細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか? | 「731・100部隊展」

「731・100部隊展」

「731・100部隊展」実行委員会のブログ


731部隊の罪業
歴史の分岐点に立って歴史認識からアジアの平和を考える
東京の水と空は大丈夫?(横田基地問題)
パネル展「日中戦争ーその実相に迫る!」

731部隊の行なった細菌戦


731部隊・100部隊のパネルの貸し出し予定
4月16日(木)~6月29日(月)
アウシュヴィッツ平和博物館(福島県白河市)
「日中戦争における馬と兵隊ー100部隊」

731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

1960~70年代の寒冷化の記録
当時、テームズ川、ライン川、ドナウ川など、ヨーロッパの有名な河川はほとんど凍結し、フランスのダンケルクからベルギーまでの海岸は、氷が100m沖合まで張り詰めた。
1963年初め、日本でも北陸から山陰地方にかけて豪雪となり、昭和38年なので「38豪雪」と呼ばれた。南国九州では、福岡の降雪が1か月に27日と観測史上初めての大記録、佐賀でも23日間降雪、鹿児島でも30㎝以上の積雪を記録し、九州が雪国となった。北海道には大量の流氷が押し寄せ、さらに寒冷魚のサケが、南限の銚子より南下して、伊豆半島で網にかかった。


●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった有名女優、有名歌手、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核兵器禁止条約

経緯
2016年10月28日(日本時間)、国連総会第一委員会(軍縮)において、多国間の核武装撤廃交渉を来年から開始する決議案“Taking forward multilateral nuclear disarmament negotiations”(document A/C.1/71/L.41)が、賛成123、反対38、棄権16で可決された。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、日本は反対票を投じ、北朝鮮は賛成、中華人民共和国は棄権した。
2017年7月7日に122か国・地域の賛成多数により採択された[5]。前年の決議からこの条約の採択の間に北朝鮮は不参加に転換した。
なお、核兵器禁止条約の国連総会への採択を含め、条約の推進には2007年に核戦争防止国際医師会議から独立して結成された核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の貢献が大きいとされ、同団体は2017年10月6日にノーベル平和賞を受賞した。
この条約は、50ヵ国が批准して90日後に発効する[7]。2017年9月20日にガイアナ、タイ王国、バチカン市国が[8]、2018年1月16日にはメキシコが、2018年9月28日までにキューバ、パレスチナ国、ベネズエラ、パラオ、オーストリア、ベトナム、コスタリカ、ニカラグア、ウルグアイ、ニュージーランド、クック諸島、ガンビア、サモア、サンマリノ、バヌアツを含む合計19か国が、この条約に批准した[9]。2018年10月29日現在、79カ国が条約に署名している。2019年10月29日、批准した国・地域は33、署名は79になった。

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)



●核なき世界へ!!
Toward a Nuclear-Free Future


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)</a><br /><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/yVlnVNSgHJA" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen>

日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

人体実験疑い 京大調査継続せず
今につながる問題!!
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?

※展示会の前後は搬入・搬出のため、ご利用できません


731部隊全景

100部隊の煙突
1930年代から1945年にかけて、中国東北部(旧満州)につくられた731部隊と100部隊は、人体実験を繰り返した細菌戦兄弟部隊。開発された細菌兵器は中国各地に撒かれ、多くの中国人民に深刻な被害をもたらしました。100部隊は関東軍軍馬防疫廠から出発した、軍馬の伝染病研究部隊ですが、謎の部隊で、獣医師・化学者達の戦争犯罪の実態が明らかにされてきませんでした。

細菌戦被害者を含めたアジア各国の戦争被害者や遺族は、現在も日本に責任を果たすよう補償を訴えていますが、日本政府は無視を続けています。
また、細菌戦部隊が戦犯免責と引き換えに研究データをアメリカに渡したことで、戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きいのではないでしょうか。医学者が協力、設定した原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの犠牲者を切り捨てるための基準となっています。医学者・獣医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いているのです。

中国ハルピンの731部隊跡地は今、世界遺産に登録される方向にあります。日本が中国に造った部隊施設が、「なぜ世界遺産に値するのか?」過去を知らない人にとって、不思議に思うことかも知れません。外国からも多くの人が訪れる侵華日軍罪証陳列館、日本人はそこでどのような目で見られるのでしょうか。
中国長春では、偽満皇宮博物院内に、「100部隊」の新展示館が2018年12月に開館します。
「日本政府と日本市民には、歴史に関する記憶喪失がある」と国際的に批判されています。

日本人にとって、今、731部隊・100部隊展を行うことは、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会となるのではないでしょうか。私たちは多くの次世代の若者にこの戦争加害の事実を伝えていきたいと考えています。
皆さま、どうか、あなたの住む地域やグループでこの「731部隊・100部隊展」を開いていただければと思います。連絡をお待ちしています。   
― 731部隊・100部隊展 実行委員会 ―

731部隊のパネル(A2版)
1 序章 薬害エイズと731部隊
2 HIVとAIDS
3 薬害エイズ事件はなぜ起こったか
4 731部隊の影
5 第1章 731部隊の創設
6 「満州国」
                
7 部隊全景

8 731部隊の始まり                  
9 731部隊組織表(横向)
10 陸軍軍医学校防疫研究室と石井機関のネットワーク
11 第11回日本医学会総会と軍陣医学部会
12 第2章 「マルタ」
13 憲兵隊と「特移扱」
14 「マルタ」と「特移扱」
15 朱玉芬の父と叔父
16 第3章 731部隊の人体実験     
17 ペスト(黒死病)
18 炭疽(Anthrax)
19 流行性出血熱
20 毒ガス実験 旧陸軍のアウシュビッツ
21 毒ガス野外実験
22 赤ん坊への凍傷実験

23 医学者たちの独走
24 人体実験が結ぶもの
25 細菌戦は行われた
26 ペストノミによる細菌戦
27 細菌の大量生産
28 第4章 731部隊の戦後
29 軍事裁判と戦後処理(横向)
30 細菌戦部隊医学者の戦後
31 細菌戦医学者の博士論文

32 陸上自衛隊の博士論文
33 第5章 731部隊を告発する
34 戦争の語り部 篠塚良雄

35 戦争の語り部 三尾 豊
36 家永教科書裁判第3次訴訟
37 軍医学校で発見された人骨
38 731部隊国家賠償請求裁判
39 細菌戦国家賠償請求裁判
40 終わりに 731部隊を世界遺産に

100部隊のパネル(A2版)
1 はじめに
2 「はじめに」
3 「日中戦争における人と馬」
4 「戦争とは」
5 「ジュネーブ議定書」
6 「731部隊」と「100部隊」
7 「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」
8 「僞満皇宮博物院」
9 「日中15年戦争」
10 「植民地支配」
11 「外地」での戦争犯罪
12 第1章 軍 馬

13 「軍馬:乗馬・駄馬・輓馬」
14 「軍馬の徴発」
15 「愛馬の見送り」
16 「軍馬の位」
17 「軍馬の改良」
18 「軍馬の名前」
19 「軍馬の訓練」
20 「テッチン」
21 「軍馬の世話・蹄手入れ」
22 「馬の寿命と病気」
23 「馬の伝染病」炭疽菌
24 「馬の伝染病」鼻疽菌
25 「馬学・獣医学の本」
26 「麻布連隊と白雪号」

27 「敗戦後の軍馬①」

28 「敗戦後の軍馬②」
29 第2章 100部隊
30 「細菌戦兄弟部隊」
31 「在満兵備充実ニ対スル意見 」
32 「関東軍軍馬防疫廠」
33 「100部隊所在地」
34 「100部隊の隊長」
35 「100部隊の細菌研究」

36 「100部隊の細菌製造部」
37 「100部隊2部1科23号室」
38 「関特演」と「100部隊」
39 「三河夏季演習」
40 「細菌戦 第6科新設」
41 「100部隊での人体実験」
42 「人体実験の犠牲者数」
43 「アヘン・ヘロイン」
44 「陸軍獣医学校」
45 「100部隊」の終焉
46 「100部隊」敗戦後の犯罪
47 「ハバロフスク裁判」
48 第3章 現代の課題

49 「戦前・戦中の獣医」
50 「現代の獣医師養成」
51 「熊本サンクチュアリ」
52 「加計学園獣医学部」
53 「何故 四国に?」
54 「加計学園獣医学部」資料
55 「検証 加計疑惑」(A2版ではありません)
56 「100部隊」の亡霊
57 おわりに

58 「学習と謝罪」
59 「前事不忘」
60 「100部隊」の新研究
61 「100部隊」の新史料

62 「100部隊」の新展示
63 おわりに

(付録パネル)
1、細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
(A3版7枚) 


2、細菌戦部隊の戦後
(A3版12枚)


3、元731部隊軍医と強制不妊手術
(A3版10枚)



4、731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真



5、タイトルパネル
1 日中戦争における人と馬 A3×11 2列 白地

2 日中戦争における人と馬 A4×11 2列 緑地
3 731部隊 A4×5 黄地
4 100部隊 A4×6 桃地
5 侵華日軍第731部隊罪証陳列館 A4×15 2列 黄地
6 偽満後宮博物院 A4×7 桃地
7 前事不忘後事之師 A4×8 青地

6、軍馬補助パネル(付録)
1 馬術教範 B4×8 黄地
2 馬具解説 B4×9 表紙桃地1緑地8
3 馬事提要 B4×12 桃地

貸出要項(731部隊と100部隊野パネルを一緒に借りると16000円!!)
1、パネル(A2版)
①731部隊のパネル(40枚)・・・・・・・貸出料7日以内(10000円)
②100部隊のパネル(62枚と他1枚)・・・ 貸出料7日以内(10000円)
2、付録パネル
① 細菌戦部隊の年表と戦後の流れ
② 細菌戦部隊員の戦後                                                
③ 元731部隊軍医少佐と強制不妊手術
④ 731部隊南方作戦出発直前集合写真、毒ガス訓練写真
⑤ タイトルパネル

⑥ 馬具補助パネル

※日数・規模に応じて、金額は相談に応じます。
※他に「731部隊のパネル」(内容はA2 版と同じ、A3版 40枚)
「細菌戦パネル」(A3版 79枚)があります。


3、模型・・・貸出料1台7日以内(10000円)
①生体解剖(62×82×高さ59)/cm
②凍傷実験(82×72×高さ58.5)/cm
③感染実験(77×74.5×高さ58.5)/cm
④毒ガス実験(90.5×75×高さ60)/㎝

※模型は、できましたら主催者団体が取りに来てください。
※模型は、1993年製のもので壊れやすいので、取扱に注意してください。
※送料は、主催者団体でご負担お願いします。
※もし、破損した場合には、修理費用のご負担をお願いします。保険への加入をお勧めします。
※お問い合わせは、080-4407-9554、nobu51@jcom.zaq.ne.jp






「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日



●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

27. 印象的なのは、万人坑。福島さんのお話の中に出てきた潘欲(村)1230人虐殺、潘斉荘1200人虐殺、その他併せて、河北省のその県で9か所の虐殺事件が記念館に図で示されていた。出口のところに全員の名が彫ってあり名前もない赤子などもいた。あまりにも残虐で通訳の人が学芸員の話を聞き言ってしまい「訳してくれ」と言ったが、訳してもらえなかった。あまりの残虐さにびっくりしたのか、日本人に対して怒りを感じたのか、友好的な心からの仕事ぶりだったのが、続けられなかったのか。日本人はその心を想像できなければならないと思う。安倍首相は「若い人に責任を負わせるわけにはいかない」と言ったが、それが若い人の想像力、認識の深まり、責任感と自立心を奪っている。通訳の中国人(私たちよりかなり若かった)と私たちの間の心の一致・交流はなかったが、これからの若者たちの日本人と中国人との間の交流・理解を得る方向に行くために、このような加害・被害の理解はどうしても必要になると思う。若者が「自己肯定感を持てない」と言われることのある日本人のその弱さの原因の一つが日本人が国としてこうした「重荷、責任をスルーしてしまう」「楽してしまおう」「逃げの姿勢」にあると思う。そういう日本人全体の性向、本質をドイツ人は見ているのではないか。ドイツの元大統領のガウクが日本に来た時に言ったという「日本人の心象(性)」という言葉の意味を聞いてみたい。良い展示会ですね。(70、市内、知人)

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報
82、戦後育ちですが身近に戦争のことは、両親より聞いて育ちました。平成・令和となり、戦争のヒサンさが忘れ去られてきています。是非とも若い人達にこの映画を見る機会を増やして欲しいと思いました。日本も近頃は海外派遣し、徐々に世界がキナ臭くなってきています。平和の命の大切さを1人でも理解してもらえるよう頑張って運動を続けて下さい。私も子ども・孫達に少しでも伝えていきたいと思います。
(男性・60代・市内・朝日新聞)

●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
―第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S
マニラで細菌戦の予備訓練を受ける

「おまえは、日農組合をやっていただろう」「はい」「どうだ、加茂(石井部隊長の実家のあるところ)で組合はできたか」「できません」「それはどうゆうわけだ」「カネカ(石井家の屋号)は、木がないというと山の木を持って行け、米がないというと米を持って行け、と皆に言うので、どうしても支部ができないのです」「そうだろう」―部隊長は満足そうにうなずいた。その人は、めでたく採用されたというのである。


●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より

第11章 今も続く毒ガスの被害

苦しみ抜いた20年
彼が中毒になったのはまだ20歳を過ぎたばかり、生後11か月の娘と若い妻を前に、現実を受け入れることはほとんどできなかった。残酷な毒剤が彼から正常人の生活を永遠に奪い去り、家庭にも莫大な苦痛をもたらした。李臣さんの妻・呉鳳琴さんは語った。生活を共にして、彼女も感染した。体の数か所に潰瘍ができ、陰部のそれはもっとひどい。彼女は語りながら、足を持ち上げ、その表面の潰瘍を示した。「被害は私たちだけにとどまらず、子どもたちにも及びました。1977年生まれの私たちの下の娘は、生まれた時から皮膚が弱く、肺の病気もしょっちゅうなのです。病院の検査で中毒症状と分かりました。でも、子どもの将来のために、人には知られたくない」。彼女は泣きながら訴えた。


●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

二 大規模な細菌生産と残虐非道な人体実験

上田弥太郎自筆供述書(1953年10月9日)
その後また小林技手に病状の観察を命じられ、翌日から観察を始めた。対象者は相当強力な細菌感染したらしく、症状が非常に急激で、次の日、私が採血した時、続けて2名が死亡した。私は直ちに報告するとともに、死者を解剖室に運ぶのを手伝った。解剖室に着いてから10分も経たないうちに解剖が行なわれ、死体は焼却炉に投げ込まれた。私はそれまでこのようなことを見たことが無かったため、吐き気がして、戻ってからも食事ができなかった。この実験中、もう1名が死亡した。私はこんな仕事がつくづくいやになり、731部隊に入ったことを初めて後悔した。
(1)119-2、85、2、第14号


70年間の沈黙を破って

―ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年総会における謝罪声明
(付)追悼式典におけるDGPPNフランク・シュナイダー会長の談話
「ナチ時代の精神医学―回想と責任」(邦訳)
岩井一正

ナチ時代のドイツの精神医学の歴史の研究は1980年代の初頭からは本格的にはじまりました。精神科医としては、クラウス・ドェルナー―最初は1969年で、1980年代に入っていくつかの著作を書いた―、アムスム・フィンツェン、そしてヨアヒム・エルンスト・マイアーが主にあげられます。歴史家としては、ゲルンハルト・バアダー、ディルク・ブラジウス、ハンズ・ヴァイルター・シュムールをあげておきます。1983年にはエルンスト・クレーのナチ国家における「安楽死」という目覚まし的な本が出版されました。当時わたしは信じられぬ思いでこれを読み、暗澹としました。これも私に衝撃を与えた本でした。


●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。東京地裁419号法廷

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

次回の裁判では、その移管作業に関わった5人の方々の陳述が出るのかどうかが焦点になる。

●「化学学校記事」情報公開裁判 (第16回)
次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
防衛省は、化学学校記事16号の存在を今回初めて認めた。まだ公開していない『化学学校記事』がたくさんあるはずだ。果たして自衛隊は、どんなことをしているのかその全貌を明らかにすべきだ。戦力を保持しないという憲法に本当に抵触していないかを明らかにすべきだ。
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。
、佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしているかを、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
●『BC兵器』久保綾三著
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

5 生物・化学戦における被害想定
生物・化学剤と兵器体系
これらの生物・化学剤の性状と効果の概要は、他の章と重複する面もあるが作戦想定の為の条件でもあるので引用すると、第5、6表の通りである。(以下の図表は『化学学校記事』第11号より)
これらの生物・化学剤は、
点源散布方式ー1弾着点から放出する方式の弾薬
複合点源散布方式ー多数弾着点から放出するが、1弾のみでは効果が上がらない方式
線源散布方式ー空中又は地上に線状に放出する方式の資材又は弾薬
の3種類の3方式に分けられるが、この線源散布方式は、前に述べた瀬戸内海沿岸における公害調査を名目として自衛隊が行なったエア・トレーサーの方式である。


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 2001年ピュリッツァー賞受賞
第12章大元帥の試練

その後の戦闘で、包囲された約8万名のアメリカ軍とフィリピン軍は、日本軍に重大な損害を与えた。2月9日及び26日、昭和天皇はバターン作戦についてまたも、杉山に圧力をかけた。ついにマッカーサー元帥は魚雷艇で脱出し、B17爆撃機に搭乗してオーストラリアのメルボルンへ脱出した。数週間後の4月9日、バターンに残った将兵たちは降伏した。コレヒドールの要塞に残った者は、その1ヵ月後に降伏した。バターン・コレヒドール防衛戦が長引いたために、アメリカの諜報機関は日本軍の無線通信を傍受、解読し、分析することができるようになり、その後に続く珊瑚海海戦やミッドウェイ海戦に備えることができた。