細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

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731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」

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731部隊・100部隊展

記憶の継承を進める神奈川の会

 

黒井秋夫講演会

 

おめでとう!!核廃絶!!
核兵器禁止条約発効へ ホンジュラス批准し50カ国・地域達成 「核なき世界」へ一歩

 

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」1

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3





 

隠された毒ガス兵器
 

今の日本の実態!!
多摩労務管理事務所闘争に勝利するための集会 2020.9.26

9月24日に行われた「731部隊と人権ー裁判から考える」を下記のアドレスからダウンロードできます。
11月24日までダウンロードが可能です。
録画
https://33.gigafile.nu/1124-o4f46dc39b9bd57fe98777f79b7182e45
 
パワーポイント資料
https://33.gigafile.nu/1124-bbd98741201bacc6f187149667ddc876b




 

●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
 ※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません。

 

 

          731部隊全景

 

  
        100部隊の煙突


1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。

    ― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―


 731部隊のパネル(A2版) 

1 序章 薬害エイズと731部隊 

2 HIVとAIDS 

3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか 

4 731部隊の影 

5 第1章 731部隊の創設 

6 「満州国」

7 部隊全景

                  

 

 

8 731部隊の始まり 

9 731部隊組織表(横向)

10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク

11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会 

12 第2章 「マルタ」 

13 憲兵隊と「特移扱」 

14 「マルタ」と「特移扱」 

15 朱玉芬の父と叔父 

16 第3章 731部隊の人体実験     

17 ペスト(黒死病) 

18 炭疽(Anthrax) 

19 流行性出血熱 

20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ 

21 毒ガス野外実験 

22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走 

24 人体実験が結ぶもの 

25 細菌戦は行われた 

26 ペストノミによる細菌戦 

27 細菌の大量生産 

28 第4章 731部隊の戦後 

29 軍事裁判と戦後処理(横向) 

30 細菌戦部隊医学者の戦後 

31 細菌戦医学者の博士論文

 

 

32 陸上自衛隊の博士論文

33 第5章 731部隊を告発する 

34 戦争の語り部 篠塚良雄

 35 戦争の語り部 三尾 豊 

36 家永教科書裁判第3次訴訟 

37 軍医学校で発見された人骨

 38 731部隊国家賠償請求裁判 

39 細菌戦国家賠償請求裁判 

40 終わりに 731部隊を世界遺産に

 

 100部隊のパネル(A2版)

1 はじめに 

2 「はじめに」 

3 「日中戦争における人と馬」 

4 「戦争とは」 

5 「ジュネーブ議定書」 

6 「731部隊」と「100部隊」 

7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」 

8 「僞満皇宮博物院」 

9 「日中15年戦争」 

10 「植民地支配

  

11 「外地」での戦争犯罪 

12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」 

14 「軍馬の徴発」 

15 「愛馬の見送り」 

16 「軍馬の位」 

17 「軍馬の改良」 

18 「軍馬の名前」 

19 「軍馬の訓練」 

20 「テッチン」 

21 「軍馬の世話・蹄手入れ」 

22 「馬の寿命と病気」 

23 「馬の伝染病」炭疽菌 

24 「馬の伝染病」鼻疽菌 

25 「馬学・獣医学の本」 

26 「麻布連隊と白雪号」

  

  
27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」

 29 第2章 100部隊 

30 「細菌戦兄弟部隊」 

31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」 

32 「関東軍軍馬防疫廠」 

33 「100部隊所在地」

 

34「100部隊の隊長」 

35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」 

37 「100部隊2部1科23号室」 

38 「関特演」と「100部隊」 

39 「三河夏季演習」 

40 「細菌戦 第6科新設」 

41 「100部隊での人体実験」 

42 「人体実験の犠牲者数」 

43 「アヘン・ヘロイン」 

44 「陸軍獣医学校」 

45 「100部隊」の終焉 

  

46 「100部隊」敗戦後の犯罪 

47 「ハバロフスク裁判」 

48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」 

50 「現代の獣医師養成」 

51 「熊本サンクチュアリ」 

52 「加計学園獣医学部」 

53 「何故 四国に?」 

54 「加計学園獣医学部」資料 

55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません) 

56 「100部隊」の亡霊

57 おわりに

  

58 「学習と謝罪」

59 「前事不忘」 

60 「100部隊」の新研究 

61 「100部隊」の新史料

 

  

 

62 「100部隊」の新展示

 63 おわりに 

 

 

(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚)  2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚) 3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚) 

                       

   

5、タイトルパネル 

1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地 

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地 

3 731部隊 A4×5 黄地 

4 100部隊 A4×6 桃地 

5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地 

6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地 

7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、

 

軍馬補助パネル(付録)

1 馬術教範 B4×8 黄地 

2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8 

3 馬事提要 B4×12 桃地  

 

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!) 

1、パネル(A2版) 

①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円) 

②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)

 

 2、付録パネル 

① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ 

② 細菌戦部隊員の戦後                   
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術 

④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真 

⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

 

  

 


※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。 
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と

「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります

 

。   

3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)

①生体解剖(62×82×高さ59)/cm 

②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm 

③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝ 

 

 

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。 

 

※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。 

※送料は、主催者団体でご負担お願いします。 

※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。 

※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.jp

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


二月二十八日
然し喜んだところで健康な体では決して弐拾四時間寝ていられるものではないから あたりかまわず歌をうたったり大声で騒いだり。最も少々胸は痛むが それが為に沈黙しなければならないほどの痛さでもない。下士集会所に於いて講談と落語の夕べがあれど行く気なし
炭坑では馬賊事件で騒いでいる。ほんとうによく出る所だ。後二日たてば又炭坑に行かねばならない。
そしてまた早く引き上げるのだ。明日は外出禁止が解かれて初めての日曜日だ。
注射こそしたが行きたいものだ 久しぶり故ね。







●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より

1  広島への最初の旅
 森滝代表理事の基調報告、それは死者たちと被爆者たちへの言葉から始まる。彼は広島に固執している。広島の被爆者の心の内部の道がヒューマニズム一般の原水爆禁止運動の道と連なる、その人間的なインターチェンジに老哲学者の論理はしっかり立っている。彼が報告している間、背後の慰霊碑の前には、この大会に全く無関係な動きがある。死者の家族たちが花をささげて香を焚いているのだ。彼らは皆、公園をうずめる群衆が眼にも映らなければ、その拍手と喚声が耳に届きもしないというようだ。しかし、彼ら広島の死者の家族たちの存在は、僕にとって、ギリシャ悲劇のコーラス隊のように、壇の前景で行われる劇の栄光と悲劇とを最も鋭く浮かび上がらせる役割を果たすように思われる。森滝代表理事はそのコーラス隊に背後からしっかり支えられて2万名に立ち向かっている。





●『細菌戦部隊』
731研究会編

Ⅰ 731部隊  1996年9月(核時代51年)初版発行

解説ー細菌戦(森正孝)

細菌戦の被害状況

 典型的な謀略的細菌戦であるが、それにしても無防備状態でペストノミをまかせていることを考えると下級隊員の「安全」「防疫」など全く考慮されていなかったことがうかがえる。
 こうした細菌戦の結果、玉山、江山、常山、広豊、衢県(くけん)、麗水、金華、義烏などの鉄道沿線都市が、7月から9月にかけてことごとく被害を受けている。江山ではコレラ菌入りの月餅が道端に置かれ、街中では同様のニギリ飯が配布され100人以上の人が殺されている。衢県では撤退直後の8月31日、ペスト、赤痢、チフス、コレラ菌が河川、井戸、民家などに撒かれ2000人が死亡、金華では市中を流れる武義江に炭疽菌が撒かれ100名前後の人々が、義烏市崇山村では、航空機によりペスト菌が雨下され382人(近隣の村民の被害を総合すると1000名)がそれぞれ殺されている。
 これらの被害は調査をした中でもまだ一部に過ぎない。浙江省だけでも40~42年の間に40~42年の間にほぼ全域で被害を受けており、今後なお継続調査必要とされている。
(森正孝)

●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
四 細菌兵器製造の為の大がかりな鼠類収集

康徳12年度興濃部・文教部・協和会中央本部軍用畑栗鼠(はたりす)収集要領(1945年2月24日)
第1 方針
本年度は行政力で軍需実験用畑栗鼠30万匹を確保する。
第2 実施要領
5、興農合作社の買付価格は一匹一円とする。興農合作社の部隊への引渡し価格は原価とする。
6、必要な容器と飼料は部隊から支給する。
7、現地指導及び検収などに関する具体的計画は別に定める。
8、買付業務促進のために、文房具の特別配給を考慮する。
9、捕獲成績の優秀な者については、政府は表彰するものとする。





●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章毒ガス兵器の製造と教育


3 民間企業は毒ガスの製造にどのように関与したか

民間企業で毒ガスとその原料を製造

また、くしゃみ剤のジフェニルシアンアルシンは製造工程が複雑なので、陸軍科学研究所の林茂技師が合理化し、ジフェニルアルシン酸を青酸で処理することでジフェニルシアンアルシンを生成する方法を開発し、ジフェニルアルシン酸を「シモリン」と呼んで日本染料製造株式会社(大阪府)と三井鉱山三池染料工業所(福岡県)に製造させ、陸軍に納入させた。シモリンという名は、陸軍毒ガス兵器の生みの親である久村種樹中将が、林技師の名を逆に呼んでつけたとされる(林茂を逆に読んで氏茂林・・・シモリン)。またホスゲンは染料に用いられていたために保土谷曹達と日本曹達二本木工場に製造設備が存在していたので、軍自ら製造設備を持つ必要はなかった(石田重雄「毒ガス並火焔剤の製造研究」防衛庁技術研究所編『本邦化学兵器技術史』)。毒ガス原料を納入した企業リストは、前項の表9の通りである。














・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご

臨時毒ガス調査委員会

 そこで委員会は常温でも存在可能な臭素を使ってこれを補った。以来、日本軍の中で「カ」号と「オ」号という2種類の化学毒剤が配備された。「カ」は軽いの「か」を表し、比重が比較的軽い塩素をいい、「オ」は重いの「お」で、比重が比較的に重い臭素を指した。毒ガスの研究及び生産は国際条約に違反するものだから、日本は特殊部分を除いては、独自の力で秘密に行った。だが、防毒器材についてはおおっぴらに行なうことが可能だし、しかも国際連盟から比較的詳細な資料を得ることができる。とはいえ、やはり当時の技術的条件には限りがあり、毒ガスの吸収缶の中に使用されているのは、普通の木炭であったから、兵士が防毒面をつけると吸気の時に同時に多くの木炭粉末を吸い込み、顔が真っ黒になったという。

 

 



毒ガスの工場の焼却

大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
釘うち拷問
残忍極まりない取り調べ

原田左中(はらださちゅう)
憲兵軍曹
〈旧部隊名〉
元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊

 中隊長は陰険な顔に不気味な笑いを浮かべながらうなずき、男の方に目を向けた。「うん、これは中々の大物らしい。こいつを叩きのめしたら、いい情報が出るかもしれんぞ。なあに、中国人の1人や2人殺したところで構うもんか。もっと叩き上げろ、ハハハ・・・」ビヤ樽のような腹を抱えて、気味悪く笑った。≪よし、中隊長の前で俺の腕前を見せてやろう≫私は心の中でこう呟くと、餌を見つけた鷹が獲物に飛び掛かるように、男に飛びついていき、両手を固く結んだ麻縄に手をかけると、渾身の力をもってぐっと引き上げた。



 


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)


第2『衛生学校記事』裁判の問題点と争点

 しかし7年目を迎えた本裁判で、次の2つの事が明らかになってきました。
①『衛生学校記事』発刊当時の衛生学校長であった金原節三氏(戦時中731部隊と密接に関係していた陸軍省医務局で医事課長の職にあり、戦後1955年~57年衛生学校長)が1976年10月に死亡した後、遺族が旧軍関係史料を含め2028点を衛生学校に寄贈しました。
 この寄贈された金原資料は大変貴重なものなので衛生学校は「金原節三先生資料目録」を作成し、1982年9月に「彰古館」(自衛隊三宿駐屯地に内にある自衛隊の展示室)に「金原文庫」を設立して金原資料を収納しました。
 











DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」



第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1



金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。





2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景
枯葉作戦とその被害

これらの作戦に使われたのは、24Dと245Tと呼ばれる落葉剤である。米軍の教範には5、6種の作戦方法が載せられているが、AP電は、67年3月に南ベトナムで使用されたものは、次の3種であることを明らかにした。
―オレンジ作戦 2種の落葉剤を50対50の割合で混ぜたもの、24Dと245Tである。ジャングルと穀物に使用される。
―ブルー作戦 背の高い草や穀物に使われるカコジル酸の一種が使用される薬剤であろう。
―ホワイト作戦 トルドン101と呼ばれる化学薬剤を使用しているが、これについては詳しくはわからない。








第5代衛生学校長

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)




イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。






●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!




第13章 遅すぎた降伏
V 
朕は茲(ここ)に国体を護持し得て忠良なる爾(なんじ)臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共に在り。若し夫れ情の激する所、濫(みだり)に事端を滋(しげ)くし、或は同胞排擠(はいせい)、互に時局を乱り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは朕最も之を戒む。宜しく挙国一家子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(かた)くし誓て国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を体せよ