情報報告書
(6)部隊行動の結果得た教訓で秘匿を要するもの
(7)教範又は技術上の取扱書等で秘匿を要するもの
(8)訓練の計画及びその成果で秘匿を要するもの
(9)将来使用さるものを含み、訓令第5条第3号に該当する装備品等並びにこれらに関する資料又は情報
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
2 生物・化学兵器と階級的視点
戦略兵器の変化
これを軍事戦略で見るならば原爆独占による動員戦略は、ソビエトの原爆開発によって破綻し、アイゼンハワーの「大量報復戦略」どうなって核兵器の軍備競争に発展していった。アイゼンハワー大統領が 退任演説で、第2次世界大戦後の新しい現象として生まれた「巨大な軍事組織と大軍需産業の結合体」(ミリタリー・インダストリアル・コンプレックス)によって「祖国が未だかつて直面したことのない重大な脅威」にさらされていることについて警告する動機となったミサイル・ギャップ論争が発生するのはこの時期である。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
Ⅲ
アメリカと日本の平和条約への外交的準備は急速に進んでいた。この条約はソ連と、中国に新たに登場した共産政権に対抗する、アメリカ主導のブロックに日本を組み込むためのものだった。天皇はいまやひそかにこの過程に関与し、トルーマン政権の望むものを日本が事実上すべて与える一方的軍事同盟の交渉を、アメリカが容易にできるような環境を整えた。
歴史研究者の豊下檜彦が再構成したように、天皇の外交への介入は、1950年4月18日のマッカーサーとの第10回会談の直後に始まった。(47年5月6日の第4回会談以来)ふたりの指導者のあいだの問題は、依然として戦争放棄の憲法と、それぞれがこれをどう重視するかであった。第9、第10回の会談で天皇の通訳を務めた松井明によると、平和条約についての論争が熟した49年11月26日の第9回会談では、「平和問題」を論じ、この4月18日の会談では日本に対する共産陣営の脅威が話題になった。どちらの場合もマッカーサーは「第9条の精神」を説いたとされる。 宣伝の目的以外ではけっして平和主義者でなかった天皇は、軍事力だけが日本を守ることができるという考えを崩さなかった。日本の将来の安全についての、マッカーサーとの相違点はおそらく埋まらないと考え、天皇は最後には無視することにした。