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20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌 野崎忠郎
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毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
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中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
「アジアの犠牲者にも思いを」マレーシア・横浜で集い
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空襲被害者を救済せよ!!
忘れられた戦後補償
原爆初動調査 隠された真実
原爆・核実験・原発事故そして気候変動№2
2021 8 15 敗戦の日
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7.13 多摩労務管理事務所問題の解決に向けて、申入れ行動
73l部隊関連資料の公開を求めて
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん
123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年(15/08/12)
日航機墜落事故
【森永卓郎×倉田真由美】 日本航空123便墜落事故で分かった新事実
ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか
http://ptix.at/TDJfzm
nobu51@jcom.zaq.ne.jp
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
33、私は日本の戦争責任、とりわけ加害責任を一貫して追及したいと思っている者です。勿論被害問題も重要だと思います。毎年のように開催されているアジアフォーラム横浜集会には、できる限り参加しています。戦後生まれですので、資料を通しての伝承活動になるとは思います。今の政治の危うさにも抗議行動しています。とにかく若い世代に、何とか伝えていきたいですね。本日はありがとうございました。
(男性、70代、市外、友人)
ドイツと日本の謝罪の違い
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)
731部隊・100部隊の戦後責任
原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
昭和への挽歌 野崎忠郎
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。
7月30日(金)~8月1日(日)
東京・武蔵野プレイス
8月3日(火)~7日(土)
徳島県阿南市
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.
日本の中国東北侵略から90年
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
「1931」斉藤準太郎の日記
一月二二日
日本人の官舎が十二、三軒ある
その方で昼食をしたかつたが行軍の目的が違う。
耐寒行軍兼教科行軍故やむを得ない。でき得る限り支那人と接するようにして日本軍隊の威式を示すと共に 日本の友和と日本を理解せしめ以って南州における共営共住を一大目的としたる行軍故 昼食も支那人の家でする。先発隊のおかげで豚肉入りのオミオツケがあれど 口に入らず
其の理由は。?丁度その家では豚を殺しつつあった。その場で殺した肉ではないが駄目だ。喉元から出る血を平然と飲む所や残酷性を発揮するに充分な殺し方は目を背けざるを得ない。親指ぐらいにして二尺余りの鉄の棒を後ろ足の外側に面した皮と肉の間より体内に差し入れ 腹といわず口耳 豚の内部を 未だ泣き声をするのに平然と無茶苦茶につき回している所を見た。
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
既に度々、僕はその例を挙げたが、白血病を治療する医師は、初期の段階に於て、まず一応、白血球の凄まじい増加を食い止め、いわば病気の≪夏休み≫を招き寄せることができる。原爆病院の医者たちの努力は、はじめ数か月に過ぎなかった、この≪夏休み≫を、20年間の暗い苦闘の果てに、2年間迄引き伸ばした。それを数十年間にまで引き伸ばすことが出来た時、我々人類は、白血病を克服したと誇ることができるのであろう。しかし、今尚、白血病、この血液の癌は、圧倒的に人類より優勢である。2年間の≪夏休み≫のあと、青年は死と再び巡り合わねばならず、その時、死は決して彼を取り逃すことがない。もし、ペシミスティックな心の持主が、この≪夏休み≫を一種の執行猶予の時間と呼んでも、特に誤りではないであろう。
原爆初動調査 隠された真実
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
入隊まで
私は、1942(昭和17)年に徴兵検査を受けました。第2補充兵でした。私は小柄な体格ですから、当時の言葉のまま言うなら、「兵隊にもいかれないような男でどうして女性が愛してくれるか」という気持ちがありました。兵隊に行きたいような、さりとて、行って殴られたりして苦労したくないという気持ちでした。しかし第2補充兵なのだから当分はいいだろう、うまくいけば行かないで済むのではないかとも思っていました。すると翌年5月26日に、突然“赤紙”が舞い込んできて、6月1日入隊だと知らされ、「えっ」とびっくりせずにはいられませんでした。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
3 遼寧
張丕卿の日本帝国主義による生体解剖の残虐行為に対する告発(1954年6月29日)
・・・・・・
解剖前、当時の劉学棋実験手(現在わが校の組織研究室の技官)が日本人のためにガラス瓶を準備・洗浄し、解剖したあとは、私と劉学棋、さらに西村××という日本人の4(ママ)人ばかりで、一緒に解剖を終えた死体の残骸を片付け、ボイラー室に運んで焼却したり埋葬する仕事をしていた。このため、日本帝国主義者の人間性のかけらもない極めて残酷な生体解剖の血生臭い罪行は、ある程度理解している。自分の見聞した以下の事実を告発する。
(1)119-2、21,2、第18号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
2 ソロモン諸島とアリューシャン列島をめぐる激戦と毒ガス兵器
ガダルカナル島攻防戦間の毒ガス配備
1942(昭和17)年8月7日にアメリカ軍がガ島に上陸し、日本海軍の飛行場を占領した、これを受けて陸軍は、この方面の作戦を担当する第17軍(軍司令官・百武晴吉中将)に増加した。一木支隊をガ島に送って奪回攻撃を行なったが全滅し、ついで川口支隊が増派されて9月13日に攻撃を加えたがこれも失敗した。その直前にラバウルの第17軍に対して、9月1日に「ちび」500発が(陸軍省兵器局銃砲課起案「兵器補強に関する件」)、次いで9月4日には軽迫撃砲用95式90ミリあか弾3000発・「ちび」1000発が交付されている(陸軍省兵器局銃砲課起案「兵器補強に関する件」)。9月10日の参謀次長・田辺盛武中将の現地視察報告によれば、ガ島の川口支隊が携行している弾薬数の中に各種「あか筒」130本・「ちび」60本とあるので(竹田宮恒徳王「於9月上旬『ラバウル』方面参謀次長出張報告)、対米戦の最前線部隊にも毒ガス兵器が行き届いていたことがわかる。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
もう1人の元516部隊の隊員、若生重作さんはこの種の装置の組み立て専門の責任者だったが、彼は回想してこう言う。
「1943年6月から、私は常時ハルピン平房の731部隊に出張したが、任務はガスチャンバーの組み立てだった。私はただ組み立てだけで、どう使用したかは知らない。ガスチャンバーを操作していた人は皆防毒マスクを着けていたが、我々は直接毒ガスに接触しないので、マスク着用は不要だった。我々はただ設備しただけだ。」
実は、この2つの悪魔部隊を連結させたのはこの種の設備だけではなく、より重要なのは両部隊の共同の目的である毒ガスを使用した人体実験だった。
大久野島国民休暇村
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
村落掃討
上級将校の罪行
野間栄作
少佐
下庄~張坊鎮間の約13㎞は、岩盤地帯も相当あったために、房山県、涿県、固安県の住民約6万名を使役し、2㎞ごとに監視望楼(5~8名収容)を築き、壕内を縦射できるように電光形に作った。この種の封鎖壕は、全中国1万2千kmの長さに及び、中国人民の労働力を銃剣をもとに酷使して構築したもので、その労働量の膨大な事と人民の負担は、言語に絶するものであった。
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
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在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー
■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷
8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
・12 月 20 日(月)午後 2 時、山田一郎氏(1995 年当時の衛生学校研究部員)
・1 月 14 日(金)午後、鈴木武範氏、山本明子氏(両名とも 2005 年当時の図書係)
・1 月 24 日(月)午後、悉地旭氏、木村益男氏(両名とも衛生学校彰古館担当者)
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
4 自衛隊の機密事項
正体不明の「機密」
ここで、防衛庁の文書体系について述べておかなければならないだろう。防衛庁がその所掌事務について発する文書には、告示、訓令、達、行動命令、一般命令、個別命令、日日命令、指示、通達、承認、許可、上申、申請、報告、進達、通知、協議、照会、依頼、回答、諮問、答申などがある。それぞれの形式、内容、相互関係の基本は「防衛庁における文書の形式に関する訓令」に定められている。これについての一覧表を別に掲げておく (参考資料8)。
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
自衛隊の基本戦略
自衛隊の基本作戦計画(31年度制定といわれる)でも「直接侵略」「間接侵略」が段階として戦術的に区分されているのみであって、決して2つの任務を持つものではない。自衛隊法第3条(自衛隊の任務)は、「国の安全」を保つため、「国の防衛」するとしているが、「国民の生命、財産」を守ることは規定していない。そのことは、自衛隊の基本戦略が、極限的に表現するならば「国民の大多数」が、国家権力に対抗手段をとろうとした場合には「国民の生命と財産」を破壊しても「国」(この場合、独占資本の手先としての国家権力を指すと思われる)を守らねばならないでをあろうことを示している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
Ⅱ
松本は、新憲法秩序にふさわしくない戦前の慣習がまだいかに残っているかを訴えたのである。しかし彼は、その勇気を讃えられる代わりに制裁を受けた。ジャーナリストの松浦総三が指摘するように、彼の行為と発言は、吉田茂と、1946年のプラカード事件以後、新刑法に不敬罪を復活させようと運動してきた頑固な保守派を完全に敵に回してしまった。吉田の要請で松本は翌年GHQによって追放され、一時的に政治生命を絶たれた。一方、天皇の面前での蟹の横ばいは続けられた。