●中国侵略戦争
●中国に於ける人体実験(伝染病研究所)
●第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞) 731部隊の行なった
731部隊・100部隊のパネルの貸し出し予定
4月16日(木)~6月29日(月)
アウシュヴィッツ平和博物館(福島県白河市)
「日中戦争における馬と兵隊ー100部隊」
7月27日(月)~31日(金)
「戦争の加害」パネル展
かながわ県民センター1階展示室
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません
731部隊全景
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。 細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。 また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。 中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。 中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。 「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。 日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。 皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―
731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
7 部隊全景
8 731部隊の始まり
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験
23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文
32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄
35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に
100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬
13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」
28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」
36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題
49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに
58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料
62 「100部隊」の新展示
63 おわりに
(付録パネル) 1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ (A3版7枚) 2、細菌戦部隊の戦後 (A3版12枚)
3、元731部隊軍医と強制不妊手術 (A3版10枚)
4、731部隊南方作戦出発直前集合写真、 毒ガス訓練写真
5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地
2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地 6、
軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地
貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル
⑥ 馬具補助パネル
※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚) と
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります
3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm ④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝
※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.jp
●1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
はじめのことば
父は鞍山守備隊の一兵卒として主に満鉄と沿線の炭鉱警備に携わりました。そんな日々で見た一部をこんな風に書いています。
「奉天の露西亜人経営の城内行バスが運転手、助手共に露人でありながら自動車の前に日本の国旗を立てて正月の街を走っている。初めて、日本は小国でないことを知った。驚異と共に言い知れぬ誇りと嬉しさを覚えた。だが露人は今でこそ故郷を捨てているものの、露西亜は自分の国だ、そこには故郷もある、懐かしいという気持ちは充分持っているだろう、やむを得ざる国力の差異から日本の旗を立てる彼らに同情をおぼえる。この煙台炭鉱も同じ事であろう。露人が発見―これを守るため一個小隊の露軍が派遣され採炭を始めたのに、今では日本がこれを行い2千名からの支那人を使役し日夜採炭しつつある。この現状はまず日本に生まれたことを喜ぶ前に、最初これに手を付けた露西亜人の心情、または自分の手で自分の国を掘り、人に取られる支那人のことを思うと複雑な思いがする。これを守りこれを末長く・・・机上の外交や単に軍隊の力で確保してゆくことができるのであろうか―中略―ああ、正月の初めから大きなことばかり書いてしまった。寒いのが冬で、暑いのが夏で、高粱が芽を出せ春、実のなるは秋、この位のことしか知らないのだが、これでも大きな嘆きは一人前に言う」(1月4日記)
負けたロシア人に同情を寄せ、資源を他国に収奪される中国人を気の毒に思う一方で、日本の大国意識を以って優位性を誇らしく感じる心の二重性が読み取れます。
●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)
12. 村瀬さんの写真は印象的。これまで何回か、皆様の展示を拝見しておりますので、他の展示は拝見しておりましたので、村瀬さんの写真は特に感銘を受けました。村瀬さんの3000枚の写真を全て拝見できるような機会があれば良いと存じました。(男、50、市内、新聞記事)
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
41、あらためてゲンバクの恐ろしさを知りました。私が3才の時の事、その時は何もわかりませんでした。大きくなるにつれて、親達やまわりの人達の話で、少しずつ分かったこと、「内地で大変なことが起こった」北海道の上砂川で生まれ育った私には、余りわからず「ピカ・ドン」と云う言葉が覚えやすかった。学校で集団で「原爆の子」を見に行き初めて、遠いところでこんな言葉に言い尽くせない程、びっくりしこわかった(北海道弁です)。77才になった(もうすぐ78才)今日、新聞で知り「ひろしま」を拝見し、いつ、何が起こってもおかしくない世界。戦争は嫌です。やめましょう。ありがとうございました。
(女性・70代・川崎市・朝日新聞)
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●細菌戦
【真相】(unit731)
・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅳ 石井部隊、ノモンハン戦線に出動す
ー特別班8棟担当 T・Y
凱旋秘話―早川隊ホルステイン河畔に消ゆ
我々石井部隊の各班も、「戦争」を潜ることになった。
戦線は入り組んで、敵も味方も混乱した。我々瀬戸隊にも、ソ連兵が投降してきたことが、2度ほどあった。いずれも若い兵隊で、両手を挙げて、ニコニコして出てくる。何を言っているのかさっぱり分からないが、「パンをくれ」と言っているらしい。
我々には、捕虜を収容する余裕もなく、即決で、銃殺してしまった。1人は不思議なことに中国服を着ていた。逃亡兵かスパイか。ソ連兵を銃殺した小銃は、皮肉なことにソ連製の鹵獲兵器であった。我々石井部隊各班は、全てソ連製の鹵獲兵器で武装していた。
・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験
吉沢行雄自筆供述書(1954年11月15日)
1943年3月中旬、私は独立混成第3旅団通信隊付軍医中尉であった。ある時、山西〇県城内の旅団司令部講堂において、准尉以上の人員が出席して、華北派遣軍(北支那方面軍)第1軍司令部長石井四郎の講演を聞いたことがある。石井四郎はまず凍傷の治療法について話し、満洲国の部隊で自ら中国人捕虜を使って行った研究の成果をもとに、人間は体温が32℃に下がると死亡してしまうが、早いうちに摂氏37℃の温水に入れれば助けることができる。手指の凍傷の場合も同様の方法で治療することが可能で、以前の摩擦法はよくない、と言った。その後、細菌戦に関する問題に言及し、毒ガスは使用禁止なので、残されているのは細菌兵器ということになる。日本は細菌戦の研究を進めなければならない、と語った。さらに炭疽菌の抵抗力及び石井式濾水機の使用について話しがあった。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発
3、ドイツ軍の技術を吸収した毒ガス兵器開発
毒ガス兵器の制式化と、実戦での初使用
しかし、毒ガスを大量に製造するためには、その原料となる化学物資を確保しなければならないので、化学工業の発達が望まれるようになった。ある毒ガス研究者は、各種毒ガスの90%以上が塩化化合物であり、「塩素は化学兵器の根幹をなし密接不可分の関係があると言っても良い」「化学戦の可否は一に該国の塩素化学工業の如何(いかん)にかかわるものである」にしたうえで次のように記している。
・・・将来化学戦に於いて敵国を圧し優性たる地歩占むる為には国内化学工業の発達無くしては到底望み得ない。故に平時における化学工業の状態こそは攻勢化学戦に於いても又ガス防護に於いても該国の実力を示すものであると言い得るであろう(山田桜『化学兵器』)
また、久村種樹元中将は「毒ガスの将来を考えれば大量の液体塩素を必要とするから、平時用途の開発として先ず平時培養を考えた」として、陸軍科学研究所は民間企業と協力して液体塩素の製造能力の向上に努力したと述べている(陸上自衛隊武器補給処大宮支処「久村元中将講演要旨)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
検査、たゆまぬ努力
そして、検査の結果は人々を驚かせるものであった。
1962年、1963年に、685人について検査を行ない、男性労働者の61.9%が慢性気管支炎に罹っていることが判明した。この病気の罹患率は、同年齢層の日本の普通の老人ではわずか17.2%であった。
1981年、966例の死亡者の死亡原因について統計をとったところ、呼吸系統の疾病のために死亡した者が31.6%、消化器系統の疾病によるものが24.2%、循環器系統の疾病のよるものが23%であった。そのうち男性の死亡情況はさらに特徴的であった。
毒ガス工場の焼却
現在、大久野島国民休暇村
日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
細菌戦ー731部隊の蛮行
田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月 元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月 退職
1944年3月 元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月 元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月 逮捕さる。河北省永年県において
本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳
「俺たちの培養した細菌はどうだった」奥寺は自分の作った細菌が気になると見えて言葉をさえぎった。
「柄沢班の細菌は正直なところ使い物にはならないと言う話だ、雑菌が多いので運送の途中に腐るし、腐らなかったペスト菌ときては毒力がないしよ」
「そうか、それで一番効果のあったのは何班のだ」
玉井は指を折りながら、「第一は碇班だろう。碇班ではコンペイトーとか甘納豆の中に脾脱疽菌(ひだっそきん)を入れて飛行機でそれに落下傘をつけて投下したんだ。それで子どもの体がくちゃくちゃになって、相当死んだらしいよ」
「第二は田中班の蚤(のみ)だろう」
「うん、そうだ、ペスト蚤はいいことはいいが、俺たちの細菌戦をやっていることが蚤をつけたネズミをそのまま何回も落としたことから、みんなバレちゃったんだ」
「そりゃ本当か、大変じゃないか」
「本当だとも、解放日報という新聞にはペスト蚤をまいた方法がそのままのっているし、それに写真までついているんだ。」
「そうなると今後の細菌大量生産はどうなるんだ」みんな長島と同じことを考えたのか?この場の一番先任である奥寺の顔を見た。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
しかし7年目を迎えた本裁判で、次の2つの事が明らかになってきました。
①『衛生学校記事』発刊当時の衛生学校長であった金原節三氏(戦時中731部隊と密接に関係していた陸軍省医務局で医事課長の職にあり、戦後1955年~57年衛生学校長)が1976年10月に死亡した後、遺族が旧軍関係史料を含め2028点を衛生学校に寄贈しました。
この寄贈された金原資料は大変貴重なものなので衛生学校は「金原節三先生資料目録」を作成し、1982年9月に「彰古館」(自衛隊三宿駐屯地に内にある自衛隊の展示室)に。「金原文庫」を設立して金原資料を収納しました。
・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。
・化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)延期です!!
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
「関特演」と風船爆弾
例の〝三矢研究”の実施にとって参考になったという昭和16年の東條軍政の第1歩になった「帝国国策要綱の基本方針」は、
「(1941(昭和16)年6月22日の)独ソ開戦は、日本が北方におけるソ連の重圧より解放せられることを意味する。この際南進して自給自足態勢を確立すべし。又独ソ開戦は、北方におけるソ連の弱化を意味する。この際北進して北辺の憂患をがい除すべし、この両論は当維持に於いては必然の課題」となっていたが、7月2日には御前会議が開かれ、原枢密院議長は、「独ソ開戦が、日本の為真に千載一遇の好機なるべきことは、皆様も異論ないことと思う。ソ連は共産主義を世界に振り撒きつつある故何時かはこれを討たねばならぬ。日本は現在支那事変遂行中なる故ソ連を討つのも思うように行かぬと考えるが、機を見てソ連は討つべきものなりと思う。国民はソ連を討つことを熱望している。」と発言した。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第12章大元帥の試練
Ⅳ
この日まとめられた政策文書「今後採るべき戦争指導の大綱」は、次のように述べていた。
万難を拝し、概ね昭和19年中期を目途とし米英の進攻に対応すべき戦略態勢を確立しつつ、随時敵の反攻勢力を捕捉破摧す 帝国戦争遂行上 太平洋及印度洋方面に於いて絶対確保すべき要域を、千島、小笠原、内南洋(中西部)及西部「ニューギニア」、「スンダ」、「ビルマ」を含む圏域とす
この「圏域」内には、日本本土、千島列島、小笠原諸島、硫黄島、マリアナ諸島、フイリピン、オランダ領東インド、インド洋のアンダマン島ならびにニコバル諸島があつた。この線の外側に、ラバウル、中部ソロモン、ニューギニア東部、マーシャル諸島、ギルバート諸島のマキン、タラワがあった。陸軍の第8方面軍は14万名以上の部隊の大半をラバウルに配置していたが、ニューギニア東部の部隊とともに、もはや補給を受けることもなく、自給自足をする運命にあった。