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第6回 戦争の加害パネル展

(感想)
5月6日(木)
38、ほとんどの人が無関心で済ませているのは問題です。これらのことを謝罪も補償もせず、しようともしない政府を変えなければ次の世代も恥ずかしいと思います。展示をしていただき、ありがとうございます。
(不明、70代、市内、チラシ)

ドイツと日本の謝罪の違い

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)





731部隊・100部隊の戦後責任







原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 

 

 

 



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


7月30日(金)~8月1日(日)

東京・武蔵野プレイス

 

8月3日(火)~7日(土)

徳島県阿南市

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.

 


日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記
一月二三日
 写真屋(鞍山斉藤)に小見出しを入れて写真撮る 楽しい 宿営地は未だ二里余りだ。山から山 谷から谷 平康里至二里を快適行く。平康里は非常に小さき故 今一里蛾点庄で宿営だ。八里余りも雪道を歩いておまけに宿営衛兵で寝ずの番だ。兵隊商売止めだ。
 この部落は守備勤務上非常に大切な部落だ 馬賊が非常によく出て困る所 明日は午前6時半出発 最後の道 遼陽に行く 僕の泊まった所は非常に綺麗な家で、大変日本化して主人は日本語が非常に上手だ。そして親切だ。やはり日本の様子を少しでも知れば大変理解しているらしい。出来うる限り支那人と付き合うことは大切であると教えられる。







軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅶ 広島へのさまざまな旅


一週間経って、死んだ青年の婚約者が原爆病院を訪れた。彼女は、青年を看護した医師や看護婦たちにお礼を言いに来たのだと言った。彼女は楽器店に勤める娘らしく、よくレコード棚やバイオリンの陳列ケースに置いてある、陶製の一対のシカをお土産にした。20歳の娘は平静で穏やかな挨拶を残して去っていったが、翌朝、彼女は睡眠薬による自殺体として、発見されたのであった。僕は、大きい角を備えて強そうなシカと、愛らしい牝のシカの、一対の置き物を見せられて、暗然とし言葉もなかった。
 


原爆初動調査 隠された真実

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部


ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・

伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。

衛生兵の教育
以前から教育が終わったら“北支”ではなく、南方へ行くんだぞと言われていましたが、コレラのために一か月半教育が遅れたことと、私たち自身がコレラに汚染されている恐れもあることから南方へ行くことは中止になりました。本来なら4ヶ月で終わる教育を6ヶ月かけて終え、私たちは配属されました。“北支”では、本部を含めて支部出張所が、16、市内に分遣隊が2つあり、私は第2分遣隊に配属されました。私たちの同年兵は47人いたのですが、そのうち第2分遣隊に配属されたのは7人です。47名を16の支部で割ると大体2、3人になるので、同年兵から「お前たちはいいな。何で7人も一緒に行くんだ」と言われました。同年兵の仲間が別れるということは非常に悲しく寂しい、複雑な気持ちでした。








 

●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳








Ⅰ東北
3 遼寧

張丕卿の日本帝国主義による生体解剖の残虐行為に対する告発(1954年6月29日)
・・・・・・
この他私の知るところでは、当時学生が実習に使った死体は全て奉天の監獄から楊×山という老人が送り込んでいた(同人は既に死亡している)
 1943年から45年の光復まで、200から300の死体が運ばれ(そのうちの一部はまだ名簿が現存している)、大部分が男性で約10体ほど女性のものがあり、全体の中に2、3体絞殺死体が混ざっていた(頸部に絞溝があることがその証拠である)。これらの死体は全部、学生の解剖実習に使用された。
 以上のことはすべて私自身が見聞したことであり、私はこれらの事実をもって日本帝国主義車の残酷な罪行を告発せんと望むものである。
(1)119-2、21,2、第18号

*訳注:満洲医科大学―原文は「偽南満医科大学」。南満洲鉄道株式会社(満鉄)が1911年に設立した南満医科堂として発足、1922年に大学に昇格して満洲医科大学と改称。14ページに「奉天医科大学」とあるのもこの大学の別称である。日本の敗戦で中国に接収され、人民共和国成立後は中国医科大学となった。なお、本文中の鈴木真吉は1930年に同学解剖学教室助教授、のち教授(『柳絮地に舞ふー満洲医科大学史』輔仁会、1978年)。





●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

 2 ソロモン諸島とアリューシャン列島をめぐる激戦と毒ガス兵器

アッツ島・ウェーク島への「ちび」配備
  その4か月後の5月12日にアメリカ軍がアッツ島に来攻し、日本軍守備隊との戦闘が始まった。
5月15日に守備隊はアメリカ軍がガス弾を使用したことなどを打電し、また北海守備隊司令部の戦闘詳報にもアメリカ軍がガス弾を使用したと記されているという(防衛庁防衛研究所戦史室『戦史叢書 
 北東方面陸軍作戦1』)。その真偽は現段階では詳らかではないが、元陸軍習志野学校関係者は
「〔43年中には〕時折戦場から、どうも敵が瓦斯を使ったらしいという情報がちょいちょい入るわけです。それはよくわからんのですが、砲爆撃を受けて、それの瓦斯的な作用がある程度起こったんじゃないか。また、〔砲爆撃で発生するなどして、兵士を中毒死させる〕一酸化炭素の問題もあると思いますが、度々、そういう情報が入りました。そういう時に非常に神経を尖らせるとがらせたわけです」を回想している(福田正記司会「化兵を語る座談会―知られざる戦史」第3回)。
アッツ島の日本軍守備隊は、撤退命令も出されず、増援部隊も送られないまま、5月29日に「玉砕」した。断末魔の戦闘で守備隊がアメリカ軍に「ちび」を使用したかどうかわからない。








  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網


共同の人体実験
若生重作さんの回想によると、彼はかつて731部隊への出張命令を3回受け、毎回516部隊の製造した試験管、フラスコ、ピュレットなどのガラス器具を携帯した。731部隊はドラックをハルピン駅に差し向けて出迎えたが、ガラス器材は通常5,6台のトラックに乗せた。
 731部隊が行った毒ガス実験に関して、元隊員の越定男さんも重要な証言をしている。彼は1993年10月10日、日本の「戦争責任研究」の編集者山口俊明さんにこう語っている。
「私は731が最も多く行ったのは毒ガス実験だと思う。実験場は専用飛行場の一角で、周囲に高い塀をめぐらし、中に外側から観察できるガラスをはめた実験室があった。観察対象はトロッコで運び込むことができた。








日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)

村落掃討
上級将校の罪行

野間栄作
少佐

下庄に帰ってきた私は、下庄の隊長林少尉から「部隊が八路地区に進攻してから、反対に八路工作者が占領地区内を安全地帯として潜入したようです。特に『日本軍警備隊』近くの村落が利用されているようです」という報告を聞いて、≪やりそうな戦法だ。灯台の下に潜れば、日本軍の行動は手に取るようにわかる。よし捕まえてやろう≫と考え、「林少尉の報告は八路軍のやりそうな戦法と思います。中隊の兵力も2日休養しましたから、明日五家村の地下組織を打ち壊しましょう」と大隊長に報告した。
 小野は無雑作に「よし、うまくやれ」と言ったので、私は早速、山村を呼び寄せると、下庄東北方約5 kmの五家村の組織破壊の準備を命じた。









●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー

■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷

8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時

■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著
第二章国家機密の構造
4 自衛隊の機密事項
 極秘」の指定基準
「機密」に指定されている個々の文書を摘示するのは第2篇の課題として、次に「極秘」の指定基準として空自達がしめしているものをみよう。それは次の12項目にわたっている。
第10条 訓令第5条第2号の秘密区分の極秘に指定すべき知識又は文書等は次の各号に掲げる基準によるものとする。
(1)航空自衛隊の出動及び出動準備に関連する基本的な計画及び情報で、秘匿を要するもの
(2)出動部隊の行動の詳細及び命令
(3)出動地域における出動部隊の編制装備、移動及び士気並びにこれらに関連する情報で秘匿を要するもの
(4)出動のための編制及び装備のうち航空自衛隊全般に関するもの
(5)出動部隊の輸送、通信連絡及び補給等の計画、命令、報告のうち訓令第5条第2号に該当するもの





金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

「防護」の裏話
この中では、憲法上の制約を受けざるを得ない自衛隊が、用語、表現上どのように苦慮しているのかを裏書きしている。即ち、憲法上の制約をいかにうまく逃れるかということは、単に表現上、用語上のテクニックであって、戦略的、戦術的に軍事問題としての全く新しい(実はそのようなものは存在するはずもないのだが)「防衛(自衛・非攻撃性)理論」についての議論が行われたり、研究されたりしているものではない。
 自衛隊の装備、訓練、編成の実態や教範類の内容と、公式の発表や見解との間に多く矛盾が見出せるのは、そのためなのである。













南方軍防疫給水部(岡9420部隊)








●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす

 1949年、新しい演出のもとで天皇の巡幸が再開され、51年まで続いた。この時期の初めにGHQは、固く禁じていた広島・長崎の原爆の諸影響に関する公の議論を許容した。それによって平和運動が勢いづいた。占領は新しい軍事指導者に担われ、急速に終結に近づいていた。
 この時期には、東アジアの国際情勢も目覚しく変化していた。49年にはソ連が原爆の開発・実験に成功し、毛沢東の率いる中国共産党は中国本土で蒋介石の国民党軍を撃破した。国民党は台湾に逃れた。1950年1月末、マッカーサーと極東有事に備える防衛計画を検討するため、統合参謀本部議長オマー・ブラッドリーが東京に飛んだ。これに関してトルーマン政権は、有事の際にはマッカーサーの権限の拡大を認め、琉球諸島を含む日本周辺の広大な海域を管轄させることにしていた。トルーマンは同時に、国家安全保障会議文書48/2(1949年12月)と、のちの同68(1950年2月)に盛り込まれた、挑発的で危険の多い戦略を採用した。3カ月後の6月25日に朝鮮戦争が勃発した。こうした事態に対応して、日本は再軍備をし、警察力を強化し、アメリカの大規模な経済援助を受けることになった。日本はたちまち戦後最初の好況を謳歌しただけでなく、ナショナリズムの最初の高揚も迎えた。主にこれらの変化への反作用として、国際的な平和運動の一環としての日本の平和運動が生まれたのである。