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第6回 戦争の加害パネル展

(感想)
5月5日(水)
19、この展示会の内容は、一般の知識として教育現場を初め、あらゆる場面で、日常的になる事が大切だと思うが、ドイツや中国、朝鮮などで、市民教育がされていないことに日本は戦争責任から逃げている。絶対に過去のものとしない事が大切で、この催しは、素晴らしい(この表現でいいか?)ものだと思います。
(不明、70代、市内、新聞)



ドイツと日本の謝罪の違い

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)







731部隊・100部隊の戦後責任






原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌   野崎忠郎

 

 

 



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


7月30日(金)~8月1日(日)

東京・武蔵野プレイス

 

8月3日(火)~7日(土)

徳島県阿南市

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.

 




●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


「1931」斉藤準太郎の日記
一月十七日
零下十度 巡察遼陽太子河往復  乗馬巡祭あり
行かなくてよい巡察に 出かける所は遼陽太子河往復 遼陽聯隊を右に見て練兵所を通り過ぎて少し行く 電柱番号八十六、七の所には日露戦争の保塁が所々にある 露軍包囲陣第十二号保塁なんと物々しく書き連ね。昔の夢をしのばせてくれる







軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅵ ひとりの正統的な人間


そして、これは僕の最も希望的な観測であるけれども広島市内の全てのハイ・ティーン達を対象とする次の世代の原爆症の調査は、自らの不安の内に孤立している若者達を、一つの連帯感の広場へ連れ出して解放するものであり得るかもしれないではないか?


 
原爆初動調査 隠された真実

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!





●『細菌戦部隊』
731研究会編  1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部


“特移扱”で中国人を731へ送った
憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

三尾豊
憲兵

〈経歴〉
1913年生まれ
1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊
1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属
1945年8月 捕虜となりシベリア抑留
1950年6月 中国戦犯管理所移管
1956年8月 起訴免除、釈放後帰国
■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。


大連事件

私は沈得龍を連れてきた中国共産党の党員がいるはずだ、その人を介して王耀軒に紹介したわけだから、必ずそういう人がいるということを沈得龍に追求しましたが、何も言わない。彼は42歳の、当時私の父親のような好々爺で、欺瞞的な懐柔もやりましたけれども、遂に何もつかむことは出来ませんでした。
 王学年という若い方はこれは中国共産党員であることはハッキリしているんですが、ただ党員であるということだけで、これもまた党の組織や背後関係を一切供述しておりません。このほかにもう1人李忠善という人がおりますが、この人は私は調べておりませんのでわかりませんが、ソ連共産党員であり、中国共産党員であるということでした。

 

 






●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編

江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳








Ⅰ東北
2 吉林
川口保自筆供述書(1954年8月15日)
 1934年9月中旬、私は独立守備隊第6大隊第4中隊上等兵分隊長の身分であった。海龍県南山城子を占拠していた時、中隊長想路の命令を受け、小池上等兵ら3名と共に現地警察が拘禁していた愛国者1名(30歳前後、身長5尺2寸、姓名不詳、男)を兵営に連行し、某軍医中尉に引き渡した。軍医はその愛国者を兵営の東の隅に連れて行き、眼隠しをすると、拳銃でその頭部を撃って殺害した。その時私を含めた約100名の兵士は、30m離れた所で警戒に当たっていた。約30分後、原中尉の命令により私と5名の兵士が、その死体の衣服を脱がせ用意した戸板の上に載せると、軍医及び看護兵2名が中隊全員の面前で解剖を実施し、軍医が人体の構造を説明した。
(1)119-2、432,1、第5号



●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

Ⅰ、戦争初期の日本軍の作戦と毒ガス兵器の使用

東南アジアでの実戦使用

華北での使用
2004年に防衛庁防衛研究所図書館が公開した歩兵第224連隊「冬季山西粛清作戦戦闘詳報其の1」によれば、2月5日に井関第36師団長は、作戦地の「燼滅掃蕩」を命令すると共に、師団特種作業隊を部隊に配属する事を命令し(36師作命甲第904号)、翌日には、撒毒する村落のポイントを指示して、主用道路から離れた地点で重要施設を発見した場合に撒毒し、その地点を報告するよう命令した(36師作命甲第906号)。そして実際に同作業隊は各部隊の行動に随行して各地で撒毒している事が確認できる。この戦闘詳報にはイペリットを使用したとは書かれていないが、陸軍習志野学校「支那事変における化学戦例証集」戦例21(200~201頁)と合致するので、師団長命令に基づいてイペリットによる毒化が行なわれていたことがわかる。






  




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網


731部隊との関係
 この20年来、日本関東軍731部隊の戦争犯罪が次第に明らかにされてきた。特に1993年に(731部隊展)が日本のたくさんの地方で展示されて、これを参観した人は皆、731部隊とはつまり悪魔の代名詞だと思わずにはいられなかった。
 731部隊は日本陸軍が細菌戦を行う重要な手段だった。早くも1932年には、日本の陸軍軍医学校の中に防疫研究室を設立し、翌年には中国東北のハルピン市に関東軍防疫班を設立した。以後、この部隊はハルピン市平房区に移転し、関東軍「防疫給水部」を設立したが、これが731細菌部隊である。


 












日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)

村落掃討
上級将校の罪行

野間栄作
少佐

10月の朝の5時は払暁であった。拒馬河の畔の六渡村を東北方から包囲した部隊は、獲物を狙う狼のように包囲圏を次第に狭めて、5時30分、山砲の砲撃と共に、4挺の機関銃が村をめがけてめくら射撃を始めた。しかし村からは何の反応もない。危険と思ったので、まず県警備隊(中国人の投降兵で構成されている)の40名を村に侵入させてから日本軍を進めた。村に敵なしと見た県警備隊は村の中央まで前進し、家屋に押し入ろうとして門先の敷石を踏んだとたん、轟然と炸裂した地雷に打たれ、たちまち1名はのびてしまった。








●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
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在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める






●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?




●『化学学校記事』 情報公開裁判 (第19回)  11月 10日(水)11:00~703号法廷
●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第29回) 8月25日(水)15:00~103号法廷

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著
第二章国家機密の構造
3 外交機密の生態

戦争を誘う秘密外交
外交交渉が妥結した場合は条約・協定その他の取決め、関連文書がまとめられる。これらが拘束力をもつ国際合意であることについては、すでに述べたが、交渉過程で交換される文書も、けっして軽視できない。いわゆる「トーキング・ペーパー」である。これには、交渉を進めるに当たって話合いの基礎にするものと、話合いの経過を議事録ふうにまとめたものとの、2種があるとされている。後者はふつう討議メモといわれ、このうち双方が合意したものは合意議事録と呼ばれて、先に述べたように「協定の内容を補充し単なる解釈資料以上の拘束力を有する」のである。


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1



金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
1 自衛隊の基本戦略
分かりにくい犯人
しかしながら、これらの事実は真実であり、無視したりごまかしたりすることのできないものである。
 次々と開発される強力な兵器は、通常の知識と軍事的、物理的な兵器の破壊力及び殺傷効果との間を気が遠くなるほど引き離してしまうものである。例えばごく少量の放射性物質や化学剤を上水道の源に混入しておくだけでその殺戮効果は、何百万人にも及ぶということが可能である。





南方軍防疫給水部(岡9420部隊)





●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
すなわち同年9月20日、天皇はマッカーサーの政治顧問ウィリアム・J・シーボルトに、沖縄の将来に関する見解を伝えた。天皇の通訳で、GHQ高官との連絡役を頻繁に務めた寺崎英成を介して、天皇は、米ソの対立の激化を考慮し、アメリカが沖縄本島はじめ琉球諸島の軍事占領を長期間続けるように提案したのである。この申し出を行ったとき、天皇は沖縄についてのマッカーサーの最近の見解を承知していた。天皇の沖縄観は、大多数の国民の意識と同様、日本の保守政治エリートのまったく克服されていない植民地主義的な感覚と軌を一にするものだった。1945年12月の第89帝国議会で、沖縄県民は旧植の台湾人、朝鮮人とともに選挙権を剥奪されていた。そして新しい「平和」憲法を採択した1946年の第90帝国議会には沖縄県の代表はひとりもいなかった。