細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ




中国侵略戦争
中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
731部隊の罪業
武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

ミャンマーの親族、安否不明 不安募らす少数民族―越境の避難民追い返すタイ
2021年ABC企画委員会総会のお知らせ
情報公開裁判
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
「核兵器禁止条約」発効の意義と課題―今こそ、東北アジア非核兵器地帯を―湯浅一郎(ピースデポ代表)
核兵器禁止条約の署名・批准の状況
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
浅川地下壕を歩く
昭和への挽歌   野崎忠郎
ビキニ核被害者救済支援と731部隊
毒ガスの痕
693陸軍病院と万人坑


「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~703号法廷
3月3日の『化学学校記事』の傍聴
日本の労働問題
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
慰安婦訴訟4月に判決へ、韓国 裁判所、日本政府に賠償請求


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回
「731部隊・100部隊」と
 「人獣共通感染症」
□日時:2021年5月27日(木) 18:30~
□お話:今井雅巳さん 岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)
□主催:731ネットワーク      




◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相
◎ 哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷 「731部隊展」全国ツアー
◎ 長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示 撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会
◎「人獣共通感染症」の過去・現在
    ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

◎ 戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
    東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

◎ 戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)
    安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

◎ 獣医師の本 『軍馬と鼻疽菌』小河孝著 『馬疫』茜灯里著
◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来
◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任
*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□ 連絡先・申込 nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) (zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)





原告たちのあまりに理不尽な被害『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

昭和への挽歌   野崎忠郎



 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。


 

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.jp

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』



五月十二日

今日は衛兵勤務 晴だが風強し。遼陽の分遣も相変わらず平凡なりか。遼陽に来たら急に新聞が読みたくなった。読めるといふ意識からの為らしい。そのうちに駅にいったら思う限り読んでくるかな。六大学のリーグ戦記もあるだろう―内閣の集合もあろう―支那の動きや国民会議の様子も門外なれど少しは知りたい―。初夏の日本が新聞の上に踊っているだろう。早く読みたいものだ。早明戦の結果や如何に 心配なような楽しみだ。読む前のね。来年のリーグ戦は心行くばかりに見られるだろう。この春も見られると思うと ますます早くなる後の半年が。









●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より

Ⅳ 人間の威厳について
 
 はばかる事無く率直に言えば、この地球上の人類の皆誰も彼もが、広島と、そこで行われた人間の最悪の悲惨を、すっかり忘れてしまおうとしているのだ。我々は、自分の個人的な悲惨を、できる限り早く忘れようとする。大きい悲惨も、小さな悲惨も。街角で見知らぬ他人にちょっと軽蔑された、というような小っぽけな悲惨でも、翌日まで持ち越すまいとする。そういう個人の厖大な集まりである全人類が、広島を、人間の最悪の悲惨の拠点を、忘れようとするのに不思議はない、小学校の教科書を調べてみるまでもなく、現に大人たちは、子どもたちに、広島の記憶を伝えようと努めてはいない。
 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

●『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊  1996年9月(核時代51年)初版発行

満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ
撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった

大竹康二
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。
43年8月開拓団入植
1945年5月 122師団(牡丹江)入隊
1945年6月 731部隊教育部に配属
1945年8月 帰国
■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの


入隊そして731部隊へ

 わしら外出はなく、勿論ハルビンの街なんか行っていません。1回も外出はありませんでした。交替で衛兵の仕事ばかり。部隊の囲いには4か所入口があって、1か所ずつぐるぐる回りました。
 中で何やっているのか、わかりませんでしたが、噂で梅毒の検査なんかやっていて、梅毒の研究材料にされている人がいる、なんて聞いた事はあります。人を殺してるなんて知りませんでした。きっと箝口令(かんこうれい)があったんでしょうね。
 

  



●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』1991年初版発行
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

解説

松村高夫

1、田村良雄の青春

少年隊員として雇われた16歳の田村は、その年の夏、細菌を「ノモンハン事件」の戦場に運ぶという重要な任務を負わされる。篠塚は、「石油缶(防銹したもの)に入れた菌液を将軍廟まで運びました。途中までは列車で運び、その後はトラックを利用しました。菌液はブイヨンにグリセリンを入れ、ペーハー調整しておきました。ノモンハンでは第3部から多くの(731)部隊員が参加しました。菌液を将軍廟に届けて帰隊後、検便検査を受けましたが、参加した部隊員からは多くの発病者を出しました」と語った。帰隊部隊の検便助手が、田村の仕事となった、ノモンハン事件は、731部隊が実戦で細菌を散布した最初のケースである。



●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章
日中全面戦争と毒ガス戦の展開

1、催涙性ガスの使用とより強力な毒ガス兵器使用の要求

第2次上海事変と毒ガス

華中では、1937年8月13日に上海で海軍特別陸戦隊が中国軍と戦闘を開始すると(第2次上海事変)、日本政府は上海派遣軍(軍司令官・松井石根大将、第3師団・第11師団基幹)の派遣を決定し、海軍は南京・上海に対する爆撃を開始したので戦火は一気に拡大した。




 




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 第4章 科学はいかにして罪業となったか

防毒機材の研究と制式化

 こうした物質は分子構造が密で、多くの気体、油脂、細菌などに対していずれも高い抗浸透力を有しており、防毒能力が強く、この材料を用いるようになって、防毒具はかなり軽便になった。防毒具の様式は1929年制式化されてから、基本的に変わっておらず、防毒上衣、防毒袴、防毒手袋、防毒靴の4つから構成されていた。うち「90式」は総重量5キログラムで、イペリットに耐えられる時間は、上衣が半時間、手袋とズボンが1時間、靴底が5時間であったが、「95式」「99式」防毒面具が相継いで開発されると、各種の性能がさらに良くなり、「軽防毒具の王」の異名をとった。戦争中は、防毒具が第1線の部隊に大量に供給され、敵方のの撒毒陣地突破時に使用される主な防護用具となった。




 







日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
核時代39年(1984年)5月初版発行

日本鬼子(リーベンクイズ)
刺突(しとつ)
農民を初年兵の訓練に

江先 光(えさきひかる)
曹長
〈略歴〉
私は山口県岩国市岩国に生まれた。
小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、
1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。
以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において
捕虜となった。今年40歳です。

≪よーし、今こそ師団編成以来の腕前を見せる時だ・・・≫私と西川は兵隊をすかしたり、脅したりして、夜を日についで歩き続けた。それは10月の末、夜風がひやりとする頃だった。私は部隊の中心部で西川の一隊と出会った。
「おい・・・西川軍曹いるか、捕まえたんだってなあ・・・」ロウソクの日を囲んで、入道のようにうごめいている中から、私は素早く西川を見つけた。「おおこいつか、ふん・・・俺のところは、25、6の女だ・・・
今度は少しゃあ・・・ものになりそうだそ・・・・」私は得意になっていた。「そうか・・・見とれ・・・今こいつを吐かしてやるんだ・・・」西川はこう言いながら天井から逆さに吊り下げた男の横に立った。

 


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
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在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
米海軍厚木基地 化学・生物・放射線・核訓練 共産党、国に中止求める


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00~103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行 )
            藤井治夫著
第一章 国家機密と軍国主義
1、戦後日本の機密保護体制

 2 シビリアン・コントロールの欺瞞
温存される専制政治
 独占ブルジョアジーの反人民的暴力支配の本質と専制的官僚政治の遺物が結合した秘密主義は、とりわけ自衛隊に集中的にしめされている。軍隊が国家の暴力装置のなかで中核的機能を果たすことからもそうならざるをえないのである。自衛隊はブルジョア職業軍隊の本質をもっているだけでなく、特殊日本的体質を継承している。ここからその反人民性、秘密主義とウソの三位一体的特徴が倍加してあらわれ、まさに末期症状を呈しているのが現実である。こうした推移は、自衛隊出生の秘密をさぐることによって、もっとも具体的に理解されるであろう。



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1



金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念


4 公害調査に名を借りたBCW作戦
蛍光粒子使用の意味

 もとより、細菌を散布されたかどうかを検知するためにもエア・トレーナーを利用するので、訓練における攻撃と防護は実際上は何ら変わるところは無い。実際、瀬戸内海沿岸における訓練では米陸軍生物戦争研究所の発表にあるように、「無害化した炭疽病菌」を使用する可能性は充分に考えられることであった。



南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。






●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

第15章東京裁判

聞き取り会は5回を数え、8時間以上におよんだ。その後、寺崎は宮内省内記部長の稲田周一が主に編集し、選択したノートをもとにした長い速記録の一部を鉛筆で書き留めた。寺崎メモの日付は東京裁判が開廷してほぼ1ヵ月後の6月1日となっている。稲田も自身のノートをまとめる際に参照した長文の口述筆記の作業―当初、「昭和の秘史御回顧録」という表題が付けられた―を6月末まで続けた。寺崎は関与せず、彼が見ることさえなかったかもしれないこの記録は、のちに「聖談拝聴録」という表題に改められた。 
 

日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, 
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.