●沖縄の環境が危ない!!
●中国侵略戦争
●中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
●第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
●731部隊の罪業
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
「声上げたら解雇」は許せない!~「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
情報公開裁判
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌 野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑
「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~703号法廷
3月3日の『化学学校記事』の傍聴
日本の労働問題
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
.SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
.ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!
ミッテランはいかにして野党をまとめ、政権を奪還したのか
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
70-1『慰安婦』の記事が気持ち悪かった。(20代)
ドイツと日本の謝罪の違い
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)
原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
昭和への挽歌 野崎忠郎
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。
7月30日(金)~8月1日(日)
東京・武蔵野プレイス
8月3日(火)~7日(土)
徳島県阿南市
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
27 「敗戦後の軍馬①」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.jp
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
「1931」斉藤準太郎の日記
1月4日
煙台炭坑 分遺隊上番 晴れ温度最高零上5度 最低零下18度
十五夜の寒月冷し
此の煙台炭坑に於いてもまた同じ事であらう 露人が発見―これを守るために一個小隊の露軍が派遣され採炭を始めたのに今では日本が此れを行ひ 二千名からの支那人を使用し日夜探炭しつつある現状は まず日本に生まれたことを喜ぶ前に 最初此れに手をつけた露西亜人の心情 又は自分の手で自分の国を掘り 人に取られる支那人の事を思えば感慨無量である。これを守りこれを末永く・・・机上の外交や単に軍隊の力でこれを確保してゆくことが出来るであろうかしら ああ、正月の初めから大きなことばかり書いて仕舞った
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
Ⅵ ひとりの正統的な人間
我々広島への旅行者は、度々そこに、自己犠牲的な聖者を発見したがる。それが不自然で無責任な旅行者気質に基づいている事は言うまでもない。山脇氏の論文は十分に使命を果たした。続いて山脇氏は博士号を取得できたし、開業医としての基礎をかためることがでした。こういう、個人的に過度な負担をかけないいかにも現実的に有効なやり方で、重藤博士は原爆症への具体的なアプローチを続けてきたのである。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
解説ー関東軍軍馬(獣)防疫廠
粕川良谷、近藤昭二
細菌戦の分野は、主に第2部6科が担当しており、731部隊とも連繋していた、大規模な実験は、731の安達野外実験場を使った。牛疫に感染した牛の肉を粉末にしてガラス容器に入れ、グリセリン水をかけたものを飛行機から撒布するという実験もここで行なわれた(元100部隊隊員の最近の証言)。
●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』1991年初版発行
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
解説
松村高夫
同資料選編第5巻『細菌戦と毒ガス戦』全目次
図版
前言
本巻編集説明
第1部 日本軍細菌部隊及び素の罪行
1 第731部隊(関東軍防疫給水部)
1 第731部隊本部
2 大規模な細菌生産と残虐非道な人体細菌実験
3 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」
4 細菌製造の為の大掛かりな鼠類収集
5 日本の降伏前夜、平房細菌工場を爆破しての証拠隠滅
6 第731部隊の各支隊
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第5章
日中全面戦争と毒ガス戦の展開
4、激烈な毒ガス戦の展開へ
八路軍に対する「燼滅(じんめつ)」戦と毒ガス戦
北支那方面軍は態勢を立て直して反撃に移ったが、吉見氏の発見による資料から、山西省の第1軍が行なった晋中作戦(「晋」とは山西省のこと)では、田中隆吉第1軍参謀長の主導で、「敵及び土民を仮装する敵」と「敵性ありと認る住民中15歳以上60歳までの男子」は「殺戮」し、「敵性部落」は「焼却破壊」するという徹底した破壊作戦=「燼滅」作戦が行なわれ、その一環として糜爛性ガスが使われたことが確認されている(吉見義明「日本軍の毒ガス作戦」・同『毒ガス戦と日本軍』)。即ち、この作戦で独立混成第4旅団は「あか弾」43発と、「あか弾」とは区別される山砲「特種弾」13発を使用(同旅団「第1期晋中作戦戦闘詳報」『資料集Ⅱ」資料54)、独立混成第9旅団の永野支隊は「きい弾」47発・「あか弾」62発を使用し、「輝教(ききょう)」という村落を「毒化」した(歩兵第224連隊第2大隊「晋中第1期作戦戦闘詳報」、『資料集Ⅱ』資料53)。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第5章 陸軍習志野学校
付記・日本陸軍習志野学校跡考察記
日本の作業効率の良さは周知の通りなので、宮崎さんは、私が来る頃には遺跡もほとんどなくなっているのではないかとずっと心配していた。それでこの2週間前からここの写真をたくさん撮って、重要な資料として残してくれた。私たちが公園の大門から中に入り樹林を通ると、高く大きい喬木と生い茂った灌木が交錯し、枯れ黄ばんだ葉は既に地面に散り敷いていたが、樹上に残った葉はなお青々と茂り盛んな生気を放っていた。土地の人たちは、この地を誇らしく「習志野の森」と呼んでいる。人々に黒い記憶を与える習志野学校を、平和を象徴する緑でもって置き換えたのだ。このことを組織的に推し進めたのは政府官庁だけではなく、習志野市の女性たちの民間組織の1つ「緑の会」だ。彼女たちはこのため既に4年間も努力し、現在もなお続けている。
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
女捕虜
乳房を銃剣で突く
新谷幸太郎(しんたにこうたろう)
分隊長、伍長
〈略歴〉
埼玉県の貧農の家に生まれ、高等小学校8年卒業、商店員を経て、元59師団53旅団第43大隊第4中隊伍長分隊長として終戦に至る。
その翌日、10数名の兵隊の冷たい銃剣が、店舗らしい入口を馬蹄形に取り巻いている。兵隊たちは、中公の顔に時々上目を使いながら、敷石の上に座らせている2人の中国人の胸元へ、銃剣を向けている。35歳くらいの男は、昨日焼き火箸で口元から顎にかけて焼かれ、それが化膿して、もう口を開くことは難しかった。しかし太い足と肩の筋肉が、全身の苦痛をもみ消しているように見えた。眼はランランと輝き、幾日ぶりかで縄を解かれたこぶしは、石のように固く腰の紐を握りしめている。
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
>
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
●『化学学校記事』 情報公開裁判 (第19回) 8月 4日(水)11:00~703号法廷
●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第29回) 8月25日(水)15:00~103号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
2安保体制の機密
手厚く保護される米軍機密
「これらの協定は、状況しだいによっては、国家を実際の戦争に追いやりかねないものである。このような了解がどの位たくさんあるのか、それは正確なところいったい何を包含しているのかということは、世間から隔絶した内部の少数者以外は誰も知っていない」(同書90ページ)『U・S・ニューズ・アンド・ワールド・レポート』(69・7・21)は、少なくとも24の軍事協定が秘密裡に締結されていると伝えている。レンズはこうした傾向を、「軍国主義の症状」と正しく指摘している。
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
2、 生物・化学兵器の種類と特性
化学兵器の種類と特性
「発煙剤」は、1701年スウェーデンが渡河作戦で湿ったわらを燃やして発煙したという記録がある。第1次世界大戦では英国が、樹脂、ピッチ、黒色火薬などを混ぜ合わせて発煙筒を作った。その後各種の化学薬品によって製作されているが経済的には高価である。第2次大戦以降特に朝鮮戦争では、アメリカが発煙機による煙の大量発生に成功し、今日に至っている。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第15章東京裁判
Ⅶ
キーナンによって「中国全土における軍事侵略 1937―45年」の担当に任じられた法務官トーマス・H・モロー大佐は、1946年3月に中国に出張し、毒ガス問題について調査した。モローが4月16日にキーナンに提出した報告書は、水面下でアメリカ陸軍化学戦統括部隊(CWS)から反撃された。CWSはもっともな法律論を並べ立てて、日本は化学戦実施の際、違法な行動をとっていないと主張した。世界最新の毒ガス兵器を開発中だったこと、そして第2次世界大戦でその新兵器を使用する機会がなかったこともあって、CWSはとくに対ソ戦が切迫していると判断されたことから、裁判所が毒ガスの使用を有罪と認定しないよう望んだ。