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第6回 戦争の加害パネル展

(感想)
5月6日(木)
36、素晴らしいことをされていて感動いたしました。
(要望)もっと多くの方が知っていただけたらいいなと思います。
(男性、50代、市内、ウェブ)

ドイツと日本の謝罪の違い

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)







731部隊・100部隊の戦後責任






原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 

 

 

 



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


7月30日(金)~8月1日(日)

東京・武蔵野プレイス

 

8月3日(火)~7日(土)

徳島県阿南市

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.

 

日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記
一月二二日
オンドル式の床暖かく支那人の小供の多いのもこのオンドルが原因をなしているのではあるまいか。腰冷えなんて少しもなし。
不寝番だ 3時間半 兵器でも取られたらメンフーズだ。本当にやりきれないな。明日はまた早起きして食料をこしらえて第2の山から山へ  日本軍の戦続  非常に多し 大阪の古新聞が壁に貼ってあるのもちょっと珍しく見られた。支那人なんて呑気なもんだ。親子揃って変なことばかり言っている。








軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅶ 広島へのさまざまな旅


青年は、この2年間を本当に生きようとしたのだ。彼は有能な働き手であった。彼はまた職場での社会生活のすべてを十分に全うした。彼がどのように真実に生きようとしたか、贋でもなければ、ツクリモノでもない、真の現実生活を生きようとしたかは、青年が一人の娘と愛し合うようになり、婚約したということで、いかにも明らかであろう。恋人は楽器店に勤めていて20歳だった。
 


原爆初動調査 隠された真実

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部


ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・

伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。

衛生兵の教育
北京に着いたその翌日から、市内の天壇にある1855部隊本部で衛生兵として教育を受けました。軍事教練もありました。衛生兵と言っても、患者を看護する衛生兵と防疫をする衛生兵とがあるのですが、私は防疫の方でした。部隊が戦場に行って一番困る水を第一線の兵隊に与える仕事が任務でした。この時に濾水機というものを使いました。これが、かの有名な石井四郎中将が考案したものでした。濾水機は秘密ではないのですが、その中の濾過管というのが、秘密部位でした。中国に行ったら生水を飲むなと教育されましたが、その生水が濾過管を通ると飲める。例えば、馬の足跡の穴に溜まった水でも飲めると教えられました。






 

●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳








Ⅰ東北
3 遼寧

張丕卿の日本帝国主義による生体解剖の残虐行為に対する告発(1954年6月29日)
・・・・・・
解剖の目的は、生体の脳、脊髄、内臓、筋肉、皮膚などを取り出して、より優れた組織切片を作り研究しようというものであった。こうした情況は、解剖の終わった後に知り得たことである。日本人は解剖後いつもそのままの状態で帰ってしまうため、一切の後片付けは翌日出勤後、私や劉学棋、西村××らが行った。その時私の目に映ったのは、被害者は頭部がノコギリで切り開かれ大脳を摘出され、背部中央にもノコギリで深い溝がつき脊髄は取り出され、胸腔も腹腔も開いて心臓、肝臓、脾臓、肺、腎臓、腸も全て研究材料として一部を切り取られており、両眼さえも抉り出されて、全身のうち1カ所として完全な部分がなくなった有様だった。


(1)119-2、21,2、第18号




●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

 2 ソロモン諸島とアリューシャン列島をめぐる激戦と毒ガス兵器

ガダルカナル島攻防戦間の毒ガス配備

 大本営陸軍部は、11月16日に第八方面軍(ラバウル)を新設し、第17軍と第18軍(ニューギニア方面の作戦を担当)をその隷下に入れたが、杉山参謀総長は11月18日の大陸指1338号で今村均第8方面軍司令官に対して「特種煙及特種弾の使用については必要にあたり別に指示す」と指示している(『資料集Ⅱ』資料37‐20)。なお、ガダルカナル島攻防戦自体は日本軍が敗北し、12月31日の大本営御前会議で同島からの撤退が決定された。






  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網


共同の人体実験
実験の情景はさらに残忍だった。森村の本にこのような描写がある。
「ガラス張りの中に閉じ込められた『マルタ』は忿怒の目を見開き、何とかもがいて飛び出そうとしたが、体はしっかり縛られているので、なすすべもなかった。516部隊の隊員たちが電源をつなぎ、スイッチを入れると、中にしつらえた扇風機が回り始め、ビーカーの中の茶褐色の青酸が過熱され、ゆっくりガスが立ち上った。毒ガスはパイプを通って『マルタ』を閉じ込めたガラス張りに侵入する。毒ガス生産設備の中に、日本の島津製作所の製造した毒ガス濃度計が1台あり、随時毒ガスの濃度を記録し、『マルタ』の致死毒ガス数値が測定できた。
 毒ガスがガラス張りの中に流れると、柱に縛り付けられた『マルタ』はかすれた叫びを発し、体は懸命に悶えたが、次の瞬間目をカッと見開き、口から白い泡を吹き出し、四肢が硬直、がっくりと頭を垂れ、絶命した」
 

 












日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)

村落掃討
上級将校の罪行

野間栄作
少佐

昼食時になると、約100名くらいの集団が畑の中に集まって腰を下ろした。赤胴色に日焼けしたシワだらけの老人、蒼白く痩せた14,5歳の少年もいる。大部分の人が素足で、血の気の失せた顔に眼玉だけがギロギロ光らせていた。やがて、黒い焼餅をかじる者、生葱や塩漬け大根をかじる者、頭を深く両足の間に垂れて食事をせずにいる者もある。誰一人として声高に話す者もなく、時々静かな声で話し合い、うなずきあっている。









●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
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在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー

■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷

8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時
・1 月 14 日(金)午後?時
・1 月 24 日(月)午後?時

■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著
第二章国家機密の構造
4 自衛隊の機密事項
 正体不明の「機密」
 防衛当局が国会で明らかにした最大限のものは、こうである。「『機密』文書 につきまして一例を申し上げますと、毎年毎年つくりますところの防衛計画の基本に関するもの、あるいは暗号の基本に関するもの、こういうものが『機密』文書になって、おるわけでございましてその一つ一つにつきましてここで申し上げるということは、必ずしも適当でないというふうに考えます」(衆院予算委第2分科会70・3・18、島田防衛庁官房長)。暗号については空自達の基準に全く出てこない。これは別個に秘密文書としての例規が定められているためである。その秘密区分は、「送信や解読に使うひとつひとつの暗号書(乱数表)は『極秘』で、その暗号書ナンバーを集めたものは最高度の『機密』という」(『毎日新聞』68・3・18)





第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1





『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

「防護」の裏話
 さらに、「防護」ということについてであるが、自衛隊について一般的に言われている「防護」のみを戦略的、戦術的任務とするなどと言ったごまかしが通用していることに問題がある。
防護はつまりDefenceであるわけだが、自衛隊教範『特殊武器防護』の「防護」という軍事用語は、技術的な事項に限定したものである(『化学学校記事』第13号)。このことはただそれだけのことして見逃されそうなことなのだが、戦略問題として見た場合は、極めて重要な問題を提起することになる。以下「特殊武器防護教範編纂裏話」(『化学学校記事』第13号・樋上倫久1佐)の中から「自衛のための軍隊」という軍事的に不可能な存在を表面的な姿としている自衛隊の持つ矛盾を露呈している部分を引用してみよう。













南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす

 次の日、マッカーサーはA級戦犯容疑者のうち、起訴されなかった19人を拘置所や自宅監禁から解放した。そこには、元国務大臣で1941年に対米開戦宣言〔開戦の詔書〕に署名した岸信介、警察官僚で東条内閣や鈴木内閣時代に反政府の言論を弾圧した安倍源基、右翼組織のボスだった児玉誉士夫、笹川良一らも含まれていた。
 続く数年のあいだ、日本の政治家と天皇は、A・B・C各級すべての受刑者の釈放を求めることになるが、マッカーサーと後任の陸軍中将マシュー・B・リッジウェイはほとんどの場合それを容認した。サンフランシスコ対日講和条約が発効する1952年4月までに、ワシントンの承認を得て、SCAP〔連合国最高司令官〕は、B・C級で裁判に付されていなかった未決容疑者を含めて合計892人を釈放している。釈放された人物のうち何人かは、たちまち戦後の国家で最高権力の座を占め、1950年代を通じて日本の政治を大きく分裂させる力となった。